ノート:神道

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無題01[編集]

国家神道とその近・現代日本史に対する影響も記載されるべきだと考えます。

いずれ書きたいと思っています。Stanislaus 22:28 2004年1月7日 (UTC)
報告 マニュアルに則り、ノートの整理を目的としてセクションを設定させていただきます。--Cyclops会話2019年8月6日 (火) 22:33 (UTC)[返信]

無題02[編集]

日本の神の一覧を作ったので、以下の文章を削除させていただきました。以下の内容は折々、各項目に入れていけばよいと思います。Stanislaus 22:28 2004年1月7日 (UTC)

特殊な神々[編集]

怨霊 荒魂和魂

神仏習合

陰陽道の神々との習合   世界観の接点で同じ役割にある神を同一と見なすように

報告 マニュアルに則り、ノートの整理を目的としてセクションを設定させていただきます。おかしな仕切り方でノート全体に影響を及ぼしているのも、合わせて直させていただきます。--Cyclops会話2019年8月6日 (火) 22:33 (UTC)[返信]

ポピュラーな祭神[編集]

(まだ項目だけ。なお皇族については、ここでは人物名・天皇名表記でなく、祭神としての表記を書きたいところです。祭神個々には記事のページは必要ないかも。 - Gombe 05:48 2003年3月20日 (UTC))

参拝方法を神社に移してはどうでしょうか[編集]

はじままして。参拝方法なのですが、神道ではそこまで具体的なものはいらないように思います。神社の項目に移動させてはどうでしょうか?Izayohi 2004年11月17日 (水) 03:30 (UTC)[返信]

神社と寺院の建築様式[編集]

「神社は決して寺に似ないようにデザインされる。」のコメントアウトについてですが、あながち全くの間違いという訳ではないです。神社建築の成立の過程は不明のようですが、寺院の影響を受けて今の形式ができたのは確かです。しかし、神社建築がまた、寺院の影響を受けつつも寺院建築との差異を明確にしようとしたことも一部では事実です。
『神社と霊廟』(小学館)によると、「礼拝の対象としての神殿を建てるという発想自体、すでに仏教からの影響によるのかもしれない」としつつも、古い神社建築が、切妻屋根・素木造・掘立柱・高床を選んだのは仏教建築の要素の排除を意図したものとしてあります。神社建築への仏教建築の影響が、神社建築側の一方的な受容で、神社建築側の積極的な選択がなければ、宝形や寄棟の屋根をした神社もありえたはずなのに、それらは歴史的にはありませんでした。神社建築が仏教建築である入母屋造を採用したのは、そこに妻の存在を重視する神社建築側の選択があったからです。また、神仏習合の段階においても、神仏習合が色濃かった日吉大社において、同社の神社建築が入母屋造の後部を切り落とした独自の形式を採用したのは、寺院建築の強い影響下にありながら、いやあるがゆえに、仏堂との類似を意識的に避けられたことにあるようです。
もちろん一方には仏教建築と全くかわらない神社もあるわけですが、それは原形からの歴史的変遷といえるもので、それに沿うように記述すべきなのでしょう。この一文は 2003年9月11日 (木) 17:48に加えられたようですが、上記の理由で、私は上記の文をそのままにしておりました。とはいうものの「神社は決して寺に似ないようにデザインされる。」だけでは説明としては不十分で誤解を招くのは確かです。別の文章を考えたほうがよさそうです
Stanislaus 2005年1月15日 (土) 12:55 (UTC)[返信]

  • 「決して」と云ふことはないだらうと思つてコメントアウトにしたのですが、なるほど、さうですか。書くとすれば神道よりも神社神社建築に「歴史」とか「神社建築の流れ」と言つた形で載せるのが良いと思ひます。nnh 2005年1月17日 (月) 01:50 (UTC)[返信]

建築樣式には「和式」か「唐式」か、といふ軸もありますね。主に「唐式」は寺院で採用される物ですから(權現造りはその最たる物)、神・佛の軸でみても同じといへば同じです。 神として認識される佛(佛が神の片鱗であるとする説、神本佛迹説的發想)では「唐式」を選ぶ事も多いでせう。ともかくも、今後建築論は神社乃至は神社建築を參照ください。 必要と在らば建築に關する頁を移しませう。--Qoo 2009年5月11日 (月) 16:51 (UTC)[返信]

よく解らない記述[編集]

「性善説に立つ。」と言う記述がありますが、聞いた事がありません。確かな説明なのでしょうか?221.191.139.194 2005年5月16日 (月) 00:51 (UTC)[返信]

人は神の賜物である~人は即ちアメガシタ(天下)のミタマモノ(神物)なり~とか、四魂の安定が保たれているときはアメノミナカヌシノカミ(天之御中主神)と同等だという点から性善説と評価するむきが多いようです。一方、神道は本来性善説、性悪説といった分け方をせず大本はただ神だと考えるのみ、との解釈もあるようです。--58.89.84.85 2005年7月3日 (日) 22:19 (UTC)[返信]

  • 延喜式(907年)以降、天皇が祭司権を支配するようになったため、本来のものは失われていると歴史学者の多くは信じているが、あくまで形式上の話である。それは日本の実効支配者の変遷をたどると一目瞭然である。

の部分は端的に意味がわかりません。また、この部分がなにか学者の多数派はまちがっているというようなことを述べようとしているのであれば、wikipediaに載せる内容としてはちょっとどうかと。

