ヘイ・ジュード

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ヘイ・ジュード
ビートルズシングル
B面 レヴォリューション
リリース
録音 トライデント・スタジオ
(1968年7月31日-8月2日)
ジャンル ロック
時間
レーベル アップル・レコード(イギリス、アメリカ)
オデオン(日本)
作詞・作曲 レノン=マッカートニー
プロデュース ジョージ・マーティン
チャート最高順位
ビートルズシングル盤 U.K.U.S. 年表
レディ・マドンナ
b/w
ジ・インナー・ライト
(1968年)
ヘイ・ジュード
b/w
レヴォリューション
(1968年)
ゲット・バック
b/w
ドント・レット・ミー・ダウン
(1969年)
ビートルズシングル盤 日本 年表
レディ・マドンナ
b/w
ジ・インナー・ライト
(1968年)
ヘイ・ジュード
b/w
レヴォリューション
(1968年)
オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ
b/w
ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
(1969年)
パスト・マスターズ Vol.2 収録曲
  1. デイ・トリッパー
  2. 恋を抱きしめよう
  3. ペイパーバック・ライター
  4. レイン
  5. レディ・マドンナ
  6. ジ・インナー・ライト
  7. ヘイ・ジュード
  8. レヴォリューション
  9. ゲット・バック
  10. ドント・レット・ミー・ダウン
  11. ジョンとヨーコのバラード
  12. オールド・ブラウン・シュー
  13. アクロス・ザ・ユニヴァース
  14. レット・イット・ビー
  15. ユー・ノウ・マイ・ネーム
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ヘイ・ジュード」("Hey Jude")は、1968年8月にビートルズが発表した18枚目のオリジナル・シングル曲である。1970年2月にリリースされたアメリカアップル・レコードコンピレーション・アルバムヘイ・ジュード』に収録され、同アルバムは1979年にはイギリスでも発売された。

2004年に『ローリング・ストーン(Rolling Stone)』誌が選んだ「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500The RS 500 Greatest Songs of All Time)」に於いて、第8位となった。

Jude はたいていは男性名であるが、女性名 Judith(ジューディス)の愛称としても使われる。このことが歌詞の多様な解釈に繋がっている(後述)。

解説

クレジットはレノン=マッカートニーだが、実質的にはポール・マッカートニーの作った楽曲である。リード・ボーカルはポール。ポールはピアノ[1]、後半リフレイン部分のオーケストラ指揮も担当している(オーケストラ・アレンジはプロデューサージョージ・マーティン)。

7分を超える演奏時間は当時のポップスとしては異例の長さで[2]、後半(曲全体の半分以上)で「na na na,na na na na[3]... Hey Jude」のリフレインを延々と繰り返している(このリフレインの合唱及び手拍子は、この後半部を演奏したオーケストラ・メンバー36名によるものである)。このリフレイン部のコード進行はFから始まりE♭→B♭→Fと循環逆四度進行を繰り返している。この点を作曲家のすぎやまこういちは「ここがこの曲に面白い匂いを持たせてる部分であり、ポールは非常に斬新で、ユニークな発想を持った人だと感心させられる」と評価している。[4]

ジョン・レノンと妻・シンシアの破局が決定的になった頃に夫妻の長男ジュリアン(当時5歳)を励ますためにポールが作った曲と言われている[5]。実際にこの曲は当初、"Hey Jules" (Jules はジュリアンの愛称)として構想されていたとポールは語っている[6]。一方、ジョンは(オノ・ヨーコに夢中だった時期だからか)「俺への歌(と聴くことも出来る)[7]」と発言している。またジョンは「婚約者ジェーン・アッシャーに婚約を一方的に破棄されたポールのポール自身への無意識のメッセージではないか」とも考えていたがポールは否定している。また前述のように、Jude は女性名でもあるのでデイリー・エクスプレスの女性記者 Judith Simons のために書かれたと考える人もいる[8]

一方、Jude はドイツ語ではユダヤ人を意味しており、それを全く知らなかったポールは、宣伝としてアップル・ブティックのウィンドウに「Hey Jude」と自ら大書したため、反ユダヤ主義の落書きかと誤解され、窓ガラスが割られ抗議の電話がかかってくる事態となった[5]

