マルク・マルケス

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マルク・マルケス
Marc Márquez
 2023年
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1993-02-17) 1993年2月17日(31歳)
カタルーニャ州の旗 カタルーニャ州リェイダ県サルベーラ
現在のチーム グレシーニ・レーシング
ゼッケン 93
レースでの経歴
ロードレース世界選手権 MotoGPクラス
活動期間2013年
マニファクチャラーHONDA
チャンピオン6 (2013年, 2014年, 2016年,2017年,2018年,2019年)
2022年 順位13位 (113 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
163 59 101 64 59 2594
ロードレース世界選手権 Moto2クラス
活動期間2011年2012年
マニファクチャラースッター-ホンダ
チャンピオン1 (2012年)
2012年 順位1位 (328 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
32 16 25 14 7 579
ロードレース世界選手権 125ccクラス
活動期間2008年2010年
マニファクチャラーKTM, デルビ
チャンピオン1 (2010年)
2010年 順位1位 (310 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
46 10 14 14 9 467

マルク・マルケス・アレンタ (Marc Márquez Alentà, 1993年2月17日 - ) は、スペインサルベーラ出身のオートバイレーサー。2013年シーズンよりロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦。ロードレース世界選手権125ccクラス(2010年)・Moto2クラス(2012年)・MotoGPクラス(2013年2014年2016年2017年2018年2019年)チャンピオン。身長168cm、体重59kg[1][2]。弟も同じオートバイレーサーのアレックス・マルケス

経歴[編集]

キャリア初期[編集]

マルケスは5歳のときからオートバイに乗り始め、エンデューロレースで活躍し2001年にはカタルーニャ州の地方選手権でジュニアクラスのチャンピオンになった。翌2002年からロードレースに転向、2004年以降はエミリオ・アルサモラ(1999年ロードレース世界選手権125ccクラスチャンピオン)の指導を受けるようになった[3]。2006年にはスペイン国内選手権(CEV)125ccクラスでシリーズ8位、2007年にはシリーズ9位を記録した[4]

ロードレース世界選手権[編集]

125ccクラス[編集]

2008年[編集]

2008年シーズン、マルケスはロードレース世界選手権にレプソル・KTMチームからデビューを果たした。開幕前のテストで右腕を骨折したため、第3戦ポルトガルGPからの参戦開始となったが、第4戦中国GPで12位に入り初ポイント獲得、第8戦イギリスGPでは史上2番目の若さとなる、15歳と126日での表彰台獲得(3位)を果たした[5]。その後ルーキー・オブ・ザ・イヤーの座をスコット・レディングと争ったが、序盤の欠場に加え、第17戦マレーシアGPのフリー走行で右足骨折の重傷を負い[6]終盤2戦を欠場したことが響いてシリーズランキングは13位、KTM勢の最上位に立つことはできたものの、シリーズ11位のレディングには敗れた。なおこの年の開幕時点でマルケスの身長は148cmとグランプリライダーの中で最も低く、体重も40kgしかなかったため、125ccクラスの最低制限重量である136kgを満たすために21kgのバラストをマシンやツナギの中に仕込んで戦った[7]

2009年[編集]

前年の活躍がKTMに認められ、2009年シーズンはファクトリーチームのレッドブル・KTMに移籍することになった。身体面では1年で大きく成長し、このシーズン開幕時点では身長160cm、体重51kgとなった[5]第3戦スペインGPで3位表彰台を獲得、第4戦フランスGPでスペイン人ライダーとして史上最年少(16歳と89日)となるポールポジション獲得を果たすなどの活躍を見せ、シリーズランキング8位と成績を伸ばした。

