ボブ・アラム

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2010年4月、ケリー・パブリクセルヒオ・マルチネス戦後の記者会見でのアラム。

ボブ・アラムRobert "Bob" Arum1931年12月8日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン生まれのユダヤ人系のプロボクシングプロモータートップランク社CEO。同じ米国の黒人プロモータードン・キングとは、1970年代半ばからキングが凋落する2000年頃までライバル関係にあった。プロボクシングの本場アメリカで、なおかつ競争が厳しく新陳代謝の激しいボクシング業界において、80歳を超える現在でもトップクラスでプロモーターを長らく続けている辣腕としても知られている。現在ではオスカー・デ・ラ・ホーヤ主宰のゴールデンボーイプロモーションズと共に世界二大プロモーターと評価されている。近年はヒスパニック系選手をプロモートすることが多い。また、2013年から本格的にアジア進出を行っている。

人物・評価

ヘビー級に偏重するきらいのあったドン・キングにくらべ、重量級に偏重しない傾向がある。1990年代から2000年代中盤における最大級のスターボクサーオスカー・デ・ラ・ホーヤバルセロナオリンピック優勝直後に史上最高の契約金100万ドルで獲得しキャリアの中期までプロモートした。

スキャンダル続出のドン・キングに比べ一見トラブルの少ないイメージがあるが、海千山千の業界を生き残ってきたことからも分かるようにトラブルも少なくなく、過去に傘下の選手から何度もプロモート権やマネージャーの権利やファイトマネーなどめぐって裁判沙汰になったことがあり、さらに前述のデ・ラ・ホーヤは2002年にトップランク社から離脱している。2000年にはアラムがIBFの代表に賄賂を贈っていたことをドン・キングに暴露された[1]

マイク・タイソンを育て上げた名トレーナーカス・ダマトは「北半球で最も最低な男」と罵倒するほど彼を忌み嫌っていた。また、シュガー・レイ・レナードの専属マネージャーだったマイク・トレーナー弁護士は、レナードの世界初挑戦の際に、王座獲得の場合に行う防衛戦で格安の専属契約を押し付けられそうになった(トレーナーは交渉の末、これを拒否)件をきっかけに、アラムを毛嫌いしていた。

1990年代後半頃から米国内のヒスパニック系民族の市場に目をつけ、ヒスパニック人口の多いアメリカ南西部での興行を増やし、プエルトリコ人のミゲール・コットをプロモートしてトップスターに仕立て上げ、多くのメキシコ系ボクサーとも契約した。

2010年6月のミゲール・コットユーリ・フォアマン戦に向けて、記者会見でスピーチをするアラム。

ドン・キングが凋落した2000年代以降は、オスカー・デ・ラ・ホーヤ主宰のゴールデンボーイプロモーションズと共に世界二大プロモーターと評価され鎬を削っている。当初は不仲な感情を抑えて互いがプロモートする選手同士の対戦や興行の実現をしていたものの、2010年代に入ると両者の対立はさらに悪化。その背景には、トップランク社はHBOとの繋がりが深く、興行の大半もHBOで放送されているのに対して、ゴールデンボーイプロモーションズはHBOとライバル関係にあるショウタイムと繋がりが深い。そのため、トップランク社の契約選手とゴールデンボーイプロモーションズ契約選手の対戦交渉となると、試合をどちらのテレビ局で放送するかで激しく対立し合っており、2013年3月にはHBOがゴールデンボーイプロモーションズ契約選手の試合は今後放送しないことを発表するなど[2]、ドン・キングの時以上の激しい対立が続いている。

しばしば人種差別的な発言をして批判を浴びることも多い。過去には黒人やラテン系に対する差別発言をしたほか、2009年には総合格闘技UFCとUFCファンのことを「スキンヘッドの白人連中」「グラウンドでホモみたいに抱き合ってるだけのもの」と侮辱した[3]

現在ではアメリカのボクシング中継において二大テレビ局の一つであるHBOと強固な協力関係を築き、トップランク社主催興行の大半はHBOによって中継されている。しかし、それ以前はHBOに対しても訴訟を起こしたことがあり、結局示談になったものの、「テレビ局は金があってプロモーターの仕事も兼業できるから我々プロモーターは必要ないってことなんだろう。だけどそれと同様に私やドン・キングもHBOやショウタイムみたいなテレビ局は必要ない」と示談が決まった後もHBOを非難した。