もう一点、日本文明というものがあるというのは、主張しているひともいますが、一般的な見解とはいえないのでとりあえず削除しました。独自性を強調したければ文化で十分だと思います。--Clinamen 2006年5月19日 (金) 17:12 (UTC)[返信]

Shinto Foundation of the United Kingdom[編集]

いかなるものでしょうか。連絡してみましたがメールが届きませんでした。--Timtak 2007年4月3日 (火) 05:08 (UTC)[返信]

リンクも切れているので削除しました--修理屋 2007年8月30日 (木) 01:57 (UTC)[返信]

要出典とされている複数個所[編集]

長々と範囲指定したものを含め多数あり、指摘している事がハッキリしません。ノートにてご指摘お願いします。ノートに記載が無くそのままであればタグを削除します。--124.147.109.140 2011年10月24日 (月) 13:09 (UTC)[返信]

今、ざっと眺めてきましたが、いずれも個人的感想や印象の類いであり、感覚的には是認できる内容ではあるものの、残すためには出典が必要な程度には特殊な内容ですので、タグの除去ではなく記述内容自体を除去して差し支えないものと考えます。--ろう(Law soma) D C 2011年10月25日 (火) 00:25 (UTC)[返信]
宇佐八幡宮の『四拍手』については、宇佐神宮の公式ホームページでも書いていますので、要出典の範囲には含まれないものと考えますので、編集します。--121.111.119.28 2012年1月7日 (土) 13:23 (UTC)[返信]

神道の定義[編集]

神道国際学会は神道について『神道とは日本の土着の宗教です。日本の古代から現代に続く民族宗教であり、日本人の生活文化の全般に浸透し、しかも外来文化を受け入れて、日本的に変容させるというエネルギーをもっています。その原点は古来の民間信仰と儀礼の複合体で、動物や植物その他生命のないもの、例えば岩や滝にまでも神や神聖なものの存在を認めるいわゆるアニミズム(精霊信仰)的な宗教です。』としています。他にも神社本庁は『神社を中心とした、日本の神々への信仰が神道です。』としており、神道の定義について『特に大きな論争がなく~』というのは誤りです。『山や川などの自然自然現象、また神話に残る祖霊たる神、怨念を残して死んだ者などを敬い、それらに八百万の神を見いだす多神教。自然と神とは一体的に認識され、神と人間とを取り結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた。』というのは、あくまでも岡田莊司氏による見解に過ぎませんので明記が必須です。WP:AWWを参照してください。複数の神道の専門家や研究者による見解をひとまとめにしてしてしまうことも編集者の独自見解になってしまい、まずいことです。--番組の途中ですが名無しです会話2015年11月17日 (火) 13:42 (UTC)[返信]

海外版の記述は日本語版における正当性の理由になりえません。WP:AWWを参照してください。--番組の途中ですが名無しです会話2015年11月17日 (火) 13:48 (UTC)[返信]

WP:SYNも併せて参照してください。--番組の途中ですが名無しです会話2015年11月17日 (火) 13:50 (UTC)[返信]

このページ冒頭における神道の定義の出典は1つしかありませんし、その1つについて専門家によって見解が異なります。よって『「神話の主要登場人物は神や超自然的なヒーローが多い」に3人の出典の名前を書きますか?』というのは全く例として不適切になっています。--番組の途中ですが名無しです会話2015年11月17日 (火) 14:00 (UTC)[返信]

例えば、「神道は古代日本に起源をたどることができるとされる宗教である。宗教名の多くは何教と呼称するが、宗教名は神教ではなく「神道」である。伝統的な民俗信仰・自然信仰を基盤に、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した」では2人分の名前を出しておられましたが、同様に近い記述を3人が述べていたら3人分の名前を出すのでしょうか。例えば英語版では神道の説明でもきわめて長い説明と多くの出典がなされておりますが、基本的に人物名は一つも入っておりません。あちこちの記述に~~はこう述べているとつけて回っているようですが、中立性の拡大解釈ではないでしょうか。そもそもドラッグすればどこの本の出典、誰の本の出典は一目瞭然であることを忘れるべきではないと思われます。--Rion0930会話2015年11月17日 (火) 14:11 (UTC)[返信]

「3人が述べていたら」というのはあなたの仮定であり、仮定の質問には答えられません。もう一度WP:AWWWP:SYNを参照してください。複数の出典がついている文章をつなぎ合わせる際には各々の出典者の名前を書かなければいけません。英語版の記述が日本語版における正当性にはなりえません(2度目)。中立性や「ドラッグすればどこの本の出典、誰の本の出典は一目瞭然であることを忘れるべきではないと思われます。」という問題ではなく、WP:AWWWP:SYNというルールに基づいて記述しなければいけません。--番組の途中ですが名無しです会話2015年11月17日 (火) 14:18 (UTC)[返信]

例えば神社本庁の記述では「神道の神々は、海の神、山の神、風の神のような自然物や自然現象を司る神々、衣食住や生業を司る神々、国土開拓の神々などで、その数の多さから八百万の神々といわれます。さらに、国家や郷土のために尽くした偉人や、子孫の行く末を見守る祖先の御霊も、神として祀られました」と書かれており、先祖を神社に祀ることに関する記述という面で岡田莊司氏に近い記述になっております。定義といっても全てで必ずしも絶対的に同一というわけではないのです。ちなみにこれは英語版だけではなくドイツ語でもスペイン語でも同じです。日本語の他の多くのページでも同様です。過剰に「~によると」を本文に出し続け、本文を煩雑にするようなことはしておりません。もう一度いいますが、特に大きな論争はありません。WP:AWWWP:SYNというルールを乱用しているだけということに気づくべきではないでしょうか--Rion0930会話2015年11月17日 (火) 14:29 (UTC)[返信]

