ミゲル・バティスタ

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ミゲル・バティスタ
Miguel Batista
ニューヨーク・メッツでの現役時代
(2011年9月1日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 首都地区サントドミンゴ
生年月日 (1971-02-19) 1971年2月19日(53歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1988年 アマチュアFA
初出場 1992年4月11日
最終出場 2012年9月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国代表
WBC 2006年

ミゲル・デスカルテス・バティスタ・ヘレスMiguel Descartes Batista Jerez, 1971年2月19日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。また、作家や詩人としても活動している。

経歴[編集]

プロ入りとパイレーツ時代[編集]

1988年にアマチュア・フリーエージェントでピッツバーグ・パイレーツと契約を結び、プロ入りを果たす。

1992年4月11日にメジャーリーグデビューを果たす。

マーリンズ時代[編集]

1996年フロリダ・マーリンズでプレーした。

カブス時代[編集]

1997年シカゴ・カブスでプレーした。

エクスポズ時代[編集]

1997年12月12日にヘンリー・ロドリゲスとのトレードで、モントリオール・エクスポズへ移籍した[1]

ロイヤルズ時代[編集]

2000年4月25日にブラッド・リグビー英語版とのトレードで、カンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した[1]

ダイヤモンドバックス時代[編集]

2001年アリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約を結び、スウィングマンとして先発・中継ぎを行き来しながらも48登板(18先発)で139.1回を投げ11勝、4ホールド、90奪三振、防御率3.36を記録した。

2002年は主に先発として起用され、36登板(29先発)で184.2回を投げ8勝、2ホールド、112奪三振、防御率4.29と二桁勝利は逃したものの先発ローテーションに定着した。

2003年も先発として起用され、36登板(29先発)で193.1回を投げて10勝、142奪三振、防御率3.54で2完投(1完封)も記録し、自身の先発キャリアとしては最高とも言える年だった。

ブルージェイズ時代[編集]

2003年12月12日に3年総額1,310万ドルでトロント・ブルージェイズへ移籍した[2]

2005年クローザーとして31セーブを記録した。

ダイヤモンドバックス復帰[編集]

2005年12月27日にトロイ・グロースセルジオ・サントスとのトレードで、オーランド・ハドソンと共にダイヤモンドバックスへ移籍した。

2006年開幕前の3月に第1回WBCドミニカ共和国代表に選出された[3]

シーズンでは先発ローテーションに定着し、二桁勝利を挙げる活躍を見せた。3年契約を満了し、オフにFAとなった。

マリナーズ時代[編集]

シアトル・マリナーズでの現役時代
(2009年3月20日)

2006年12月14日に3年総額2,500万ドルでシアトル・マリナーズへ移籍した[4]

2007年はチーム最多の16勝を記録した。

2008年は6月25日にシーズン10敗目を喫し、その2日後にバティスタはメディアに対し、腰と脇腹付近に痛みを抱えていることを明らかにし、「このチームで、痛みを押して投げ続けているのはこの僕だけだ。他の選手は痛ければ故障者リスト入りしたり、登板を回避している。でも僕はそうしていない」とチームの不満を語った[5]。先発と中継ぎで44試合に登板し、自己ワーストの14敗でシーズンを終えた。

2009年は4年ぶりに先発登板なしに終わったが、登板の約3分の1が2回以上を投げるロングリリーフだった。シーズン終盤には頭を剃り上げ、最後の8試合で無失点を記録した。

ナショナルズ時代[編集]

ワシントン・ナショナルズでの現役時代
(2010年4月24日)

2010年1月29日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加した。7月27日に昇格し、その日のアトランタ・ブレーブス戦では当初スティーブン・ストラスバーグの先発が予定されていたが、試合開始直前に登板を回避したため代わって2年ぶりに先発登板した。5回無失点の投球で初勝利を挙げたが、ストラスバーグの登板を期待していた観客からブーイングを浴び、その感想について問われた際に「ミス・ユニバースを観に来て、ミス・アイオワ英語版が出てきたらこういう反応になるよ」とコメント。この発言に対し「アイオワがバカにされた」とミス・アイオワのキャサリン・コナーズが抗議したため、「決してミス・アイオワの美貌を否定したわけではない」とコナーズに花を贈り、謝罪の電話。さらに30日のナショナルズ・パークでの試合に招待し、始球式で投げたコナーズの捕手役を務め、ツーショット写真を撮り、コナーズは「彼は最高。恨んでなんかいないわ」とコメント。これがきっかけで10月に行われるミス・アイオワの審査員をすることになった[6]

