ノート:新ロマン主義音楽

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過去ログ1[編集]

ちょっとまった。1970年代以降の項がばっさりカットされているんだけど?--Noda,Kentaro 2006年10月24日 (火) 05:32 (UTC)[返信]

補足。専門家でない限りはつかめない可能性がありますが、現在「新ロマン」というと1970年代のことを指す事がほとんどです。これは常識でありもはや定説のレヴェルです。--Noda,Kentaro 2006年10月24日 (火) 05:37 (UTC)[返信]

上記について80年代までだったといっても間違いではない。でもこの「新ロマン主義」という言葉が今も生きているのかどうかは非常に疑問!こちらの評論界や論文界ではもうほとんど使われない。一種の批評家の苦し紛れにひねり出した流行語で個人的には死語に近いものと把握したい。無論、ロマン的な音楽は現在でもなお作られている。しかし個人個人みな様式が絶え間なく変容していくのが常識なのでわざわざ「新ロマン主義音楽」の項を立ち上げるべきだどうか?Kanno,25.11.06, 23:39

はい、カットしました。これは、削除としての編集ではなく、あくまで可読性に立っての編集です。付け加えると、「新ロマン主義」と「(ポスト・ヴェーベルン主義の厳密さや抽象性を、古典主義的・教条主義的とする反動として現れた、より自由な創作姿勢を目指す)ネオロマン主義的傾向」とは、峻別してしかるべきものだとの考えにもよります。もしどうしても書きたいならば、「現代音楽におけるロマン主義的傾向」を立てるべきだと提案します。(さらに付け加えると、もともとはわたくしも、あなたが起こした節に加筆していた一人であったのです。不必要な節として削除したのではなく、新ロマン主義音楽の項目を無用に長くするとの判断から、添削したにすぎません)。それにだいたい、野田さんが書いているような「1970年代以降の新ロマン主義的風潮」は、基本的に「何でもあり」で、ポストミニマリズムもロマン主義的だ、国際主義もロマン主義的だという話のようにも見受けられるのですが。これでは悪戯に話が長引くだけでしょう。(総括を書けば、話が決着するというものではありません。)それに、現代音楽はまだ「歴史」にほとんど入っておらず、現在進行形で動いているものです。「いま『新ロマン主義的』と認められている」ものが、明日には評価がひっくり返るということもありえます。その意味では、ここで「総括」を書くことも拙速でしょう。
最後にもう一言。自分の意見や認識を、「これは常識であり定説だ」と言うのは、何の説得力もありません。そういうことを言っている教祖様もいましたよね。---間久部緑郎 2006年11月15日 (水) 00:15 (UTC)[返信]

じゃ、ワルター・ギーゼラー著「20世紀の作曲」日本語版の補記で書かれた事項を、間久部緑郎は全て無視すると諸音楽機関に報告しておくからそのつもりで。--125.205.219.20 2006年11月20日 (月) 21:09 (UTC)[返信]

別に構いません。ペンネームのユーザー相手に、公的機関にそのようなことをする貴方が暇人扱いされるか、ヒステリーといわれて、笑いものにされるだけでしょう。ただいずれにせよいえることは、貴方はバツが悪くなると、こうやって必ず「虎の威を借る狐」になって相手を脅迫し、それで相手に勝ったつもりになるということです。
それから、ギーゼラーが何と言っていようと構いません。意地の悪い見方をすると、野田憲太郎という作曲家は、自分で言うほど主知的な作曲家などではなくて、専門家の御高説を丸写しして、それを自分の見解だと摩り替える程度の、レヴェルの低い人間だと言い返すことも出来るでしょうから(だいたい、「常識や定説」の根拠として、ギーゼラーの著書1冊しか挙がらないというところが、野田氏は根拠薄弱とする側を勢いづかせるのです。それに、ギーゼラーの主張に疑問や反論は全く皆無かどうかということも示されていません)。
そもそも参考文献というのは、自分の意見を補強したり強弁するためだけに使うのではなく、批判材料として使うことだってあるのです。これで野田先生が、なぜ日本の学術機関で論文を受理されないのか、だいぶはっきり分かってきました。そのことをいつまでも逆恨みしているようでは、人間としてはもちろん、研究者や言論人としても大成しないでしょう。もちろん、ワーグナーのように人間としては下劣だが、芸術家としては超一流ということもありえますから、野田先生が音楽家としてダメだとまでは言いませんけれども。それにしても野田先生は、他人について暴露したつもりでいるのでしょうが、自分でどんどん自分の欠点(というか欠陥)をさらけ出していて、けっきょく自分で自分の首を絞めているのにお気付きでないのでしょうか。つまり先生が本当に暴露しているのは、自分自身だということです。---間久部緑郎

過去ログ2[編集]

今しがたリバートされましたので、もう一度ここに転載しておきますね。以下引用。


非常に面倒だと思いますが、あなたは新ロマン主義音楽の

何割を聴いたのですか?