神道国際学会のように神道をアニミズム的宗教と扱うか、岡田氏のように多神教と扱うか、この時点で大きな違いがあります。この2つは別概念です。よって、岡田氏の見解に過ぎず、WP:AWWに基づいて明記が必要です。--番組の途中ですが名無しです会話2015年11月17日 (火) 14:44 (UTC)[返信]

いえ、神道国際学会でも「神道は、「多神教」と定義することができます」という記述しております。その他各種神社のHPにおいての説明でも神道は多神教と説明されております。--Rion0930会話2015年11月17日 (火) 14:50 (UTC)[返信]

確認したところ、「多神教」としたのは神道国際学会ではなく、「神道国際学会のワークショップにメッセージを寄せたトーマス・ベリー博士」です。--番組の途中ですが名無しです会話2015年11月17日 (火) 14:57 (UTC)[返信]

いえ、違いますよ。トーマス・ベリー博士から寄せられたメッセージはそれは上の『神道から教えられる普遍的なものは~~大いに癒されることができるかもしれない。』の部分です。あと、我々がおそらく同一のところを見ているであろうページも基調講話の内容に過ぎません。--Rion0930会話2015年11月17日 (火) 15:06 (UTC)[返信]

説明の通り、多神教アニミズム汎神論、「宗教ではない(大日本帝国政府)」等、神道の定義については未だに論争がありますので、WP:AWWに基づき出典の表記に差し戻します。--番組の途中ですが名無しです会話2015年11月20日 (金) 13:54 (UTC)[返信]

加えてRion0930さんの差し戻しは他の編集も巻き込んで差し戻していますのでとても悪質です。1つ1つ記述を確認してから差し戻しを利用するようにしてください--番組の途中ですが名無しです会話2015年11月20日 (金) 14:39 (UTC)[返信]

いまいち争点がわからないのですが、「神道の定義については未だに論争があります」とはどういうことでしょうか。「多神教ではなくアニミズムである」など、現在この節で問題になっている概念をめぐって具体的に神道研究者が学術文献でお互いに批判し合っている(=論争がある)ということならば出典をお願いします。自分の知るかぎりでは「多神教」と「アニミズム」と「汎神論」は相互排他的な概念ではないので、「この時点で大きな違いがあります」という認識は極端だと思うのですが。--toroia会話2015年11月20日 (金) 15:47 (UTC)[返信]

ノートで議論中の状況での編集なので差し戻します。各神社のHP、大本の神社本庁の説明、神道国際学会、神道が多神教であることを否定する大きな論争はありません。そもそも神道国際学会でもアミニズムという説明と多神教である説明が両方行われているようにこれは対立した概念ではありません。例えば多神教であることのソースに神社本庁と神道国際学会と神社のHPの説明で3つのソースを載せたら多神教であるかは論争があるので「神社本庁と神道国際学会と某神社は神道は多神教としている」等と説明を載せるのでしょうか。そろそろいい加減にしてくださいませんか?--Rion0930会話2015年11月20日 (金) 18:38 (UTC)[返信]

WP:AWWにある通り記述する意見が主流とは言えない偏った意見に該当するかどうかも見る必要があります。定義の部分にしても「山や川などの自然や自然現象、また神話に残る祖霊たる神、怨念を残して死んだ者などを敬い、それらに八百万の神を見いだす多神教」と「自然と神とは一体的に認識され」と「神と人間とを取り結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり聖域とされた」に分解しても簡単にそれぞれ2つか3つソースがつくほど常識的な話です。他も同じようなレベルです。ましてや神道を多神教とすることが主流とは言えない偏った意見というのには無理があります。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい/解説にも「ルールを適用するときには常識を用いてください。」とある通り、まずは常識的な視点を持つことが大切です。--220.111.135.51 2015年11月20日 (金) 21:47 (UTC)[返信]

何度も書きますが神道の定義についてはまだまだ論争があります。久邇邦昭さんが今年出された「少年皇族の見た戦争: 宮家に生まれ一市民として生きた我が生涯」においては、神道を「村の祭に端を発した日本民族固有の宗教」と定義しており、同時に「神道を単なるアニミズムとしてさげすむ考え方は浅見をいわざるをえない」として、神道を「民族宗教」とカテゴライズし、「多神教やアニミズムとはまた違う」としています。久邇さんは伊勢神宮の大宮司を勤めた方でもあり、神社本庁の統理を10年間勤めた方でもあります。そういった方と、この記事の記述である岡田氏の定義は相違があります。ここで重要なのは「神道の定義としてどちらが正しいか」ということではなく、「誰がその定義をしているかと明確に記述しておくこと」です。それを勘違いして、「論争はない」という嘘をついたり、「多神教というのが主流だ」というデマを流したりするのはよくないことです。現状の記述では主語がなく一般論として扱われてしまいますので、WP:AWWに基づき出典の表記に差し戻します。--番組の途中ですが名無しです会話2015年11月25日 (水) 12:24 (UTC)[返信]