2010年[編集]
2010年 カタルーニャGP

2009年をもってKTMがグランプリから撤退したため、スポンサーのレッドブルと共にアジョ・モータースポーツチームに移籍。サンドロ・コルテセをチームメイトに、新たにデルビのマシンを駆って2010年シーズンを戦うこととなった[8]。マルケスは合同テストでトップタイムを出すなど開幕前から好調さを見せ[9]第4戦イタリアGPでグランプリ初優勝を遂げた。その後第8戦ドイツGPまで、1997年バレンティーノ・ロッシ以来となる5連勝を果たす快進撃を見せてチャンピオン争いをリード。第13戦アラゴンGPではランディ・クルメナッハの転倒に巻き込まれてリタイヤを喫し、ニコラス・テロルポル・エスパルガロに逆転されて一時ランキング3位に落ちるが、第14戦日本GPから4連勝を遂げてポイントリーダーに返り咲き、最終戦バレンシアGPでチャンピオンに輝いた。この時点でのマルケスの年齢は17歳と263日、これはロリス・カピロッシ(1990年)に次ぐ史上2番目の若さでのタイトル獲得となった[10]

Moto2クラス[編集]

2011年[編集]
2011年 アラゴンGP

2011年シーズン、マルケスはアルサモラ率いるチーム「モンラウ・コンペティチオン」から、Moto2クラスにステップアップ[11]スッター製の最新マシンを駆り、カレックスを駆るステファン・ブラドルとのタイトル争いを演じた。出だしは順調とは言えず、開幕戦から3戦連続で転倒を喫しノーポイントに沈む。第4戦フランスGPで初優勝を遂げると、中量級のマシンライディングのコツを掴み始めたマルケスは、ここから一気に成績を伸ばしていくようになる。 タイトル争いでは序盤の連続リタイアが響いており、積極的にシーズンをリードするブラドルを追いかけていく展開となった。マルケスは二度の3連勝を含むシーズン最多の7勝を記録、中盤から終盤にかけて9戦連続で表彰台に立つ怒濤の追い上げを見せ、一時は80ポイント近くあったブラドルとの差を第16戦オーストラリアGP終了時点で僅か3ポイント差まで詰めていた。しかし、続く第17戦マレーシアGPのフリー走行中、マレーシア特有の突然の降雨によりクラッシュ、その際に左目の視力にダメージを負ってしまう。この症状はシーズン中に回復せず、残り2戦を欠場。これでブラドルのタイトル、マルケスのランク2位が確定することとなり、逆転チャンピオンとはならなかった。

2012年[編集]
2012年 オーストラリアGP

2012年シーズンはケガから回復し、好調を維持しシーズンを戦っていた。5月にMotoGPクラスのホンダワークスに所属するケーシー・ストーナーが引退を発表したことから次シーズンの候補としてマルケスが浮上。シーズン初年参戦者のワークスチーム所属を認めない「アンチ・ルーキー・ルール」が障壁となったが、7月にこのルールの撤廃が発表されたため問題はなくなり、マルケスはMoto2クラスチャンピオンを獲得してストーナーに代わり、2013年シーズンからMotoGPクラスに参戦することになる。

MotoGP[編集]

2013年[編集]
2013年 イギリスGP


2013年シーズンは、レプソル・ホンダチームに所属し、ワークス仕様のRC213Vを駆っての参戦が話題になり、ウインターテストから大型ルーキーとして大きな注目を集め、MotoGPクラスデビューとなった開幕戦カタールGPで3位表彰台に立った。

第2戦アメリカズGPは、初開催となるサーキット・オブ・ジ・アメリカで行われ、予選でポールポジション(PP)を獲得し、決勝では最高峰クラスデビューから2戦目で初勝利を挙げる。最高峰クラスにおいて20歳62日でのPPと20歳63日での優勝は、共にフレディ・スペンサー1983年に記録したものを上回る最年少記録で、30年ぶりに更新した。この優勝でポイントリーダーに立ち、第3戦も2位に入りポイントリーダーの座を守る。

第4戦フランスGPは3位に入るものの、ランキング2位のダニ・ペドロサが優勝しポイントリーダーの座を明け渡す。第5戦イタリアGPは、残り3周となった21周目に2位を走行しながらも転倒しリタイアする。第6戦カタルーニャGPは3位、第7戦オランダGPは2位に入りポイントを積み重ねていく。

