バレンタインデー

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バレンタインデー: Valentine's Day)、または、聖バレンタインデー(せいバレンタインデー、: St Valentine's Day[† 1][† 2][1])は、2月14日に祝われ、世界各地で男女または男男、女女愛の誓いの日とされる。もともと、269年ローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌス(テルニのバレンタイン)に由来する記念日だと、主に西方教会の広がる地域において伝えられていた。

起源

ジェフリー・チョーサーの肖像(1412)。バレンタインデーとロマンスを関連づけている文書で、現在のところ最古のものと見なされているのはチョーサーのParliament of Foulesである。

ローマ帝国発祥説

バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼるとされる。

当時、ローマでは、2月14日は女神・ユノの祝日だった。ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもある。翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日であった。当時若い男たちと娘たちは生活が別だった。祭りの前日、娘たちはに名前を書いた札を桶の中に入れることになっていた。翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。ひいた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。

ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止したといわれている。キリスト教司祭だったウァレンティヌスバレンタイン)は秘密に兵士を結婚させたが、捕らえられ、処刑されたとされる。処刑の日は、ユノの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれた。ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたという。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったというのが一般論である。

異説・異論

上述の逸話には歴史的背景の説明が必要である。初期のローマ教会は、当時の祭事から異教の要素を排除しようと努力した跡がみられる。ルペルカリア祭は排除すべきだが、ただ禁止しても反発を招くだけであったため、教会にはこの祭りに何かキリスト教に由来する理由をつける必要があった。そこで兵士の結婚のために殉教したとされるバレンタイン司教の助けを借りることにしたと考えられる。こうしてキリスト教以前からあったルペルカリア祭は、バレンタイン由来の祭りであると解釈を変更され、祭りはその後も続いた。前述のくじ引きでパートナーを選ぶ話も、ローマの宗教行事は野蛮であるという印象を与えるために初期キリスト教会によって創作されたものである可能性もある。

カトリック教会における祝日の扱い

カトリック教会においては、第2バチカン公会議後の典礼改革で、史実の上で実在が明らかでない聖人たちが典礼暦から整理された際に、2月14日のウァレンティヌスの記念日は取り除かれた。このため現在、カトリック教会では公式には祝日として祝われていない。事実、聖バレンタインに関する伝説は複数あり、没年が異なっていたり、細部が異なっていたりするものが複数伝えられているため、ウァレンティヌス自身の信憑性は低い。

シェイクスピア

For this was on seynt Volantynys day
Whan euery bryd comyth there to chese [choose] his make [mate].

ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』の冒頭(第1幕第2場)に上記ルペルカリア祭の場面がある。ここでシーザーは占い師から「3月15日に気を付けろ」という不吉な警告を受けることになる。

各地でのバレンタインデーの形

1910年のバレンタインデー・ポストカード
バレンタインチョコレートの例

恋人たちのの誓いの日とされ、世界各地で様々な祝い方がある。

日本

日本では、1958年ころから流行した[2]。ただし、その内容は日本独自の発展を遂げたものとなっている。戦前に来日した外国人によって一部行われ、第二次世界大戦後まもなく、流通業界製菓業界によって販売促進のために普及が試みられたが、日本社会に定着したのは、1970年代後半であった。「女性男性に対して、親愛の情を込めてチョコレートを贈与する」という「日本型バレンタインデー」の様式が成立したのもこのころであった。なお、バレンタインデーにチョコレートを渡すのがいいのではと最初に考案して実践したのは、一説に大田区の製菓会社メリーチョコレートカムパニー原邦生であるとされる[3]

現代日本社会におけるバレンタインデー文化の、起源、普及過程、社会的機能、歴史的意義などについては、民俗学社会学宗教学歴史学文化史商業史)の各分野から研究されるべき事項であるが、バレンタインデーに関するまとまった研究は存在しない。

特徴

日本では、女性が男性に愛情の告白として、本命チョコを贈る習慣がある。

西欧米国でも、恋人やお世話になった人にチョコレートを贈ることはあるが、決してチョコレートに限定されているわけではなく、またバレンタインデーに限ったことでもない。女性から男性へ贈るのがほとんどという点と、贈る物の多くがチョコレートに限定されているという点は、日本のバレンタインデーの大きな特徴である。しかし最近では、本命チョコにこだわらず、クッキーケーキ、マフラーなどを贈る人もいる。また、「恋人までは行かないが、友人として」贈る「義理チョコ」、同性(主に女性)間で贈り合ったりする「友チョコ」、男性が女性に渡す「逆チョコ」、自分で買って食べる「自己チョコ」、男性が男友達に送り合ったりする「強敵(とも)チョコ」というものもみられる。