加えてRion0930さんの差し戻しは他の編集も巻き込んで差し戻していますのでとても悪質です。1つ1つ記述を確認してから差し戻し編集するようにしてください。これで二度目です。--番組の途中ですが名無しです会話2015年11月25日 (水) 12:31 (UTC)[返信]

神道に関する文献が何千・何万とあるなかで、主流の解釈に対して異議を唱えている、学術書でもなくまして宗教学の研究文献でもない本の記述をたった一つ出されて「論争がある」と主張しても、誰も説得されないでしょう。せいぜい「神道関係者のなかにはアニミズムや多神教という定義を嫌う者もいる」程度の注があれば十分です。上にも述べましたが、専門家たちが学術文献でお互いに批判し合っている様子はみられない以上、「論争がある」と主張するのは不可能です。またRion0930さんの文章を厳密に見ますと「大きな論争はありません」と述べており、「論争はない」と一般化して「嘘をついたり」と貶めるのは適切な行為ではないでしょう。また、「多神教というのが主流だというデマ」という表現も適切ではありません。たった一つの文献だけをもとに、膨大な文献のある分野について「主流ではない」と判断することは不可能です。いずれにせよ、WP:YESPOVの「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない」の「その主張が誰のものかを記述する必要はありません(しかし出典脚注は検証可能性を満たす助けとなります)。また、その説について論争が存在するかのような表現で記述すべきではありません」に従って、煩雑な出典の記述は削るべきです。--toroia会話2015年11月25日 (水) 15:39 (UTC)[返信]
ついでに言うと、「アニミズム」と「多神教」を相互排他的なものだと勘違いするほど基礎知識のない方が「論争のある・なし」を理解できるとは思えません。--toroia会話2015年11月25日 (水) 15:43 (UTC)[返信]
神道に関する文献が何千・何万とあるなかで、主流の解釈に対して異議を唱えている、学術書でもなくまして宗教学の研究文献でもない本の記述をたった一つ出されて「論争がある」と主張しても、誰も説得されないでしょう。

久邇氏の経歴については既に書きましたよ。もう一度お読みください。

「アニミズム」と「多神教」を相互排他的なものだと勘違いするほど基礎知識のない方が「論争のある・なし」を理解できるとは思えません。

相互排他的なものと言ってませんよ。別概念と言っただけです。アニミズム≠多神教。加えて久邇氏は民族宗教と言っていますね。

専門家たちが学術文献でお互いに批判し合っている様子はみられない以上、「論争がある」と主張するのは不可能です。

それはあなたの感想に過ぎないです。『論争』・・・違った意見をもつ人たちが,それぞれ自分の説の正しさを主張して論じあうこと。(大辞林)「専門家たちが学術文献で」という前提条件はありません。

--番組の途中ですが名無しです会話2015年11月25日 (水) 16:03 (UTC)[返信]

その本の著者の経歴をみたところで私の意見を覆せるものは何もありません。そもそも彼は客観的な専門家ではなく当事者であり、むしろ偏った主張として扱う必要があります。もし「主流」とみなしたいのなら、それはあなたの感想にすぎません、と言っておきます。
別概念で定義できるからといって論争があると言うのは、「キリスト教は創唱宗教である」と「キリスト教は一神教である」という記述があった場合「そこに論争がある」とみなすのと同じくらい見当はずれだ、ということを理解してください。異なった類型論にもとづいていくつかの概念を適用することができるというだけで、論争があるとはみなせません。
「違った意見をもつ人たちが,それぞれ自分の説の正しさを主張して論じあうこと」とあるように、複数の人間が「論じあい」という舞台にコミットしていなければ「論争」にはならないので、一人だけが「アニミズムではない」と言って舞台にあがったところで論争とは見なせません。--toroia会話2015年11月25日 (水) 16:16 (UTC)[返信]
大量の書籍、大量の意見がある中でそれに反論する一つを針小棒大にとらえ、「神道は多神教というのが主流だというデマ」とし、一つ一つに名前を明記する基準で編集するのならwikiの全ての記述が崩壊されるでしょう。番組の途中ですが名無しです氏の現在していることはWP:AWWWP:SYNを悪用した記述破壊にすぎません。他も含めてですがWP:AWWにある通り記述する意見が主流とは言えない偏った意見か、主流はどうかも神社本庁でも神道国際学会でも論文でも神社のHPでも構いませんが読めば一発で分かる話でしょうに。常識を持ってくださいといったはずです。上で他の方のキリスト教の言及がありますが、あなたのしていることは「キリスト教は一神教とはいえない」という言論がどこかであったらキリスト教を一神教というのが主流だというデマとし、キリスト教が一神教であると述べている膨大すぎる人間の中の一人の名前を記述に入れるのと同じほど愚かです。他の膨大な記事で秩序を持って大方行われている基準と比べても明らかに異様なことをしていることが理解できないのであれば、残念ながら悪意を持ってWP:AWWWP:SYNの悪用をしていると考える他ありません。--220.111.135.51 2015年11月26日 (木) 17:39 (UTC)[返信]

完全に主観ですね。ここまで読むと、具体的に著書を挙げて答えられる方が誰一人いないのですね。「神道は多神教と定義するのが主流である」という根拠のある出典を示せるのなら、私も納得できるのですが。そういったものを示せないということは、結局はまだ定義は曖昧で論争の余地があるということになるのですね。よってWP:AWWWP:SYNに基づいて主語を明記することが正当になります。

