マイケル・マン (映画監督)
マイケル・マン Michael Mann | |||||||||
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本名 | Michael Kenneth Mann | ||||||||
生年月日 | 1943年2月5日(81歳) | ||||||||
出生地 | イリノイ州シカゴ | ||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | ||||||||
職業 |
映画監督 脚本家 映画プロデューサー | ||||||||
配偶者 | Summer Mann (1974-) | ||||||||
著名な家族 | アミ・カナーン・マン(娘) | ||||||||
主な作品 | |||||||||
『ラスト・オブ・モヒカン』 『ヒート』 『コラテラル』 | |||||||||
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マイケル・マン(Michael Mann, 1943年2月5日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の映画監督・脚本家・映画プロデューサー。
略歴
父は第二次世界大戦の影響でアメリカへ渡ってきたウクライナ系のユダヤ人(東欧系ユダヤ人)の血を引く[1]。ウィスコンシン大学で建築や哲学や学んでいたが、スタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を見て映画監督になることを決意。1960年代半ばにイギリスへ渡り、ロンドン・インターナショナル・フィルム・スクールへ7年間留学。リドリー・スコット、アラン・パーカー、エイドリアン・ラインらとテレビ局のドキュメンタリーやコマーシャルを手がける。1971年、アメリカに帰国後、テレビドラマ『刑事スタスキー&ハッチ』などの脚本や監督を手がけ、1981年に映画監督としてデビューした。
1984年、TVシリーズ『マイアミ・バイス』を製作し成功を収める。映画監督としての一定の評価を受けるようになるのは、1992年の『ラスト・オブ・モヒカン』から。
作品に関するエピソード
ロサンゼルスを舞台に選ぶことが多く、街の夜景描写がよく登場する。
ハリケーン・カトリーナがアメリカを襲った際、マンはマイアミ・バイスのリバイバル版『マイアミ・バイス』を撮影中だったが、ハリケーンの影響でセットに被害が出て、当初の予定よりも制作費が膨れ上がり、2億ドルもかかってしまった。
クリストファー・ノーランは、自身の監督作であり大ヒットした『ダークナイト』の制作にあたって、『ヒート』を参考・研究したと述べている。
映画評論家の蓮實重彦は、マンの卓抜した演出手腕をフランスの映画監督であるエリック・ロメールの域に達していると絶賛し、2000~2010年に上映された映画作品のベストテンにおいて、『コラテラル』を挙げている。
全米400以上の映画関連学校で使用されているシド・フィールドによる脚本家のためのテキスト『映画を書くためにあなたがしなければならないこと』(原題: Screenplay--The Foundations of Screenwriting)においては、『コラテラル』が模範的な作品のひとつとして取り上げられている。
フィルモグラフィー
年 | 作品名 | クレジット | 備考 | ||
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監督 | 脚本 | 製作 | |||
1979 | ジェリコ・マイル/獄中のランナー The Jericho Mile |
Yes | Yes | TV映画。エミー賞を3つ受賞。日本でも深夜枠で放送された。 | |
1981 | ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー Thief |
Yes | Yes | スタイリッシュな映像、タンジェリン・ドリームの音楽、歌手のウィリー・ネルソンの出演など、多くの点で『マイアミ・バイス』の原型とされる。技術顧問として本物の元金庫破りを雇った。軍事評論家の床井雅美は(『ダーティハリー2』の先例に触れつつも)コンバット・シューティングを本格的に取り入れた最初の映画だとした。 | |
1983 | ザ・キープ The Keep |
Yes | Yes | 原作者F・ポール・ウィルソンは原作とは全く別物にされたことに公に不満を表明した。その後、小説家が自作を映画化した監督を殺す短編"Silver Screen"を書いた。 | |
1986 | 刑事グラハム/凍りついた欲望 Manhunter |
Yes | Yes | ||
1989 | メイド・イン・L.A. Made In L.A. |
Yes | Yes | Yes (製作総指揮) |
TV映画。 |
1992 | ラスト・オブ・モヒカン The Last of the Mohicans |
Yes | Yes | Yes | 劇場用映画としては初めて大きな商業的成功となった。 |
1995 | ヒート Heat |
Yes | Yes | Yes | 1989年の『メイド・イン・L.A.』のセルフリメイク。 |
1999 | インサイダー The Insider |
Yes | Yes | Yes | |
2001 | ALI アリ Ali |
Yes | Yes | Yes | |
2004 | コラテラル Collateral |
Yes | Yes | 初の興行収入1億ドル作品。 | |
アビエイター The Aviator |
Yes | ||||
2006 | マイアミ・バイス MIAMI VICE |
Yes | Yes | Yes | 製作総指揮を務めたシリーズ『特捜刑事マイアミ・バイス』の映画版リメイク。 |
2007 | キングダム/見えざる敵 The Kingdom |
Yes | |||
2008 | ハンコック HANCOCK |
Yes | |||
2009 | パブリック・エネミーズ Public Enemies |
Yes | Yes | Yes | |
2011 | キリング・フィールズ 失踪地帯 Texas Killing Fields |
Yes | 監督は実娘のアミ・カナーン・マン。 | ||
2015 | ブラックハット Blackhat |
Yes | Yes | Yes |
テレビ作品
- 刑事スタスキー&ハッチ Starsky And Hutch (1975~1979年)
- TVドラマ。脚本担当。
- ベガス Vega$ (1978~1981年)
- TVドラマ。企画担当。
- ポリス・ストーリー/潜入 Police Story (1978年)
- TV映画。脚本担当。
- 白銀に賭ける恋 Swan Song (1979年)
- TV映画。脚本担当。
- クライム・ストーリー Crime Story (1986~1988年)
- TVドラマ。製作総指揮担当。
- ドラッグ・ウォーズ/麻薬戦争 Drug Wars: The Camarena Story (1990年)
- TV映画。製作担当。
- DEA/コロンビア麻薬戦争 Drug Wars: The Cocaine Cartel (1991年)
- TV映画。製作総指揮担当。
マイアミ・バイス
すべて製作総指揮担当
TV映画
- マイアミ・バイス MIAMI VICE: BROTHER'S KEEPER (1984年)
- マイアミ・バイス 2/ニューヨーク・コネクション MIAMI VICE: PRODIGAL SON (1985年)
TVシリーズ
- マイアミ・バイス 3 MIAMI VICE: HIT LIST/CALDERONE'S DEMISE (1984年)
- 特捜刑事マイアミ・バイス (シーズン1) MIAMI VICE (1984~1985年)
- 特捜刑事マイアミ・バイス (シーズン2) MIAMI VICE (1985~1986年)
- 特捜刑事マイアミ・バイス (シーズン3) MIAMI VICE (1986~1987年)
- 特捜刑事マイアミ・バイス (シーズン4) MIAMI VICE (1987~1988年)
- マイアミ・バイス (シーズン5) MIAMI VICE (1988~1989年)
- マイアミ・バイス 4 MIAMI VICE: TRUST FUND PIRATES/YANKEE DOLLAR (1986年)
- マイアミ・バイス 5 MIAMI VICE: FLORENNCE ITALY/FRENCH TWIST (1986年)
劇場公開映画
- マイアミ 5 BAND OF THE HAND (1986年)
出典
- ^ Brooks, Xan (2002年2月13日). “Ali likes the film a lot. He's seen it six times”. The Guardian (London) 2010年5月12日閲覧。