間組

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハザマから転送)
株式会社間組
Hazama Corporation
本社が入居していた共同通信会館
種類 株式会社
市場情報
東証1部 1719
2003年10月1日上場
略称 ハザマ
本社所在地 日本の旗 日本
105-8479
東京都港区虎ノ門二丁目2番5号
設立 2003年平成15年)10月1日[1]
業種 建設業
事業内容 建築土木
代表者 小野俊雄(代表取締役社長)
資本金 120億円
発行済株式総数 普通株式:1億1635万6517株
第Ⅰ種優先株式:75万株
第Ⅱ種優先株式:15万1224株
第Ⅲ種優先株式:87万5000株
第Ⅳ種優先株式:25万株
売上高 連結:1,978億99百万円
単独:1,828億47百万円
(2013年3月期)
営業利益 連結:56億12百万円
単独:47億62百万円
(2013年3月期)
純利益 連結:22億93百万円
単独:19億87百万円
(2013年3月期)
純資産 連結:328億44百万円
単独:288億28百万円
(2013年3月31日現在)
総資産 連結:1,418億79百万円
単独:1,317億57百万円
(2013年3月31日現在)
従業員数 連結:2,245人 単独:2,031人
(2013年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 日本トラスティ・サービス信託銀行(株)(信託口) 10.92%
安藤建設(株) 8.66%
(株)みずほコーポレート銀行 4.74%
ハザマグループ取引先持株会 3.56%
(2013年3月31日現在)
主要子会社 ハザマ興業(株) 100%
青山機工(株) 100%
関係する人物 間猛馬
神部満之助
特記事項:
  1. ^ 創業は1889年(明治22年)4月1日
テンプレートを表示

株式会社間組(はざまぐみ、英称:Hazama Corporation)は、かつて存在した日本大手建設会社中堅ゼネコン)。通称「土木の名門」、「ダムハザマ」。建設業界では「青山」と呼ばれていた。一般には会社名を片仮名表記のハザマとしている。

2013年4月1日安藤建設と対等な精神に基づいた吸収合併の方式による合併で株式会社安藤・間に商号変更された。

概要[編集]

東京都港区虎ノ門に本社を置く中堅ゼネコン。売上高における土木と建築の比率は5:5。1889年(明治22年)に間猛馬門司で創業し、九州鉄道の工事を手掛けるなど、土木に定評あるゼネコンとして成長した[1]

古くから土木工事全般(ダムトンネル橋梁)の名門として知られ、「土木の名門」、「ダムハザマ」[2]などと称されていた。

土木分野は業界大手を誇った。特にダムについては業界トップ級で、国内の施工数は戦前では業界1位、戦後も業界2位を誇り[3]、日本国内では黒部ダム御母衣ダムなど数多くの実績を持つ。また、トンネル工事も業界大手級で関門トンネルや青函トンネルなど数多くの難工事を手掛けた。また「トンネル工事の名門」と評されていたゼネコンの中では珍しく佐藤工業を始めとする北陸系(飛島建設熊谷組前田建設工業)の企業ではなかった。

一方、建築分野でも、1997年から2001年まで世界一の高さを誇ったマレーシアペトロナスツインタワーなどを手がけた。また特殊建築としては、日本国内の江戸期城郭建築の復元工事に定評があり、鉄筋コンクリート構造の名古屋城会津若松城や、伝統工法による木造復元の白石城伊予大洲城などが知られている。

特徴[編集]

長い間、本社を外苑前駅周辺の所謂「青山」地区に構えていた。そのため、伊藤忠商事東京本社ビルやHonda青山ビル(Honda本社ビル)など青山周辺に本社を構える企業のオフィスビルの多くは当社が手掛けており、南青山・外苑地区に多くの施工物件を持つ。2002年に破綻した日産建設の本社は南青山に所在した。

また、3代目社長である神部満之助は「皇居工事1万円落札事件」(東宮御所造営工事入札建設省は5000万円を想定したが1万円で応じた)[4][5]を起こすなど皇室崇拝者で有名であり、外苑前に鎮座している明治神宮再建工事や、明治神宮野球場改修工事等も担当した。

1992年のピーク時には準大手規模の7000億の売上高を誇り、バブル期ゴルフ場開発や、ハザマ・ミサワ都市開発[6]を設立し宅地開発等を行っていたが、バブル崩壊後に前述の経営方針が祟り財務が著しく悪化した。奇しくもバブル崩壊を決定づけた山一證券の本社ビルであった茅場町タワーは当社の施工物件である。

2003年不動産部門と建設部門で会社を分割。不動産部門を継承した旧間組を青山管財に社名変更。建設部門を新会社として間組を設立。同社を安藤建設と資本業務提携するなどして経営を再建。

2012年5月には、さらなる収益力の強化を目指し、2013年4月1日付で資本業務提携先である安藤建設と対等な精神に基づいた合併をする計画を発表した[7][8]。吸収合併の方式による合併(存続会社は間組)で、商号は株式会社安藤・間となる[7][8]

沿革[編集]

歴代経営者[編集]

主な施工実績[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 安藤ハザマ 安藤ハザマ技術研究所ネットワーク通信 : 社会広聴活動レポート. 2017 (夏) (71)(経済広報センター, 2017-06-28)
  2. ^ 2006年(平成18年)4月度こうして倒産した・・・ | 月次詳細 | こうして倒産した・・・ | 最新記事 | 東京商工リサーチ”. www.tsr-net.co.jp. 2018年10月31日閲覧。
  3. ^ 小項目事典, ブリタニカ国際大百科事典. “間組(はざまぐみ)とは - コトバンク”. コトバンク. 2018年12月4日閲覧。
  4. ^ ハザマの次は西松建設? ゼネコン再編のターゲット”. ビジネスジャーナル/Business Journal | ビジネスの本音に迫る. 2018年10月31日閲覧。
  5. ^ a b 神部 満之助(読み)カンベ マンノスケコトバンク
  6. ^ (株)間組『間組百年史. 1945-1989 写真編』(1989.12) | 渋沢社史データベース”. shashi.shibusawa.or.jp. 2018年10月31日閲覧。
  7. ^ a b 安藤建設株式会社と株式会社間組の合併契約締結に関するお知らせ {{{1}}} (PDF) 間組側から発表されたリリース。2012年5月24日掲載・閲覧。
  8. ^ a b 安藤建設株式会社と株式会社間組の合併契約締結に関するお知らせ {{{1}}} (PDF) 安藤建設側から発表されたリリース。内容は前掲の間組からのリリースと同じである。2012年5月24日掲載・閲覧。
  9. ^ 間猛馬『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  10. ^ (株)間組『間組百年史. 1889-1945』(1989.12)渋沢社史データペース
  11. ^ a b c (株)間組『間組百年史. 1945-1989 写真編』(1989.12)渋沢社史データペース
  12. ^ 小谷清『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  13. ^ 『間組百年史 - 第 1 巻 』p53, p63

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 『間組年譜』(昭和十一年版)間組、1936年。
  • 『間組百年史 1945-1989 写真編』間組、1989年12月。
  • 大沢伸生、伊東孝『黒四・佐久間・御母衣・丸山:ダムをつくる』日本経済評論社、1991年8月。

外部リンク[編集]