ノート:慰安婦/Archive04

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「慰安婦」の英訳ミラーサイトの設置を提案[編集]

英語版「慰安婦」は英語で読めるのに対して、日本版「慰安婦」が英語で読めないことは、開かれた議論のためにもよくないと思います。 私は英語版「慰安婦」が正しいとも、日本版「慰安婦」が正しいとも思いませんが、その国の中で行われた議論には、それなりの価値があると思います。 日本語圏のユーザーが英語圏の「慰安婦」版を読むことができるように、英語圏のユーザーが日本語圏の「慰安婦」版を読めるよう、 日本語版WIKIの中に「Ianfu」(English Version/Mirror Site)を設置することを提案いたします。 その具体的理由は (1)日本語圏、英語圏の双方向性、公平性を確保すること (2)日本語から英語への翻訳の公平性を確保すること、英語圏の読者がわからないような恣意的訳出を排除すること (3)英語圏の議論は英語圏の議論として日本人による荒らしを防止すること などが挙げられます。 よろしくお願いいたします。--仙人 2007年6月28日 (木) 1:40(UTC)

基本的な反対はしませんが、ミラーサイトの運営が可能か思いつくままに書いてみました。
1) 条件として、ミラーサイトであり翻訳以外を禁じる、と冒頭に掲げること。
2) 対訳の形で示す。
3) 微妙な表現が多いので、それへの注意や脚註も参照することを掲げるとかいろいろな注意も必要。(脚註抜きでは認められない文も多いので)
4) その上でも、本文の表現が微妙。内容論旨を正確に把握して書ける能力も必要では。
5) 誰が編集するか、最低限のバランスと信用の取れた編集者が確保できないと、捏造とズレ違いのし放題。そのために、ここで書かれているのでしょうが、・・・。(一応、私には余力と英語の実力がありません。)。
英語と論理力と信用と労力余裕のある――初期に労力が集中するので、初期に全体として高いレベルで――人が複数必要な気がします。
6) 編集者が集まった後で、改めて賛否を表明することになるでしょう。
(補足) あなたが英訳サイトを設置され、それへのリンクをつけるようにして、その上で、ウィキペディアに移転することを提案されることの方が現実的かもしれません。
(補足2) まあ、かってに見切り発車しても、それが上記1、2、3の形式に忠実で、中身の誠実の姿勢があれば、項目削除されることはないのでは。 ノートであれこれ起きるかどうかはわかりませんが。 あなたの今までの投降記録がないですし、もしブログでもあれば姿勢を示すものとして公開された方がいいでしょう。

-如月の弥 2007年6月28日 (木) 04:21 (UTC)

「日本語圏、英語圏の双方向性、公平性」のために日本版内に英語記事を設置するというのは意味が解りません。英語版の同じ記事があって双方向性は既に確保されているのですから。それに編集を許さない英語記事というのは英語で編集したい人にとってむしろ公平ではないです。まぁ、あえていうと英語版を日本語訳する方が現実的で、それで比較すれば面白いかもしれませんが、ウィキペディア内でやるべきかというと大いに疑問ですね。--火の鳥 2007年6月28日 (木) 05:27 (UTC)
いや、双方向性はないでしょう。ないのが問題とも、ないのがウィキペディアの方針らしいともいえるでしょうが。 公平性で言うと、英語版に和訳項目ができるかどうかということとセットの問題になり、やりたい人がやるならば、不公平ではないのでは。 さらにまた、英訳版を英語版に置き、和訳版を日本語版に置く、という形も考えられますが。 バランスは考えようはあるとしても、まずは人の問題かと。--如月の弥 2007年6月28日 (木) 10:04 (UTC)
だって、日本版の英語表記版を見て、これを編集したいと思った英語Onlyの編集者は、日本語を編集できないのでその英語版は編集できないということになるのでしょう。結局、英語Onlyの編集者を疎外するために設置する以上の意味がないですね。--火の鳥 2007年6月28日 (木) 17:01 (UTC)
そもそも原則的にはどうなんでしょ? ただ「日本のWikipedia(ja.wikipedia.org)」に英語表記も載せたいお気持ちは分かります。218.44.81.60 2007年6月28日 (木) 16:48 (UTC)

別提案?
>『日本版の英語表記版を見て、これを編集したいと思った英語Onlyの編集者は、日本語を編集できないので』
そういう人は、英語版を編集すればいいです。 私の解釈では、日本語ウィキだけが英語でも編集できるようにするルートを作るのが目的ではない、のでは?。 というか、そもそも「双方向」 という言葉の意味が、どうなんだろうか?。
私が「双方向性がない」と書いたのは、現状を見ると日英の対応する項目同士では、互いにリンクもないし付けないようにしているかのようだし、ウィキ検索も通じない。 隔絶している、という意味ですが。
互いに編集し合う項目を作る、という意味なんでしょうか? (アイデアはおもしろいけど・・・まとまるのかどうか) もしそうなら、ルールを変えて、「一定期間に対訳が書かれないと削除」 というルールでね、--------如月の弥 2007年6月29日 (金) 09:53 (UTC)

なかなか難しそうですね。よく考えた上でまた書き込みいたします。--仙人 2007年6月29日 (金) 15:40(UTC)

保護解除のための議論(冒頭文・両論併記)[編集]

過去の議論(「冒頭文――実態は商行為、その他」の節)においては、主張の根拠を尋ねる相手の質問に答えるという議論においての当然のことがなされず、議論が堂々めぐりになりました。自身の主張の根拠や相手を批判する根拠を示さず、自身の主張を何度切り返したところで何の説得力もないことは当然のことで、それは第三者の目にも明らかなるでしょう。また、根拠を示さないで相手を批判することはフェアでないことは再三述べましたし、議論を不当に遅延させることは“ウィキペディアの目的遂行を妨げる行動”として対処方法が用意されていることも申し述べました。もう以前のような無益な議論ではなく、保護解除につながる有意義な議論を望みます。

