マリー=フランス・ピジェ

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マリー=フランス・ピジェ
Marie-France Pisier
Marie-France Pisier
生年月日 (1944-05-10) 1944年5月10日
没年月日 (2011-04-24) 2011年4月24日(66歳没)
出生地 フランス領インドシナ連邦の旗 フランス領インドシナ連邦 ダラット[1]
死没地 フランスの旗 フランスヴァール県[2]
国籍 フランスの旗 フランス[1]
身長 157 cm[3]
職業 女優
ジャンル 映画・テレビ
活動期間 1961年 - 2011年
配偶者 ジョルジュ・キエジマンフランス語版(1973年 - 1979年)
ティエリー・ファンク=ブレンタノフランス語版( ? - 2011年)
著名な家族 エヴリーヌ・ピジェフランス語版(姉)
ジル・ピジェフランス語版(弟)
 
受賞
セザール賞
助演女優賞フランス語版
1976年フランス語版さよならの微笑』『フランスでの思い出フランス語版
1977年フランス語版バロッコフランス語版
その他の賞
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マリー=フランス・ピジェMarie-France Pisier1944年5月10日 - 2011年4月24日)は、フランス女優作家脚本家としても活動していた。

略歴[編集]

1944年に、当時のフランス領インドシナ、現在のベトナムダラットで生れる[1]。父親はジョルジュ・ピジェフランス語版公法学者で作家のエヴリーヌ・ピジェフランス語版は姉、数学者のジル・ピジェフランス語版は弟。姉エヴリーヌは、医師で政治家のベルナール・クシュネルの最初の妻で、後に政治学者オリヴィエ・デュアメルフランス語版と再婚している。

1961年にフランソワ・トリュフォー監督の目にとまり、翌1962年に公開されたオムニバス映画二十歳の恋』のフランス篇『アントワーヌとコレット/二十歳の恋』でヒロインを演じて注目されるようになる[1]

セザール賞助演女優賞フランス語版第1回フランス語版(1976年、『さよならの微笑』『フランスでの思い出フランス語版』)と第2回フランス語版(1977年、『バロッコフランス語版』)の2年連続で受賞している。

2011年4月24日、フランス南部ヴァール県の自宅にあるプールで死亡しているところを発見された[2]

私生活[編集]

弁護士で後に政治家となるジョルジュ・キエジマンフランス語版と1973年に結婚し、息子を1人[4]もうけるが、1979年に離婚[5]。その後、ビジネスマンのティエリー・ファンク=ブレンタノフランス語版と再婚し、息子と娘を1人ずつ[4]もうける。ピジェの遺体を発見したのは夫のティエリーである[5]

主な出演作品[編集]

アントワーヌとコレット/二十歳の恋』(1962年)

出典[編集]

外部リンク[編集]