ハイメ・アルグエルスアリ

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ハイメ・アルグエルスアリ
基本情報
フルネーム Jaime Victor Alguersuari Escudero
国籍 スペインの旗 スペイン
出身地 同・バルセロナ
生年月日 (1990-02-23) 1990年2月23日(34歳)
F1での経歴
活動時期 2009-2011
過去の所属チーム '09-'11 トロ・ロッソ
出走回数 46
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 31
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
最終戦 2011年ブラジルGP
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ハイメ・ビクトル・アルグエルスアリ・エスクデロJaime Víctor Alguersuari Escudero1990年3月23日 - )はスペインバルセロナ出身の元レーシングドライバー2008年に史上最年少でイギリスF3のチャンピオンとなった。2015年10月1日、モータースポーツからの引退を発表した[1]

F1デビュー戦における記者会見では、名前の発音を尋ねられた際にMy name is 'Heimi Al-gay-shuari'.(ヘイミ・アルゲイシュアリ)と名乗っている[2]テレビ朝日フォーミュラE中継での表記は「ハイメ・アルゲルスアリ」。「ジェイミー・アルグエルスアリ」の表記もある。

父は二輪のロードレース世界選手権50ccクラスにて1973年と1975年にワールドチャンピオンを獲得したハイメ・アルグエルスアリ・シニア

経歴

初期の活動

1998年カートデビュー、2003年2004年とヨーロッパICAジュニア選手権に参戦。

2005年にシングルシーターへ移行し、鈴鹿サーキットで開催されたFIAワールドカップ・アジア・パシフィック選手権で2位を獲得。またフォーミュラ・ジュニア・ルノー1600に参戦し、史上最年少で優勝も飾っている。その年のうちに将来のF1昇格を目指してレッドブル・ジュニアチームへと加入した。

2006年イタリア・フォーミュラ・ルノーに参戦し、最年少表彰台とその年のルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得する活躍を見せた。さらにフォーミュラ・ルノー・ウィンター・シリーズにも参戦し、4勝を挙げて最年少でタイトルを獲得している。

そして2008年、イギリスF3に初参戦、デビューイヤーにして最年少タイトルを獲得する活躍を見せた。さらにスペインF3選手権にも参戦、バレンシア市街地コース最初の勝者となる。

2009年はカーリン・モータースポーツからワールド・シリーズ・バイ・ルノーに参戦していたが同年7月1日、レッドブル・レーシングスクーデリア・トロ・ロッソの2チームのリザーブドライバーとなった。

F1

2009年、ドイツGP終了後にトロ・ロッソから解雇されたセバスチャン・ボーデに代わってレギュラードライバーに昇格し、ハンガリーGPでF1デビュー(15位完走)を果たした。19歳125日でのF1デビューは、マイク・サックウェルの史上最年少記録を更新した(2015年現在はマックス・フェルスタッペンの17歳165日が最年少)。また、ワールド・シリーズ・バイ・ルノーにも最終戦まで参戦していた。

2010年もトロ・ロッソに残留。第2戦オーストラリアGPではミハエル・シューマッハと抜かれるまで互角の勝負をすると、次の第3戦マレーシアGPで9位入賞を果たし、F1史上セバスチャン・ベッテルに次ぐ2番目の若さで初入賞を果たした。F1ドライバーとしての初の母国凱旋となる第5戦スペインGPでは10位入賞を果たす。その後、第14戦ベルギーGPでも10位フィニッシュとなり8戦ぶりのポイントを獲得に見えたが、他車をオーバーテイクする際シケインをショートカットしたとして決勝終了後に25秒加算ペナルティーを出され13位ポイント圏外に終わった。最終戦アブダビGPでは予選17位から這い上がり9位入賞を果たした。