--番組の途中ですが名無しです会話2015年11月27日 (金) 13:23 (UTC)[返信]

上でも述べられているように、多神教だというのは「常識」であって、いちいち出典を示すまでもない、と他の誰もが考えているので示していないまでのことです。なので私としても示す必要を感じないのですが、せっかくなので一例を。神道国際学会編『神道 その普遍性』には「日本の神道は普通、多神教だといわれます」とあり、多神教だというのが一般的見解だと述べられています。というわけで、反論をなさりたいのなら、「神道の定義については論争がある」ということを具体的に示した文献を挙げてください(すでに述べたように、「アニミズムではない」という単一の「反論」ではなく、「違った意見をもつ人たち」が「論じあ」っていることを明確に示している文言の引用が必要です)。--toroia会話2015年11月27日 (金) 15:49 (UTC)[返信]
神社本庁1神社本庁2神道国際学会他宗教との比較。そもそも唯一神に対するキリスト教と、八百万の神々に対する神道。一神教と多神教であり、総本山的な場所を含めこの当たり前のことが説明されているわけですが、いい加減これすらわかりませんか?主観主観と連呼する前に、これまでの会話内容をよくお読みください。反する言論がどこかで一つでもあったら針小棒大にとらえ、上で述べたように「神道は多神教というのが主流だというデマ」や「キリスト教を一神教というのが主流だというデマ」として一つ一つに名前を明記する基準でwikiを編集していくことは全ての記述の破壊にしかなりません。WP:AWWWP:SYNを含むルールは、自分の望んだ編集をする時に「のみ」にを伸び縮みさせて利用するものではありません。あなたのしていることは"ルールの悪用" のリンク先で説明されていることそのままであり、「方針熟読期間」のブロックを受けてもまだわかりませんか?--220.111.135.51 2015年11月27日 (金) 16:22 (UTC)[返信]

利用者:番組の途中ですが名無しです会話 / 投稿記録 / 記録は先ほど無期限ブロックになりましたのでお知らせします。--MX1800会話2015年12月11日 (金) 04:05 (UTC)[返信]

神典が聖典ではないという記述は明らかに事実に反しているので、出典を多数示した上で訂正しました。--象潟会話2016年3月23日 (水) 16:36 (UTC)[返信]

反神道[編集]

What is Antishinto?[編集]

理由もなく神道が基本的に嫌いな人 950CMR会話2021年8月5日 (木) 19:13 (UTC)[返信]

コラージュ画像[編集]

[1][2]@しんぎんぐきゃっと and Ahirudaisuki:争いのあったコラージュの件について、プロジェクト‐ノート:神道#神道を表す画像に「だるま」が?Wikipedia:井戸端/subj/神道を表す画像についての議論が提起されました。 --2001:240:241E:BE57:AB9D:56F0:15BF:4CE3 2021年1月17日 (日) 09:01 (UTC)[返信]

感謝 お知らせいただきありがとうございます。--しんぎんぐきゃっと会話2021年1月17日 (日) 09:08 (UTC)[返信]

私が問題だと思ったのはむしろ「ぼかし」のほうなのですが、そちらはだるまについての議論のようなのでここに自分の意見を書かせていただきます。
ぼかしそのものの是非はひとまず置くとして、ぼかしに限らず加工された画像を使用するなら注釈を入れて閲覧者にそのことを知らせなければならないはずです。
でなければ他の画像も加工されたものかどうか区別がつかないという状態になってしまいます。
そして注釈を入れるからにはそうしてまでその画像を使う理由が必要ですが、私には思いつきませんでした。
そういったわけで画像を非表示にした次第です。--Ahirudaisuki会話2021年1月20日 (水) 05:24 (UTC)[返信]

発音[編集]

「しんどう」の発音についてお聞きします。日本語は母国語ではありませんから、変な言葉遣いがありましたらお許しください。

英語の Wiktionary で活躍しています。向こうで「神道」の項目を編集しているところで、新しいユーザが「しんどう」の読みを付け加えました。自分にとってこれが初耳で、確認するようこちらのページを閲覧しましたら、やはり「しんどう」の読みがこちらにも載っています。

とは言えども、この時点から、IPユーザが「しんどう」の発音をページに追加しました。リンクされた大辞泉の項目に乗っている通り、「しんどう」という発音は存在するようです。が、現代日本語では「神道」を「しんどう」と読む場合はありますか?それとも、「しんどう」は歴史的に見つかる発音で、現代では使われていない発音なのでしょうか。

皆様、ご意見のほどよろしくお願いします。 ‑‑ Eiríkr Útlendi │Tala við mig 2021年4月1日 (木) 19:05 (UTC)[返信]

返信 (利用者:Eirikr宛) 神道の読み方がどのように変化したかについては議論がありますが、1419年に良遍という僧が行った『日本書紀』の講義の記録には、「神道は『しんとう』と読む」と説明されており、少なくとも15世紀までには、神道家の間で神道は「しんとう」と読まれるようになっていたようです。それ以前には「じんどう」などとも読んでいたようですが、現在においては通常「しんとう」と読みます。(伊藤聡『神道とは何か』中公新書(2012)281−282p参照)--竹野和貴会話2021年8月1日 (日) 07:53 (UTC)[返信]

