ブルマー

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ブルーマーを穿いたスミス大学バスケットボールチームのメンバーたち。1902年に撮影された初期の形のブルマー。

ブルマー (bloomers) は、女性が運動などを行う際に下半身に着用する衣類の一種で、ブルマあるいはブルーマブルーマーとも呼ぶ。20世紀に世界的に広く普及した。

学校教育で体育の授業の運動時に着用する体操着や、スポーツ用パンツとしても広く用いられる。女子バレーボール陸上競技の選手が試合や練習で穿くユニフォームパンツもあり、用途に応じてバレーブルマー、バレーショーツ、陸上ブルマーと呼ぶこともある。チアリーダーが穿くコスチュームパンツにもブルマーが用いられる。また、オーバーパンツとしても用いられる。

起源

1850年のブルマーファッション
1890年代のタバコのラベルに描かれたブルマー姿の女性
  • ブルマーは、19世紀中頃、コルセットで腹を締めるような当時の下着に反発した女性解放運動家によって、自由度が高くゆとりのある下着として考案された。これは旧弊な拘束型衣服からの女性衣服の転換という革新的なものであった。
  • 後にこれが運動着として使えるようなものに改良された。当時は女性用の適当な運動着はなく、この発明は極めて画期的なものであった。
  • この頃のブルマーはニッカーボッカーズボンのようにだぶつきがあり、膝あたりまで丈があった。
  • また、別の説では乗馬用のズボンが変形したものともいう。

ちょうちんブルマー

  • 1970年前後まで製造されていた伸縮性のない生地を用いたタイプ。腰と裾口にゴムが入っている以外はだぶつきのある作りで、運動時の可動性を確保するためにギャザーあるいはプリーツがつけられていた。これらはニット製ブルマーの誕生以降、その形状的な特徴から「ちょうちんブルマー」と呼んで区別されるようになった。

ショーツ型ブルマー

発生の経緯

  • 左は20世紀中盤になって登場したブルマーの形で、以後の標準になったもの。右はいわゆる「ちょうちんブルマー」と呼ばれる旧タイプ。
    化学繊維ニット素材の発達により、ブルマーは臀部にぴったりフィットしたショーツ型へと進化した。このタイプのブルマーが日本で普及していくのは、1964年東京オリンピック以降の1960年代後半からである。
  • ショーツ型ブルマーをオリンピックで最初に採用した国は旧ソビエト連邦で(アメリカでも同時期に採用)[1]、当時の日本でも現代型ブルマーの試作品を女子バレー日本代表に持ち込んだりしたが、日本代表は採用せず特注の改良型ショートパンツを使用した。
  • 他方、義務教育の現場において体操服が指定されるようになったのはこの頃からである。小学校中学校高校大学でもこのようなショーツ型のブルマーが体操着やユニフォームとして採用された。
  • 女子だけでなく男子にも、一部の幼稚園保育園で指定体操着として着用されるようになった。

特徴

  • ショーツ型ブルマーの特徴はだぶつきのない形状で、アスレチックブルマースポーツブルマースクールショーツなどとも呼ばれる。
メーカーによってはニットブルマースクールブルマーともいう。
  • 防寒および、帯下や残尿などで衣服が汚れるのを防止するために、ショーツの上に着用される(この場合、体育時以外の制服・私服のスカート・ジーンズなどの下に常時着用されていたケースであり、パンチラ防止の目的もある)。股間から臀部、おおむね脚の付け根からへそまでを覆い隠すような形状、および丈になっている。
  • 色は濃紺が主流であったが、えんじ色ほか様々で、ブルマーの側面にはなどのラインが入るデザインなど、ジャージー同様に様々なバリエーションが存在する。
学年ごとに色を変え、区別できるようにしている学校もあった。
  • 裾はゴム仕様が多く、オペロンゴムやスパンゴムと呼ばれウエストや足口にソフトにフィットする平ゴムタイプ、運動時に腹部にくい込みにくい2重または3重ゴムタイプのものとに大別できる。
  • 主に、前身頃と後身頃というシンプルな構成になっている。製造元によっては一枚布で縫製されたものもある。
  • ショーツとほぼ変わらず丈が無い形状になっているが、内側にショーツを穿いた上に着用する。脚ぐりの位置は通常、ラインがウエストラインとヒップラインの中間あたりまで切り込まれ、ハイレグはヒップラインよりやや上まで切り込まれ、ローレグはヒップラインの少し下くらいまで切り込まれている。ショーツで言うとローレグカットかレギュラーカットとほぼ同じである。

