バーデン (領邦)

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バーデン
Baden
バーデン (領邦)の国旗 ヴュルテンベルク王国の紋章
国旗 (紋章)
国歌 : Badnerlied
ドイツ帝国内でのバーデン (領邦)の位置
首都 カールスルーエ
君主号 大公Großherzog
君主家 ツェーリンゲン家
面積 3,400 km²(1803年)

15,082 km²(1905年)

人口 2,009,320人 (1905年)
人口密度 133
成立
消滅 ドイツ革命による君主制廃止(1918年、以後バーデン州へ)
ヴュルテンベルク州と合併してバーデン=ヴュルテンベルク州へ(1952年)
連邦参議院での投票権数
ナンバープレート

バーデン(標準ドイツ語: Land Baden, アレマン語: Land Bade)は、ドイツ南西部、現在のバーデン=ヴュルテンベルク州に存在した領邦辺境伯領、後に大公国として12世紀から20世紀初頭まで存続した。

1112年ツェーリンゲン家ヘルマン2世シュヴァーベンにおいて辺境伯となり、子孫が代々所領と財産を引き継いでいったことから始まる。バーデン家内で抗争を繰り広げ、幾度かの分裂を繰り返したが、1771年にバーデン=ドゥルラハ辺境伯カール・フリードリヒが所領を統一、バーデン辺境伯となった。また、カール・フリードリヒはナポレオン戦争最中の1803年選帝侯となり、1806年に帝国が解体すると大公となった。以後ドイツ連邦南ドイツ連邦への加盟を経て1871年ドイツ帝国の構成国となり、1918年ドイツ革命まで存続した。

歴代君主一覧

バーデン辺境伯(1073年 - 1190年)

バーデン=バーデン辺境伯(1190年 - 1515年)

バーデン=ハッハベルク辺境伯(1190年 - 1415年)

バーデン=ザウセンベルク辺境伯(1290年 - 1503年)

バーデン=バーデン辺境伯(1515年 - 1771年)

バーデン=ドゥルラハ辺境伯(1515年 - 1771年)

バーデン辺境伯(1771年 - 1803年)

バーデン選帝侯(1803年 - 1806年)

バーデン大公(1806年 - 1918年)