現在の冒頭文の問題箇所は

制度としては、軍相手の「管理売春」という商行為であったが、実態については、慰安婦達に報酬が払われていたとはいえ過酷な性労働を強いた性的な奴隷に等しいとする主張もあり

という部分です。Ip218-44-81-60さんは再三、両論併記すべきと主張されて来ましたが、実はIp218-44-81-60さんが最後にリバートした保護中の現在の版は「制度としては、軍相手の「管理売春」という商行為であった」とか「慰安婦達に報酬が払われていた」と正に議論になっている一方の見解を事実であるかのようなスタンスで述べ、「過酷な性労働を強いた性的な奴隷に等しいとする主張もあり」と、“もあり”という表現で、そのような主張が特別な主張、少数の主張であることを意味しているとも取れるように記述しています。つまり、「軍相手の「管理売春」という商行為」とか「慰安婦達に報酬が払われていた」ということを一つの主張と紹介しているのではなく、それは事実であるかのような前提で述べており、「過酷な性労働を強いた性的な奴隷に等しい」ということだけ一つの主張として紹介しているので、この部分はまったく“両論併記”ではないのです。元の版のように売春という商行為であったのか強制的に性奴隷にさせられたという論争があることを書く事こそが本当の“両論併記”ではないでしょうか? --モトカル 2007年7月5日 (木) 12:34 (UTC)

こちらにも書きますが、上記議論は、現在進行中の議論(「ウィキペディアの方針再考」)のもう1人の当事者である如月の弥さんのお返事を待ってから進めた方が良いです。拙速な対応は後々混乱しか招きかねません。再度申し上げます。この議論、続きは如月の弥さんのお返事を待ってから進めた方が良いです。Ip218-44-81-60 2007年7月5日 (木) 13:03 (UTC)
如月の弥さんとの議論を併行するのは構いませんが、そもそも私とIp218-44-81-60さんとの間で編集に対する意見の対立で保護に至ったのですから、如月の弥さんとの件とは別に、当時者としてあなたも責任を持って答えて下さい。
もう一ヶ月も保護が続いているのです。それは多くの利用者の編集の機会を奪っているということです。今回アカウントを取得されたのですから、あなたもウィキペディアンの一人としてきちんと議論して下さい。--モトカル 2007年7月5日 (木) 13:42 (UTC)
私は、あまり過激でなければ冒頭文のことは、それ以後の充実次第だと思うので関わりたくないですが、中立的な印象を作るために、反対者のいない内容まで軽いものと同等に扱うのは、事典として間違いでしょう。 制度の形として、管理売春であったことは否定する学者はいないはずですよ。犯罪者はいたにしろ。 それを一般人の誤解しやすい性奴隷という言葉と同等に扱うことは、制度についての知識を歪めます。 あやふやな根拠で両論併記する以前に、あえてそこに書くべきことでないなら、両論削除するということを考えるべきです。 あまり、削除は好ましくないということですが、冒頭だけは例外でいいのでは。
具体的には、「建前はこうだが、実態は諸説ある」、という書き方でどこか悪いのか? というところまでが、私の見るところです。--如月の弥 2007年7月5日 (木) 15:46 (UTC)
議論が同時並行では議論がグチャグチャになります。先の議論を決着付けて下さい。それと「もう1ヶ月も続いています」と言っても、時間経過のおおかたの部分はあなたの返答の回答待ちの時間です。あなたが速やかに返答すれば「ウィキペディアの方針再考」の議論でさえ時間も半分以下に短縮できたと思います。それを棚に上げて「もう一ヶ月も保護が続いているのです。」と意って、「多くの利用者の編集の機会を奪っているということです」と云うのは責任転嫁も甚だしいです。Ip218-44-81-60 2007年7月6日 (金) 03:43 (UTC)

>中立的な印象を作るために、反対者のいない内容まで軽いものと同等に扱うのは、事典として間違いでしょう。 >具体的には、「建前はこうだが、実態は諸説ある」、という書き方でどこか悪いのか? というところまでが、私の見るところです

如月の弥さん、私の論旨をよく御理解下さい。私は慰安婦制度が「軍相手の「管理売春」という商行為」であるとかないとかを問題にしているのではなく、これまでは「商行為であったとする見解」と「強制的なものであったという見解」との間で論争があるという、正に“両論併記”されていた記述を商行為ということについては“制度として”記述し、性奴隷であったという見解については“一つの見解として”記述しているため、実際には“両論併記”にはなっておらず、尚かつ、「とする主張もあり、」という記述で、その見解が有力な見解でない、小数の見解であるかのようなニュアンスを持たせているということが問題だと指摘しているのです。これは正に、白石論文の件で指摘した「事実の指摘であるため「独自研究」には当たらないが「中立的な観点」に反する記述」に当たると思います。この記述が自分の支持する見解なので気がつかないかもしれませんが、反対に「現在、元慰安婦が『強制連行された』、『性的奴隷にされた』として旧日本軍の蛮行を訴え出ており、それを支援する動きがあるが、軍相手の「管理売春」という商行為という見解もあり、・・・・」という記述ならどう感じますか?事実関係自体は間違いなくても、やはり中立的でないと異議を感じませんか?