カージナルス時代[編集]

2011年1月14日にセントルイス・カージナルスとマイナー契約を結び、招待選手として参加したスプリングトレーニング中のプレシーズン・ゲームで8試合に登板して防御率1.59、WHIP1.32の投球を見せ、開幕メジャー入りする。しかし6月まで29試合の登板で防御率4.60、WHIP1.57の成績を喫し、特に与四球率5.83と制球に苦しんで6月22日に自由契約となった。

メッツ時代[編集]

2011年7月4日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ。また、この年の最終戦(シンシナティ・レッズ戦)では完封勝利を飾った。

2012年1月10日に再びマイナー契約を結んだ[7]。シーズンに入ってからは1勝3敗、防御率4.82を記録した。7月22日にDFAとなり、7月26日に放出された[8]

ブレーブス時代[編集]

2012年7月27日にブレーブスと契約を結んだ。

ブルージェイズ傘下時代[編集]

2013年1月19日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだ[9]が、3月25日に自由契約となった。

その後、4月9日にブルージェイズとマイナー契約を結ぶ[10]も、5月21日に自由契約となった[11]

投球スタイル[編集]

150キロを超える速球とスライダーカッターが持ち味。ブルージェイズに所属していた頃は、クローザーを経験したこともある。

人物[編集]

野球選手以外に作家・詩人という一面も持つ。2006年にはバティスタ自身が手掛けた推理小説「血の復讐」(The Avenger of Blood)はフェニックスを舞台としており、警察の捜査官や弁護士などに取材をして執筆した[12]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1992 PIT 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 13 2.0 4 1 3 0 0 1 0 0 2 2 9.00 3.50
1996 FLA 9 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 49 11.1 9 0 7 2 0 6 1 0 8 7 5.56 1.41
1997 CHC 11 6 0 0 0 0 5 0 -- .000 168 36.1 36 4 24 2 1 27 2 0 24 23 5.70 1.65
1998 MON 56 13 0 0 0 3 5 0 -- .375 598 135.0 141 12 65 7 6 92 6 1 66 57 3.80 1.53
1999 39 17 2 1 1 8 7 1 0 .533 606 134.2 146 10 58 2 7 95 6 0 88 73 4.88 1.51
2000 4 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 49 8.1 19 2 3 0 2 7 0 0 14 13 14.04 2.64
KC 14 9 0 0 0 2 6 0 0 .250 261 57.0 66 17 34 2 0 30 4 0 54 49 7.74 1.75
'00計 18 9 0 0 0 2 7 0 0 .222 310 65.1 85 19 37 2 2 37 4 0 68 62 8.54 1.87
2001 ARI 48 18 0 0 0 11 8 0 4 .579 581 139.1 113 13 60 2 10 90 6 0 57 52 3.36 1.24
2002 36 29 1 0 0 8 9 0 2 .471 790 184.2 172 12 70 3 6 112 9 2 99 88 4.29 1.31
2003 36 29 2 1 1 10 9 0 0 .526 822 193.1 197 13 60 3 8 142 7 0 85 76 3.54 1.33
2004 TOR 38 31 2 1 0 10 13 5 0 .435 867 198.2 206 22 96 1 3 104 12 0 115 106 4.80 1.52
2005 71 0 0 0 0 5 8 31 0 .385 331 74.2 80 9 27 5 2 54 3 0 39 34 4.10 1.43
2006 ARI 34 33 3 1 0 11 8 0 0 .579 910 206.3 231 18 84 5 6 110 14 1 116 105 4.58 1.53
2007 SEA 33 32 0 0 0 16 11 0 0 .593 860 193.0 209 18 85 3 8 133 15 2 101 92 4.29 1.52
2008 44 20 0 0 0 4 14 1 4 .222 556 115.0 135 19 79 6 6 73 5 0 89 80 6.26 1.86
2009 56 0 0 0 0 7 4 1 14 .636 326 71.1 79 7 39 1 2 52 4 0 37 32 4.04 1.65
2010 WSH 58 1 0 0 0 1 2 2 2 .333 350 82.2 71 9 39 8 5 55 4 0 36 34 3.70 1.33
2011 STL 26 1 0 0 0 3 2 0 6 .600 137 29.1 27 2 19 4 4 16 2 0 20 15 4.60 1.57
NYM 9 4 1 1 0 2 0 0 1 1.000 125 30.2 22 0 14 1 2 15 1 0 9 9 2.64 1.17
'11計 35 5 1 1 0 5 2 0 7 .714 262 60.0 49 2 33 5 6 31 3 0 29 24 3.60 1.37
2012 30 5 0 0 0 1 3 0 0 .250 220 46.2 53 5 31 0 1 34 1 0 28 25 4.82 1.80
ATL 5 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 24 6.0 5 1 2 1 0 2 0 0 2 2 3.00 1.17
'12計 35 5 0 0 0 1 3 0 0 .250 244 52.2 58 6 33 1 1 36 1 0 30 27 4.61 1.73
MLB:17年 658 248 11 5 2 102 115 41 *33 .470 8643 1956.1 2021 194 899 58 79 1250 102 6 1089 974 4.48 1.49
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す

