ブロック・レスナー

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ブロック・レスナー
Brock Lesnar
基本情報
本名 ブロック・エドワード・レスナー
(Brock Edward Lesnar)[1]
通称 The Next Big Thing(次代の大物)
The Beast(野獣)
世界標準
The Monster(モンスター)
The Beast Incarnate (野獣の化身)
The Conqueror (支配者)
suplex city (スープレックスシティ)
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1977-07-12) 1977年7月12日(46歳)
出身地 サウスダコタ州の旗 サウスダコタ州ウェブスター
所属 WWE
身長 191cm
体重 130kg
リーチ 206cm
階級 ヘビー級
バックボーン レスリング
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ブロック・レスナーBrock Lesnar1977年7月12日 - )は、アメリカ合衆国男性プロレスラー総合格闘家サウスダコタ州ウェブスター出身。WWE所属。元UFC世界ヘビー級王者。

プロレスデビューから5か月でWWE王座を獲得して当時の史上最年少記録を作り、バス・ルッテンのジムで2年間に渡る集中的なMMAトレーニングをし、それを活かしてキャリア4戦でUFC世界ヘビー級王座を獲得した。

WWE時代の異名は「The Next Big Thing(次代の大物)」「The Pain(苦痛を呼ぶ男)」「The Monster(モンスター)」、新日本プロレスでは「世界標準」と呼ばれた。

来歴

アマチュア時代

5歳からレスリングを始め、ビスマルク短大ではNJCAA王座を獲得するも、レスリング部が廃部してしまったためミネソタ大学に編入し、そこでNCAAディビジョン1のフリースタイルレスリング選手権やビッグ・テン・カンファレンスで優勝した。

WWE

WWEのスカウトによりブラッド・レイガンズの道場で指導を受ける。この時のコーチはカート・ヘニングである。その後WWEの下部団体OVWに1年半在籍し、ミネソタ大学の先輩だったシェルトン・ベンジャミンと共に、ミネソタ・レッキング・クルーにあやかったミネソタ・ストレッチング・クルーなるタッグチームを結成し、タッグ王座を獲得して活躍した。

2002年にWWEに昇格するとポール・ヘイマンマネージャーにし、デビュー戦でジェフ・ハーディーに勝利。同年6月のKing of the ringでババ・レイ・ダッドリーブッカー・Tテストロブ・ヴァン・ダムを破り優勝。さらにハルク・ホーガンに勝利してWWE統一王座挑戦権を獲得。同年8月のサマースラムザ・ロックを破りWWE統一王座を獲得して、最高位王座の戴冠としては当時の史上最年少記録を作るなどプロレスデビューから5か月で頂点に立った。秋にはストーン・コールド・スティーブ・オースチンとの抗争でレスナーが勝利するブックが組まれていたが、これをオースチンが拒否してボイコットしたため、代わりにオースチンと同格のスーパースターであるジ・アンダーテイカーと抗争が組まれ、妊娠中のテイカーの妻を脅迫したり、ヘイマンの協力で試合前にテイカーの右手を骨折に追い込むなどして勝利。とどまることを知らない勢いでヒールでありながらファンからの人気を勝ち取り、徐々にベビーフェイス化しつつあったが、11月のサバイバー・シリーズでヘイマンが裏切り、ビッグ・ショーに敗れ王座転落。これをきっかけに完全にベビーターンする。

2003年ロイヤルランブルでビッグ・ショーとシングル戦で対戦して勝利した後、さらに同日のロイヤルランブル戦にも出場する強行日程ながら優勝を果たすと、レッスルマニア19のメインイベントでカート・アングルとWWE王座を賭けて対戦、試合終盤にシューティング・スター・プレスを仕掛けるも首から落ちる誤爆で意識も朦朧とするなか勝利して王座奪還。その後ビッグ・ショーと担架戦などで抗争後、6月のヴェンジェンスでカート、ビッグ・ショーとの三つ巴戦で敗れ王座転落。その後、悪のオーナービンス・マクマホンに「いつまで善人ぶっているつもりだ?お前の心の中にいる野獣の目を覚ませ!」と張り手をくらったのをきっかけにビンスと結託してヒール・ターン。義足のスーパースターザック・ゴーウェンを痛めつけて階段から落とすなどビンスですら怖気付くほど非道の限りを尽くし、サマースラムで再びカートと対戦するもアンクル・ロックタップアウト負け。