>あやふやな根拠で両論併記する以前に、あえてそこに書くべきことでないなら、両論削除するということを考えるべきです。

論争自体は政治問題にも発展しているのですから、書くべきでしょう。ただし、以前の版のように、きちんと両論の間で論争があるという形にするべきで、現在の両論併記”でなく、中立的でない部分の記述は改めるべきだと思います。

>あなたが速やかに返答すれば「ウィキペディアの方針再考」の議論でさえ時間も半分以下に短縮できたと思います。

Ip218-44-81-60さん、確かにあなたのおっしゃる通り、私が解答に時間をかけてしまったのは事実です。その点は如月の弥さんにも、みなさんにも申し訳なく思っていました。相手の質問に答えないで、自分の主張を繰り返すだけなら私もそんなに時間を要しはしなかったのですが、私自身忙しかったこともありますし、如月の弥さんのコメントは長文で、各問いに対して解答することを要請されたため、一つ一つ誠実に答えようとすることは大変時間を要しました。また、方針の解釈という慎重さを要するテーマであり、私自身が方針を熟読・熟考し、自分の考えがうまく伝わるように何度も書き直したりしていましたから・・・ 1ヶ月経過していることのすべてがIp218-44-81-60さんのせいだというつもりではなかったので、誤解を与えたとしたら申し訳ありませんでした。しかし、Ip218-44-81-60さん自身が私の再三の質問にまともに答えないことで議論が堂々めぐりになり、らちが開かなかった中で如月の弥さんとの議論になったということは御自覚下さい。少なくとも私と如月の弥さんとの間では双方向の議論は成立し、その経過で得られたものもありましたから・・・ この節ではあなたが再三求めて来られた“両論併記”の問題です。あなたが最後にリバートした版は以前は“両論併記”していたものを“両論併記”を崩したかたちになっているということを指摘しましたので、誠実に返答お願いします。--モトカル 2007年7月7日 (土) 11:02 (UTC)

>反対に「~~」という記述ならどう感じますか?事実関係自体は間違いなくても、やはり中立的でないと異議を感じませんか?
事実の確定的な印象表現に問題在りそうですが、それは置いて、 今の本文が気に障る人がいるというのはわかりますよ。しかし、私の前回書いた両論削除の「制度としては管理売春で、実態は諸説様々」とは、全く違いますね。なぜ私に向けての文なのかわからない。
あるいは、実態がどうのということでなく、建前を一方の側に有利としたら、それだけで中立でないというのでしょうか?
それと、いったいいつから冒頭の文が定着しているのか、というとノートの議論で合意があったかもしらないけど。 上の5.3「冒頭文について」の節でやってたことも参考にされてますかね。
>政治問題にも発展しているのですから、書くべきでしょう
さあ、どうでしょう。あえて冒頭に書くべきか、ということです
ま、ここでは関係ないですが、あまりまとめようとせずに書いた方が、混乱を固めなかったのではと思います。--如月の弥 2007年7月7日 (土) 19:43 (UTC)
>今の本文が気に障る人がいるというのはわかりますよ。
そのことが現在の記述が、ある意味「中立的な記述」でないことを物語っていないでしょうか?
>の前回書いた両論削除の「制度としては管理売春で、実態は諸説様々」とは、全く違いますね。なぜ私に向けての文なのかわからない。
如月の弥さんが現在の記述を問題にされないような見解を述べられたので、「中立的な観点」に立っていない記述を実感してもらうために書きました。
>実態がどうのということでなく、建前を一方の側に有利としたら、それだけで中立でないというのでしょうか?
先回も述べましたが、私の論旨をよく理解して下さい。建前を一方の側に有利としたというのではなく、以前は両論併記されていたものを両論併記でない形に崩したということが一つです。
両論(各論)併記は「中立的な観点」の正に核心です。そして「・・・とする主張もあり」という表現で、「過酷な性労働を強いた性的な奴隷に等しいとする主張」を紹介しています。これだと商行為であるか否かという実際に存在する激しい議論があることが少しも感じられず、異議を唱える主張も一部であるというようなニュアンスです。
ですから「”論争における様々な立場を公正に説明すべき”」とされている「中立的な観点」の方針からは妥当な記述とは言えないと思います。
>いったいいつから冒頭の文が定着しているのか、というとノートの議論で合意があったかもしらないけど。 上の5.3「冒頭文について」の節でやってたことも参考にされてますかね。
それは保護になってからの議論です。それ以前は2007年5月26日 (土) 09:04の版(その前に特定版削除があったため実際はもっと前の版)から編集合戦のきっかけとなった2007年6月3日 (日) 04:16の版で「慰安婦制度の実態は「売春」という商行為であったが、」と書き変えられるまでは冒頭文は比較的安定していました。
>>政治問題にも発展しているのですから、書くべきでしょう
>さあ、どうでしょう。あえて冒頭に書くべきか、ということです。
双方の間で論争があることを認識することは慰安婦の記事を読み進める上で必要なことだと思います。2007年5月26日 (土) 06:29の版から、慰安婦に関して論争があるという記述は今日まであります。それを記述すること自体については今まで異議は唱えられていなかったと思います。--モトカル 2007年7月8日 (日) 08:09 (UTC)
わずか数日おいただけで、ノートの議論もなかったのでは。それを定着文形のように扱って、他を考慮外に置きたがる根拠はないと思います。それは、あなた一人分の主張でしょう。今の時点では、元の文を書いた人の賛同もまだないはずです。
また、あえて書きたがるのも、あなた個人の考えです。たいていの場合、元の文を書いた人も、過去の文に手を入れて書いただけだろうし、「あえて書く」という意向をもった人があなた以外にどれだけいるかは、まだ未確定です。
とはいえ、私は最終賛否に手を出す気はないですが。--如月の弥 2007年7月8日 (日) 12:52 (UTC)
>わずか数日おいただけで、ノートの議論もなかったのでは。それを定着文形のように扱って、他を考慮外に置きたがる根拠はないと思います。
これは私が提示した冒頭文の思案(2007年5月20日 (日) 23:09 (UTC))のことだけを言っているのではありません。それ以前の版からのことです。「売春に従事した」を「売春に従事させられた」とするべきとか、「辞書の定義を出典とすべき」というような多少異論は出ましたが、「売春に従事した」の部分をより異論のない「性行為の相手になった婦女」という表現に修正したくらいで、冒頭の記述については大きな意見の対立にはなって来なかったということです。--モトカル 2007年7月8日 (日) 14:02 (UTC)

