ボビー・ヒーナン

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ボビー・ヒーナン
ボビー・ヒーナンの画像
ヒーナン(左)とラリー・ズビスコ
(2005年1月)
プロフィール
リングネーム ボビー"ザ・ブレイン" ヒーナン
"プリティボーイ" ボビー・ヒーナン
本名 レイモンド・ルイス・ヒーナン
ニックネーム Weasel
鮮血の仕掛人
陰の首謀者
身長 180cm - 183cm
体重 86kg - 105kg
誕生日 (1944-11-01) 1944年11月1日(79歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イリノイ州の旗 イリノイ州シカゴ
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ボビー・ヒーナンBobby Heenan、本名:Raymond Louis Heenan1944年11月1日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーマネージャーコメンテーターイリノイ州シカゴ出身[1]

ヒールのマネージャーとしての悪賢さから、ボビー "ザ・ブレイン" ヒーナンBobby "The Brain" Heenan)と呼ばれ、Weaselイタチ、卑怯者)と罵られることもある[1][2]。そのキャラクター・イメージから、ギミック上はカリフォルニア州ビバリーヒルズ出身とされた[2]

現在でも多くのレスラーやファンから「史上最高のマネージャー」と讃えられる生粋の悪徳マネージャー[3]。数多くの名選手をマネージメントし、見方によってはハルク・ホーガン最大の宿敵であった[1][3]。彼によってマネージメントされた選手のグループは、ヒーナン・ファミリーThe Heenan Family)と呼ばれる[2]

来歴

幼少期に父親が家出して祖母と母親に育てられたが、15歳の時に母親が失業[4]。家計を助けるために学校を中退して様々な職に就いた後、子供の頃からファンだったプロレス業界に入り、リングボーイとなってレイ・スティーブンスの付き人や会場の雑用係を務めていた[4]1965年ディック・ザ・ブルーザーの主宰するインディアナポリスWWAにて、プロレスラー兼任のプレイング・マネージャー "プリティボーイ" ボビー・ヒーナンとしてデビュー[4]アンジェロ・ポッフォ&クリス・マルコフのデビルズ・デュオのマネージャーを担当した[5]

1969年AWA入団後は、当時ラリー・ヘニングが同じニックネームを用いていたため、ザ・ブレインを名乗り[4]、レイ・スティーブンス&ニック・ボックウィンクルザ・ブラックジャックスブラックジャック・マリガン&ブラックジャック・ランザ)、ボビー・ダンカンらのマネージャーを務める。AWAと提携関係にあった古巣のWWAではバロン・フォン・ラシクバリアント・ブラザーズ"ハンサム" ジミー・バリアント&"ラシャス" ジョニー・バリアント)も担当するなど、1970年代はAWAとWWAを股にかけて活動した。レスラーとしては、1974年シカゴとインディアナポリスに特別参戦したザ・シークのタッグ・パートナーに起用され、ディック・ザ・ブルーザー&ボボ・ブラジルと対戦している[6]

1979年にはブラックジャック・ランザと共にジム・バーネットの主宰するNWAジョージア地区のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに転戦。キラー・カール・コックスマスクド・スーパースターアーニー・ラッドプロフェッサー・タナカら同地のヒール勢を引き入れ、ジョージア・ヒーナン・ファミリーを組織する[7][8]。1年後にはAWAに復帰して再びボックウィンクルと組み、円熟期に入った彼を支えると共に、スーパー・デストロイヤー・マークIIケン・パテラなどのヒールをマネージメントした。レスラーとしても、バック・ズモフが保持していたAWA世界ライトヘビー級王座に再三挑戦し、勝利を収めたこともあったが、当時の体重がライトヘビー級のリミットを超えているとして戴冠は認められなかった[9]

アンドレ・ザ・ジャイアントを先導するボビー・ヒーナン

1984年WWFと契約。当初はジェシー・ベンチュラのマネージャーを予定されていたが、ベンチュラが病気により引退したためビッグ・ジョン・スタッドに付く[1]。その後もヒール転向後のアンドレ・ザ・ジャイアントキングコング・バンディポール・オーンドーフハーリー・レイスリック・ルードアーン・アンダーソンミスター・パーフェクトリック・フレアー、他にも数々の大物選手を担当した[1]。彼らのほとんどはハルク・ホーガンの反対側のコーナーに立っていたヒールであり、ヒーナンがホーガン、あるいはアルティメット・ウォリアーなどに叩きのめされるシーンは1980年代のWWEを象徴する名場面の一つだった[3]