聴いていないのにリバートするというのは

あまりにも理不尽ではないでしょうか?

リバートするのは勝手ですが

私は新ロマン主義音楽を演奏する当事者ですし

また数多くの日本初演者でもありますので、

元に戻そうと思いますが

いかがですか?


記事を書き直すのは自由ですが、

新ロマン主義音楽の流行にライブ演奏や楽譜で接していないものが

記事をリバートするというのは、あまりにもおかしいのではないでしょうか?

それなら「私のリバートが正しい」とこの場で宣言されてはいかがですか?

演奏家の一人として、このリバートには賛成しません


アナトリー・アレクサンドロフの作品をピアノで練習していると

ロマンというよりも古典といったほうが良いくらいです

アレクサンドロフは「新ロマン主義」ではなく、根っからのロマン主義者

というのは、恐らく図書館で調べた文献の引き写しで

楽譜にろくに接していないことが分かってしまいました

こちらは実は楽譜を入手して、練習している当事者なのですな

マクベがいったい何冊のアレクサンドロフの楽譜を所持しているか、尋問してみたいものですな

根っからのロマン主義者というのはクリューガー、ニーマン、モシュコフスキ、のような人をさすのですよ

彼らは別に政府に拘束されてロマンをやっていたわけじゃないのですし


もうそろそろ、このおかしな編集をやめにすることを勧めます

このつぎのオランダからの委嘱にはあなたがたの愚行をしっかり描写させていただきますし

放送局のインタビューにも、このWIKIのことについて、正確な知識を与えるつもりです

私を笑うのは勝手ですが、笑いかえされるのも勝手だという盲点に気づくべきではないでしょうか

自動翻訳で訳した日本語かどうかは、意外なほどわかってしまうのですよ。

それでも攻撃したいといって、欠席裁判のようなブロック依頼をしたところで

私の作品のネタになるだけです。

だいたいSNSを覗いたことを根拠にするというばかげた事を、よそのユーザーには禁じているくせに

自分たちはやりたい放題なのですから、開いた口がふさがりません。


恐らく私が目を話した隙にまた元にどうせ戻るのでしょうが

私が書いた瞬間に、2ちゃんのスレッドが即座に反応しているので

誰だっておかしいと思うでしょう

即座に反応しなければ、賢いなと思ったのですが

このレヴェルでは永遠に進歩がありません

いずれ公的にここのWEBについて、お話しする機会を設けて

音楽関係の方々とディスカッションをすることにしたいと思います

自動翻訳で荒く訳された項目がそのままというのは、いったいどういうことですか?

SNSとWIKIと2ちゃんで人格を変えて書き込むのは、常識です。

今日はもう終わり。多分、また誰かがリバートするのでしょうね。


リバートされても、ログは取っておきましたので、なんとも思っておりませんが

ここの文章を読みに来ない管理側のスタンスが

実社会で通用すると思っているのでしょうか?


過去ログ3[編集]

ここの項でちょっと不満なのはアメリカの保守派作曲家達が「新浪慢主義」と呼ばれているし、実際ハンソンやバーバは宣言していた事です。もう現代音楽ではなくて近代音楽に入りますが、こういうとこにももっとスペースを割く事を提案します。又新ドイツ派以降は「後期ロマン派」として呼ばれるのが一般的であると思う。当時は言われたとしても近代・現代の新ロマン主義といたずらに混同させるのは余り望ましいとこではない。--195.93.60.39 2007年2月18日 (日) 15:30 (UTC)[返信]

実は私自身の考えは、IPユーザさんと同じです。ただ、日本語版の初稿があまりにマニアックで、現代音楽における「ネオロマンティシズム的風潮」について矢鱈むやみに詳述されていたので、英語版をもとに加筆しつつ、そのうえで刈り込むということをしました。ただしこれが絶対というわけではなく、あくまで叩き台としてです。野田憲太郎氏による編集に対して、(べつに対抗したつもりはありませんけれども)revertしたのは、現代音楽マニア的な記事や編集が続き、内容が偏ること、また、「近代音楽におけるロマン主義音楽の復興」という(多分に)本来の定義から逸れていってしまうことを、懸念してのものなのです。ですので、現状でいいとは思っていませんので、もしIPさんが改善すべきだと思う点があれば、たとえばノートに提案を書き残すだけでもいいですし、直接記事を編集していただけたらなおさら有難いと思います。--間久部緑郎 2007年2月18日 (日) 16:26 (UTC)[返信]