マヤ・デレン

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マヤ・デレン
Maya Deren
本名 Eleonora Derenkovska
誕生日 (1917-04-29) 1917年4月29日
出生地 ロシア帝国(現ウクライナ)、キエフ
死没年 1961年10月13日(1961-10-13)(44歳)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク
配偶者 Gregory Bardacke (1935年–1939年)
アレクサンドル・ハッケンシュミード (1942年–1947年)
伊藤貞司 (1960年–1961年 彼女の没年まで)
芸術分野 振付映画ダンス民族誌学音楽民族学
教育 ニューヨーク大学ニュースクール大学スミス大学
代表作 映画: 『午後の網目』 (1943年)、『陸地にて』 (1944年)、『カメラのための振付けの研究』 (1945年)、『変形された時間での儀礼』 (1945年-1946年)、『暴力についての瞑想』 (1947年)、『夜の深み』 (1959年)
書籍: Divine Horsemen: The Living Gods of Haiti (1953年)
An Anagram of Ideas on Art, Form and Film (1946年)
受賞 グッゲンハイム・フェローシップ、Creative Work in Motion Pictures (1947年)
アマチュア映画・国際グランプリ、カンヌ国際映画祭 (1947年)
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映画『午後の網目』 (1943)

マヤ・デレン(Maya Deren、本名Eleonora Derenkovska 1917年4月29日1961年10月13日)は、1940年代から1950年代のアメリカの前衛映画作家であり実験映画家。また振付師、舞踊家、詩人、作家、写真家でもある。

経歴[編集]

1917年にウクライナキーウで生まれ、1922年に一家はアメリカ合衆国ニューヨーク州シラキュースに移住した。父親の姓はDerenkowskyであったがこのときにDerenと短く改姓した。1928年にアメリカ合衆国に帰化した。1930年から1933年までスイスジュネーヴにある国際連盟の学校に通った。

その後シラキューズ大学に進学し18歳の時に結婚した。ニューヨーク大学を卒業し1939年に離婚した。スミス大学で修士号を取得後、ニューヨーク州グリニッジ・ヴィレッジに戻り編集助手やフリーランスの写真家として活動した。

1942年チェコからの亡命中の映像作家、アレクサンドル・ハッケンシュミードと出会い結婚。翌年の1943年、マヤが26歳の時に二人の共同で映画『午後の網目』を制作する。この作品は1947年のカンヌ国際映画祭で実験部門のグランプリを獲得する。この年、ハッケンシュミードと離婚。

1960年、彼女の映画のスコアを担当していた日本人作曲家、伊藤貞司と三度目の結婚。

1961年栄養失調から来る脳内出血のため44歳で亡くなった。死の間際、アンフェタミン睡眠薬を彼女は常用していた。彼女の遺灰日本富士山に散灰された。

1986年にアメリカン・フィルム・インスティチュートによってマヤ・デレン賞が設立された。

フィルモグラフィ[編集]

  • 『午後の網目』 - Meshes of the Afternoon (1943年) ※1947年カンヌ映画祭実験部門グランプリ受賞
  • 『陸地にて』 - At Land (1944年)
  • 『カメラのための振付けの研究』 - A Study in Choreography for Camera (1945年)
  • 『変形された時間での儀礼』 - Ritual in Transfigured Time (1946年)
  • 『暴力についての瞑想』 - Meditation on Violence (1948年)
  • 『夜の深み』 - The Very Eye of Night (1952年-1959年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]