第8戦ドイツGP、第9戦U.S.GP、第10戦インディアナポリスGP、第11戦チェコGPと4戦連続で優勝する。マイク・ヘイルウッド1962年に記録した最高峰クラスでの最年少連勝記録を51年ぶりに更新する。また、第8戦ドイツGPの優勝で再びポイントリーダーに立ち、チャンピオン候補の1人となる。第12戦イギリスGP、第13戦サンマリノGPは連続で2位に入る。

第14戦アラゴンGPで6勝目を挙げる。第15戦マレーシアGPは2位に入り、ランキング2位のホルヘ・ロレンソと43ポイント差まで広げる。

しかし第16戦オーストラリアGPでは、ブリヂストンが持ち込んだタイヤの耐久性に問題があり、レース全体を同じタイヤで走破不可能な事が判明する。主催者は安全面の特別処置として同一タイヤで10周以上走る事を禁止し、レース9周目か10周目にピットインしてニュータイヤ装備したマシンとの乗換が必要となった。だが、ピットインのタイミングをチームが誤認し11周目にピットに入ったため失格となり、ランキング2位のロレンソと18ポイント差まで迫られる。第17戦日本GPで1位ロレンソ、2位マルケスとなり13ポイント差とさらに縮まる。

最終戦バレンシアGPでロレンソが優勝しても、マルケスは3位以内に入れば年間チャンピオンが決定する。そのため無理な走りはせずに3位でゴールし、4ポイント差で年間チャンピオンを獲得する。

マルケスは、最高峰クラスのデビューイヤーにチャンピオンを獲得した2人目のライダーとなる[12]。20歳266日での最高峰クラスのタイトル獲得は史上最年少記録[13]。ロードレース世界選手権の3クラス(125ccクラス/Moto2クラス/MotoGPクラス)のタイトルを獲得した史上4人目ライダーとなる[14]。また、最高峰クラスにおけるデビューイヤー6勝は世界選手権発足後初の快挙となった。

2014年[編集]

2014年シーズンは、開幕戦のカタールGPをポールトゥーウィンで飾ると、そこから破竹の10連勝(うち開幕戦から6戦連続PPを含む9度のPP)を飾り一気に選手権をリードする展開となった。

開幕からの連勝は第11戦チェコGPでダニ・ペドロサによってストップされ、第12戦イギリスGPで優勝するものの、続く第13戦サンマリノGP、第14戦アラゴンGPとトップ争いを演じている中で自身のミスによる転倒で優勝を逃す展開を見せる(両戦とも再スタートしてポイントは獲得している)。

あまりいいとはいえない展開の中での第15戦の日本GPではペドロサとバレンティーノ・ロッシの前でゴールすればチャンピオンが決定する状況で、あえてトップを狙わず2位をキープするというクレバーなレースを見せ、2年連続でのチャンピオンをホンダの本拠地ともいえるもてぎで決定した(ホンダのライダーがもてぎで最高峰クラスのチャンピオンを決定させたのは初となる)。

チャンピオン決定後の第16戦オーストラリアGPではこの年唯一のリタイアを喫したものの、続く第17戦マレーシアGPと最終戦バレンシアGPで連勝を挙げた事でシーズン13勝を挙げ、マイケル・ドゥーハンが1997年に記録したシーズン12勝という世界選手権のシーズン最多勝記録を17年ぶりに更新した。

また、弟のアレックスがこの年のmoto3クラスのチャンピオンを獲得しており、世界選手権史上初となる兄弟で同じ年にチャンピオンを獲得する事となった。

2015年[編集]

前年に引き続きレプソル・ホンダ・チームより参戦。[15]シリーズランキング3位に終わる。

2016年-2019年[編集]
2019年 フランスGP

引き続きレプソル・ホンダ・チームより参戦。4年連続シリーズチャンピオンを獲得。

2018年シーズン終了後に左肩の亜脱臼を治す手術を受けた。

2019年シーズン終了後には右肩の亜脱臼を治す手術を受けた[16]

