ハイジャック

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ハイジャック(Hijack)は、元来、乗物や運送中の貨物を強奪することで、1920年代のアメリカで密造酒を輸送するトラックや船舶から積荷を強奪する行為を指した。転じて、暴力脅迫によって交通手段(航空機鉄道船舶バスなど)の乗員・乗客を不法に占拠し、運行を妨害する行為。日本では、一般的に航空機内で発生した人質籠城事件を指すものと解されている。英語圏では、乗り物の種類を問わずハイジャックと呼び、航空機に関しては特に「スカイジャック」と称することがある。

犯行の主な目的は、乗員乗客を人質に取って金銭的・政治的要求を行うテロリズムが最も多く、また、国外逃亡の手段として航空機を占拠した上での亡命を図る場合もある。 生還の難易度が高く単独犯は滅多にないが、精神疾患や乗り物に対する異常な興味による奇怪な動機の犯行もわずかながら存在する。 世界的には、窃盗強盗強要に類する犯罪として扱われるが、公共交通機関に対するハイジャックを単なる強盗以上の重大犯罪に位置付ける国家も多い。

概要

1931年に初の飛行機ハイジャック事件が起きて以降、1940年代後半-1950年代後半はいわゆる東側諸国において西側諸国への亡命を目的としたハイジャックが多発した。1960年代後半-1980年代前半にかけてはパレスチナ解放人民戦線(PFLP)、日本赤軍バーダー・マインホフ・グループなどの左派過激派によるハイジャックが頻繁に起きるようになった。また、アメリカ合衆国では犯罪者などがキューバ行きを要求する通称「キューバ急行」が多発していた。

「ハイジャック」の単語の由来

ハイジャックの語源は様々に述べられている。有名なものは以下のとおり。

  • 追いはぎを意味する「Highwayman」と密猟者を意味する「Jacker」を組み合わせた単語である「Hijacker」から転じたもの
  • 「Stick'em up high, Jack(手を高く上げろ)」という強盗の文句から成立した
  • 駅馬車強盗が駅馬車の御者を呼び止める時に「Hi, Jack!」(やい、おめぇ)と声をかけた事から

したがって、対象が船でも車でも飛行機であっても、乗り物を乗っ取る行為はすべてハイジャック」である。しかし、日本においてはよど号ハイジャック事件の際に「Hi」を「高い(high)所を飛ぶ=飛行機」の意味と捉え、「jack」を「乗っ取り」の意味として捉えたため、その後交通機関以外にも何かを不正に乗っ取る事セッションハイジャックや放送電波への重畳を「電波ジャック」、番組への乱入を「番組ジャック」と呼ぶなど多数の「ジャック」を使った和製英語が生まれることになった。同様の造語は英語圏でも一部存在し、航空機乗っ取りを描いた「スカイジャック」なる小説が実在するように、この後に「スカイジャック(skyjack)」という言葉も生まれている。また、自動車を狙った「カージャック(carjacking)」という言葉も用いられることがある。このほか一般的とまでは言えないが「シージャック」に相当するseajackingも見られる[1]

英語圏では、ジャック (Jack) という名前が男性の一般的な略称であるため、ロサンゼルス国際空港のように、「Hi, Jack」(ハイ、ジャック)あるいは「Hey, Jack」(ヘイ、ジャック)と挨拶することは避け、不意の混乱を起こさないように呼びかけている場所もある。

主なハイジャック事件の一覧

1970年代以前

ペルーでアメリカ合衆国籍(パンナム機)の郵便飛行機が、同国の反政府グループが宣伝ビラを撒く為にハイジャックされた。世界で最初の事例とされる。
マカオから香港に向かう航空機がハイジャックされたが、犯行グループが誤って操縦士を射殺したため墜落し、首謀者以外全員が死亡。
チェコ航空のDC-3がハイジャックされ西ドイツに着陸。犯行グループ4人による亡命であったが、乗客2人も便乗して亡命。
北朝鮮工作員による航空機拉致事件。
アメリカ国内線のナショナル航空337便(コンベア440)がハイジャックされ、キューバに向かうように要求。アメリカで最初に成功したハイジャックである。犯人は14年後に逮捕されたが、法の不遡及の原則により当時は未制定だったハイジャック罪ではなく誘拐罪などにより懲役20年が言い渡された。
ノースウエスト航空ボーイング727がハイジャックされキューバへ。着陸した空港が狭かったという事情で乗客はDC-7で帰国し、ハイジャック機は回送便として帰還した。
ロンドンローマ経由テルアビブ行きの426便がローマを離陸した直後にパレスチナ解放人民戦線のテロリストにハイジャックされ、アルジェに向った。
ローマアテネ行きのトランス・ワールド航空840便がパレスチナ解放人民戦線のテロリストにハイジャックされ、ハイジャックは成功した。
トランス・ワールド航空ボーイング707型機がアメリカ西海岸上空で、同国海兵隊員にハイジャックされた。ピストルを突きつけ、まずはコロラド州デンバーへ着陸。その後、大陸を横断してジョン・F・ケネディ国際空港へ向かった。ここでアメリカ連邦捜査局(FBI)が機内突入を試みるが、犯人の脅迫により中止。その後国際線の機長を要求し、大西洋を超えてレオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港へ飛行。着陸後にようやく逮捕されたが、11,095キロを飛行し、ハイジャックの最長飛行記録となった。
大韓航空YS-11型機が江陵空港を離陸後ハイジャックされ、犯人が北朝鮮に向かうように要求。その後北朝鮮に着陸し、乗客乗員11名と機体は抑留されたままである。