ショーツとの相違点

ブルマーは下着のショーツに対し、概ね以下の相違点がみられる。

  • 素材はナイロンポリエステル等の厚地で伸縮性がある。
  • 色が濃紺やえんじ色等の濃い色調の色が用いられる。
  • 腰のゴムが太く、裾にゴムが入っている。
  • 内側にショーツを穿いた上から重ねて穿く。
  • クロッチが必要ないため、二枚布を股間で縫製する。
  • 股上が下着に比べて深い。

スポーツ用

バレーボール

陸上競技、バレーボール練習用のブルマー
  • 1990年代前半頃までは女子バレーボールの選手は、バレーブルマーを着用が一般的だった。その後、ユニフォームも大幅に変わり、裾の短いスパッツのようなショートズボンにとって代わった。バレーブルマーは競技の特性上、転がったり滑ったりするのを想定し腰丈(股上)が長く厚手の丈夫な生地が用いられていた。
  • 視聴者参加のスポーツバラエティ番組にも学校の体育系クラブや会社のスポーツサークルが、練習や試合で着用するバレーブルマーを着用して参加することもあった。

チアリーダー

  • 学園祭などのイベントや高校野球、大学駅伝といった競技でのチアリーディングにおけるチアリーダーのユニフォームとしてスカートの下にブルマーが着用される場合がある。

陸上競技

ブルマー型ショーツを着用するエレーナ・イシンバエワ
  • 女子陸上競技の選手、特に激しい動きを要する競走、跳躍の選手においては現在でもブルマーが多用されている。近年は動きやすさを重視し、短距離及び跳躍においていわゆるセパレート型のレーシングショーツの着用が増加している。このレーシングショーツはブルマータイプとボックスタイプが存在し、福島千里のように試合ごとにこれらを使い分ける選手もいる。
  • 一方、マラソン、中長距離ではブルマーからランニングパンツ及びスパッツ、被服以上の機能(サーキュレーション、スタビライゼーション、ヒーリング等)も持ち合わせた機能性タイツ(コンプレッションタイツ等)への転換が進んでいる[要出典]。海外では短距離同様のセパレートも見られる。
  • 投擲ではスパッツが主流で世界的に見てもブルマーは少数派。

その他のスポーツ

日本における普及と衰退

東京オリンピックまで

  • 大国化と近代化を目指していた戦前の日本で、ブルマーが普及するまでは教育現場や学校で体操時に女性が着用した運動着は従来からのもんぺぐらいであったため、新しいウェアは非常に斬新に映り、全国の学校の標準運動着として採用された。女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)では、留学先のアメリカから井口阿くりが持ち帰ったブルマーが体操着として1903年に最初に紹介され、大正末期から昭和初期にかけて女学校で採用されるようになった[2][3]
  • 敗戦後は日本は国力に極めて乏しく、1964年東京オリンピック前後まで文部省や教育現場では、義務教育において体操着を学校標準指定で強制することはなかった。当時、小中学校の女子生徒のブルマーは紺色のちょうちん型が圧倒的に多数を占めていた。親の手製も見受けられた時代でもあった。ショートパンツ型や現在に近い形の製品も混在していた。尚、ちょうちん型とニット生地ショーツ型の過渡期的なものとして1960年代後半にはサイドファスナーでウエストリアがゴムシャーリングとなり、すそが折り返しになった紺サージ生地のショートパンツ型が一般的で、このタイプは1980年代まで一部の私立校で採用され続けた。このタイプを「ショート」あるいは「短パンブルマー」と呼ぶ場合がある。