2020年[編集]

引き続きレプソル・ホンダ・チームより参戦するが、第2戦のスペインGPでの決勝レースでクラッシュを喫し右上腕骨を骨折[17]。手術の後、第3戦で強行復帰を目指しフリー走行に出走するものの、予選以降は欠場となった上に、その無理が祟り骨折箇所に埋め込んだチタン製プレートが破損し再手術を余儀なくされた[18]。その後は復帰することなく後のレースをステファン・ブラドルに託すという形で、シーズンを終える。さらに骨折箇所が偽関節症を起こしてしまったため、12月には3度目の手術を受けた[18]

2021年[編集]

2021年第3戦ポルトガルGPで9か月ぶりにレプソル・ホンダ・チームから復帰した[19](7位)。第8戦ドイツGPで1年半ぶりの優勝を飾った[20]。第17戦アルガルヴェGPを前にオフロードトレーニング中に転倒を喫して頭部を強打し、2011年に患ったのと同じ複視(物が二重に見える)の症状が出たためこのグランプリを含めた2戦を欠場[21]

2022年[編集]

前年に引き続きレプソル・ホンダ・チームより参戦。2年ぶりに開幕戦に出場した。第2戦インドネシアGPには予選に出場したものの、決勝日朝のウォームアップセッション終盤にターン7で激しいハイサイドを喫した。マシンから高く放り出されたマルケスは地面に衝突し、脳震盪と合わせて複視が再発したため欠場となった[22]。第8戦イタリアGP後、2020年に骨折を負った右腕の4度目の手術を受けることになり、当初は復帰までに5ヵ月ほどの時間を要する見方が出ていた。[23]しかし、マルケスによる来季マシンの開発の重要性と、4度目の手術からの回復状況の良さから、第14戦サンマリノGP終了後のテストに参加。5月のイタリアGP以来のMotoGPマシンのライディングとなる。

2023年

前年に引き続きレプソル・ホンダ・チームより参戦。

10月4日にHRC(ホンダ・レーシング)からマルケスの2023年限りでの早期離脱を発表した。また、10月12日にはドゥカティのマシンを使用し実弟のアレックス・マルケスがライダーとして所属しているグレシーニ・レーシングMotoGPから2024年にマルケスを起用することが発表された。

ロードレース世界選手権 戦績[編集]