改めて見直しました。 本文履歴を見ると、5月26日に再スタートしてから、少しづつ変化しています。6月3日に60.36.さんの書き込みに対して、モトカルさんが書き込み、リバートにつながっているようですね。 このモトカルさんのは、ノートに提案されたものでもそれ以前の再録でもないようですが。 再スタート後の記述の変化の過程で、「商行為であったか」が「あったが」と変わったことが図式の変化であり、その後に、一方を「主張」で他方を「疑問」というように変わっています。 いろいろ変化が重なった結果のようですね。 これからして、みなさん論争があるということを書いてきたはずだと思う。 だからモトカルさんのは、「論争があると明確に書く」ということになるのでは。 さて、「論争がある」とだけ書いて、別に一項目を設けてもよさそうです。 まあ、議論の成り行き次第です。 ノートに書かれていた文案に反対してはいませんし。 --如月の弥 2007年7月9日 (月) 12:33 (UTC)

>再スタート後の記述の変化の過程で、「商行為であったか」が「あったが」と変わったことが図式の変化であり、その後に、一方を「主張」で他方を「疑問」というように変わっています。
先回述べた6月3日ではなく、5月31日 (木) 11:05に、220.108.76.32さんが「旧日本軍の軍人の性行為の相手になった婦女」という箇所に「旧日本軍の軍人が金銭を払って性行為の相手になった婦女」と金銭を払ってという一節を加筆し、「「売春という商行為であったのか、」という論争における一つの主張を「慰安婦は「売春」という商行為であったが、」と断定した形に書き換えたのが最初ですね。
その後、火の鳥さんが6月2日 (土) 22:17に「慰安婦制度の実態は、慰安婦達に過酷な性労働を強いた性奴隷制度であったとする主張がある一方、」と書き変えましたが、「実態は売春である」などと断定した書き込みに反応して修正したこともあり、批判側に重心がありますが、基本的には元の冒頭文の大意は変えておらず、偏った断定的表現はしていません。
如月の弥さんは60.36.126.40さんの「慰安婦制度の実態は「売春」という商行為であった」という偏った断定的表現を制度として説明し、「商行為であった」や「報酬が払われていた」という記述に関しては削除されませんでしたが、冒頭としては削除することに賛成である見解を示されました。
>このモトカルさんのは、ノートに提案されたものでもそれ以前の再録でもないようですが。
「強制的なものであったのか」を「強制的な環境のもとで性行為を強いた性奴隷制度であったのか」と書き変えたのは、その前に、火の鳥さんが、「慰安婦制度の実態は、慰安婦達に過酷な性労働を強いた性奴隷制度であったとする主張がある一方」という記述をしていたことをふまえて少し修正して書いたのだと思います。基本的な内容は変わっていないと思います。
>モトカルさんのは、「論争があると明確に書く」ということになるのでは
火の鳥さんも私の冒頭文の試案については、「特に異論はない」ことを以前に表明されていましたし、如月の弥さんも今回改めてモトカルがノートに書いた冒頭文の試案に異議はないことを表明して下さいました。
編集履歴をよく見れば、火の鳥さんも、如月の弥さんも、モトカルが試案として示した冒頭文に対してではなく、IPユーザーが書き変えた冒頭文に問題を感じて、修正、リバートしたことがわかります。
これらの件についてはもっと詳細を述べることができるのですが、今は控えておきます。--モトカル 2007年7月16日 (月) 04:11 (UTC)
> Ip218-44-81-60さん自身が私の再三の質問にまともに答えないことで議論が堂々めぐりになり、
私は何度も何度も的確に答えています。
> 誠実に返答お願いします
私は誠実に答えています。他人様の言葉を勝手に消したり、繰り返し1週間以上もホッポリ出したご自身の不誠実な対応を棚に上げて、他人様を難するような書き込みはそろそろ止めて欲しいものです。
> “両論併記”していたものを…
私の言葉を曲解しないで下さい。私は何度も何度も何度も何度も書きますが「争いがある」ことを金科玉条にした「文言の削除」を問題視しているのです。
> 「売春に従事した」を「売春に従事させられた」とするべきとか
そこの点は改めて検討すれば、両者の語彙を含む「売春に従事していた」(状態・存続の過去形)でよろしいと思う。Ip218-44-81-60 2007年7月10日 (火) 15:55 (UTC)
横から失礼しますが、『「争いがある」ことを金科玉条にした「文言の削除」』が具体的にどの編集のことを差しているのか、リンクでも貼って示して頂いた方が話が早いのではないでしょうか。「自分で考えろ」と言われましてもねえ・・・。--火の鳥 2007年7月10日 (火) 22:22 (UTC)
あと書き忘れましたが、やはり私の懸念したとおり、白石文献云々が論争が引きずっていますので、その論争が決着が着いた後に続きを続けます。Ip218-44-81-60 2007年7月11日 (水) 06:33 (UTC)
如月の弥さんにお聞きしたいのですが、Ip218-44-81-60さんは私の「“以前は両論併記”していたものを“両論併記”を崩したかたちになっている」という指摘に答えないで、白石文献の論争の決着が着いた後に続きを書くなどと言って、保護解除を更に遅らせようとしています。
そもそも、今回の保護の理由は私とIp218-44-81-60さんとの間で編集合戦になったためであって、白石論文の件は直接関係ないことは明らかだと思います。
保護は基本的に編集合戦を中断させ、議論を通じて解決するためのものです。如月の弥さんが載せることを問題視されていた白石論文そのものは「個人のブログ」と同様なものと見なして「検証可能性」の方針から削除することを私の方から提案しており、それ自体の問題は終結しつつあります。編集方針についてはお互いに未だ意見の違いがありますが、そもそも私と如月の弥さんの間では編集合戦にはなっていないのですから、議論を続けるために保護は必要ではないと思います。
如月の弥さんは今回の保護になって間もなく、自分の投稿の版で保護になったことをいいことに、保護状態を長く続けようとしているように見えるIp218-44-81-60さんの言動を見て、「保護を悪用する手法をを悪用する手法を、結果的に正当化しているようなもの」と指摘されていましたし、火の鳥さんからは「先に進まないようにすること自体が目的かもしれません」という疑念が示されました。
これにはまったく同感です。今回のことに素早く、厳しく対処しないと、慰安婦制度を糾弾する側の偏った記述の版で保護されてしまったときも、質問に答えなかったり、話題をそらしたり、まともに議論しないで保護を不当に長引かせるというような悪用をゆるすことにもつながるということをどうか深く御考慮下さい。ですから、そのようにまともに議論をしないことは投稿ブロックに値することの一つに挙げられています。
如月の弥さんがその時「判断基準を明確にしないのが間違いであり、かつ手法が乱暴」と指摘されたように、Ip218-44-81-60さんは未だに相手の質問にまともに答えることなく、保護を長びかせようとしているとしか思えませんので、私と如月の弥さんの間での議論が決着するか否かが今回の保護の解除の条件ではないということについて如月の弥さんの見解を述べてくださるようお願いします。--モトカル 2007年7月12日 (木) 12:35 (UTC)