「日本型バレンタインデー」の特徴を整理すると、以下の3点となる[4]

  • 贈答品にチョコレートが重視される点
  • 女性から男性へ一方通行的贈答である点
  • (女性の)愛情表明の機会だと認識されている点

このほか、職場における贈答習慣が強い点[† 3]や、キリスト教との直接的関連はほとんど意識されていない点[† 4]も日本型バレンタインデーの特徴である。

起源と紆余曲折

日本でのバレンタインデーとチョコレートとの歴史の起源については、以下のようなものがあるが、判然としていない。

神戸モロゾフ製菓(現在のモロゾフ)説
東京で発行されていた英字新聞ザ・ジャパン・アドバタイザー1936年2月12日付けに同社が広告を掲載したことを重視するものである。「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告であった[† 5]。確認されている最も古い“バレンタインデーにはチョコを”の広告である。
なお、モロゾフの本店があった最寄り駅の阪神御影駅南側の広場は2013年に「バレンタイン広場」として整備されており、聖バレンタインゆかりの地とされるテルニ市からの「お墨付き」を得ている。
メリーチョコレートカムパニー & 伊勢丹
同社が1958年2月に伊勢丹新宿本店で「バレンタインセール」というキャンペーンを行ったことを重視する説である。
森永製菓説、伊勢丹説
1960年より森永製菓が「愛する人にチョコレートを贈りましょう」と新聞広告を出し、さらに伊勢丹が1965年にバレンタインデーのフェアを開催し、これがバレンタインデー普及の契機となったとする説がある[5]
しかし、「バレンタインデー」の文字がある広告が、1956年西武百貨店松屋の新聞広告や、1959年松坂屋の新聞広告にも掲載されており、デパート業界では伊勢丹が最初というわけではない。
ソニープラザ
ソニー創業者の盛田昭夫は、1968年に自社の関連輸入雑貨専門店ソニープラザがチョコレートを贈ることを流行させようと試みたことをもって「日本のバレンタインデーはうちが作った」としている[6]

ただいずれにしても、すぐに大きな反響があったわけではなく、商品もあまり売れなかったようである[† 6]。各種の説があるが、バレンタインデーが日本社会に普及したあとに、自社宣伝のために主張されたために誇張も含まれると思われる。

総じて昭和30年代には、「バレンタインデーの贈答品はチョコレート」とする意識はまだなかった。当時のバレンタインデーの新聞広告によると、購入を勧める贈答品にチョコレートは登場しなかった。森永製菓の広告ですら、チョコレートは贈答品のおまけとして位置付けられていた。バレンタインデーの起源の一つとされる1960年の森永製菓の新聞広告には、「チョコレートを贈る日」ではなく、「チョコレートを添えて(手紙などを)贈る日」として書かれていた。バレンタインデーに贈答品を贈るのは誰かという点でも女性に限定されていなかった。ただ「愛の日」という点は強調されていた。それはつまり夫婦の日であって、当時の社会通念に照らせば結婚を前提にしない恋愛と未婚の未成年者は想定外であった。しかしそのような製造販売業者の思惑が続くあいだは、売り上げは大きく伸びなかった。

日本社会への定着と展開

デパート各店がバレンタインデー普及に努めていたが、なかなか定着せず、1968年をピークに客足は減少し、「日本での定着は難しい」との見方もあった。しかし、オイルショック(1973年)に見舞われ、高度経済成長が終焉した1970年代前半頃になると、チョコレートの売上が急増した[7]。オイルショックによる不況に喘いでいた小売業界がより積極的にマーケティングを行ったとされ、1970年代は日本の資本主義がほぼ完成し、成熟した消費社会になった時期とも重なる。バレンタインデーにチョコレートを贈答するというのは、小学校高学年から高校生までの学生層から広まったという[7]1980年代後半頃には主婦層にも普及した。

前節で述べたように、当初は贈答品はチョコレートに限られておらず、誰とも交際していない女子から意中の男子へという形でもなかった。バレンタインデー普及には商業活動が一役買ったことは間違いないが、日本社会に受け入れられやすかった要素とそうでなかった要素があることが指摘されている[4]。現在、一般に「バレンタインデーはチョコレート業界の陰謀」と認識されていること[† 7]とは裏腹に、バレンタインデー定着の過程には、小学校高学年から高校生の主導的な選択があったことが指摘されている。