  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
クラス バイク 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
2008年 125cc KTM QAT
SPA
DNS
POR
18
CHN
12
FRA
Ret
ITA
19
CAT
10
GBR
3
NED
Ret
GER
10
--- CZE
Ret
RSM
4
IND
6
JPN
Ret
AUS
9
MAL
VAL
13位 63
2009年 125cc KTM QAT
Ret
JPN
5
SPA
3
FRA
Ret
ITA
5
CAT
5
NED
10
--- GER
16
GBR
15
CZE
8
IND
6
RSM
4
POR
Ret
AUS
9
MAL
Ret
VAL
17
8位 94
2010年 125cc デルビ QAT
3
SPA
Ret
FRA
3
ITA
1
GBR
1
NED
1
CAT
1
GER
1
USA CZE
7
IND
10
RSM
1
ARA
Ret
JPN
1
MAL
1
AUS
1
POR
1
VAL
4
1位 310
2011年 Moto2 スッター QAT
Ret
SPA
Ret
POR
21
FRA
1
CAT
2
GBR
Ret
NED
1
ITA
1
GER
1
--- CZE
2
IND
1
RSM
1
ARA
1
JPN
2
AUS
3
MAL
DNS
VAL
INJ
2位 251
2012年 Moto2 スッター QAT
1
SPA
2
POR
1
FRA
Ret
CAT
3
GBR
3
NED
1
GER
1
ITA
5
--- IND
1
CZE
1
RSM
1
ARA
2
JPN
1
MAL
Ret
AUS
3
VAL
1
1位 324
2013年 MotoGP ホンダ QAT
3
AME
1
SPA
2
FRA
3
ITA
Ret
CAT
3
NED
2
GER
1
USA
1
IND
1
CZE
1
GBR
2
RSM
2
ARA
1
MAL
2
AUS
DSQ
JPN
2
VAL
3
1位 334
2014年 QAT
1
AME
1
ARG
1
SPA
1
FRA
1
ITA
1
CAT
1
NED
1
GER
1
IND
1
CZE
4
GBR
1
RSM
15
ARA
13
JPN
2
AUS
Ret
MAL
1
VAL
1
1位 362
2015年 QAT
5
AME
1
ARG
Ret
SPA
2
FRA
4
ITA
Ret
CAT
Ret
NED
2
GER
1
IND
1
CZE
2
GBR
Ret
RSM
1
ARA
Ret
JPN
4
AUS
1
MAL
Ret
VAL
2
3位 242
2016年 QAT
3
ARG
1
AME
1
SPA
3
FRA
13
ITA
2
CAT
2
NED
2
GER
1
AUT
4
CZE
3
GBR
4
RSM
4
ARA
1
JPN
1
AUS
Ret
MAL
2
VAL
2
1位 298
2017年 QAT
4
ARG
Ret
AME
1
SPA
2
FRA
Ret
ITA
6
CAT
2
NED
3
GER
1
CZE
1
AUT
2
GBR
Ret
RSM
1
ARA
1
JPN
2
AUS
1
MAL
4
VAL
3
1位 298
2018年 QAT
2
ARG
18
AME
1
SPA
1
FRA
1
ITA
16
CAT
2
NED
1
GER
1
CZE
3
AUT
2
GBR
C
RSM
2
ARA
1
THA
1
JPN
1
AUS
Ret
MAL
1
VAL
Ret
1位 321
2019年 QAT
2
ARG
1
AME
Ret
SPA
1
FRA
1
ITA
2
CAT
1
NED
2
GER
1
CZE
1
AUT
2
GBR
2
RSM
1
ARA
1
THA
1
JPN
1
AUS
1
MAL
2
VAL
1
1位 420
2020年 SPA
Ret
ANC
DNS
CZE
AUT
STY
RSM
EMI
CAT
FRA
ARA
TER
EUR
VAL
POR
NC 0
2021年 QAT
DOH
POR
7
SPA
9
FRA
Ret
ITA
Ret
CAT
Ret
GER
1
NED
7
STY
8
AUT
15
GBR
Ret
ARA
2
RSM
4
AME
1
EMI
1
ALG
VAL
7位 142
2022年 QAT
5
INA
DNS
ARG
AME
6
POR
6
SPA
4
FRA
6
ITA
10
CAT
GER
NED
GBR
AUT
RSM
ARA
Ret
JPN
4
THA
5
AUS
2
MAL
7
VAL
Ret
13位 113
2023年 POR
Ret
ARG AME SPA FRA
Ret
ITA
Ret
GER
DNS
NED
DNS
GBR
Ret
AUT
12
CAT
13
RSM
7
IND
9
JPN
3
INA
Ret
AUS
15
THA
6
MAL
13
QAT
11
VAL
Ret
14位 96
2024年 ドゥカティ QAT
4
POR AME SPA FRA CAT ITA KAZ NED GER GBR AUT CAT RSM IND INA JPN AUS THA MAL VAL 4位* 18*

脚注[編集]

