マダン (パプアニューギニア)
マダン | |
---|---|
沿岸監視員記念灯台 | |
南緯5度13分 東経145度48分 / 南緯5.217度 東経145.800度座標: 南緯5度13分 東経145度48分 / 南緯5.217度 東経145.800度 | |
国 | パプアニューギニア |
地方 | モマセ地方 |
州 | マダン州 |
設立 | 1884 |
標高 | 3 m |
人口 (2005) | |
• 合計 | 27,420人 |
等時帯 | UTC+10 |
マダン(英: Madang)は、パプアニューギニア独立国、マダン州の州都。ニューギニア島の北岸に位置し、2005年現在の人口は27,420人。19世紀にドイツ人によって最初に開かれた町で、ドイツ名はフリードリッヒ・ヴィルヘルム・ハーフェン(Friedrich-Wilhelm-Hafen)。マダンにはディバインワード大学があり、留学生を受入れている。
歴史
ロシア人生物学者ニコラス・ミクルーホ=マクライが、恐らくマダンを訪れた最初のヨーロッパ人である。彼は1871年に15ヶ月間、アストロラーブ湾、現代のマダン市街の真南に滞在した。彼は、マラリアで健康を害するまで地域社会とよい関係を保っていた。
1884年には、ドイツニューギニア会社が進出し、現代のマダンに拠点を確立しようとしたが、絶えずマラリアの脅威にさらされ、結局ラバウルへ移転した。
1942年、日本軍は第二次世界大戦中に、まだ戦いのなかったマダンを占領した。 1943年9月に、オーストラリア軍は、マダン方面を奪回する作戦を開始し、町を1944年4月24日に占領した。戦闘により町は破壊され、後に再建されなければならなかった。
ギャラリー
-
マダン空港
-
マダンのラグーン