2011年もトロ・ロッソからF1に参戦。第3戦中国GPの予選Q2ではセッション中に赤旗が出る波乱の展開になったが、他のチームよりも早めにアタックをしたことが功を奏して自身初のQ3進出を果たし、自己ベストの7番グリッドを獲得した。だが決勝では1回目のピットイン後、右のリヤタイヤが脱落しリタイアを喫した。第7戦カナダGP決勝ではピットスタートを選択、最後尾から追い上げるレースとなったが、荒れたレース展開の中でポジションを上げ8位入賞を果たした。イタリアGP韓国GPでは自身最高位となる7位入賞を果たし、インドGPでも8位入賞を果たした。

シーズン7度の入賞で26ポイントを獲得し、チームメイトのブエミと比較しても好戦績をおさめたが、2012年シーズンを前にチームはジャン=エリック・ベルニュダニエル・リチャルドとの契約を発表した為、アルグエルスアリはレギュラーシートを失った[3]。後にロータス(旧ルノーF1)とも契約交渉を行なっていたことを公表したが、2012年はピレリの開発テストドライバーとBBCのラジオ放送の解説を務めることになった。さらに2013年もピレリの開発テストドライバーを努めた。

フォーミュラE

2014-2015年は、新たに開催されるフォーミュラE選手権にヴァージン・レーシングからエントリー[4]。チームメイトのサム・バードが第2戦で優勝する一方、自身は決勝最高4位と差をつけられた。

アルグエルスアリは第9戦モスクワのレース後、脱水症状と極度の疲労のため失神し、精密検査の結果が出るまで国際自動車連盟 (FIA)からライセンスを一時停止された(最終2戦はファビオ・ライマーが代役出場)[5]。検査結果では身体の異常は見つからなかったが、2015-2016シーズンのフォーミュラE参戦を断念し、さらに2015年10月の記者会見でモータースポーツからの引退を表明した。

F1における記録

  • 元最年少完走

2009年第10戦ハンガリーGPにて19歳126日で樹立。⇒2015年第2戦マレーシアGPにてマックス・フェルスタッペンが17歳180日で更新。

レース戦績

F1

所属チーム Car-No. ランキング 獲得ポイント 決勝最高位・回数 表彰台回数 予選最高位・回数 FL記録回数
2009年 トロ・ロッソ 11 24位 0 14位・1回 0回 12位・1回 0回
2010年 17 19位 5 9位・2回 0回 12位・1回 0回
2011年 19 14位 26 7位・2回 0回 6位・1回 0回
チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 WDC ポイント
2009年 トロ・ロッソ STR4 AUS MAL CHN BHR ESP MON TUR GBR GER HUN
15
EUR
16
BEL
Ret
ITA
Ret
SIN
Ret
JPN
Ret
BRA
14
ABU
Ret
24位 0
2010年 STR5 BHR
13
AUS
11
MAL
9
CHN
13
ESP
10
MON
11
TUR
12
CAN
12
EUR
13
GBR
Ret
GER
15
HUN
Ret
BEL
13
ITA
15
SIN
12
JPN
11
KOR
11
BRA
11
ABU
9
19位 5
2011年 STR6 AUS
11
MAL
14
CHN
Ret
TUR
16
ESP
16
MON
Ret
CAN
8
EUR
8
GBR
10
GER
12
HUN
10
BEL
Ret
ITA
7
SIN
Ret
JPN
15
KOR
7
IND
8
ABU
15
BRA
11
14位 26

フォーミュラE

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
2014年-15年 ヴァージン・レーシング CHN
11
MAL
9
URU
5
ARG
4
MIA
11
LBH
8
MON
Ret
GER
12
MSC
13
GBR1
GBR2
9位 30

DJとしての活動

レーシングドライバーとしてのキャリア以外に、DJとしての活動も行っている。DJとしての名前は「DJ.スクワイア」として活動。以前より趣味としての活動があったようだが、本格的な活動として2010年頃より自身のレコーディングスタジオにて音楽制作を開始される[6]。2011年9月にブランコ・イ・ネグロ・レコードより初のアルバムがリリースされ、発売から5日でスペイン国内のiTunes1位を獲得している[7]

ディスコグラフィ

アルバム

発売日 タイトル 規格 規格品番
2011年9月13日 Jaime Alguersuari presents Squire, Organic Life ネット配信 B005M851IG

脚注

外部リンク