ピエリーナ・レニャーニ

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The Little Humpbacked Horseでのピエリーナ・レニャーニ、1895年

ピエリーナ・レニャーニPierina Legnani,1868年9月30日 - 1930年)は、イタリアバレエダンサーである。

人物[編集]

ピエリーナ・レニャーニはミラノで生まれた。

彼女は類稀なテクニックを持つバレリーナとして知られ、公式に『プリマ・バレリーナ・アッソルータ』の称号を与えられた最初の人物である[注釈 1]

レニャーニは1893年から1901年まで、ロシア帝室バレエ団で『プリマ・バレリーナ・アッソルータ』の地位にあった。 また彼女は、32回連続のフェッテ(グラン・フェッテ・ロン・ドゥ・ジャンブ・アン・トゥールナン、: grand fouette rond de jambe en tournant[注釈 2]として知られる技術を最初に披露したバレリーナでもある[注釈 3]

そして彼女の名を不滅のものにしたのは、1895年の『白鳥の湖』蘇演において、オデット(白鳥)とオディール(黒鳥)の二役を踊ったことであった。 当初、彼女はオデット役にのみ配役されていたが、開演の一週間前になってもオディール役が決まらなかったため、やむを得ずレニャーニが両方を踊った。これが大成功し、その後オデットとオディールは同じバレリーナが踊ることが恒例になった。

舞台生活から退いたあと、彼女はイタリアに住んだ。死の4ヶ月前まで、スカラ座バレエ学校の運営委員会に携わった。

1930年、死去。彼女の墓は、ミラノ大聖堂にある[注釈 4]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 2番目は、マチルダ・クシェシンスカヤであった。
  2. ^ しばしば『グラン・フェッテ・アン・トゥールナン』と称されている。
  3. ^ 1893年の『シンデレラ』(ボリス・フィチンゴフ=シェーリ作曲)にて披露した。
  4. ^ 没年月日については、1930年11月15日説もある。

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]