ブリジット・エンゲラー

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ブリジット・エンゲラーBrigitte Engerer, 1952年10月27日 - 2012年6月23日[1])は、チュニジア出身のフランスピアニスト

経歴

チュニスの生まれ。前夫ヤン・ケフェレックYann Queffélec)は有名な作家であり、その姉のアンヌ・ケフェレックはピアニスト仲間で、ラ・フォル・ジュルネラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 「熱狂の日」音楽祭で一緒に出演している。

5歳から音楽の勉強を始め、パリ音楽院リュセット・デカーヴの指導を受けた。9歳でシャンゼリゼ劇場でデビューを飾る。15歳でパリ音楽院で満場一致の一等賞を獲得する。1969年のロン=ティボー国際コンクールのピアノ部門で第6位を獲得し、モスクワ音楽院に招かれてスタニスラフ・ネイガウスの下で五年間研鑽を積んだ。その後、1978年にエリザベト王妃国際コンクールで第3位となった。カラヤンに見出され、1982年に、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の創立100周年記念ガラ・コンサートに出演して以降、国際的なピアニストとして活躍していた。晩年は、四手のピアノや二台のピアノの作品でボリス・ベレゾフスキー (ピアニスト)とペアを組んでいた。レパートリーは広かったが、フランツ・リストシューベルトの録音が多い。

パリにて没。

脚註

  1. ^ [1]