ザ・ビートルズ』(ホワイトアルバム)と同時期にレコーディングが行なわれ、彼らが初めて8トラック録音に挑んだ作品でもある。このため、彼らが普段使用しているEMIレコーディング・スタジオ(現・アビー・ロード・スタジオ)ではなくトライデント・スタジオを使用した(ホワイトアルバムのセッション後期まで、アビー・ロード・スタジオでは不文律の規約により既に納入されていた新しい機材=8トラックレコーダーの使用は許されなかったが、この曲のセッションの成功でビートルズ側が強硬に申し入れたため使用開始の時期を早めることになった)。しかし、EMI直属のスタジオであるEMIレコーディング・スタジオと独立系スタジオだったトライデント・スタジオでは録音機材の規格が異なっていたため、レコーディングとミキシングを済ませてEMIレコーディング・スタジオへ持ち帰ったマスターテープを再生した際、高音域がほとんど失われていることが発覚し(いわゆる「籠った音質」の状態)、その事はビートルズのメンバーにも伝えられ、対策が協議された。結果として、イコライザーの操作で高音域をある程度まで回復させられた為、録り直しによる発売延期などの最悪な状況は免れた。その為、この曲はビートルズの他の楽曲に比べて全体的に演奏の音にキレがなく、ボーカルとすべての楽器をオフマイクで録ったかのように聴こえる傾向がある。

ドラムが2番から入るのは、トイレへと席を立っていたリンゴが、戻ってきて2番からドラムを重ねてきたところ、ポールが「このテイクはいける!」と感じたため[9]

ポールは、"The movement you need is on your shoulders" の歌詞を修正もしくは削除するつもりだったが、ジョンの「ここがこの曲で一番いい詞なんじゃないか。捨てるなんて勿体ない。残しておけよ」とアドバイスされ「ジョンの目で見ても大丈夫だと思った」と言う理由で削除しなかった。ポールは「今でもこの歌詞を歌う際ジョンを思い感傷的になる」と述べている。ジョンは解散後「歌詞は立派なもんだ。頑張ればポールにもいい詞が書けるという証拠だな」と発言しており、ポールの曲としては高い評価をしている。

ちなみに、"Remember to let her under your skin""Then you'll begin to make it better" の間に "Fucking hell!!"(クソったれ!!)と悪態をつくポールの声がかすかに聴き取れる。ジョン曰く「ポールがピアノをミスって、使っちゃいけない言葉を使ってしまったのさ。でも俺はそのままにしとけって言い張ったんだ。ギリギリで聞こえるか聞こえないかのレベルでな。大抵の人は気づかないだろう。でも俺たちは分かっているのさ。」

1996年に、ロンドンで「ヘイ・ジュード」のレコーディング用楽譜類譜がオークションに出された際、ジュリアンが2万5千ポンドで落札している。

2012年ロンドンオリンピックの開会式では、式典を締めくくる形でポールが歌唱し、後半は観客と共にアカペラで大合唱を行った。曲の冒頭部分で事前録音の音源が流れ、生演奏と音が2重になるという音響トラブルが発生したが、これはもともと口パクでの演奏が提案されていたためで、口パク嫌いのポールが猛反対したため最終的に生歌・生演奏での決行が決まったものの、誤って音源が流れてしまった(このトラブルはすぐに解消され、生歌に切り替わっている)[10][11]

ステレオ・バージョン

「ヘイ・ジュード」のリアル・ステレオバージョンは、イギリスにおいてはビートルズの活動中にはリリースされなかった。ただし、アメリカでは1970年2月にリリースされたアルバム『ヘイ・ジュード』に収録された。英国では1973年4月リリースの『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』が最初となる。CDでは1988年3月にリリースされたアルバム『パスト・マスターズ Vol.2』に収録された。

