フーゴー・ファン・デル・グース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。KLBot2 (会話 | 投稿記録) による 2013年3月23日 (土) 07:02個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ボット: 言語間リンク 27 件をウィキデータ上の d:Q215251 に転記)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ポルティナーリの三連祭壇画

フーゴー・ファン・デル・グースHugo van der Goes, 1440年頃 - 1482年)は、初期フランドル派の画家。

1467年、彼はヘントの聖ルカ組合に加入した。のち組合の長老となった。長老の間、ブルゴーニュ公シャルル勇胆公マーガレット・オブ・ヨークの結婚を祝う、ゲントの町の装飾を担当し、公爵夫妻から雇われることとなった。彼の絵のモデルとなった、ブリュッセルにあるジェリコのバラ聖母修道会の尼僧エリザベートとの関係からおそらく精神病を病み(彼女がモデルを務めたフレスコ画『ダヴィデとアビガイル』は現在失われている)、1478年頃彼は自己の憂鬱に打ち勝つには修道院で生きるほかないと、他の修道院に隠遁した。彼は修道院内で俗人扱いであったとみられる。ファン・デル・グースは1480年頃自殺を図り、2年後に死んだ。

彼の最も有名な作品は『ポルティナーリの三連祭壇画』(1475年。ウフィッツィ美術館蔵)で、ブルッヘにおけるメディチ家の代理人、銀行家トマッソ・ポルティナーリが依頼した、フィレンツェのサンタ・マリア・ヌオヴァ教会の背障である。

外部リンク