1980年代後半からは "Broadcast Journalist" と称し、看板番組『プライムタイム・レスリング』『レスリング・チャレンジ』のカラー・コメンテーターにも就任。相方のアナウンサー役、ゴリラ・モンスーンとの実況は史上最高の名コンビと名高い[1][2]。徹底してヒール選手に肩入れし毒の強いコメントを連発するヒーナンと、常に冷静でまじめなモンスーンとの絶妙な掛け合いは、後のジェリー・ローラージム・ロスのコンビにも影響を与えた(ローラーは「実況に笑いを持ち込んだヒーナンのことは意識している」などと語っている[10])。

1994年WCWに移籍。実況チームの一員として活躍後、2000年に退団。2001年レッスルマニアX-Sevenで行われたギミックバトルロイヤルでは解説者としてミーン・ジーン・オーカーランドとコンビを組み、久々にWWEにゲスト出演した。

2002年、喉頭と診断され、声帯を摘出する手術を受けた。2004年WWE殿堂入り(インダクターはオーカーランド)[1][2]2005年にはオーンドーフ、2006年にはブラックジャックス、2007年にはニック・ボックウィンクルの、それぞれの殿堂入りインダクターとしても式典に出席した。病気の後遺症のためか往時と比べると痩せ細り、声にも力は無くなったものの、そのトークの切れ味は変わらず絶妙で、毎回客席を笑いの渦に巻き込んだ。

2009年12月、顎部に癌の感染症が再見される[11]2010年4月17日にはTNAロックダウンのファンフェスタにドリー・ファンク・ジュニアらと共に出席したが[12]、その後は舌癌との闘病生活を送っている[13]

日本へは1971年7月、国際プロレスにブラックジャック・ランザのプレイング・マネージャーとして初来日[14]1981年7月には全日本プロレスに来日し、当時新日本プロレスから移籍してきたばかりのタイガー・ジェット・シンのマネージャー役を務めた[15]。全日本へはWWF移籍前の1984年5月にも参戦した(盟友のリック・フレアーとハーリー・レイスも同シリーズに特別参加している)[16]

ヒーナン・ファミリー

後方はブルックリン・ブロウラー


脚注

  1. ^ a b c d e f g Bobby Heenan”. SLAM! Sports (April 21, 2015). 2015年11月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e Bobby Heenan Bio”. WWE.com. 2015年11月22日閲覧。
  3. ^ a b c DVD『WWE ワールド・グレイテスト・レスリング・マネージャーズ』(2006年、ジェネオン・エンタテインメント
  4. ^ a b c d Bobby The Brain Heenan”. 411Mania.com (January 10, 2006). 2010年5月24日閲覧。
  5. ^ Angelo Poffo was wrestler, promoter, father to two stars”. SLAM! Sports (March 4, 2010). 2015年4月30日閲覧。
  6. ^ Matches fought as a team: The Sheik and Bobby Heenan”. Wrestlingdata.com. 2013年9月15日閲覧。
  7. ^ The Heenan Family”. Online World of Wrestling. 2011年7月3日閲覧。
  8. ^ The GCW matches fought by Bobby Heenan in 1979”. Wrestlingdata.com. 2014年10月9日閲覧。
  9. ^ AWA World Light Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月20日閲覧。
  10. ^ DVD『グレイテスト・レスリング・スターズ'80s』DISC-2(2006年、ジェネオン・エンタテインメント)
  11. ^ A Sad Update On Bobby Heenan With A New Look Photo”. TNA Wrestling News (December 14, 2009). 2010年5月2日閲覧。
  12. ^ St Louis: Lockdown Fan InterAction Info”. TNA.com. 2010年5月2日閲覧。
  13. ^ Jim Ross Q&A Bobby Heenan Update”. SE Scoops (October 26, 2013). 2014年10月9日閲覧。
  14. ^ The IWE matches fought by Bobby Heenan in 1971”. Wrestlingdata.com. 2014年10月9日閲覧。
  15. ^ The AJPW matches fought by Bobby Heenan in 1981”. Wrestlingdata.com. 2014年10月9日閲覧。
  16. ^ The AJPW matches fought by Bobby Heenan in 1984”. Wrestlingdata.com. 2014年10月9日閲覧。

外部リンク