1970年代

トランス・ワールド航空ボーイング707型機、スイス航空(2001年破綻、スイスエアラインズが引継いでいる)のDC-8型機、エルアル・イスラエル航空のボーイング707型機、パンアメリカン航空ボーイング747型機の計4機の旅客機が同時にハイジャックされ、同乗していた私服警備員が犯人を銃撃戦の末取り押さえたエルアル航空機と、着陸できなかったパンアメリカン航空機以外の旅客機がヨルダンの砂漠にある元イギリス軍の空軍基地跡地に強制着陸させられ、その直後にはブリティッシュ・エアウェイズ機もハイジャックされて同じ空軍基地に強制着陸させられた。その後、全ての乗客が解放された後に3機が同時爆破された。収監されている同志の釈放を狙ってパレスチナ解放人民戦線が起こした事件であった。
ハイジャックでは珍しい身代金を要求。犯人は飛行中の旅客機からパラシュートで脱出し以後消息不明。
ブリュッセルテルアビブに向っていたサベナ機がハイジャックされイスラエルの特殊部隊が制圧に成功した。
「被占領地の息子たち」と自称するパレスチナゲリラ日本赤軍の混成部隊が、アムステルダム東京行きの日本航空ボーイング747型機をハイジャックし、リビアベニナ空港に着陸。人質を解放後同機を爆破し、犯人はリビア政府の黙認の元逃亡した。
テルアビブからパリに向かったエールフランス航空139便がPFLPとバーダー・マインホフの混成グループにハイジャックされ、リビアベンガジを経由し、ユダヤ人以外の人質を釈放した後にウガンダエンテベに着陸。ウガンダの独裁者であるイディ・アミン大統領はPFLPを支持し、人質103名を空港ターミナル内に押し込めた。7月3日深夜、イスラエルの特殊部隊は人質を救出すべく救出作戦を決行。人質2名と強襲部隊指揮官のネタニヤフ中佐(後のイスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフの兄)が死亡したものの、そのほとんどを助け出した。この電撃作戦は3社で映画化され(「エンテベの勝利」「特攻サンダーボルト作戦」「サンダーボルト救出作戦」)世界中で物議を醸した。
スペインマリョルカ島パルマ・デ・マリョルカフランクフルト・アム・マイン行きのルフトハンザ航空181便(ボーイング737型機)が黒い九月を名乗るドイツ赤軍(バーダー・マインホフ)とPFLPの混成グループにハイジャックされ、ソマリアモガディシオに着陸させられたが、10月17日ミュンヘンオリンピック事件をきっかけに設立された西ドイツの対テロ特殊部隊である第9国境警備群(GSG-9)が急襲し人質全員を解放した。