勘違いしないで下さい。何度も何度も何度も何度も繰り返しますが、1ヶ月のも引き延ばしていた最大の要因は繰り返し1週間以上返答をほっぽりだしていたモトカルさんあなたです。それと私は白石問題なんてあなたが主張をいつまでも引っ張らずに引っ込めれば済む話です。如月の弥さんは引くところは引いて折り合いを付ける提案して何度も何度も収束を計っています。それなのにいつまでも引っ張っているのはあなたモトカルさんです。その上に、それでグチャグチャしたくないと云って、今回の項を変えた「両論併記」にまで、あなたはわざわざ白石問題を持ち出してきて、話をゴチャゴチャにしているのです。真面目にいい加減にして欲しいものです。あっちの問題はあっちで留めて下さい。そのご自身行状を棚に上げて、相変わらず他人様への非難だけは繰り返して。 良いですか? 白石問題をこっちの「両論併記」の項に持ってこないで下さい。再度申し上げますよ。白石問題をこっちの項には持ってこないで下さい。あなたがそれさえ守ればいつでも再開します。Ip218-44-81-60 2007年7月13日 (金) 15:37 (UTC)

>白石問題をこっちの項には持ってこないで下さい。あなたがそれさえ守ればいつでも再開します。
Ip218-44-81-60さん、他人の発言はよく読んでから発言して下さい。私は白石問題をこっちの項に持ち込むようなことはまったく言っておりません。あなたが、「(白石問題)の論争が決着が着いた後に続きを続けます」などと言うので、その議論の決着が保護解除の条件であるのかないのかについて、如月の弥さんの見解を聞いているだけです。話の流れからいって、その返答はここでもらうのは当然でしょう。
もちろん、この節で如月の弥さんとの方針についての議論は展開するつもりなどありませんので、この節で私が指摘したあなたの編集は“以前は両論併記されていたものを両論併記でない形に崩した”という点についてお答え下さい。--モトカル 2007年7月14日 (土) 08:35 (UTC)
P.S.
>1週間以上返答をほっぽりだしていた
6月24日(日)の如月の弥さんのコメントに対しての解答だけは、忙しかったこともあり、1週間後の7月1(日)となりましたが、その他は1週間以内に答えておりますので、1週間以上というのは事実誤認であることを一応申しておきます。過去のノートが過去ログ化されたため、6月20日から6月28日の間の履歴が消えているのでそう思われたのかもしれませんが・・・--モトカル 2007年7月14日 (土) 12:48 (UTC)
(コメント)横すみません。議論を蒸し返すようで悪いのですが、両論併記の両論とはどの説とどの説でしょうか?
現在の冒頭の文は、「管理売春」であったことは確定事項であり、現在の慰安婦は強制連行されたという一般的な説に対して、異を唱える人もいる。というように取れると思います。ところで、慰安婦に報酬が支払われていたのは、研究者の共通認識なのでしょうか?--草苺 2007年7月15日 (日) 10:06 (UTC)
草苺さん、初めまして。わかることだけお答えします。私が両論併記が崩されたと指摘している両論とは慰安婦は商行為であったとする主張と、強制的なもの、あるいは性奴隷であったとする主張のことです。
「慰安婦問題」の節の論点にある「公娼」か「性奴隷」かという所で双方の主張を併記しています。それなのに、現在の冒頭の文は、(「管理売春」であったことは確定事項であったとまでは言っていませんが、)その書き方から「売春」という商行為と取るのが普通で、強制的なものとする主張が一部の異論のようなニュアンスになっているため、私はそれが「特定の立場が正しいと明記したり、暗示したりするべきではない」、「論争の種になるような立場を主張することなく、単に記述する」という「中立的な観点」という方針に反しており、盛んに両論併記を訴えて来たIP218-44-81-60さん自身が正に自分の主張に矛盾する記述をしていることを指摘しています。
報酬についても、高額な報酬を得ていたとか、そうでないとか、支払いを受けていないと証言する元慰安婦が多いとか、軍が支払っても業者が搾取したとか様々な主張がある中で、一律に「報酬が払われていた」と断定的表現をすることも大いに問題があると思います。--モトカル 2007年7月15日 (日) 13:21 (UTC)
> この節で如月の弥さんとの方針についての議論は展開するつもりなどありませんので
実際には、残念ながらあなたは白石問題の話を持ち出してきた。あなたが白石問題をコチラの項まで持ち出すようなら続きは無理ですよ。コチラの項で白石問題を絡めるとこの項の議論がグチャグチャになります。あなたが今後もそれを持ち出すことを自粛するおつもりがないようなら、当方は白石問題を含めたグチャグチャの状態の元ではとてもそれを議論する能力をとても持ち合わせていません。願わくばあなたの自制を求めます。Ip218-44-81-60 2007年7月16日 (月) 02:20 (UTC)