義理チョコとホワイトデー

1970年代後半頃に、女子が男子に親愛の情を込めて本命チョコを贈るという「日本型バレンタインデー」が、日本の社会に定着すると、さらに日本独自の習慣が登場した。1980年前半に登場したホワイトデー義理チョコである[7]。ホワイトデーの起源については、福岡県和菓子屋石村萬盛堂のキャンペーンと、全国飴菓子工業協同組合の構想が注目されている。1977年に石村萬盛堂は、バレンタインデーの返礼としてマシュマロデーを開始した。これは社長が女性雑誌の投稿欄を見て思いついたものだという。1979年には他の菓子店と協同で「ホワイトデー」という名称を用いたとされる。

一方、全国飴菓子工業協同組合の主張によると、1978年6月の組合の総会で、「ホワイトデーキャンペーン」の実施が決定され、1980年に第1回「愛にこたえるホワイトデー」キャンペーンが行われたという。そして2回目の1981年には「好きな女の子にキャンデーを贈ろう」というキャッチフレーズが添えられた。1984年の第5回キャンペーンには各地で品不足になるほどの盛況となり、同組合では、この1984年をホワイトデー定着の年としている。

20世紀終盤から2000年代以降

日本のチョコレートの年間消費量の2割程度がこの日に消費されると言われるほど[8]の国民的行事となっており、2000年代以降は後述のように多様化している。

女性が男性にチョコレートを贈ると同時に愛の告白をするといった主要目的以外にも、すでに交際中の恋人や、結婚している夫妻、子供同士でも行われるようになり、憧れの男性・女性に贈るケースや、上司や同僚、ただの友人などの恋愛感情を伴わない相手にもチョコレートを贈る「義理チョコ」という習慣が定着しているが、義理チョコは1990年代後半以降衰退傾向にあり[9]、2000年代後半から2010年代前半においてもその傾向は継続している[10]

また、女性が女性へチョコレートを贈る「友チョコ」の動きが2000年代初旬より広まってきてバレンタイン市場・商戦を支える存在となっており[9]、特に2000年代後半以降、友チョコの市場規模は拡大傾向となっている[11]

バレンタインデーにおけるチョコの売上停滞に危機感を抱いた関連業界の企業において、友チョコを重視したキャンペーンを行ったり、西欧・米国では当然でも日本では一般的でない行為、男性が女性にチョコレートを贈る「逆チョコ」といった様々な展開で消費活性化を図っている[9][11]。逆チョコは特に森永製菓が積極的に展開しており、1960年と同じく2000年代後半以降も大々的なキャンペーンを行っていて、逆チョコ仕様の「逆ダース」を期間限定発売するなど力を入れている[12]。この時期はチョコレート販売店舗で特設会場が設けられたり、商品の種類が多様化するため、その試食を目当てにしたり、輸入品や高級品のように店頭在庫が珍しいものを自らのために買い求める「自分チョコ」を行う者も2000年代以降増えている[9][11][13]。さらに最近では、男性が男友達に送り合ったりする「強敵(とも)チョコ」も増えてきている。

上記のような習慣について日本人自身が抱く感想はさまざまである。近年では意識調査も行われている。#意識調査を参照。

世界最大の恋愛・結婚マッチングサイト「マッチ・ドットコム ジャパン株式会社」は、2009年2月5日プレスリリースにて「2月14日のないチョコレートを形式的に贈答する『義理チョコ』をマッチ・ドットコム社内での配布禁止令」を発表した[14]

なお、2010年頃より、日本の花業界(主に花小売店)が「フラワーバレンタイン推進委員会」を結成し、バレンタインデーを「男性から女性に花を贈る日」として定着させようとする動きが起こっている。2012年2月には「初代Mr.フラワーバレンタイン」として、元サッカー日本代表の三浦知良選手(横浜FC、2012年当時)が選出され話題を呼んだ[15]

2012年には、愛知県内の中学校で、バレンタインデーでのチョコのやりとりが「校則違反」とされ、クラブ活動が活動停止となった事例もある。愛知県教育委員会などへは、保護者などから抗議の投書が多数寄せられており、また、有識者や教育関係者からは、配慮不足との声が多数出ている[16]。その一方で、バレンタインは環境型セクハラに該当するため、禁止するのが妥当とする意見も近年では専門家から出されている。

