ファティ・テリム
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名前 | ||||||
本名 | ファティ・テリム | |||||
愛称 | Imparator(トルコ語で皇帝) | |||||
カタカナ | ファティ・テリム | |||||
ラテン文字 | Fatih Terim | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | トルコ | |||||
生年月日 | 1953年9月4日(70歳) | |||||
出身地 | ジェイハン[1] アダナ県 | |||||
身長 | 172cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
代表歴 | ||||||
1974-1985 | トルコ[2] | 51 | (2) | |||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ファティ・テリム(Fatih Terim, 1953年9月4日 - )は、トルコ出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。
人物
トルコ代表監督として1996年のユーロ96出場。ガラタサライの監督として2000年にUEFAカップを制覇するなどトルコサッカーの地位を向上させた人物の一人である。また攻撃的なサッカーの信奉者として知られ、フィオレンティーナの監督時代はマヌエル・ルイ・コスタをトップ下に配した4-3-1-2システムで旋風を起こした。
略歴
- 1974年 トルコ代表初選出。現役時代はセンターバックとして主将も務める。
- 1985年 現役を引退。指導者の道へ進む。
- 1993年 トルコ代表監督就任。
- 1995年 ユーロ96予選を突破。本大会初出場に導く
- 1996年 ユーロ96、1次リーグ敗退。大会終了後にガラタサライの監督に就任、以後トルコリーグ4連覇。
- 2000年 UEFAカップ決勝でアーセナルを下し初優勝。この成功で数多くのオファーが舞い込むが、イタリアのフィオレンティーナと契約。
- 2001年 コッパ・イタリア準優勝に導くが、会長のヴィットリオ・チェッキ・ゴーリと対立し辞任。翌シーズンにACミランの監督に就任するがUEFAカップ3回戦敗退の責任を取りわずか5ヶ月で辞任。
- 2005年 トルコ代表監督に復帰。EURO2008ではトルコをベスト4に導く快挙を成し遂げた。
- 2009年 2010FIFAワールドカップ予選敗退の責任をとり代表監督を辞任。
- 2011年 ガラタサライの監督に復帰。
- 2013年 ガラタサライとの兼任でトルコ代表監督に4度目の就任[3]。9月24日、ガラタサライの監督を解任された[4]。
選手経歴
- 1969-1974 アダナ・デミルスポル
- 1974-1985 ガラタサライ
監督経歴
- 1987-1989 MKEアンカラギュジュ
- 1989-1990 ギョツテペAS
- 1990-1993 トルコU-21代表
- 1993-1996 トルコ代表
- 1996-2000 ガラタサライ
- 2000-2001 フィオレンティーナ
- 2001 ACミラン
- 2002-2004 ガラタサライ
- 2005-2009 トルコ代表
- 2011-2013 ガラタサライ
- 2013- トルコ代表
獲得タイトル
監督時代
ガラタサライ
- UEFAカップ:1回 (1999-2000)
- トルコ・シュペルリガ : 6回 (1996-97, 1997-98, 1998-99, 1999-2000, 2011-12, 2012-13)
- トルコ・カップ:2回 (1998-99, 1999-2000)
- トルコ・スーパーカップ:4回 (1996, 1997, 2012, 2013)
脚注
- ^ “Terim kitabıyla geliyor” (トルコ語). Hürriyet. 2015年11月9日閲覧。
- ^ “Fatih Terim - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ “テリム監督、トルコ代表監督兼任へ”. UEFA.com. (2013年8月22日) 2013年8月23日閲覧。
- ^ “ガラタサライ、テリム監督解任”. goal.com. (2013年9月25日) 2013年10月1日閲覧。