シングル盤

シングル盤は1968年にビートルズ自身が設立したアップル・レコード初のシングルとして同年8月30日にイギリスでリリースされた。『ビルボード』(Billboard)誌では、1968年9月28日に週間ランキング1位を獲得、9週間連続1位、同1968年年間ランキングでも第1位であった。この1位は1964年の「抱きしめたい」("I Want To Hold Your Hand")に続くものであり、ビルボード誌年間ランキング第1位を2度獲得したのは、同誌史上初めてのことであった。『キャッシュボックス』誌では連続7週第1位を記録し、年間ランキングでも第1位を獲得している。イギリスでは「ミュージック・ウィーク」誌で、2週連続最高位第1位を獲得している。

B面の「レヴォリューション」は『ビルボード』誌で最高位12位、年間ランキング78位。『キャッシュボックス』誌では最高位11位、年間ランキング98位を記録している。

アメリカだけで400万枚以上、イギリスでは90万枚以上を売り、全世界では1,300万枚のセールスを記録。世界歴代シングル売上第4位(ギネス・ワールド・レコーズ認定による)とされる。尚、R&Bシンガーのウィルソン・ピケットのバージョンもリリースされているが、こちらは、ビルボード誌最高位23位、全英では最高位16位を記録している。

プロモーション・ビデオ

プロモーション・ビデオの制作を兼ねて「デヴィッド・フロスト・ショー」に出演、この曲を演奏した。新曲のプロモーションとしてのテレビ出演は1966年以来。基本的にはリップシンクだが、ポールのボーカルのみライヴ。冒頭にはデヴィッド・フロストによる紹介もある。ディレクターは後に映画『レット・イット・ビー』の監督を務めたマイケル・リンゼイ=ホッグ。この映像は、カップリング曲の「レヴォリューション」のPVと共に世界各国のレコード会社に配られた(ジョージ・ハリスン抜きでヘイ・ジュードの別テイクを録音するシーンも含まれる)。

収録アルバム

カバー曲(もう一つの「ヘイ・ジュード」)

1989年チェコスロヴァキアビロード革命のおり、1960年代のチェコを代表する歌手の一人、マルタ・クビショヴァー(Marta KUBIŠOVÁ)による、チェコ語でのカバー(チェコ語作詞:ズデニェック・リティーシュ(Zdeněk RYTÍŘ))が、民主化運動を行う民衆を励ます曲として、「マルタへの祈り」(Modlitba pro Martu)と共に民衆によって歌われた。クビショヴァーによる「ヘイ・ジュード」は、1968年にチェコにソヴィエト軍が侵攻し、いわゆる「プラハの春」を弾圧した事件に抵抗するために「マルタへの祈り」等と共にレコーディングされていたのであった。

なお、チェコ語では「ジュード」は女性形の名詞ではないが、マルタ版の歌詞においては「ジュード」は女性ということになっている。また、ビロード革命の時には、クビショヴァー自身は歌詞を忘れてしまい、完全に歌うことができなかった。

脚注

  1. ^ この時ポールが演奏したピアノは、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」などでも使用されている。
  2. ^ 後に他のミュージシャンがカバーしたバージョンの中にはさらに長いものもある
  3. ^ ポールは直筆歌詞原稿に "na na na,na na na na Hey Jude" と書いている。
  4. ^ すぎやまこういちの体験作曲入門(1981)
  5. ^ a b ザ・ビートルズ・アンソロジー(日本語版)P297
  6. ^ Miles, Barry (1997). Paul McCartney: Many Years From Now. New York: Henry Holt and Company. p.465
  7. ^ Sheff, David (2000). All We Are Saying: The Last Major Interview with John Lennon and Yoko Ono. New York: St. Martin's Press. p. 186
  8. ^ Harry, Bill (2000). The Beatles Encyclopedia: Revised and Updated. London: Virgin Publishing. p. 517
  9. ^ 出典はアルク英語出版「英語で歌おう ビートルズ編」P62-63、ビートルズ研究家・山本和雄の解説から
  10. ^ 開会式「ヘイ・ジュード」は“口パク”の予定だった? 産経新聞 2012年7月29日閲覧。
  11. ^ ポール、8万人大合唱!機械トラブルで急きょ大合唱スポーツ報知 2012年7月29日閲覧

外部リンク