意識調査

2006年2月にインターネットで情報提供を手掛けるアイブリッジ社が実施した『バレンタインデーに関する独身男女(20代〜30代)に対するアンケート』によれば、回答した300人のうち「チョコレート受け渡しの習慣なんかなくなればいい」という回答がOLで70%、同じく男性社員は50%であった。ただし、OLの反対意見では、女性の側から贈る習慣に反対しているのであって、男性側から贈られるのであれば賛成とする「ご都合主義的意見」も多かったとされる。同じく、男性側はホワイトデーのお返しが大きな金銭的な負担となっており、この義務的なイベントに対する不快感を強く持っている人が多い。妻子ある男性までも、他人の女性にプレゼントをすることを強要されており、その分のお金を妻や子供に対するサービスに費やしたいと考えている男性にとっても非常に人気がない。中には義務的なイベントを無理矢理作り出して、強制的に義理チョコを買わせるのは非人道的な卑劣な商法である、といった痛烈な意見もある[17]

また、労働法の専門家によると、職場内におけるバレンタインデー・ホワイトデー・おごりの強要は『環境型セクシャルハラスメント』の温床とされており、危険性を指摘する声もある。性別を理由に一定の義務を課し、本人の意に反する行為を強要するわけであるから、環境型セクシャルハラスメントにあたる。しかも、女性のみならず「男性が被害者」になるセクシャルハラスメントである[18]

一方、同じく2006年2月にマクロミル社によって調査が行なわれ、全国の10代〜30代の1,030名の女性から回答を得た『バレンタインデーに関する調査』では、「日頃の感謝の気持ちを表す機会」が69%、次いで「コミュニケーションの円滑化」(49%)、「楽しい年中行事」(32%)という回答結果であった。反対に「義務的なイベント」と回答した人は23%に留まっており、義理チョコに対してポジティブなイメージを持っている人が多いという結果となった[19]。しかし、2007年2月、同社による20歳以上39歳以下の会社員女性515名から回答を得た『バレンタインデーに関する調査』では「会社での義理チョコのやりとり、あった方がいい」が26%、「ない方がいい」が74%とネガティブなイメージがあり、調査年齢層の年齢が上がるほど、否定的傾向が顕著に強くなる調査結果となった[20]

西欧・米国

西ヨーロッパなどでは、男性も女性も、ケーキカードなど様々な贈り物を、恋人や親しい人に贈ることがある日である。イギリスではカードには、「From Your Valentine」と書いたり、「Be My Valentine.」と書いたりもする。

西欧・米国では、日本に見られるような、ホワイトデー(バレンタインデーと対になるような日で日本が営利のために考案した)の習慣はない。

贈り物の種類はさまざまであるが、チョコレートも贈る習慣は、19世紀後半のイギリスではじまった。キャドバリー社の2代目社長リチャード・キャドバリーが1868年に美しい絵のついた贈答用のチョコレートボックスを発売した。これに前後して、キャドバリーはハート型のバレンタインキャンディボックスも発売した。これらのチョコレートボックス等がバレンタインデーの恋人などへの贈り物に多く使われるようになり、後に他の地域にこの風習が伝わっていった。[要出典]

正教会が優勢な地域

正教会におけるウァレンティヌス(ワレンティン)

聖ワレンティン(ウァレンティヌス)[† 8]を崇敬する正教会の広がる地域では、西欧文化の影響を受けるまでこのような習慣はなかった。

そもそも正教会暦においては、3世紀致命(殉教)した2名の聖職者であった聖ワレンティン[21](ウァレンティヌス)が記憶されているが、記憶日は2月14日ではなく、7月ないし8月である。

また、3世紀に致命した聖ワレンティンはもう1名いるが、彼は聖職者ではなく、現代のブルガリアにおける兵士であった。記憶日は4月24日(ユリウス暦を使う正教会では5月7日に相当)[24]

いずれの聖ワレンティンについても、西欧に起源を持つ、恋人と関連付ける習慣は、正教会では特に行われない。

ただし、教会(正教会)内では祝われていないものの、商業主義により[25]教会とは関係の無いイベントとして「バレンタインデー」が広がる傾向は、正教会が優勢な地域においても存在する。

ギリシャ

ギリシャではそれほど大きく祝われているわけではないものの、商業主義によって年々規模が拡大する傾向がある[25]

CIS(独立国家共同体)諸国

CIS(独立国家共同体)諸国においてバレンタインデーが祝われ始めたのはソ連崩壊後、1990年代に入ってからである[26]