>あなたが白石問題をコチラの項まで持ち出すようなら続きは無理ですよ。

ここで如月の弥さんの答えをもらうのは自然であっても、どうしてもここでなければならないということもないので、私と如月の弥さんとの議論が保護解除の条件であるのかどうかについての確認のための節を設けました。如月の弥さんにもこちらで答えてもらうようにしました。 「白石問題をこっちの項には持ってこないということさえ守ればいつでも再開する」と仰ってたのですから、“現在の冒頭文は両論併記でない形になっている”という指摘についてもうお答えいただくべきだと思います。--モトカル 2007年7月16日 (月) 03:03 (UTC)

利用者:モトカル様。ご返信ありがとうございました。
私の頭の中で、
  • 強制連行が在ったのか否か。
  • 商行為であったのか、否か。
  • 大きな議論を呼んでいるのか否か。
などの両論があったのですが、商行為であったのか、否かが問題になっているようですね。
私も現在の冒頭部分には問題があるように感じます。冒頭の部分でもめているようなら、ものすごく簡潔な文にするといいのではないかと思います。嘗て日本の項目で冒頭の部分が問題になったことがあってそのときは、簡潔な文にすることで解決できました。--草苺 2007年7月16日 (月) 08:34 (UTC)
>冒頭の部分でもめているようなら、ものすごく簡潔な文にするといいのではないかと思います。
草苺さん、アドバイスありがとうございます。保護になってから、わたしも、火の鳥さんも、如月の弥さんも冒頭の部分は簡潔にすべきという点では一致していました。そもそも問題の始まりは「慰安婦は「売春」という商行為であった」とか「報酬が払われていた」という「中立的な観点」に反する断定的な記述が加えられたところにあります。
以前、如月の弥さんが「中立を保てないなら、原則削除、ということも可能でしょう」と仰っていたように、どうしても中立的記述にできないなら、制度や実態や報酬や論争について記述は冒頭には一切書かないというのも最終的な選択枝の一つですね。偏った記述を放置するよりはその方がウィキペディアの方針に適っているでしょう。--モトカル 2007年7月16日 (月) 09:41 (UTC)

保護解除の条件について[編集]

如月の弥さん、Ip218-44-81-60さんが、「白石文献云々が論争が引きずっていますので、その論争が決着が着いた後に続きを続けます」と言われてましたが、私としては如月の弥さんとの編集合戦で保護になったわけではないので、編集についての意見に相違があるからといって、本論をほおっておいて、その決着を待ってから議論するのはおかしいと思います。如月の弥さんも週一程度にゆっくり書くと言っておられ、わたしも冷静に議論できるなら合意点を探りたいと思っております。Ip218-44-81-60さんは何だかんだと議論を先延ばしにしようとすることは如月の弥さん自身も早くから指摘されていました。保護を悪用する先例を作らないためにも、このことについて如月の弥さんの見解を示していただくことが必要ですので、どうかよろしくお願いします。 --モトカル 2007年7月16日 (月) 03:03 (UTC)

> 「白石文献云々が論争が引きずっていますので、その論争が決着が着いた後に続きを続けます」と言われてましたが、
モトカルさん、またですか…。何度も何度も繰り返しますが、もう少し誠実に対応して下さい。私は7/16の発言で「あなたが白石問題を“コチラの項まで”持ち出すようなら続きは無理ですよ。」と書きました。冒頭文に議論に対して、あなたと如月の弥さんの論争の元の白石問題を持ち出してきたのはモトカルさん、あなたですよ。私は先の発言で、念を入れて2度「コチラの項で白石問題を持ち出さないで」と書きました。つまり、問題はたった一つだけです。「冒頭文の項の議論で白石問題を持ち出さないで下さい」と云うことだけです。それだけですよ。モトカルさん、再三再四繰り返しますよ。「冒頭文の項の議論で白石問題を持ち出さないで下さい」これだけです。コレ以上何度も何度も何度も見て見ぬ振りをする様な不誠実な対応はいい加減止めて下さい。Ip218-44-81-60 2007年7月18日 (水) 15:45 (UTC)
>「冒頭文の項の議論で白石問題を持ち出さないで下さい」と云うことだけです。
あなたのその要望に答えて、先回、新しく別の節を作ったことをきちんと説明したではないですか?
目次を見れば、8が「保護解除のための議論(冒頭文・両論併記)」で、9が「保護解除の条件について」となっており、この節が別の(セクション)であることがわかるでしょう?
議題の内容にふさわしい節で議論するようにちゃんと分けているのですよ?「保護解除のための議論(冒頭文・両論併記)」の節では如月の弥さんとの議論をするつもりはありませんし、その議論が保護解除の条件であるかの返事も別のこの節でもらうようにしています。何か勘違いされていませんか?
それから、相手に問題を感じて指摘するのはかまいませんが、肝心の本論に関してはほとんどまともに言及しておられませんね。現在の冒頭の記述が両論併記ではないという指摘に対して、いつまでスルーするおつもりでしょうか?「以前は“両論併記”していたものを“両論併記”を崩したかたちになっているという」という“私(モトカル)”の指摘を「私の言葉を曲解しないで下さい。」などと自分の主張の問題にすり変えて、答えをはぐらかしています。草苺さんからも、現在の冒頭文は問題があると感じるという声が上がっています。聞いても聞かなかったかのようにいつまでも答えないことも“不誠実な対応”であることを御自覚下さい。それと、ここは如月の弥さんの確認をもらうための節なので、「保護解除のための議論(冒頭文・両論併記)」の節で御解答下さい。ウィキペディアは「議論や対話の呼びかけがあったら、基本的にそれに応じて一致点をさぐるよう努力すべき」としています。ですから、「編集や議論に際して他のユーザーからの質問や根拠の明示などの依頼に応ぜす、個人攻撃を行ったり話題を逸らすなどの行為を繰り返した場合にも議論が成立しにくくなる」として、利用者の問題行動だとしています。これ以上まともな議論をしない姿勢を続けるおつもりなら、第三者からも、あなたのウィキペディアンとしての姿勢が問題視されることになるでしょう。--モトカル 2007年7月19日 (木) 11:22 (UTC)
> ?「保護解除のための議論(冒頭文・両論併記)」の節では如月の弥さんとの議論をするつもりはありませんし
冒頭文を検討する項であなたが白石問題を持ち出しておいて、まぁよくホントに平気でそんなことをよく言うよね。あなたが「以後、この項では白石問題は持ち出しません。その点は保証します安心して下さい」と言えば済むことなのに、基本的にあなたのその誤魔化す姿勢が不誠実だと言うのです。どちらにしても、以降冒頭文を検討する項であなたは白石問題を持ち出さないで下さいね。ホントにホントにお願いしますよ。
では、とりあえずモトカルさんの冒頭文を検討する項では白石問題を持ち出さないと云う言質もいただいたので、冒頭文を検討していきます。Ip218-44-81-60 2007年7月20日 (金) 16:18 (UTC)

