マルクス・リウィウス・サリナトル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。EmausBot (会話 | 投稿記録) による 2013年4月1日 (月) 16:23個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ボット: 言語間リンク 13 件をウィキデータ上の (d:Q703448 に転記))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

マルクス・リウィウス・サリナトルラテン語: Marcus Livius Salinator, 紀元前254年紀元前204年)は、共和政ローマ第二次ポエニ戦争期の元老院議員。紀元前219年執政官を務めた。

生涯

リウィウスの名が記録に出てくるのは紀元前219年、執政官としてルキウス・アエミリウス・パウッルスとともに選ばれた時である。そしてイリュリアに対して遠征を遂行、しかしカルタゴに対する作戦において略奪品の不正があり告発され、ローマに戻ると法廷に立たされ有罪とされた。

執政官を辞した後は政治生活から離れた隠遁状態にあったが、紀元前210年に政界復帰、紀元前207年には再び執政官に任命される。そしてガイウス・クラウディウス・ネロとともにメタウルスの戦いでハンニバルの弟ハスドルバルを破り、戦死させた。そしてローマに帰還するとネロとともに紀元前206年凱旋式の敢行を許される。そして紀元前206年から紀元前205年にかけてエトルリア地方を死守、第二次ポエニ戦争終了時にはガリア・キサルピナの防衛を担っていた。

その後彼は再びクラウディウス・ネロとともにケンソルに就任、しかしネロと塩税で対立、激しく口論した。この「塩」(salis)から「サリナトル」という名が来て、彼の子孫はこの名を名乗ることとなった。