その後、登場するたびに観客から「You Tapped Out!(お前はタップ負けした)」と、タップしたことを馬鹿にされるようになる。9月18日のSmackDown!にてカートの持つWWE王座に60分間アイアンマン・マッチで挑戦し、1ポイントリードした状態で迎えた試合終了直前にアンクルロックを極められるも時間切れまでタップせずに耐え切って勝利し、王座を奪回。その後はビンスを中心に、SmackDown!にGMとして復帰してきたヘイマンらとも結託し、援護を受けて王座防衛を重ねた。

2004年ノー・ウェイ・アウト2004でエディ・ゲレロにフォール負けして遂に王座から転落。

レスナーは以前からアメリカンフットボールの最高峰であるNFLに挑戦したいという意思を持っており、2004年3月には本格的にNFLに挑戦するためレッスルマニア20でのビル・ゴールドバーグ戦を最後に退団。なお、この時点で対戦する両者ともWWEを退団するということがあらかじめ分かっていたために、両者に対するファンからの批判が相次ぎ、WWE副社長のジム・ロスがこの件に対しての声明を出した。また試合においてもファンから多くのブーイングを浴び、特別レフェリーを務めたストーン・コールド・スティーブ・オースチンがレスナーに対して試合後スタナーを繰り出してファンの気持ちの沈静化を行った。

その後NFLのトライアウトを経て一度はミネソタ・バイキングスに入団するものの、開幕ロースター入りはならず同年8月にチームを解雇された。以後は無所属状態となり、プロレスへの復帰話が出てくる。またハルク・ホーガンが雑誌のインタビューで「プロレスに復帰すべきだ」と語るなど、多くのレスラーも復帰を呼びかけていた。

新日本プロレス

2005年1月には来日して新日本プロレス東京ドーム興行を観戦に訪れ、新日参戦を噂された。なお、当時プライベートではWWEのディーヴァだったセイブルと婚約しており、同興行にセイブルを伴っている。同年10月の新日本プロレスの東京ドーム興行にて新日マットに正式参戦し、いきなり挑戦者としてIWGPヘビー級王座選手権としては初の3WAY決戦(藤田和之蝶野正洋)に臨み、王座を獲得した。12月10日に中西学、翌11日永田裕志とシングルで対戦し勝利を収めた。

2006年1月4日の東京ドームにおいて前王者の藤田和之との初防衛戦が決定していたが、藤田の参戦拒否により対戦相手が中邑真輔に変更となった。3月19日にはと対戦した。

2006年4月29日、K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGASにおいて、総合格闘技大会HERO'Sへの参戦を表明した[2]。試合後のインタビューではボブ・サップホイス・グレイシーとの対戦を希望していた。

7月17日、札幌でIWGPの防衛戦を行なう予定であったにもかかわらず契約上のトラブルを理由にキャンセル。新日本プロレスは15日、レスナーのIWGPヘビー級王座を剥奪した。ベルト(3代目)は返却することなく以後も所有し続けていたが、2007年6月29日のIGF旗揚げ戦でWWE以来となるカート・アングルとの対戦に敗れたことにより、ベルトをアングルに明け渡した。

総合格闘技

デビューからUFCとの契約

2007年6月2日、「Dynamite!! USA」において総合格闘技デビュー。キム・ミンスに1R1分9秒、マウントパンチによるタップアウトで総合格闘技での初勝利を収めた。

2007年8月25日、UFC 74の会場に姿を現わし、UFC世界ヘビー級王座を防衛したランディ・クートゥアを試合後に祝福した。また、10月20日にはUFC 77にも来場し、UFCと正式に契約したことを明かした[3]

2008年2月2日、スーパーボウルの開催される週に合わせたUFC 81でのUFCデビュー戦においてフランク・ミアと対戦。ミアをテイクダウンパウンドで攻めたが、ミアに下から右脚を取られ膝十字固めで一本負け。8月10日のUFC 87ではヒース・ヒーリングと対戦し、3-0の判定勝ち[4]