冒頭文の提案[編集]

冒頭文の提案。広辞苑第五版と大辞林大辞泉を参考に書いてみました。

慰安婦とは、日中戦争太平洋戦争において、日本軍の性の相手を強いられたとされる女性の総称である。

--草苺 2007年7月19日 (木) 00:18 (UTC)

草苺さん、「慰安婦の定義について」という節で、辞書の定義を採用しようという意見があり、それについての問題点を既に述べているので御覧下さい。
辞書は物事を客観的に説明する百科事典と違って、「字引」という言葉が示すように、世の中で実際に使われている言葉の意味を説明しているという側面が大きく、その物事についての事実を分析したものではないということです。
「性の相手を強いられたとされる」という表現は「字引」としては妥当な表現かもしれませんが、ウィキペディアの「中立的な観点」の方針からすれば、「性の相手を強いられた」という主張と「性の相手を強いられたのではない(商行為であった)」という主張が現実にあることを考えれば、「・・・とされる」という断定ではない表現であったとしても、慰安婦制度を弁護する側によって“「強いられたのではない」とされてもる”わけですから、結局「強いられた」という主張の観点しか述べていないことになり、「様々な観点を公正に扱い、どれかひとつを正しい観点として主張するようなことのないようにすべき」という「中立的な観点」の方針からすれば、よくないと思います。
また、目次にある「過去ログ」の「2007年6月3日 まで」の7「 冒頭の書き換えについて3 簡素化など」の節に(「従事した」、「従事させられた」の表現)の所の議論も参照して下さい。
現在の冒頭文の最初の所は私が「慰安婦の定義の試案」の節で示したものです。問題は「婦女の総称である。」以降の記述です。
2007年5月26日 (土) 18:04の版の「旧日本軍が慰安婦を強制連行したのか否か、慰安婦は、商行為であったのか、強制的なものであったのかや、慰安婦制度は他国にも見られるものであるのか、日本独自のものであるのかなどをめぐり様々な論争があり、日本の国としての責任や女性の人権などの観点をめぐり、今日まで、政治的・社会的に大きな議論を呼ぶ問題となっている。」を現在は提唱します。

--モトカル 2007年7月19日 (木) 12:09 (UTC)

それでは、議論あるいは論争をよんでいるという観点からの記述になるのではないでしょうか?慰安婦問題は解決しているという観点を持つ人もいるだろうから、私はその記述にも問題があるように感じます。また、私が提案した案が、中立的でない点は理解できました。私は、慰安婦とはもともと強いられた女性という事であったが、調べられるうちにそうではないかもしれないという反論なども出てきたものだと思っていたので、元々の私自身の考え方が中立的でなかったのかもしれません。ところで、従事したとされる従事させられたとされるでは大分意味が変わってきますね。前項を採用すると慰安婦が存在したのかが問題になり強制的であったのかどうかは問題にならず、後述を採用すると従事したのか従事していないのかが問題になる思います。やはり議論を呼ぶ様なものは簡潔に述べることが難しいのでしょうね。--草苺 2007年7月19日 (木) 12:39 (UTC)
>それでは、議論あるいは論争をよんでいるという観点からの記述になるのではないでしょうか?慰安婦問題は解決しているという観点を持つ人もいるだろうから、私はその記述にも問題があるように感じます。
現在でも慰安婦問題が議論を呼んでいるという事自体は多くの人にとってかなり明らかなことではないかと思います。安倍総理の慰安婦に関する発言は大きな論議を呼びましたし、米下院での慰安婦に関する決議案のこともそうですし、それを阻止するために、日本のジャーナリストや政治家が「慰安婦問題」に対する誤解を解こうと、アメリカの新聞に一大広告を出しました。また、朝日新聞と産経や読売が社説等で批判し合うこともありましたし、テレビの討論番組でも慰安婦問題はしばしば激しい議論になっていますし、インターネット上でも同様です。「慰安婦問題は解決している」という主張は寡聞にして聞いたことはないですし、 独自研究は載せないという公式方針では「もしある観点が極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派に支持されているのであれば、それが正しいかどうかに拘らず、あるいはあなたがそれを証明できるかどうかに拘らず、その内容はウィキペディアで言及するに値しない」とされています。
>私は、慰安婦とはもともと強いられた女性という事であったが、調べられるうちにそうではないかもしれないという反論なども出てきたものだと思っていた
慰安婦は先の戦争の頃のことですが、戦後も特に問題とはならず、1965年、韓国との国交正常化のために結んだ「日韓基本条約においても、元慰安婦らは補償対象にすらなりませんでした。1970年代吉田清治が軍の命令で慰安婦狩りをしたと証言したことから慰安婦が問題化したというのがこれまでの経緯です。
>従事したとされると従事させられたとされるでは大分意味が変わってきますね。前項を採用すると慰安婦が存在したのかが問題になり強制的であったのかどうかは問題にならず、後述を採用すると従事したのか従事していないのかが問題になる思います。
そうですね。ですから、現在のように自発的であるとも、強制であるとも断定しない「旧日本軍の軍人の性行為の相手になった」という記述にしています。
>やはり議論を呼ぶ様なものは簡潔に述べることが難しいのでしょうね
そうですね。それぞれの主張を単独で述べる場合と違って、一つの文の中で表現するときには、その順序とか言葉遣いをよく考えなければならないと思います。-モトカル 2007年7月19日 (木) 14:00 (UTC)

