マンスール・オジェ

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マンスール・オジェ
مَنْصُورعُجَّة
Mansour Ojjeh
生誕 (1952-06-24) 1952年6月24日
サウジアラビアの旗 サウジアラビア
死没 2021年6月6日(2021-06-06)(68歳)
スイスの旗 スイスジュネーヴ
職業 TAGグループ総帥
活動期間 1960-2002
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マンスール・アクラム・オジェアラビア語: مَنْصُور أَكْرَم عُجَّةアラビア語ラテン翻字: Mansour Akram Ojjeh1952年6月24日 - 2021年6月6日)は、シリアサウジアラビア人(フランス二重国籍を持つ)の大富豪実業家

来歴[編集]

シリア出身の著名な大富豪で、武器商人として知られるアクラム・オジェの息子として、サウジアラビアで生まれた[1]。ヨーロッパとアメリカで教育を受ける。なお、元は「オジェ」ではなく「アジェ」という苗字であったが、フランス風に振舞うことを好んだアクラムが、フランス語風の発音に改称した。

ウィリアムズFW08(1982年)

1978年に、当時国営航空会社であったサウジアラビア航空が、F1のウィリアムズチームのスポンサーだったことから、サウジアラビアの王室の誘いでF1モナコGPを観戦したことで、モータースポーツへの情熱が芽生える。

翌1979年より、父親がフランスに設立した技術集団である「Techniques d'Avant GardeTAG)」がウィリアムズチームのスポンサーを行うという形でモータースポーツに参入した。後にマクラーレンと組んで新組織「TAG Turbo Engines」を立ち上げ、ポルシェターボエンジンの開発を依頼するなど、1980年代以降にスポンサー活動を継続的に行った。

ロン・デニスバーレーンの政府系投資会社マムタラカト・ホールディングとともに、マクラーレンの共同オーナーとなっている。株式売却により2016年時点で株式の保有比率は25%まで低下しているが[2]、実質的な経営の主導権を握っていた。そのかたわら、投資グループとしての側面が強くなったTAGグループの総帥でもあった。

1985年に資金難となっていたスイスの高級時計メーカーのホイヤーにTAGとして出資し、タグ・ホイヤーとして世界的に知名度の高いブランドを再生している。(1999年9月にLVMHが株式の50.1%を取得し、以降はLVMHの傘下となっている)

2020年夏にマクラーレンの取締役を辞任、息子であるスルタンが取締役に就任した。

没後、2021年のアゼルバイジャンGPの前には、同時期に死去したマックス・モズレーとともに1分間の黙祷が捧げられ、マクラーレンのチームスタッフは喪章を腕にレースを戦った。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]