マチャイアス (哨戒フリゲート)
艦歴 | |
---|---|
発注: | |
起工: | 1943年5月8日 |
進水: | 1943年8月22日 |
就役: | 1944年3月29日 |
退役: | |
その後: | 海上自衛隊に貸与 |
除籍: | |
性能諸元 | |
排水量: | 基準 1,430トン 満載 2,415トン |
全長: | 303 ft 11 in (92.6 m) |
全幅: | 37 ft 6 in (11.4 m) |
吃水: | 13 ft 8 in (4.1 m) |
機関: | ボイラー3基 5,500軸馬力 タービン2基 2軸推進 |
最大速力: | 20ノット (37 km/h) |
航続距離: | |
乗員: | 190名 |
兵装: | 3インチ50口径対空砲3門 40mm機関砲 4門 20mm機関砲 9門 ヘッジホッグ 1基 対潜爆雷投射機(Y砲)8基 爆雷投下軌条 2条 |
マチアス (USS Machias, PF-53) は、アメリカ海軍の哨戒フリゲート。タコマ級フリゲートの1隻。艦名はメイン州マチアスに因む。その名を持つ艦としては2隻目。
艦歴
マチアスは当初PG-161(砲艦)として建造が認可され、1943年4月15日に PF-53 (哨戒フリゲート)に艦種変更された。海事委任契約の下1943年5月8日にウィスコンシン州ミルウォーキーのフローミング・ブラザーズ社で起工し、1943年8月22日にW・リチャード・ベルナイス夫人によって命名、進水、1944年3月29日に就役した。
1944年7月17日まで海外任務の準備を完了したマチアスは、大西洋中部の偵察およびオランダ領西インド諸島のアルバからの船団護衛任務を行い、8月13日にノーフォークで第33護衛部隊へ合流した。部隊はニューヨークで第70.7任務群の一部となり、太平洋へ出撃するため集合した。任務群は8月16日にニューヨークを出航し、28日にパナマ運河を通過、ボラボラ島に向かう。9月25日にマチアスは船団と別れ、ニューヘブリディーズ諸島およびソロモン諸島へ向かう部隊を運ぶアーケバス (HMS Arquebus) およびバトルアクス (HMS Battleaxe) を護衛する。マチアスは10月23日に部隊と再合流し、モルッカ諸島での対潜哨戒に従事した。
ビアク島のミオス・ウンディ泊地で機関修理のため短期間停泊した後、11月15日にマチアスは部隊と共に出航、フィリピンに向かう。18日にフィリピンに到着し、さらなる修理の後ミンダナオ島沖、スリガオ海峡で対潜哨戒を行う。マチアスは同任務を12月4日まで行い、その後船団護衛任務を再開した。続く3ヶ月にわたってニューギニア、フィリピン、マーシャル諸島、カロリン諸島で兵員輸送船の護衛任務を行う。
マチアスは1945年3月19日にエニウェトク環礁を出航し、ピュージェット・サウンド海軍造船所でオーバーホールを行うためワシントン州シアトルへ向かう。オーバーホールは6月半ばに完了し、その後アラスカ州コールド・ベイへ向かい、同地で7月13日にレンドリース法に基づきソ連海軍に貸与された。
ソ連では「護衛艦」を意味する「EK」の略号が付与され、EK-4(ロシア語:ЭК-4エーカー・チトィーリェ)と命名された。1945年7月23日には、警備艦として太平洋艦隊に配備された。8月18日から9月1日にかけて行われたクリル諸島上陸作戦に投入された。
1949年10月には横須賀でアメリカ海軍に返還され、同地で保管された。1953年1月に海上自衛隊に貸与され、なら (PF-2) として就役した。ならは1957年9月1日にPF-282へ艦番号が変更され、1961年12月1日にアメリカ海軍から除籍された。1962年8月28日に貸与から供与へと変更されたならは、その後1966年3月31日に退役、YTE-3(練習船)に区分変更され、1969年3月31日まで使用された後スクラップとして売却された。
マチアスは第二次世界大戦の戦功で2個の従軍星章を受章した。