1980年代

中華人民共和国中国民航の上海行きIl-18が5人組にハイジャック、機内で爆弾を爆発させ、負傷者を出したが無事に着陸。犯行グループは翌月全員処刑された。公表されているものとしては中国で最初のハイジャック事件。
瀋陽上海行き中国民航のトライデントTr-2E(B-296)が6名の武装グループにハイジャックされ、通信士と航法士が銃撃され負傷。大韓民国江原道春川市在韓アメリカ軍基地に緊急着陸。アメリカへの亡命を求め投降。犯人らは後にソウル地方裁判所で懲役2年から6年の実刑判決を受けたが、1984年8月13日に当時国交のあった中華民国台湾)へ亡命した。当時外交関係がなかった中韓両国が事後処理で朝鮮戦争後初の直接交渉を行った。なお犯行グループは「反共義士」として報奨金を受け取ったが、首謀者は後に誘拐殺人事件を引き起こし2001年に死刑になった。
ギリシアアテネからイタリアローマへ向かったトランス・ワールド航空847便(ボーイング727型機)が、地中海上空を飛行中にイスラム過激派を名乗る2人組にハイジャックされ、アメリカ人乗客が1名射殺される。その後、アメリカ政府はこの事件の報復としてリビアの指導者であるムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ大佐)の自宅を爆撃し、娘を含む親類や側近数名を殺害した。
アテネカイロ行きのエジプト航空648便(乗員・乗客計103人)が国際テロ組織「アブ・ニダル」にハイジャックされ、リビアに向かうよう要求。ハイジャックの目的は、中東問題に対するエジプト政府の姿勢に抗議するためであったが燃料が不足していたためハイジャック機はマルタに緊急着陸した。着陸後主犯格のオマル・レザックは乗客3人を射殺した。事件発生から25時間後にエジプトの特殊部隊が強行突入し、犯人との銃撃戦の末、ハイジャック機を奪還したが、この銃撃戦で乗客56名が死亡した。犯人3人のうち2人は死亡、主犯格のレザックは重傷で発見された。レザックはマルタでの裁判で懲役25年の判決を言い渡されたが、服役7年後に恩赦が行われ釈放された。しかしアメリカ連邦捜査局(FBI)は国際刑事警察機構の協力を得てレザックをナイジェリアで拘束した。現在、レザックはアメリカで終身刑に服している。
パキスタンカラチの空港で、パンアメリカン航空73便がアブ・ニダルにハイジャックされ、同国軍部隊との銃撃戦などにより、乗客・乗員20人が死亡[2][3][4]
北京上海経由ニューヨーク行きとしての運行中の中国国際航空公司CA981便(ボーイング747・乗員23名、乗客200名)が上海に向かう途中ハイジャックされ日本に着陸。犯人は政治犯と主張したが、中国に引き渡され刑事犯として懲役8年が確定。

1990年代

中華人民共和国福州広州行きの中国南方航空機がハイジャックされ、その後同機は犯人の指示通りに台北の中正国際空港(現台湾桃園国際空港)に着陸し犯人は投降後、公安当局に拘束された。亡命が目的と思われる。
アルジェリアオルリー空港行きのエールフランス機が武装イスラム集団にハイジャックされフランス国家憲兵隊治安介入部隊が人質を救出した。
ハイジャック犯が到達不可能なオーストラリア行きを要求し、途中のコモロで燃料欠乏の為墜落。

2000年代

キャンジェット航空918便が、ジャマイカモンテゴ・ベイで武装した男にハイジャックされた。

日本におけるハイジャック

日本においては、特に1970年3月31日の赤軍派によるよど号ハイジャック事件(よど号乗っ取り事件)が初のハイジャックとして有名である。これは運輸政務次官・山村新次郎が人質の身代わりになり、犯人グループが北朝鮮への亡命に成功するなど、解決に際して非常に問題の多い事件であった。さらに、この時点ではハイジャック自体を処罰する法律は存在しておらず、この事件を受けて、航空機の強取等の処罰に関する法律、いわゆる「ハイジャック防止法」が成立し施行された。なお、日本航空のハイジャック事件は日本航空ハイジャック事件、全日空のハイジャック事件は全日本空輸ハイジャック事件もそれぞれ参照。

日本国内で発生した主なハイジャック事件

「ハイジャック防止法」が初めて適用された事件である。
日本赤軍がバングラデシュダッカでハイジャック事件を起こし、この時は日本政府に超法規的措置として、服役中のメンバー6人を釈放させている。このダッカ事件を契機に、警視庁大阪府警察、一部の道県警察では、ハイジャック(他、一般の日本の警察官機動隊では対応し切れない事件)に対応する特殊部隊としてSATを組織している。
羽田空港函館空港行きの全日空のボーイング747SR型機が休職中の銀行員により占拠される事件が発生、翌日警視庁特殊部隊が突入し解決。
航空機と運航システムに異常な興味を示した犯人が客室乗務員を脅し操縦席に乱入、機長を刺殺して操縦桿を握り、機体を急降下させた。日本で初めて人質が死亡したハイジャック事件となった。
ハイジャックを除く民間航空機に対して行われたテロ行為や破壊行為については、航空機テロ・破壊行為の一覧を参照のこと。