UFC世界ヘビー級王座戴冠と陥落

2008年11月15日、UFC 91で15か月ぶりに復帰してきた王者ランディ・クートゥアと対戦。パウンドによるTKO勝ちで、キャリア4戦目にしてUFC世界ヘビー級王座を獲得した[5]

2009年7月11日、UFC 100で行なわれたUFC世界ヘビー級王座統一戦で、前回UFC 81でレスナーを破った暫定王者フランク・ミアと再戦。2ラウンドにパウンドによるTKO勝ちで雪辱しヘビー級王座の統一を果たすとともに初防衛に成功した[6]。ミアの地元ラスベガスでの勝利に観客からはブーイングが起き、試合直後のインタビューでは「バドワイザー(UFCの公式スポンサーのビール会社)は何もくれなかったから、家に帰ってクアーズ・ライト(バドワイザーのライバル会社のビール)を飲むよ」と発言[7]、その後の記者会見ではこの発言を謝罪したが、物議を醸すこととなった。

2009年11月21日のUFC 106での防衛戦でシェイン・カーウィンと対戦予定であったが、自身の体調不良を理由に2010年1月2日のUFC 108に延期されるも、最終的には大腸憩室炎のため欠場[8]。医師から現役復帰は困難とも告げられたが、闘病の末に復活を果たした[9]

2010年7月3日、UFC 116にて1年ぶりの復帰戦で暫定王者シェイン・カーウィンと対戦。開始早々からカーウィンのパンチを浴び続けてKO負け寸前に追い詰められるも、2ラウンドに肩固めで一本勝ちを収め、王座統一を果たすとともに2度目の防衛に成功した[10]。また、この試合で自身初となる大会のサブミッション・オブ・ザ・ナイトを獲得した[11]

2010年10月23日、UFC 121の王座防衛戦でケイン・ヴェラスケスと対戦し、1Rに右フックでダウンさせられてパウンドでTKO負けし、王座から陥落した[12]

その後、ジュニオール・ドス・サントスと共にThe Ultimate Fighter 13でコーチを務め、両者の対決も予定されていたが、持病の大腸憩室炎が再発。2011年5月27日に大腸を30cm切除する大手術を受けた[13]

2011年12月30日、UFC 141で自ら指名したアリスター・オーフレイムと対戦。左ミドルキックを脇腹に受けてダウンしパウンドで1RTKO負けを喫し、試合後のリング上で引退を宣言した[14]。闘病中に家族と「復帰後は長くてもあと2試合、アリスターに負けた場合はその時点で引退する」と約束していたことを明かし、勝者のアリスターへ「最後に君と戦えて本当によかった」と賛辞の言葉を送った。

WWE復帰

2012年4月2日、RAWにて電撃的に復帰。ジョン・シナにF5を決め対戦をアピール。またジョン・ロウリネイティスGMと友好的関係を構築し、ロウリネイティスGMの権力でPPVエクストリーム・ルールズでのシナ戦を決定させ対決したが敗退。4月30日のRAWにてロウリネイティスGMとレスナーの間に交わされた様々な決定は無効であると唱えるCOOトリプルHを迎撃し抗争開始。サマースラムではポール・ヘイマンをセコンドに着けトリプルHと対戦し、キムラロックを決めて勝利を収めた。

2013年2月のRAWにて、ヘイマンをクビにしようとするビンス・マクマホンの前に現れてF5を見舞った。4月7日、レッスルマニア29にて、トリプルHとのノー・ホールズ・バード・マッチ[15]に敗れるが、エクストリーム・ルールズにおけるケージマッチにおいてのリマッチは勝利。6月17日、RAWにてCMパンクの試合後に登場。同じくポール・ヘイマンをマネージャーとし、当日ヘイマンと衝突したパンクに、無言でF5を浴びせた。その後、パンクとヘイマン一派は抗争に入り8月18日のサマースラムにおいて、パンクと対決し快勝。12月30日、RAWでポール・ヘイマンと共に登場。WWE・世界ヘビー級王座への挑戦を表明。さらにマーク・ヘンリーを痛め付けたが、ビッグ・ショーが救出に現れ、抗争に発展。2014年1月26日、ロイヤルランブル2014にてショーと対戦。ショーをイスで乱打するなど非情な手段を用い勝利。