分類についての提議と節に関する提議[編集]

提議させていただきたいことが2点ございます。

1点目は、「分類」の節についてなのですが、「皇室神道」から「国家神道」までは、神道の形態によって分類されているにもかかわらず、橘家神道から烏伝神道までの4つに関しては、神道の一流派に過ぎないものとなっており、バランスが良くないのではないかと思われます。これらを分類の節に載せるのであれば、伊勢神道や吉田神道、垂加神道など一つ一つの神道流派を分類節に記載していかなければならず、煩雑になるので、橘家神道から烏伝神道の4つの説明に関しては「神道諸派」の節に移動することを提議いたします。

2点目は「戦前の教科書の神と神代」という節についてなのですが、戦前の教科書の言及に関する記述を一つの節として取り上げるのは、バランスが悪いように思われるので、この節内の記述は「神道における『神』」節に統合するべきではないかということを提議いたします。

以上、2点につきまして皆様のご意見をお伺い致したく思います。一週間ほど待たせていただき、反対のご意見などが無いようでしたら、そのように編集をさせていただきたきます。 --竹野和貴会話2021年12月16日 (木) 01:19 (UTC)[返信]

一週間ほど経ちましたので、上の通り編集をさせていただきました。--竹野和貴会話2021年12月23日 (木) 03:20 (UTC)[返信]

古代天皇制と祭政一致、明治維新に関しての議論[編集]

利用者:小出-小坂井さんはアニミズムと神道の項目において以下のような編集および主張をなされています。

  2021年12月27日 (月) 16:33‎ 利用者:小出-小坂井 会話 投稿記録‎  78,923バイト −17‎  政祭一致の場所を移動 
  2022年1月5日 (水) 22:45‎ 利用者:小出-小坂井 会話 投稿記録‎  78,923バイト −187‎  私の出典のある記述を削除したとしているが、該当の出典では明治維新は触れておらず、明治維新の理念の王政復古は理念の上で原始回帰だが、実際の原始回帰は意味しておらず、王政復古が主であり、これは独自研究でなく事実を知っていれば分かる。明治維新と原始宗教を結びつける方が意図を感じます。 
  2022年1月9日 (日) 12:13‎ 利用者:小出-小坂井 会話 投稿記録‎  80,969バイト −248‎  構成を変更。以前の記述は原始宗教の記述から、アニミズムから祭政一致につなげ、そこから天皇や日本における祭政一致の記述につなげているが、原始宗教の出典とされるところに日本の明治以後やその直前の記述はなく、さらに祭政一致の記述にもアニミズムを取り立てて書いているわけでもない。私が言っていることは陰謀論でもなんでもない。

彼または彼女の最新の主張では以下の箇所全てを削除すべきとしています。

神道はアニミズム的宗教であり、その特徴の一つに祭政一致がある[1]。祭政一致は英語ではSaisei itchiとしてそのまま神道の用語として用いられており[1][2][3][4]柳川啓一は祭政一致を職業聖職者が直接統治を行う神権政治とは異なるものとして定義した[5][6]。原始・未開社会の宗教の超自然観はアニミズム的であり、霊的存在に対して呪術的にかかわる。特定の開祖がなく、儀礼が公的に行われる。法・政治・経済・道徳・慣習などと密接にかかわり、祭政一致し、祭と経済的活動が同一の場で行われ、タブー(禁忌)が法的または道徳的観念・行動と重なる[7][8]。祭政一致は主として古代天皇制の文脈において言及されてきた[9]。古代天皇制国家の形成において大嘗祭の祭式と密接に結びついて成立した王権神話に象徴されるように、政治主権者は原始・未開社会に遡り宗教祭祀者の機能とは未分化であり[9][10]、天皇家が諸部族の首長の祭祀権、祖神とその神話を血縁的系譜関係の神話的設定を通して奪い取り政治的統合を実現した[9]。原始・古代社会では風雨雷地震などの自然現象、狩猟・農耕の収穫にいたるまですべて神意と考えられていたが、この思想は古代天皇制国家統一の支柱となり、律令制において神祇官を設置、中世の神道思想から江戸時代国学へと受け継がれ、明治維新以後は神道国家観によって天皇の「まつりごと」を強調する傾向が生じ、昭和に入ると天皇を現人神とするようになった[11]
明治維新後の新政府は「太政官布達」で祭政一致し神祇官を再興すると布告した[12]。日本でもの告げる神託が政治的な権威をもったヤマト王権の統治体制に遡ることができる[13]

2021年12月27日の時点で利用者:小出-小坂井さんは「政祭一致(?)の場所を移動」と書いていますが、実際は移動でなく全てを削除して彼が新たな情報を記入していました。まずこの時点で内容を消さず移動するだけであれば祭政一致の項目なりに出典のある編集箇所は残るため、比較的リーズナブルな対応かと思いますが、編集の要約に書かれた記述に反して騙すかのように即時全削除が行われました。彼は王権神授説についても奇妙な翻訳や独自解釈を書くなど、以前から編集姿勢には疑問がありますが、それ以上に合意プロセスを一切せずに即時削除を行う癖があり、対応として取り消しをせざるを得ませんでした。