ハイジャック防止のための取り組み

1970年代初頭に過激派などによるハイジャックが頻繁に起きるようになり、各国はその対応に追われ、空港でのセキュリティチェックの強化やハイジャックに対応した特殊部隊の創設などを行った。また、1978年、西ドイツのボンで開催された第4回7カ国首脳会議では、「航空機ハイジャックに関する声明(ボン声明)」が採択された。

1978年3月に新東京国際空港は日本発のハイジャック防止組織として成田国際空港に財団法人空港保安事業センターを開設した(なお、センターの本部は東京国際空港である)。

1980年代-1990年代にはその勢いは一時的に収まったものの、アメリカ合衆国2001年9月11日、ハイジャックされた航空機によるアメリカ同時多発テロ事件が発生したことから、ハイジャックの防止は再び世界的課題となる。

各国の空港で手荷物・身体検査・本人確認の徹底や乗客名簿の公安当局への提出、鋏付きソーイングキットやミニ爪切りなどあらゆる“刃が付いた・棒状鋼”の機内持ち込み禁止、果ては機内食カトラリー(スプーン・フォーク・ナイフ)がスチール製から樹脂製へ変更されるなど(エコノミークラスのみ。ビジネスクラスファーストクラスでは現在もステンレスを採用している航空会社もある。)、警備が大幅に強化されるようになった。

2007年2月23日、アメリカ合衆国国土安全保障省は、ヒト一人の全身を透視出来る、大型全身X線スキャナを空港に試験導入(被検者は金属探知で異状ありとされた人物に限るという)。これにより危険物持込や薬物密輸阻止に資するとしているが、アメリカ自由人権協会は“搭乗予定者を裸に剥くも同然であり人権侵害”として、議会に完全実施の禁止措置を要請している。

ハイジャックに対応する保安要員として、スカイマーシャルが搭乗する国もある。アメリカ(連邦航空保安局)やイスラエルにおいては、ハイジャックに際してはスカイマーシャルに犯人への対処を任せつつ、パイロット強化ドアに護られたコクピットに篭って、一刻も早く機体を緊急着陸させることとなっている。

2010年1月、イギリスヒースロー空港を始めとする全ての空港に全身スキャナーを導入、搭乗者に搭乗前通過を義務付けている。

ハイジャックを扱った作品

映画

ジョン・ギラーミン監督、出演はチャールトン・ヘストンジェームズ・ブローリンイヴェット・ミミュー、音楽ペリー・ボトキン・ジュニア。妄想に駆られた者がアメリカ合衆国の国内線旅客機を乗っ取りモスクワに行けと要求するが、ソヴィエト連邦はその受け入れを拒否する。
山本薩夫監督、出演は渡瀬恒彦吉永小百合高橋悦史山本圭、音楽佐藤勝クーデターを起こした元陸上自衛隊の藤崎隊が寝台特急さくら号を制圧し東京に行けと要求する。
ケビン・フックス監督。
スチュアート・ベアード監督。
ウォルフガング・ペーターゼン監督。VC-25エアフォースワン」をハイジャックしたテロリストとの闘いを描く。
サイモン・ウェスト監督。輸送機をハイジャックした凶悪犯と元陸軍突撃隊員との闘いを描く。
エド・レイモンド(フレッド・オーレン・レイ)監督。ボーイング747をハイジャックしたテロリスト特殊部隊の闘いを描く。劇中では何故か747の初号機のデモカラーが用いられていた。
ポール・グリーングラス監督。ユナイテッド航空93便テロ事件を扱ったノンフィクションの映画。
ジャウマ・コレット=セラ監督。 航空保安官のビル・マークスと姿の見えないハイジャック犯との戦いを描く。

漫画・アニメ

  • ゴルゴ13(1968年〜)
    さいとう・たかを作。ゴルゴ13においても、7巻「AT PIN-HOLE!」・19巻「ジェット・ストリーム」・49巻「ガリンペイロ」・118巻「未明の標的」・134巻「高度7000メートル」などのエピソードでハイジャックが主題となっている(巻数はリイド社SPコミックスを示す)。
  • エロイカより愛をこめて
    青池保子作。NATO情報部将校「鉄のクラウス」から「ルビヤンカ・レポート」を奪取するため、KGBの「銀のオーロラ」がロンドン発ボン行きのルフトハンザ機をハイジャックする。

小説

  • シャドー81
    ルシアン・ネイハム作。ハイジャッカーは最新鋭の戦闘機を操るパイロットで、乗っ取った機内にはいない。対象の旅客機の背後につき、後方から空対空ミサイルという“銃”を突きつけて政府を脅迫する、変り種作品。

ハイジャック派生の言葉一覧

宣伝広告としても用いられる。

脚注

関連項目

外部リンク