ベトナム

ファイル:2009-Valentine's Kiss-HPIM2575.jpg
ベトナムにおけるバレンタインのキス

ベトナムは西欧・米国流で、男性が女性に尽くす日となっている[27]

サウジアラビア

サウジアラビア人の大半は近年までバレンタインデーの存在そのものを知らなかったが、近年の外国文化の流入によって一般的に認知されるようになってきた。

2004年2月にサウジアラビア最高位の宗教指導者であるアブドルアジズ・アール=アッシャイフがバレンタインデー禁止のファトワーを出した。「バレンタインデーは偶像崇拝を行うキリスト教の祝祭であり、アラーを崇拝するムスリムがこの祝祭を祝うことは許されない、神の怒りと罰をおそれこの祝祭を忌み嫌い否定することがムスリムの義務である」と表明した[28]。このファトワーを受けて、サウジアラビアの宗教警察である勧善懲悪委員会はバレンタインデーはイスラムの教えに反するとして本格的な禁止措置に乗り出し、店頭からバレンタインデー関連の商品を撤去させたりしている[29]。しかし、宗教的な禁止にもかかわらず多くの人たちがバレンタインデーを行い、いくつもの業者が商品を販売している。

2009年2月11日勧善懲悪委員会の委員を務めるサッターム・ビン・アブドゥルアズィーズ王子がサウジアラビア国営放送に出演してバレンタインデーを祝うものには最高刑で死刑もありうると発言するなど、取締りの過激化へ向かう方向へ進んでいる[† 9](誤解を招く情報、且つ不適切な引用)。

このような経緯から、サウジアラビアではバレンタインデーは違法行為となっており、全面禁止されている。

派生した文化

日本

ホワイトデー
バレンタインデーの1か月後である3月14日を、主に男性から女性へ返礼のプレゼントをする日「ホワイトデー」としている。代表的な贈り物は、チョコレートに対してクッキーマシュマロ・高級時計・現金などである。
オレンジデー
近年では柑橘類生産農家などが4月14日オレンジデーと呼び、恋人同士(男性女性とも)でオレンジを贈りあい、愛情の確認をすることを提案しているが、2013年現在では社会への浸透は皆無に近い。
メイストームデー
ことわざ「八十八夜の別れ霜」より、バレンタインデーから88日後の5月13日メイストームデーと呼び、別れ話を切り出すのに最適な日としている[30]が、これも2013年現在では社会への浸透は皆無に近い。

韓国

ブラックデー
バレンタインデー及びホワイトデーで贈り物をもらえなかった(恋愛とは無縁に終わった)男女が集まって炸醤麺やブラックコーヒーを口にする日。4月14日に行われる。

脚注

注釈

  1. ^ イギリス英語発音:[ˌsnt ˈvæləntaɪnz deɪ]
  2. ^ アメリカ英語発音:[ˌseɪnt ˈvæləntaɪnz deɪ]
  3. ^ 日本では職場で贈答することが多いが、西欧・米国では職場で贈答する習慣はない。小笠原祐子1998参照。
  4. ^ 日本社会では、知識としてバレンタインデーが、キリスト教的行事だという認識はあるものの、バレンタインデーの現場においては、宗教の信仰の実践だという事実は意識されることはまずない。
  5. ^ この広告コピーの全文と翻訳は、山田晴通2007にある。
  6. ^ メリーチョコレート社による新宿伊勢丹における最初のセールの売り上げ金額は判然としなくなっているが、少額であったことは間違いない。メリーチョコレートカムパニーの『30周年記念誌』(1980年)には「数千円位」(St. Valentine’s Dayの頁)とする記述がある。一方、その後創業者の父の跡を継いで同社の社長となった原邦生は、著書やインタビューの中で、いくつか異なる数字を挙げている。例えば、朝日新聞 2000年9月21日付日曜版の記事「チョコ贈答、ルーツは神戸」は、原へのインタビューも踏まえ「三日間で売れたのは三十円の板チョコが五枚と、四円のカード五枚だけだった」としているが、原の著作『社長は親になれ!』(2004年、日本実業出版社)には「結果はチョコレート三枚とメッセージカードが一枚、売上はたったの一七〇円」(p.29)とある(山田晴通2007 注12 参照)。
  7. ^ 石井研士2005、47ページによる。著者が行った大学生アンケート調査でも、圧倒的多数の学生がそのように答えている。
  8. ^ 教会スラヴ語表記:Валентинの、日本正教会による転写
  9. ^ サウジアラビアの法律では他の宗教を信仰すること、イスラム教ワッハーブ派に対する冒涜には死刑が適用できる。

