ポート・ロイヤル (ミサイル巡洋艦)

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USS Port Royal
艦歴
発注 1988年2月25日
起工 1991年10月18日
進水 1992年11月20日
就役 1994年7月9日
退役
その後 就役中
母港 真珠湾
性能諸元
排水量 9,600 トン
全長 567 ft (173 m)
全幅 55 ft (16.8 m)
喫水 33 ft (10.1 m)
機関 COGAG方式、2軸推進
ゼネラル・エレクトリック LM2500 4基、80,000 shp
最大速力 32.5 ノット (60 km/h)
航続距離
乗員 士官 33名、兵員 327名
兵装 54口径Mk 45 5インチ単装砲 2基
Mk 41 mod.0 VLS 122セル
(61セルMk 158発射機 2基)
 •RIM-156 スタンダードSM-2ERSAM
 •BGM-109 トマホークSLCM
 •RUM-139 VL-アスロックSUM
 •RIM-162 ESSM 短SAM
 などを発射可能
Mk 141 RGM-84 ハープーンSSM 4連装発射筒 2基
Mk 38 25mm単装機関砲 2基
12.7 mm機関銃 4挺
Mk 15 20mmファランクスCIWS 2基
Mk 32短魚雷3連装発射管 2基
航空機 SH-60 シーホークLAMPS Mk III 2機
モットー The will to win 訳:必勝の信念

ポート・ロイヤル(USS Port Royal, CG-73)は、アメリカ海軍ミサイル巡洋艦タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦の27番艦。20世紀に建造された最後の巡洋艦及びアメリカ海軍において女性乗組員が乗艦した最初の巡洋艦である。艦名はアメリカ独立戦争および南北戦争において海戦が行われたサウスカロライナ州のポート・ロイヤル湾に因んで名付けられた。

艦歴

ポート・ロイヤルはミシシッピ州パスカグーラリットン・インガルス造船所で1991年10月18日に起工し、1992年11月20日に進水、スーザン・G・ベーカー(ジェームズ・A・ベーカー国務長官の妻)によって命名され、1994年7月9日にジョージア州サヴァナで就役した。

ポート・ロイヤルは1996年に「ニミッツ空母戦闘群(現 空母打撃群)の一部として展開した。ニミッツ空母戦闘群はサザン・ウォッチ作戦に参加していたが、第三次台湾海峡危機に際して地域の安定を保つため1996年3月に南シナ海へ展開した。

1997年9月にニミッツ空母戦闘群として再びサザン・ウォッチ作戦に参加し、1998年3月に帰還する。

ポート・ロイヤルの二度目の配備は「ジョン・C・ステニス」空母戦闘群へであった。同部隊の一員としてサザン・ウォッチ作戦に参加している。同作戦参加後間もなく、国連制裁決議に違反してイラクから石油を密輸した容疑をかけられた船舶を追跡中に主軸を破損し、7月に帰還、乾ドック入りし修理と改良を行った。

ポート・ロイヤルは2001年11月17日に真珠湾を出港し、再びステニス空母戦闘群に加わっている。

2008年5月2日、「タラワ」(USS Tarawa, LHA-1) 遠征打撃群(Tarawa ESG)の一員として半年間に渡る"テロとの闘い"の任務を終了し帰還した。

2009年2月5日夜、オアフ島近海、ホノルル国際空港沖合で座礁事故を起こした。海軍はただちに救難作業に着手したものの作業には手間取り、9日にようやく離礁に成功した。この際、座礁時の接触や離礁時に放出した汚水によってサンゴ礁が破壊されたことが指摘された。艦はパール・ハーバー海軍工廠に入渠し、修理を受けた。9月24日、修理が完了した艦は乾ドックを離れた。

この座礁事故により、海軍はポート・ロイヤルを早期に退役させる予定だったが、議会の反対により断念。2015年に「レイク・エリー」「チョーシン」と共に「休息状態」に置かれることになった。計画では、2026年までに近代化改修を行い、同年に退役する予定の「チャンセラーズヴィル」と入れ替わりで現役復帰する予定である[1]

画像集

参考文献

  1. ^ 「海外艦艇ニュース 米タイコンデロガ級巡洋艦3隻が真珠湾で休息状態に」 『世界の艦船』第800集(2014年8月特大号) 海人社

関連項目

外部リンク