バック・ユーイング
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | オハイオ州ホーグランド |
生年月日 | 1859年10月17日 |
没年月日 | 1906年10月20日(47歳没) |
身長 体重 |
5' 10" =約177.8 cm 188 lb =約85.3 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手、一塁手 |
初出場 | 1880年9月9日 |
最終出場 | 1897年5月27日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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選出年 | 1939年 |
選出方法 | ベテランズ委員会選出 |
この表について
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バック・ユーイング(William "Buck" Ewing, 1859年10月17日 - 1906年10月20日)は、19世紀にアメリカ・メジャーリーグで活躍した選手。主なポジションは捕手だが、現役時代は全てのポジションをこなしている。オハイオ州生まれ。右投げ右打ち。
略歴
1880年、トロージャンズからデビュー。1883年にニューヨーク・ゴサムズに移籍。その年にリーグ最多の10本の本塁打を放つ。これはメジャーリーグ史上最初の二桁本塁打記録となった。翌年に最多三塁打(20本)を記録した。
また守備の能力、特に正確な送球能力を評価されていた。ジョン・フォスターは、これを1938年の著作の中で「本塁から二塁へボールを手渡す」と表現している。 1890年、当時のプレイヤーズ・リーグに移籍した年は、選手兼任監督を勤める。再びナショナルリーグに復帰してからは監督兼任を止めていたが、シンシナティ・レッズに移籍した最初の3年間は、再度監督を兼任している。1897年で選手を引退、1900年まで監督を勤めたが、リーグ制覇は一度もできなかった。
1906年、糖尿病によりオハイオ州シンシナティで死去。1939年、ベテラン委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。19世紀の選手としてはキャップ・アンソンとともに最初の殿堂入りであり、また捕手としても最初の殿堂入り選手となった。
通算成績
打撃成績
試 合 |
打 数 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
得 点 |
打 点 |
盗 塁 |
三 振 |
四 球 |
死 球 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1315 | 5363 | 1625 | 250 | 178 | 71 | 1129 | 883 | 354* | 294* | 392 | 9* | .303 | .351 | .456 | .807 |
※数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。
投手成績
- 通算:登板数9、2勝3敗、防御率3.45
獲得タイトル・記録
- 最多本塁打:1回(1883年)
監督としての記録
年 度 |
チ | ム |
リ | グ |
試 合 |
勝 利 |
敗 戦 |
勝 率 |
順 位 |
備 考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1890 | NYG | PL | 132 | 74 | 57 | .565 | 3 | |
1895 | CIN | NL | 132 | 66 | 64 | .508 | 8 | |
1896 | 128 | 77 | 50 | .606 | 3 | |||
1897 | 134 | 76 | 56 | .576 | 4 | |||
1898 | 157 | 92 | 60 | .605 | 3 | |||
1899 | 157 | 83 | 67 | .553 | 6 | |||
1900 | NYG | 63 | 21 | 41 | .339 | 8 | 開幕~7月10日 | |
通算成績 | 903 | 489 | 395 | .553 |
出典・外部リンク
- Baseballhalloffame.org(英語)– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、Baseball-Reference (Register)