  1. ^ motogp.com・Marc Marquez”. Dorna Sports S.L.. 2012年4月12日閲覧。
  2. ^ マルク・マルケスのプロフィール”. Repsol Honda Team 公式サイト. 2013年3月2日閲覧。
  3. ^ http://www.monlau-competicion.com/_devfinal/proy_motos/motociclismo.asp?ualocation=461&uaSection=marc%20Marquez/marc%20Marquez_esp.asp
  4. ^ アーカイブされたコピー”. 2011年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月10日閲覧。
  5. ^ a b http://www.motogp.com/ja/riders/profiles/Marc+Marquez
  6. ^ http://www.motogp.com/ja/node/494560
  7. ^ http://www.motogp.com/ja/node/348810
  8. ^ http://www.motogp.com/ja/news/2009/Marquez+AJO+Motorsport+Jerez
  9. ^ http://www.motogp.com/ja/news/2010/125+valencia+smith+on+top+on+the+day+2
  10. ^ http://news.smh.com.au/breaking-news-sport/marquez-clinches-125cc-world-championship-20101107-17j3r.html
  11. ^ http://www.motorcyclenews.com/MCN/sport/sportresults/MotoGP/2010/November/nov2310-marquez-makes-move-to-moto2/
  12. ^ 最高峰クラスのデビューイヤーにチャンピオンを獲得した初のライダーは、1978年500ccクラスチャンピオンのケニー・ロバーツ
  13. ^ それまでの最高峰クラス最年少チャンピオンは、1983年500ccクラスチャンピオンのフレディ・スペンサーで21歳258日。
  14. ^ 3クラス制覇を達成したライダーは、マイク・ヘイルウッド(250ccクラス〈1961年・1966年・1967年〉/350ccクラス〈1966年・1967年〉/500ccクラス〈1962年・1963年・1964年・1965年〉)、フィル・リード(125ccクラス〈1968年〉/250ccクラス〈1964年・1965年・1968年・1971年〉/500ccクラス〈1973年・1974年〉)、バレンティーノ・ロッシ(125ccクラス〈1997年〉/250ccクラス〈1999年〉/500ccクラス〈2001年〉&MotoGPクラス〈2002年・2003年・2004年・2005・2008年・2009年〉)。
  15. ^ http://www.honda.co.jp/Racing/news2015/02/
  16. ^ 「コップも持ち上げられない状態だった」マルケス、開幕戦で“全快”を目指す”. motorsport.com. 2020年1月23日閲覧。
  17. ^ “マルケス兄が転倒で右腕の上腕骨を骨折”. MotoGP.com. https://www.motogp.com/ja/news/2020/07/19/マルケス兄が転倒で右腕の上腕骨を骨折/334185 2020年7月19日閲覧。 
  18. ^ a b 1度のムリが大きなツケに。マルケス兄、骨折後の強行出場を後悔「あれは間違いだった」 - motorsport.com 2020年12月8日
  19. ^ “ついに復帰! マルク・マルケス、MotoGP第3戦ポルトガルGPの出場許可下りる”. as-web.jp. https://www.as-web.jp/bike/687440 2021年4月15日閲覧。 
  20. ^ Eri Ito (2021年6月20日). “MotoGP第8戦ドイツGP:M.マルケス、復活の優勝。オリベイラの猛追を振り切り、1年半ぶりに表彰台の頂点に立つ”. auto sport. 三栄. 2021年6月25日閲覧。
  21. ^ “マルク・マルケス、最終戦欠場”. MotoGP.com. https://www.motogp.com/ja/news/2021/11/09/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF-%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%82%B9-%E6%9C%80%E7%B5%82%E6%88%A6%E6%AC%A0%E5%A0%B4/400455  2021年11月9日閲覧。 
  22. ^ “マルク・マルケス、転倒で脳震盪……大事とりインドネシアGPを欠場。昨年10月には”引退”よぎる怪我も (motorsport.com)”. motorsport.com. https://jp.motorsport.com/motogp/news/marquez-ruled-out-of-indonesia-motogp-race-after-massive-crash/9156760/ 2020年7月19日閲覧。 
  23. ^ “ホンダ、手術で欠場のマルク・マルケス代役はステファン・ブラドル起用へ”. motorsport.com. https://jp.motorsport.com/motogp/news/repsol-honda-confirms-bradl-in-marquezs-position/10314642/ 2022年6月1日閲覧。 

外部リンク[編集]