ハーバート・オズボーン・ヤードリー

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ハーバート・オズボーン・ヤードリー

ハーバート・オズボーン・ヤードリー(Herbert Osborne Yardley、1889年4月13日 - 1958年8月7日)は、アメリカ合衆国の暗号学者インディアナ州ワージング生まれ。その著『ブラック・チェンバー 米国はいかにして外交暗号を盗んだか』(1931年)で知られる。

ヤードリーは陸軍情報部第8課(MI-8)「ブラック・チェンバー」の設立者であり、その長であった。 彼のもとで、ブラック・チェンバーの暗号解読者は日本の外交暗号を解読し、1921年から1922年のワシントン会議でアメリカの交渉者を有利な立場に置いた。 のちに中国の国民政府が日本の暗号を解読するのを助け、カナダ政府が暗号部門を設けるのを助けた。

著書

ブラック・チェンバーは1929年に国務長官のヘンリー・スティムソンによって予算を打ち切られ、そのまま閉鎖された。従業員は年金等の補償なしに解雇された。ヤードリーは政府に対する報復として以下の暴露本を著した。

翻訳

  • ハーバート・オー・ヤードリ『ブラック・チェンバ 米国はいかにして外交秘電を盗んだか?』大阪毎日新聞社訳、大阪毎日新聞社、1931年(昭和6年)。 
  • H・O・ヤードレー『ブラック・チェンバー 米国はいかにして外交暗号を盗んだか』近現代史編纂会編、荒地出版社、1991年(平成3年)1月。ISBN 4-7521-0107-6 

原書