フレドリック・ラインフェルト

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フレドリック・ラインフェルト
Fredrik Reinfeldt
2013年9月
生年月日 (1965-08-04) 1965年8月4日(58歳)
出生地  スウェーデン
ストックホルム県ハーニンゲ市オステルハーニンゲ教区
出身校 ストックホルム大学
前職 経済学者
所属政党 穏健党
配偶者 フィリッパ・ラインフェルト(2013年離婚)
サイン

スウェーデンの旗 スウェーデン
第42代首相
在任期間 2006年10月6日 - 2014年10月3日
国王 カール16世グスタフ

スウェーデンの旗 穏健党
第15代党首
在任期間 2003年10月25日 - 2015年1月10日
副党首 グニラ・カールソン

欧州連合の旗 欧州理事会
第71代議長
在任期間 2009年7月1日 - 2009年12月1日
委員長 ジョゼ・マヌエル・ドゥラン・バローゾ
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ヨーン・フレドリック・ラインフェルトスウェーデン語: John Fredrik Reinfeldt1965年8月4日- )は、スウェーデン政治家経済学者である。

第42代スウェーデン首相2006年10月6日 - 2014年10月3日)や第15代穏健党党首(2003年10月25日 - 2015年1月10日)を歴任した。

経歴[編集]

ストックホルム郊外に中小企業を経営する両親の間に生まれる。1983年穏健党青年連盟(青年部)に入る。1990年ストックホルム大学経済学部を卒業する。

1991年、26歳でスウェーデン議会総選挙に穏健党から立候補し当選する。以後、スウェーデン政界にあって右派のホープとして将来を嘱望されてきた。この選挙では穏健党を中心とする中道右派連合が躍進し、カール・ビルト党首が首班となって連立政権を樹立している。

1992年から1995年まで穏健党青年連盟議長を務め次代のホープとして台頭する。1995年から1997年までヨーロッパ保守政党の国際青年組織である欧州民主主義青年委員会(DEMYC)議長を務める。

物静かで合理的な性格からカール・ビルト元首相とはそりが合わないとされた。1999年ビルトが党首を辞任後、党内地盤を強化し、同時に中・低所得者層への減税を打ち出した。

2006年9月17日総選挙で穏健党を中心とする中道右派連合「スウェーデンのための連合」が勝利し、同年10月5日議会によって戦後最年少記録の41歳で首相に選出された。新政権は従来の福祉政策の一部を見直し、雇用拡大を図るとされる。具体的には、減税や規制緩和失業保険の削減、国営企業の民営化などが検討されている。また、ユーロへの参加については、今後4年間は国民投票を見送る一方で、NATOに関しては、中立の伝統を脱して加盟を目指すとしている。

2009年7月から12月まで欧州理事会議長を務めた。

2010年9月20日のスウェーデン総選挙で与党連合を率い、モナ・サーリン党首の社会民主労働党が主導する野党3党に49.2%の得票率で172議席を確保し勝利した。だが、過半数には3議席達しなかった[1]

2014年9月14日のスウェーデン総選挙で、ステファン・ロベーン党首の社会民主労働党が主導する野党3党(中道左派連合)に比較第1党の座を奪われ敗北、首相を辞任した。

ストックホルム北部のテービー市長である先妻のフィリッパとの間に3人の子供がいる。趣味掃除切手の収集。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/2758021?pid=6209162

外部リンク[編集]

公職
先代
ヨーラン・ペーション
スウェーデンの旗 スウェーデン王国首相
第42代:2006 - 2014
次代
ステファン・ロベーン
先代
ヤン・フィシェル
欧州連合の旗 欧州理事会議長
第71代:2009
次代
ヘルマン・ファン・ロンパウ
党職
先代
ボー・ルンドグレン英語版
穏健党党首
2003 - 2015
次代
アンナ・キンベリ・バートラ英語版