学校等の指定体操着としての普及

初期の女性バスケット・チーム(1925-1926年、奈良)
  • ずり落ちたり引きつったりせず軽量で、動きに対しても体に密着したショーツ型のブルマーが、オリンピックや国際競技の場で公式に使用されたことで、女子体操服の代名詞としてブルマーの認識が広まり、小学校中学校高校日本人学校などで、指定体操着として採用されるようになった。
  • 体育の授業や掃除の時間をはじめ運動会体育祭)、学芸会、マラソン大会など学校行事においても着用され、大学の運動部などでも使用された[4][5]
  • 男女共通の体操着として着用されるケースもあった[6]
  • カンコーではウエスト、脚口がオベロンゴムタイプの濃紺無地のブルマーを「日本中学校体育連盟推奨品」として販売されていた。

水着としての着用例

  • 海女が、防寒策として下着の上から着用する場合がある。
  • 小学校などで遭難時の訓練目的で着衣水泳の授業が行われ、その際に用いられることもあった。

反対運動と廃止

  • 1970年代以降、ブルマーは従来のもんぺ・ちょうちん型からショーツのように太股を完全に露出するスタイルに変貌した。当時の人気スポーツであったバレーボールの影響から、スポーティーで格好いいと好意的に受け止められる向きがあった反面、性的な羞恥心が強くなる思春期の女子にとっては潜在的な抵抗感もあったという。軽量で動きに対する追従性がよい反面、ブルマー着衣部分の体型が強調されたり、ブルマーの裾からヒップが露出したり、ブルマーの裾からショーツが露出するいわゆる「ハミパン」が生じるという問題もあった。また、太股の露出に抵抗を持つ者も多くなった。
  • 1987年、名古屋西高校で女子生徒の体操着として新たにブルマーを導入したところ、生徒による反対運動が起こった[7]。1988年、朝日新聞で女子中高生がブルマーに反対する投書が掲載された。
  • 1990年代に入ると、それまでは一部のマニアのものであったブルセラ趣味が商業的に展開され、女子生徒から着用済みのブルマーやセーラー服などを買取り販売するブルセラショップが誕生した。ブルマーが性的好奇心の対象として一般に認知されるようになると、運動会などの学校行事においてブルマー姿の女子生徒を盗撮したり、校舎に侵入してブルマーの窃盗をはたらいて逮捕されるといった事件が、社会問題として取り上げられるようになっていった。
  • 1993年Jリーグが開始される前後より始まったサッカーブームから、プロサッカー選手のユニフォームとして着用されていたハーフパンツが注目されるようになった[8]
  • こうした時代背景の中、ブルマー着用の必然性に対して疑問の声が上がり始め、新聞にブルマー廃止を訴える女子中高生の投書が掲載されるようになった。1995年には東京都小金井市議会で若竹綾子市議が問題提起を行い、それが朝日新聞に掲載されると、学校や保護者も含めたブルマ―廃止機運が高まった。また男女同権論者・ジェンダーフリー教育論者の中からは、通常体育の授業時は男女別服装である合理的理由はなく、男女平等教育の観点に照らして男子・女子とも同じ運動着を着るべきであると主張する人々も現れた。
  • これらの動きにマスコミも追従し、追放運動は1990年代中盤にピークを迎えた。1994年にいくつかの県で廃止が決定されると、ブルマーの指定廃止は数年のうちに全国に広がった。こうして公立校は2004年、私立校でも2005年を最後に、女子の体操着としてブルマーを指定する学校は日本から消滅した。多くの学校では、ブルマーの代わりに太股を覆ったハーフパンツまたはクォーターパンツが採用されることとなった。
  • 現在では、主にコスプレ用やオーバーパンツ見せパン)用途での需要で生産されている。また一部の陸上競技用としてブルマー型のレーシングショーツ(レーシングブルマー)が使用されている。