利用者:小出-小坂井さんには、wikipediaのガイドラインを読んで感情的にならず冷静かつ礼儀をもって投稿するようにしてもらいたいと思います。利用者:小出-小坂井さんなりの独自解釈は分かりましたが、wikipediaは議論のための議論をする場ではありませんし、百科辞典である wikipedia は主に中立的な第三者(國學院や神社本庁発の神道の教義を発信する側の一次資料でなく史学、文化人類学、比較宗教学の学者の解釈、評価、一般化)による二次資料・三次資料をもとに編集、掲載を行う場であり、それに関して合意形成を目指すコミュニティに依存しています。あなたの合意形成や議論の活性化の努力を怠り全て即時削除、取り消しという態度はそうしたコミュニティの流儀やガイドラインに反するものだと思います。

  • 小学館「アニミズム」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、コトバンク、2021a。  日本大百科全書(ニッポニカ)『アニミズム』 - コトバンク
  • ブリタニカ・ジャパン「祭政一致」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ブリタニカ・ジャパン、コトバンク、2021f。  ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『祭政一致』 - コトバンク
  • 平凡社「祭政一致」『百科事典マイペディア』平凡社、コトバンク、2021c。  百科事典マイペディア『祭政一致』 - コトバンク
  • 平凡社「祭政一致」『世界大百科事典 第2版』平凡社、コトバンク、2021d。  世界大百科事典 第2版『祭政一致』 - コトバンク

--2400:2410:C1A3:5300:B10B:A9C8:DBD0:232C 2022年1月9日 (日) 14:53 (UTC)[返信]


上のIPユーザーは、私に関する虚偽の指摘を行なっています。私は上のIPユーザーが主張するように、上記の箇所を全て削除するべきだという主張は行っておらず、該当箇所を、冒頭の「原始宗教」の、明治維新前後の神道には触れられていない出典を根拠にした記述をなくしたうえで皇室の項へ移動させたまでです。2022年1月9日 (日) 12:13時点における版の編集をみていただければ事実を確認できるものと思います。まさに、『以前の記述は原始宗教の記述から、アニミズムから祭政一致につなげ、そこから天皇や日本における祭政一致の記述につなげているが、原始宗教の出典とされるところに日本の明治以後やその直前の記述はなく、さらに祭政一致の記述にもアニミズムを取り立てて書いているわけでもない。』というだけです。
そもそも人を非難する際に、間違った事実を主張することはあってはなりません。こういう行為はお辞めになって、事実誤認に基づく、あなたの編集(私の編集を差し戻した編集)を取り消してください。--小出-小坂井会話2022年1月10日 (月) 02:22 (UTC)[返信]
利用者:小出-小坂井さんについては議論のために議論を行う傾向があり、絶対に言い返さないと気がすまないでしょうから彼の読解した独自解釈について、直接言及して延々と続く議論に巻き込まれるのは避けたいと思います。その上で、wikipedia のガイドラインにそうならば、wikipedia は辞書ではありません。百科事典では文化的な意味を説明することは許容されており、アニミズム的宗教とされる神道をルーツとする用語である祭政一致の原始宗教での文化的意味の解説を追加して、神道での祭政一致との比較・対比を行う編集は妥当ないし許容範囲内であり、少なくとも即時削除・取り消しを繰り返し何度も行うほどの内容でないことは確かです。第三者の方が客観的によく読んでいただければ分かることです。利用者:小出-小坂井さんは持論を通して全削除を行うというのであれば、合意形成を行うために議論の活性化の手順を踏むべきです。--2400:2410:C1A3:5300:D0DD:FFF7:BC09:9915 2022年1月11日 (火) 03:34 (UTC)[返信]

脚注

  1. ^ a b Nigosian, S. A. (January 1, 1994), World Faiths, Bedford/st Martins; 2nd edition, pp. 217-218, ISBN 978-0312084141 
  2. ^ saisei-itchi”. Encyclopedia Britannica. 2022年1月10日閲覧。
  3. ^ Public Shrine Forests? Shinto, Immanence, and Discursive Secularization, Aike P. Rots, Japan Review 30 Special Issue (2017): p.187
  4. ^ Saisei itchiは"the unity of religion and government"か"the unity of ritual and government"と直訳され神道固有の概念として解説されている
  5. ^ Between Unity and Separation: Religion and Politics in Japan, 1965-1977 Yanagawa Keiichi and David Reid, Japanese Journal of Religious Studies 6/4 December 1979. p.502
  6. ^ 1月11日に追加
  7. ^ 小学館 2021b, p. 「原始宗教」.
  8. ^ 小学館 2021c, p. 「原始宗教」.
  9. ^ a b c 平凡社 2021d, p. 「祭政一致」.
  10. ^ 平凡社 2021c, p. 「祭政一致」.
  11. ^ ブリタニカ・ジャパン 2021f, p. 「祭政一致」.
  12. ^ 「此度王政復古,神武創業ノ始ニ被為基,諸事御一新,祭政一致之御制度ニ御復被遊候ニ付テハ,先第一神祇官御再興御造立ノ上……(後略)」安丸良夫宮地正人編『日本近代思想大系5 宗教と国家』425ページ
  13. ^ 山上 1989, pp. 84–100.

