フルトン・J・シーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フルトン・ジョン・シーン
Fulton J. Sheen
ニューポート名義大司教
ロチェスター名誉司教
教会 カトリック教会
司教区 ローチェスター司教区
聖職
司祭叙階 1919年9月20日
司教叙階 1951年6月11日
個人情報
出生 (1895-05-08) 1895年5月8日
アメリカ合衆国の旗 イリノイ州エル・パソ
死去 1979年12月9日(1979-12-09)
アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク州ニューヨーク
テンプレートを表示

フルトン・ジョン・シーン英語:Fulton John Sheen、1895年5月8日 - 1979年12月9日)は、アメリカ合衆国カトリック教会聖職者。ニューヨーク州ニューヨーク大司教区補佐司教及びロチェスター教区司教を務め、そのテレビによる伝道活動により、最初のテレビ伝道者の一人であると見做されている[1][2]

生涯[編集]

イリノイ州のエル・パソという町に生まれる。幼少期には結核を患っていたという[3]。家族揃ってピオリアに移住すると、フルトンは侍者を務め、この時に彼は初めてカトリック教会に触れた。1951年にニューヨーク大司教区の補佐司教に就任した。プロテスタント各派が積極的にテレビラジオでの伝道を繰り広げていたのに対し、カトリック教会は出遅れた感があった。そこでシーン神父はテレビに積極的に出演し、伝道活動に心血を注いだ。ラジオ番組The Catholic Hourや、テレビ番組Life is Worth Livingを放送した。1966年から1969年にかけてロチェスター司教を務めた。 1979年ニューヨークで亡くなり、セント・パトリック大聖堂に埋葬された。2002年に彼に対する列聖運動が公式に始められた。現在は神の僕であると称されている。

著書[編集]

  • 『生きていくということ』 1956年 (ユニヴァーサル文庫)
  • 『キリストの生涯』
  • 『十字架に対する7つの言葉』
  • 『見よこの女性を』
  • 『どういう人が嫌われるか』 1959年

備考[編集]

俳優マーティン・シーンは本名ラモン・ジェラルド・アントニオ・エステベスだが、フルトン・シーンにあやかってこの芸名を付けた。

脚注[編集]

  1. ^ アーカイブされたコピー”. 2012年10月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月24日閲覧。
  2. ^ http://www.nndb.com/people/448/000166947/
  3. ^ Fulton J. Sheen. Treasure in Clay, Ch. 2 "The Molding of the Clay", p. 9, 1980 .

外部リンク[編集]

先代
ジェームズ・E・カーニー
カトリック・ロチェスター教区司教
1966年 - 1969年
次代
ジョセフ・ロイド・ホーガン