近年はアメリカ人スター選手の大半をゴールデンボーイプロモーションズが抱えているため、やや劣勢なこともあり、2013年から本格的にアジア進出を開始。経済成長が続き、人口13億人という巨大市場である中国の中でもカジノが盛んで世界的な観光地であるマカオに目をつけ、北京五輪ロンドン五輪ライトフライ級連覇の中国人ボクサー鄒市明と契約し、2013年4月6日に世界戦2試合と鄒市明のプロデビュー戦をメインとしてトップランク社として初のアジアでの興行をマカオのコタイ・アリーナにて開催。さらに現代ボクシング界のスーパースターであるマニー・パッキャオの再起戦を11月24日にコタイ・アリーナにて開催するなど、本腰を入れて進出している。さらにロンドン五輪ミドル級金メダリスト村田諒太とも契約した。

歴史

ニューヨーク州立大学を卒業後、ハーバード・ロー・スクールで法学を修めたエリートで、司法省の企業担当弁護士として企業の脱税問題や独禁法にからむ問題を担当していた異色のキャリアの持ち主である。

1965年頃、これまではボクシングとは全く縁がなく、また興味もなかったがモハメド・アリの法律問題を担当したことでボクシングと関わるようになる。

1966年頃からボクシングプロモーター業に乗り出す。

1980年代にマービン・ハグラーロベルト・デュランやハグラー対トーマス・ハーンズ、ハグラー対シュガー・レイ・レナード、レナード対ハーンズなどの歴史に残るビッグマッチをプロモートしたほか、彼らの試合をネバダ州ラスベガスで数多く開催し、同地をボクシングのメッカ的な存在にする立役者となった[4]

1990年代以降もイベンダー・ホリフィールドジョージ・フォアマンを開催したほか、マイケル・カルバハルフリオ・セサール・チャベスオスカー・デ・ラ・ホーヤフロイド・メイウェザー・ジュニアらをプロモート。

1994年、香港のボクシング興行に関わるがトラブルが発生すると早々にサジを投げだし撤退、香港のプロモーターから非難をされる。

1995年、プロモート選手の認可を得るために収賄を行ったとしてネバダ州アスレチック・コミッションから125,000ドルの罰金を課せられる。

2000年代以降もマニー・パッキャオエリック・モラレスミゲール・コットフリオ・セサール・チャベス・ジュニアノニト・ドネアらをプロモート。

2003年9月13日のオスカー・デ・ラ・ホーヤvsシェーン・モズリー戦の判定について「ネバダ州アスレチック・コミッションの陰謀だ!」と発言したことが問題となり、後に謝罪[5]

2004年1月、デラホーヤvsモズリー戦やバタービーン、ホルヘ・パエスの試合での不正に関わっていた疑いがあるとして、アラムの事務所がFBIによって強制捜査を受ける。(2006年に起訴されること無く捜査終了)

2007年フロイド・メイウェザー・ジュニアからプロモートされていた1996年から2006年の間、不当に低い賃金を支払われていたとして告訴される。

2011年5月に、フィリピン人コミュニティーのあるサンフランシスコ・ベイエリアでのマニー・パッキャオ戦をプロモートするつもりはないかと聞かれると、米国内でパッキャオがリングに立てるのは、所得税を払わなくていいネバダ州とテキサス州、フロリダ州だけだと答えている[6]

脚注

  1. ^ Honor among thieves?”. Yahoo! Sports (2007年8月11日). 2007年8月11日閲覧。
  2. ^ HBO severs ties with Golden Boy”. ESPN.com (2013年3月20日). 2013年6月26日閲覧。
  3. ^ Bob Arum Blasts Floyd Mayweather, MMA”. AolNews (2009年9月21日). 2009年9月21日閲覧。
  4. ^ 村田「世界王者になる」4戦目から海外!”. スポーツ報知 (2013年6月12日). 2013年6月17日閲覧。
  5. ^ Arum's apology is accepted”. BBC SPORT (2003年10月15日). 2003年10月15日閲覧。
  6. ^ 三浦勝夫「米国に後楽園ホールはない」『アイアンマン』7月号増刊(『ボクシング・ビート』7月号)、フィットネススポーツ、2011年6月15日、93頁。 

関連項目

外部リンク