ベルナルト・ハイティンク
ベルナルト・ハイティンク Bernard Haitink | |
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基本情報 | |
出生名 | Bernard Johan Herman Haitink |
生誕 | 1929年3月4日(95歳) |
出身地 | オランダ アムステルダム |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 |
指揮者 ヴァイオリニスト |
担当楽器 | ヴァイオリン |
ベルナルト・ヨハン・ヘルマン・ハイティンク(Bernard Johan Herman Haitink, 1929年3月4日 - )はオランダの指揮者である。
略歴
アムステルダム出身で同地の音楽学校に学ぶ。1954年から1955年までフェルディナント・ライトナーに指揮を師事するまでは、地元のオーケストラでヴァイオリンを弾いていた。1955年にオランダ放送フィルハーモニー管弦楽団の次席指揮者(1957年より首席指揮者)に就任。1961年から1988年までアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の、1967年から1979年までロンドン・フィルハーモニー管弦楽団のそれぞれ首席指揮者に就任。1978年から1988年までグラインドボーン音楽祭の、1987年から2002年までロイヤル・オペラ・ハウスの音楽監督を務める。1991年にエラスムス賞を受賞。1995年からボストン交響楽団の首席客演指揮者となり、2004年に名誉指揮者となっている。
2002年にドレスデン国立管弦楽団の首席指揮者に就任したが、これは音楽監督就任を要請されたものを辞退した結果であり、同時に次期音楽監督の選任への協力を託された。しかし2004年、楽団とザクセン州は、彼に相談なしにファビオ・ルイージを2007年からの次期音楽監督(ドレスデン国立歌劇場の同ポストと兼務)に指名。ハイティンクはこの事に対し、「オペラはともかく、オーケストラレパートリーの経験が少な過ぎる」として反対したが、聞き容れられなかったため、同年5月に辞任を発表、11月のロンドンでの演奏会を最後に辞任した。[1] 以後は同楽団には客演していない。2004年5月には、同楽団と最初でそして恐らく最後の来日をした。2006年からシカゴ交響楽団の首席指揮者に就任。2009年2月にはシカゴ交響楽団とともに再来日を果たしている。
日本には、1962年のコンセルトヘボウ(オイゲン・ヨッフムが同行)との来日を皮切りに、1968年に再度コンセルトヘボウ(ヨッフムも同行)、1969年はロンドンフィル(ジョン・プリッチャードが同行)、1974年はコンセルトヘボウと初の単独来日、1977年はコンセルトヘボウと首席指揮者在任中最後の来日、1992年はロイヤルオペラ(テイトが同行)と初のオペラ公演、1997年はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、2003年はPMFとスーパーワールドオーケストラ(チョン・キョンファと共演)、2004年はドレスデン国立管弦楽団、2009年はシカゴ交響楽団、2013年はロンドン交響楽団(共演はマリア・ジョアン・ピレシュ)、2015年にもロンドン交響楽団(共演はマレイ・ペライア)と来日。
音楽
レパートリーは幅広く、ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、ブルックナー、エルガー、マーラー、ショスタコーヴィチ、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集を完成させている(ベートーヴェンについては、ロンドンフィル、コンセルトヘボウ、ロンドン交響楽団のそれぞれで1度ずつ完成させている)。ドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲の全曲録音や、ストラヴィンスキーの3大バレエの演奏は、解釈の当否をめぐって評価が分かれている。
脚注
- ^ Andrew Clark (2004年10月22日). “Bernard Haitink: unfinished symphony”. Financial Times 2014年6月8日閲覧。
関連項目
- マーラー (映画) - ハイティンクによる演奏が使われた。
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