年度別守備成績[編集]



投手(P)












1992 PIT 1 0 0 0 0 ----
1996 FLA 9 0 1 0 0 1.000
1997 CHC 11 2 6 0 0 1.000
1998 MON 56 10 21 1 1 .969
1999 39 5 20 2 1 .926
2000 4 1 0 0 0 1.000
KC 14 3 4 1 0 .875
'00計 18 4 4 1 0 .889
2001 ARI 48 7 17 1 1 .960
2002 36 8 33 1 2 .976
2003 36 10 31 3 2 .932
2004 TOR 38 18 30 1 5 .980
2005 71 2 6 1 0 .889
2006 ARI 34 12 34 4 2 .920
2007 SEA 33 14 27 2 2 .953
2008 44 10 14 1 0 .960
2009 56 4 8 0 0 1.000
2010 WSH 58 5 9 0 1 1.000
2011 STL 26 3 0 0 0 1.000
NYM 9 5 4 0 0 1.000
'11計 35 8 4 0 0 1.000
2012 30 0 7 1 0 .875
ATL 5 0 0 0 0 ----
'12計 35 0 7 1 0 .875
MLB 658 119 272 19 17 .954

背番号[編集]

  • 53(1992年)
  • 43(1996年、2001年 - 2003年途中、2004年 - 2010年)
  • 47(1997年、2011年途中 - 2012年途中)
  • 48(1998年 - 2000年途中)
  • 35(2000年途中 - 同年終了)
  • 25(2003年途中 - 同年終了)
  • 44(2011年 - 同年途中)
  • 52(2012年途中 - 同年終了)

代表歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b Orlando Hudson Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2009年3月18日閲覧。
  2. ^ Associated Press (2003年12月12日). “Right-hander gets three years, $13.1M” (英語). ESPN. 2009年3月18日閲覧。
  3. ^ 2006 Tournament Roster[リンク切れ] The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月7日閲覧 [リンク切れ]
  4. ^ Brock, Corey; Horan, Kevin (2006年12月14日). “Mariners ink Batista to three-year deal” (英語). The Official Site of The Seattle Mariners. 2009年3月18日閲覧。
  5. ^ 小林信行 「MLB30球団最新レポート&全選手個人成績 シアトル・マリナーズ/SEA 痛みがあっても投げているのは僕だけ」『月刊スラッガー』2008年9月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌 15509-9、80頁。
  6. ^ 『月刊スラッガー』2010年10月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-10、74頁。
  7. ^ Cerrone, Matthew. “Mets sign Miguel Batista, Fernando Cabrera & Sean Kazmar”. MetsBlog.com. 2012年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月10日閲覧。
  8. ^ DeCelles, Ken. “Miguel Batista Released by the Mets”. SB Nation New York. 2012年7月27日閲覧。
  9. ^ http://colorado.rockies.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20130119&content_id=41047758&vkey=news_col&c_id=col Rockies have Minor League deal with Batista
  10. ^ https://twitter.com/JonHeymanCBS/status/321732059041255427
  11. ^ Nanita, Weber join Bisons Beck falls on DL, Batista released” (2013年5月21日). 2013年5月21日閲覧。
  12. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、228頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]