2014年2月24日、RAWにて上層部からWWE世界ヘビー級王座挑戦の代わりにレッスルマニア30での対戦相手を自由に選択できる権利を与えられ、ヘイマンと共にWM30での対戦相手を探していた所で場内が暗転、鐘の音と共にジ・アンダーテイカーが現れた。ヘイマンが契約書にサインをするよう促すとアンダーテイカーは契約書にサインをすると見せかけてレスナーを襲撃、テーブル上へのチョークスラムを見舞うことでWM30レスナーとの対戦をアピールした。4月6日、レッスルマニア30にて、ジ・アンダーテイカーと対決。3度目のF5でピンフォールを奪いアンダーテイカーのレッスルマニア無敗記録を21でストップさせた。7月、ヘイマンとトリプルHの会談において「新しいプラン」について話し合いが行われ、PPVサマースラムにてシナの持つWWE世界ヘビー級王座への挑戦が決定。8月17日、サマースラムにて16度の投げっぱなしジャーマン、2度のF5でシナを圧倒、WWE・世界ヘビー級王座を奪取した。9月、シナとの防衛戦にセス・ロリンズが乱入。マネー・イン・ザ・バンク(いつでも好きな王座に挑戦できる権利)を行使されかけ危機に陥るも不本意な反則勝ちを拾って怒るシナに助けられた(試合はロリンズ乱入によるシナの反則勝ちで、反則裁定での王座移動はない)。

2015年1月、ロイヤルランブルでの防衛戦はシナとロリンズを迎えたトリプルスレッド戦となったが、ロリンズからフォールを奪い王座防衛。3月29日、レッスルマニア31にてロマン・レインズを挑戦者に迎えた防衛戦を戦っていたが、セス・ロリンズが登場しマネー権を行使したため急遽試合がトリプルスレット戦に変更され、ロリンズがレインズからフォールを奪い勝利して、納得の出来ない状態でWWE王座を明け渡すこととなった[16]。同月30日、RAWで王座戦を要求したが、時差ボケを理由に拒否され、ロリンズを襲撃しようとしたが逃げられたために、J&Jセキュリティを粉砕した後、実況席をひっくり返しジョン・レイフィールドブッカー・Tを負傷させただけでなく、カメラマンとマイケル・コールにF5を決めて重傷を負わせたため、ステファニー・マクマホンから無期限謹慎を言い渡された。6月15日、RAWにてトリプルHがセス・ロリンズへ与える次の試練として復帰。ロリンズとリング上で対面し、怖気づかせリングからたたき出した。7月4日、WWE両国国技館大会において8年ぶりの来日を果たす(ハウスショーへの出場は11年ぶり)。ニュー・デイと対戦した。

2016年1月24日、Royal Rumble 2016のロイヤルランブルマッチ形式であるWWE世界ヘビー級王座戦にて23番手で登場。リングに入って早々占拠していたワイアット・ファミリーのメンバーをスープレックス技で蹴散らすとエリック・ローワンラリアットでリングから追い出し、続いて24番手で登場したジャック・スワガーへF5を決めてリング外へと投げ捨てる。ルーク・ハーパーブラウン・ストローマンと続けて脱落させワイアット・ファミリーを一蹴するが27番手にブレイ・ワイアットが登場すると脱落させたはずのワイアット・ファミリーのメンバーが再びリングへ上がり襲撃されるローワン、ハーパー、ストローマンから抱えられてリング外へと落とされ脱落となった[17]。4月3日、Wrestle Mania 32にてディーン・アンブローズとノー・ホールズ・バードマッチで対戦。真っ向勝負を仕掛けるがアンブローズは竹刀、消化器、スティールチェアーを用いて抵抗。最後に有刺鉄線バットで攻撃を仕掛けてきたところを避けてジャーマン・スープレックスで投げ捨てるとスティールチェアー上にF5を決めて勝利した[18]