出典

  1. ^ St Valentine's DayOxford Learner's Dictionaries)
  2. ^ 広辞苑 第五版 p.2197 【バレンタインデー】
  3. ^ 八幡成人 ヴァレンタイン・デー チーム八ちゃん
  4. ^ a b 山田晴通2007による。参考文献参照。
  5. ^ 毎日新聞 1977年2月12日朝日新聞 1978年2月15日
  6. ^ 2007年2月3日 北海道新聞1面「卓上四季」より
  7. ^ a b c 石井研士2005による。参考文献参照。
  8. ^ 「カカオはロッテ」チョコワールド チョコレート歴史館 みんなチョコが大好き!世界のチョコレート文化インターネット・アーカイブ
  9. ^ a b c d 「本命」「義理」だけじゃないバレンタインチョコ 日経BPネット 2003年2月5日
  10. ^ バレンタイン・デーは、『義理チョコ』から、いまや『感謝チョコ』に(PJニュース) ライブドアニュース 2007年2月13日
    Yahoo!リサーチ 、「2010年 バレンタインデーに関する調査」 CNET Japan 2010年1月26日
    義理チョコ期待薄…室蘭でもバレンタイン商戦ピーク 室蘭民報夕刊 2010年2月5日
  11. ^ a b c 逆チョコ・友チョコ 新スタイル目白押し 当世バレンタイン事情【気になるトレンド用語】 ライブドアニュース 2009年2月5日
    自分へのご褒美と友チョコ ティーン世代のバレンタイン事情 J-CAST 2009年2月14日
    バレンタイン、女友達への「友チョコ」主流に、予算は本命の4分の1 日経ウーマンオンライン 2010年1月6日
  12. ^ バレンタイン商戦の主流は「本命」「義理」より「友チョコ」に? ダイヤモンド・オンライン 2010年2月5日
  13. ^ 【気になるトレンド用語】バレンタインデー、今やチョコは女性のため? ライブドアニュース 2008年2月14日
  14. ^ 社内での義理チョコ配布禁止令 〜愛のない『義理チョコ』はダメ!!〜 (PDF) match.com 2009年2月5日 プレスリリース
  15. ^ 女性に花を!カズ 初代「Mr.フラワーバレンタイン」に スポーツニッポン 2012年2月6日
  16. ^ 学校にチョコだめ? バレンタイン「校則違反」で部活禁止 読売新聞 2012年3月3日
  17. ^ “悪しき習慣「義理チョコ」「バレンタイン」もうやめろ”. J-CAST. (2007年2月13日). http://www.j-cast.com/2007/02/13005496.html?p=all 2013年9月1日閲覧。 
  18. ^ 2007年8月30日 読売新聞
  19. ^ [1]
  20. ^ [2]
  21. ^ 教会スラヴ語表記:Валентинの、日本正教会による転写
  22. ^ Martyr Valentinus the Presbyter and those with him at Rome - アメリカ正教会のページ。
  23. ^ Hieromartyr Valentine the Bishop of Interamna, Terni in Italy - アメリカ正教会のページ。
  24. ^ Martyr Valentine in Moesia, Bulgaria - アメリカ正教会のページ。
  25. ^ a b Valentine's Day in Greece
  26. ^ St. Valentine’s Day или самый сентиментальный из неофициальных праздников
  27. ^ SPIN 1985年9月 72ページ 第1巻、第5号 ISSN 0886-3032 出版社:SPIN Media LLC
  28. ^ 2004年2月13日付 リヤド新聞
  29. ^ [3]
  30. ^ “新生面”. 熊本日日新聞 くまにちコム. http://kumanichi.com/sinseimen/201204/20120428001.shtml 2012年5月14日閲覧。 

参考文献

  • 日本のバレンタインデー
    • (日本のバレンタインデーを知るのに有用な文献を掲げる。※は本稿記述に参照したものである)
    • 川又一英 1984『大正十五年の聖バレンタイン』PHP 研究所
    • 井上優 1993『大正ロマンをチョコレートに包んで』オリジン社
    • 小笠原祐子 1998『OL たちの〈レジスタンス〉』中央公論社(第3章)
    • ※石井研士 2005『日本人の一年と一生』春秋社
    • 山田晴通 2007「「バレンタイン・チョコレート」はどこからきたのか(1)」『東京経済大学人文自然科学論集』124([4][5][6]

関連項目