ビッグ・フォア

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ビッグ・フォア(The Big Four)は、カルテット編成による日本のジャズ・バンドビッグ・フォージョージ川口とビッグ・フォアとも表記された。

メンバー[編集]

グループ結成時のメンバー。後年、オリジナル・ビッグ・フォアとも称される。
小野満に代わって加入。
1958年に結成されたビッグ・フォア・プラス・ワンのメンバー。

結成[編集]

1952年ジーン・クルーパ・トリオの来日公演に刺激され、1953年1月には、雑誌『スイングジャーナル』の人気投票で首位を獲得した演奏者4名、「渡辺晋とシックス・ジョーズ」から松本英彦と中村八大、「レイモンド・コンデとゲイ・セプテット」からジョージ川口と小野満を起用したコンボ編成のバンドが組まれ、ラジオ東京「イヴニングコンサート・ポンジーアワー」にレギュラー出演する。このバンドは同年5月、ビッグ・フォアと名付けられ、旗揚げ公演となるコンサート「ブロウ・ブロウ・ビッグ・フォア」を日本劇場で行う。各個人の持ち味を存分に発揮した演奏とパフォーマンスで、当時のジャズ・コン(ジャズ・コンサート)ブームを代表する人気バンドとなった。

レギュラー番組『トリス・ジャズ・ゲーム』[編集]

1954年12月、文化放送で、壽屋(現・サントリー)をスポンサーとしたレギュラー番組『トリス・ジャズ・ゲーム』が開始される。

ロイ・ジェームスを司会に迎え、東京ヴィデオ・ホールにて公開収録される放送内容で、Jazz at the Philharmonic(JATP)の日本版の意味を込めた「ジャズ・アット・ザ・トリス(Jazz at the Torys:JATT)」を、番組のサブ・タイトルとした。放送が開始される前のビッグ・フォアは、松本英彦の病気療養などでメンバーが分裂状態にあったが、小野満に代わって加入した上田剛が中心となって4人をまとめ、ビッグ・フォアはこの番組を主な活動の場とした。

同番組は、公開スタジオに集まった観客からリクエスト曲を募集し、それをビッグ・フォアと、回によってはゲスト歌手を交えて即興で演奏を披露し、リクエストが採用された場合には壽屋からトリスウィスキー、または赤玉ポートワインのどちらかが記念品として贈呈された[1]。番組は文化放送をキー局に、新日本放送(現・毎日放送)中部日本放送ラジオ九州(現・RKB毎日放送)東北放送など、全国の民放ラジオ局で放送された。

現存する主な録音[編集]

1953年末から54年初頭にかけて、日本マーキュリー・レコードに録音したSPレコードからの復刻CD。SPレコード4枚組に分かれた「フライング・ホーム」のみライブ録音、その他5曲はスタジオ録音となっている。
江利チエミがゲスト出演。放送ライブラリーにて公開されている。
『トリス・ジャズ・ゲーム』の1957年6月から7月の放送時にレコード用として同時録音した音源を厳選したアルバム。平岡精二宮沢昭渡辺貞夫永田暁雄丸山清子がゲスト出演。
結成当時のメンバー(オリジナル・ビッグ・フォア)によるアルバム。『ジャズ・アット・ザ・トリス』とともにCD化されている。
  • 『ビッグ・バン・ブロウ~ジョージ川口に捧ぐ』(2003年
ジョージ川口の死後、追悼作品として発売された。1953年のスタジオ録音、1958年の「ビッグ・フォア・プラス・ワン」によるライブ音源、1959年の松本英彦のコンサートでの演奏が収録されている。

脚注[編集]

参考資料[編集]

  • 石原康行(アルバム『ビッグ・バン・ブロウ~ジョージ川口に捧ぐ』解説文より)
    • ラジオ東京(現・TBSラジオ)ディレクター、ビッグ・フォアの結成時に関わった一人でもあった
  • 久保田二郎(アルバム『ジャズ・アット・ザ・トリス』、『オリジナル・ビッグ・フォア』解説文より)
  • 相倉久人『至高の日本ジャズ全史』