戦績

総合格闘技 戦績
8 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
5 2 2 1 0 0 0
3 2 1 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× アリスター・オーフレイム 1R 2:26 TKO(左ミドルキック→パウンド) UFC 141: Lesnar vs. Overeem 2011年12月30日
× ケイン・ヴェラスケス 1R 4:12 TKO(パウンド) UFC 121: Lesnar vs. Velasquez
【UFC世界ヘビー級タイトルマッチ】
2010年10月23日
シェイン・カーウィン 2R 2:19 肩固め UFC 116: Lesnar vs. Carwin
【UFC世界ヘビー級王座統一戦】
2010年7月3日
フランク・ミア 2R 1:48 TKO(パウンド) UFC 100
【UFC世界ヘビー級王座統一戦】
2009年7月11日
ランディ・クートゥア 2R 3:07 TKO(パウンド) UFC 91: Couture vs. Lesnar
【UFC世界ヘビー級タイトルマッチ】
2008年11月15日
ヒース・ヒーリング 5分3R終了 判定3-0 UFC 87: Seek and Destroy 2008年8月9日
× フランク・ミア 1R 1:30 膝十字固め UFC 81: Breaking Point 2008年2月2日
キム・ミンス 1R 1:09 ギブアップ(マウントパンチ) Dynamite!! USA 2007年6月2日

得意技

F5
F5
使い始めた当初はジャッカル・イン・イモーションという技名だった。F5という名前はWWEが権利を保持しているため、他団体で使う際はバーディクト名義になる。しかし、来日した直後はまだバーディクトという名前が発表されていなかったため、竜巻式のフェイスバスターと呼ばれていた。
相手をファイヤーマンズキャリーの形で持ち上げ、旋回させつつそのまま相手をうつ伏せの形でマットに落とす技である。相手を落とす際に、自らも倒れ込みながら相手の頭をマットに押し付けるため、フェイスバスターとしてのダメージが大きい。レスナーはかなり大型の選手が相手でもこの技を決めることができる(WWE所属時には225kgもの巨体を誇るビッグ・ショーを相手に決めたこともある)。しかし、ロブ・ヴァン・ダムエディ・ゲレロカート・アングルにスイングDDTで返されたことがある。スイングDDTで返された場合、バーディクトの旋回力が大きい程、レスナーに返るダメージも大きくなる。バーディクトとは「評決」という意味である。2006年3月19日、両国国技館での対戦では曙にバーディクトを決めようとしたが、失敗して腰に重傷を負ってしまった。
斬新な投げ技であったため、ビッグ・ショー、マット・モーガンTAKEMURAマッスル坂井他、世界各国でフォロワーが現れた。
ブロック・ロック
自ら作り出した関節技であり、マフラーホールドとシングル・ボストンクラブの複合技。レスナーのWWE退団直前に登場した技であり、結果一度も返されることがないままである。
シューティングスタープレス
リングで倒れている相手に対し、トップロープから相手に向かって飛びつつバック宙をして相手にボディ・プレスを当てる技である。OVW時代にfフィニッシャーにしていた。
Wrestle Mania XIXのメインイベントで使用した際に汗をかいた状態でトップロープを触ってしまったため足が滑って頭から落下。後に使用の封印を宣言。
キムラロック
2012年にWWE復帰してから使用。
ベリー・トゥ・ベリー
ジャーマン・スープレックス
主に投げっぱなし式を多用。
ブレーンバスター
最上段からの雪崩式でビッグ・ショーを投げた際にはリングが崩壊した。
ベア・ハグ
相手の腹回りを絞めることで、呼吸できなくする技。ハルク・ホーガンをこの技で破ったこともある。
連続パワーボム
F5以前の必殺技。高々と相手を持ち上げパワーボムで3回連続でマットに叩きつけその後フォールをするのが定番であった。