性的フェティシズムの対象として

  • 前述の経緯から現実の校庭からは消え失せたブルマーだが、それが却ってフィクションにおける地位を高めることになり、萌え属性の一つとして定着している[9]。ブルマーが学校に存在した時代へのノスタルジーや、ブルマーによってくっきりと見える臀部のラインや露出された太股などが人気の背景にある。
  • 学園物の成年コミックアダルトゲームでは大半の事例で、場合によっては全年齢対象の作品においても、キャラクターにブルマーを着用させているケースが見られ、ブルマーに対するフェティシズムを前面に押し出した「ブルマー物」と呼ばれる作品ジャンルも存在する。「ブルマー物」の場合、ブルマーを知らないで育った世代が多くなりつつあるため、感情移入がしづらくなる、現状を知らず今でもブルマーが学校で存続していると勘違いしてしまうなどの弊害もある。作品を読んで初めてブルマーの存在を知った児童・生徒も多い。
  • グラビアアイドルなどがブルマーを穿いて撮影した作品がある。1990年代以降は学校で穿いた経験が無く、撮影で初めてブルマーを穿くアイドルが多くなっている。
  • ステージ衣装として使用されるケースもあり、2014年にダンス&ボーカルパフォーマンスユニット「TEMPURA KIDZ」が、ライブや体育館でのPV撮影でブルマーを着用した。
  • 現在もコスチュームショップやブルセラショップ、体操着を取り扱っているオンラインショップでは購入可能であり、日本におけるブルセラショップで取り扱われるフェティシズム対象物として、制服と並べて取り上げられる代表格に挙げられるものである[10]。また、収集するマニア(自らが穿くことも兼ねて収集する者もいる)がいるほか、コスプレAVイメクラ性的ロールプレイなどにおいても散見される。ただし、ネット販売でブルマーを扱っていた業者でも、ブルマーの販売を打ち切ったところがある。

メーカー・ブランド

日本国内では、スポーツウェア・スポーツ用品メーカー(アシックスミズノなど)や、繊維製品メーカー(東レユニチカなど)、繊維製品メーカーのなかでも学生衣料に特化したメーカー(カンコートンボなど)が、自社の取り扱う体操服やスクール水着などといったスポーツウェア、学生衣料のひとつとしてブルマーを生産していた。衣料品卸問屋が自社ブランドで生産していた例もあった。

2000年代後半あたりまで9割以上が生産を打ち切っており、現在は店頭をはじめネット通販でさえ入手困難な状態となっている。

製造メーカーについては以下を参照のこと。

脚注

  1. ^ 日本テレビ伊東家の食卓内「教科書にのらないウラ昭和史」
  2. ^ Allen Guttmann and Lee Thompson, Japanese Sports: a History, University of Hawaii Press, 2001, pp. 93ff. ISBN 0824824148.
  3. ^ 興水はる海、外山友子、萩原美代子「女子の運動服の変遷: 東京女子高等師範学校に関して」『日本体育学会大会号』No. 30, p. 116, 1979.
  4. ^ 学研 学習百科大辞典 12 保健体育 技術 家庭 音楽』、1975年。ブルマー着用の筑波大学ダンス部女子部員の模範演技掲載。
  5. ^ 写真と図解による最新バレーボール9人制』(大修館書店)、1978年4月1日。ブルマー着用の東京女子体育大学女子バレーボール部員掲載。
  6. ^ メディアに取り上げられた事例としては、1988年の月刊『明星』(集英社)5月号に掲載された、内海光司の幼少時代のブルマー姿の写真がある
  7. ^ 中嶋聡『ブルマーはなぜ消えたのか - セクハラと心の傷の文化を問う』P40~43
  8. ^ ブルマーの現状と来歴
  9. ^ 『萌え大全〈Vol.2〉すぽーつうぇあ大全』すぽーつうぇあ大全制作委員会、秀和システム、2009年4月、p.82頁。ISBN 978-4798022277 
  10. ^ Ryang, Sonia (2006-10-18). Love in modern Japan: its estrangement from self, sex, and society. pp. p.99. ISBN 978-0415770057 

資料映像

  1. ^ OG 1972 Men GDR vs BRA. 国際オリンピック委員会. 27 May 2015. 該当時間: 1:55. 2013年11月23日閲覧

関連項目

関連書籍

外部リンク