祭政一致とアニミズム、原始宗教の関係[編集]

上の節「#古代天皇制と祭政一致、明治維新に関しての議論」において、IPユーザーはそもそもコトバンクの原始宗教では祭政一致に触れられいない、もしくはあの記述から明治維新へ繋げるのは無理があるという私の編集の意図を無視した上で、形式的に私を非難しており残念です。その点私の返答がこのユーザーのせられた面があり、皆さんに謝罪します。 さて、この節では、神道#アニミズムと神道の節について検討をしたいのですが、

  1. そもそも神道の一つの様相として捉えられているアニミズムの説明のところに、神道の一要素である祭政一致の説明をここまで長く書く必要があるのか。一つの様相として指摘がある事を書くことは否定しません。
  2. 祭政一致の説明の途中で、原始宗教の記述が登場するが、出典では祭政一致を特に明示しておらず、この書き方が適切であるのか。

上の点皆さんからの意見を聞きたいと思います。--小出-小坂井会話2022年1月19日 (水) 20:07 (UTC)[返信]

こんにちは、この件に対する意見を述べたいと思います。また、神道の中で議論が起こっていることについて、神道の記事の上部に議論が生じている旨のタグを貼った方が伝わりやすいと思います。
さて、該当の枠組みで「祭政一致」を説明することは正か誤かについてですが、これは記述の枠組みとしては誤りであろうと思います。
例えば、同じくコトハバンクの祭政一致における日本大百科全書では祭政一致を、祭は祭祀(さいし)、政は政治を表し、祭祀(まつり)と政治(まつりごと)が未分化で一致している状態をいう。それは、祭祀の主宰者が同時に政治権力の保持者であるような機構、およびそれが望ましいとする理念によって支えられている。祭政一致は、神聖な価値規範によって支配されるすべての統治制度を含むのであって、古代においてもっとも顕著にみられるが、その理念と痕跡(こんせき)は現代に至るまで生き続けている。と定義づけたうえで、①古代エジプト②古代ギリシャ③古代ローマ及び王権神授説下のキリスト教④神道、の4つを述べています。またイスラム教が祭政一致的であることは誰もが分かることであろうと思います。では、キリスト教とイスラム教が原始宗教なのかというと、必ずしもそうではないでしょう。原始宗教=祭政一致と言えるほど、同じ意味で括られるものであるのなら、同じ枠組みでの説明も分かりますが、原始宗教で祭政一致がよく見られるという範囲であり、また時代によっても事情が異なる以上、基本的には別の話であり、同じ枠組みで無理に記述する必要はありません。このような論法を使うと、以下のような問題が生じかねません。

原始宗教とは~~~~であり、~~~であり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・その特徴の一つとして祭政一致見られる

祭政一致とは~~~、~~~~、であり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・祭政一致の例としてキリスト教が見られる

キリスト教とは~~~~~

のような構造になってしまっており、芋づる式に原始宗教の中で、原始宗教、祭政一致、キリスト教、の3つを説明してしまっているばかりか、原始宗教の枠組みで祭政一致とキリスト教を説明することにより原始宗教=祭政一致=キリスト教とパッと読むと誤解を与える構造となっており、問題のある書き方をしていると思います。百科事典として考えても芋づる式の論法で次から次へ異なる事象を同じ枠組みで説明していく事は否定されるでしょう。
上記の場合は、キリスト教自体の説明、キリスト教における原始宗教的側面の記述、キリスト教における祭政一致(が行われていた時代)の説明、は分けられるべきでしょう。--Xyy会話2022年1月19日 (水) 23:16 (UTC)[返信]


こんにちは。私もXyyさんの意見に納得しました。
この場合、新たに「神道と祭政一致」のような新しい節を設けて、「神道とアニミズム」節の該当箇所をそこに移すというのがやり方として一つあるのではないかと思ったのですが、どうでしょうか。--竹野和貴会話2022年1月20日 (木) 00:17 (UTC)[返信]
意見を募集する立場として暫くコメントを控えていましたが、コメントします。まず、利用者:竹野和貴さんの、節をべつにするという提案に基本的に賛成です。ただし、「皇室と神道」の項がある事を考えると、皇室より一般化した形態として神道に普遍的な方法として「祭政一致」があると言えるかはべつに考えられる必要があると思います。次に、利用者:Xyyさんの議論に関しても、基本的に賛同しますが、そもそもコトバンクの原始宗教の記述から、直接「祭政一致」を取り出すことはできないという立場からすると、原始宗教の側面から書く、などといった対処も適切でなく、古代天皇制、明治以降の神道での捉え方、と言った区分けがせいぜい妥当なように思います。--小出-小坂井会話2022年1月30日 (日) 02:30 (UTC)[返信]
コメントコメントありがとうございます。私としましては、現在の項目の中において祭政一致を記述する事がなぜ問題かを述べ(歴史の話というよりはどちらかといえば論理と区分けの意味で)、故に、現在の場所からは分けるべきという範囲にとどまる意見でありますので、では、歴史的にどのような形で分け、どの項目に祭政一致に関する部分をつくるのが適切か、もしくは独立した項目として作るのが適切か、といった話につきましては、私などより小出-小坂井氏や竹野和貴氏の方が遥かに知識があると思っておりますし、信頼しておりますのでおまかせします。私個人としても、神道に限らずキリスト教でも他の宗教も祭政一致は原始宗教がどうこうといった宗教的側面からというよりは、王権神授説下のキリスト教、日本では古代天皇制など時代の統治者的側面から見ることが普通であろうと思います。
いずれにしろ、このような形にするのはどうかという提案を出し、問題ないようならばそれで解決ということで良いのではないでしょうかね。--Xyy会話2022年1月30日 (日) 07:28 (UTC)[返信]