人物・エピソード

  • 総合格闘技に転向当初は、プロレス出身ということもあって、ファンからブーイングを浴びていた。しかし、レスナー本人は「俺はレスリング出身だし、そもそもプロレスなんてやりたくなかった。本当は大学を卒業した後すぐにMMAに転向したかったが、当時のMMAでは大金を稼げなかったから仕方なくプロレスをやるしかなかった」と語っている。WWEで最も不満なことに地方巡業の過密日程を挙げており、さらに「WWE退団後にはリアルな競技がしたかったからNFLのトライアウトを受けた。合格しなかったけど後悔はしていない。なぜなら挑戦しなかったらもっと後悔していたからだ。大学卒業時にMMAに転向しなかった時のようにね。そんな過去があるから俺はMMAファイターになれた」と語る[19]
  • ヒールとしての振る舞いに加えて、フランク・ミアとの因縁など強気な性格が強調されがちではあるが、対戦相手に敬意を表すなど誠実な一面も持つ。
  • 2014年のレッスルマニアにて、ジ・アンダーテイカーのレッスルマニア無敗記録を21でストップさせた。またアンダーテイカーとシングルマッチで複数回対戦経験がある選手でアンダーテイカーに勝利を許していない数少ない人物である。なお、バックステージにてアンダーテイカーはレスナーを高く評価しており、無敗記録ストップのブックもアンダーテイカーが望んだものである。

入場テーマ曲

  • Enforcer
  • Next Big Thing - 現在使用中
  • Next Big Thing(Remix)

獲得タイトル

WWE
OVW
新日本プロレス / IGF
UFC
  • 第14代UFC世界ヘビー級王座(防衛2度)

脚注

  1. ^ http://boxing.nv.gov/2009%20Results%20Web/07-11-09%20MMA.pdf ネバダ州アスレチック・コミッション公式サイト 2010年7月4日閲覧
  2. ^ ブロック・レスナー、HERO'S参戦へ! スポーツナビ 2006年4月30日
  3. ^ BROCK LESNAR IS THE LATEST HEAVY HITTER IN THE UFC UFC公式サイト 2007年10月20日
  4. ^ 【UFC87】GSPが完全防衛。BJ・ペンと最強対決へ MMAPLANET 2008年8月10日
  5. ^ 【UFC91】レスナー、クートゥアー破り快挙達成! MMAPLANET 2008年11月16日
  6. ^ 【UFC100】レスナーがミアを圧倒、統一ヘビー級王者に MMAPLANET 2009年7月12日
  7. ^ UFC100 第10試合 スポーツナビ
  8. ^ 【UFC108】対戦カード変更続出、UFC2010スタート!! MMAPLANET 2009年12月29日
  9. ^ [ http://www.ufcjapan.jp/news_detail.php?nid=673&ym=201001 ブロック・レスナーが奇跡の復活!UFCヘビー級王者戦は夏実現へ] UFC 日本語公式サイト 2010年1月21日
  10. ^ 【UFC116】レスナー絶体絶命も、大逆転で王座統一 MMAPLANET 2010年7月4日
  11. ^ UFC 116 fighter bonuses: Six fighters each earn $75,000 awards MMAjunkie.com 2010年7月4日
  12. ^ 【UFC121】混迷ヘビー級、新王者ベラスケス誕生!! MMAPLANET 2010年10月24日
  13. ^ WOW UFC141みどころ
  14. ^ アリスターが1RTKO衝撃デビュー 敗れたレスナーは引退宣言スポーツナビ 2011年12月31日
  15. ^ ヘイマンの策略によってトリプルHには「敗退したら引退」の条件がかけられている
  16. ^ 『週刊プロレス』2015年4月22号 pp90
  17. ^ WWE Royal Rumble PPV Results - 1/24/16 (30 Man Rumble)”. Wrestleview.com. 2016年1月24日閲覧。
  18. ^ WWE WrestleMania 32 Results – 4/3/16 (Live in Dallas, Triple H vs. Roman Reigns, The Undertaker vs. Shane McMahon)”. Wrestleview.com. 2016年4月3日閲覧。
  19. ^ Lesnar eyes Randy scalp THE Sun 2008年11月2日

関連項目

外部リンク

前王者
ランディ・クートゥア
第14代UFC世界ヘビー級王者

2008年11月15日 - 2010年10月23日

次王者
ケイン・ヴェラスケス