(インデント戻しました Byモトカル)

>「慰安婦問題は解決している」という主張は寡聞にして聞いたことはないということですが、記憶が曖昧で申し訳ありませんが、慰安婦訴訟において、慰安婦の問題は時効であるという意見が出ていませんでしたか?私は、旧日本軍の軍人の性行為の相手になった女性の総称だけというのは、良いかもと思います。しかし、それでは性の相手になった人=慰安婦になってしまいそうでない人も包括してしまうことになるかもしれないですね。そこで私は、

慰安婦(いあんふ)あるいは従軍慰安婦(じゅうぐんいあんふ)とは、日中戦争太平洋戦争において、主に慰安所での日本軍の性の相手になったとされる女性の総称である。

を提案します。--草苺 2007年7月19日 (木) 14:21 (UTC)

草苺さん、なかなか議論に参加してくれる方がなかった中、いろいろ御意見を述べて下さり有難く思っています。
>慰安婦訴訟において、慰安婦の問題は時効であるという意見が出ていませんでしたか?
「時効」というのは当時から20年以上経過しているため、元慰安婦が日本政府に対して損害賠償を請求する法的権利がなくなったということで、あくまで法的な権利についての裁判所の判断であって、「慰安婦問題は解決した」という意見ではありません。凶悪な事件であっても、「時効」により法的に罪を問うことができなくなっても、問題は解決したとは言えないことはわかると思います。
それと、元もと私が最初に試案として示したものでも、「慰安所と呼ばれた施設」という記述を含んでいます。ただ、「主に慰安所での」の“主に”は慰安所以外では同様なことがあったということもないので、不要かと思います。
また、「慰安婦」という言葉は当時から使われたことばですが、「従軍慰安婦」という言葉は1970年代に慰安婦が問題化したときに、旧日本軍の強制連行を批判する意味から使われた特別な造語なので、「慰安婦(いあんふ)あるいは従軍慰安婦(じゅうぐんいあんふ)とは」というように、並立して使うのは問題があると思います。以前のように「婦女の総称である」の次に「従軍慰安婦とも呼ばれる。」または、現在の冒頭文のように「戦後、人により従軍慰安婦とも呼ばれる。」とするのがよいと思います。詳しくは慰安婦の概要の節の「呼称」の箇所を御覧下さい。
それと、「性の相手になったとされる」という記述については、”性の相手になった”こと自体には異論はないので、現在の記述のように「性の相手になった」でよいと思います。先回も述べたように、問題は最初の定義以降の論争についての記述の部分をどうするかです。現在、問題にしているのはその部分ですから・・・--モトカル 2007年7月20日 (金) 12:45 (UTC)
>日本の国としての責任や女性の人権などの観点をめぐって
と書かれていますが、それは法的な責任のことではないのでしょうか?また、Wikipedia:大言壮語をしないとあるので大きな議論という表現も不適切かと思います。従軍慰安婦についてですが、広辞苑に載っているものなので恐らく正式な名称ではないかと思っていました。しかし、そのようなことを争っていると保護解除に支障がでるので、利用者:モトカル様の意見を参考に修正したいと思います。
慰安婦(いあんふ)とは、日中戦争太平洋戦争において、慰安所での日本軍の性の相手になった女性の総称である。従軍慰安婦とも呼ばれる。
原文の冒頭とあまり変わりませんが、これでいかかがでしょうか。--草苺 2007年7月20日 (金) 13:07 (UTC)
追記。私は冒頭はこの文章だけで事足りると考えています。--草苺 2007年7月20日 (金) 13:21 (UTC)

では、モトカルさんが、冒頭文を検討する項では今後白石問題を持ち出さない意思表示とされましたので、前回の続きです。

> 「売春に従事した」を「売春に従事させられた」とするべきとか そこの点は改めて検討すれば、両者の語彙を含む「売春に従事していた」(状態・存続の過去形)でよろしいと思う。Ip218-44-81-60 2007年7月20日 (金) 17:46 (UTC)

> それについて答えずに、答えを求めてもいないものに再び解答するというのは議論としておかしくありませんか?
別におかしくないでしょう。冒頭文の文章が「慰安婦」の実状が正確に伝わればよろしいと思います。
繰り返します。「売春に従事した」と「売春に従事させられた」の両方を含む意味で「売春に従事していた」で宜しいかと思います。Ip218-44-81-60 2007年7月22日 (日) 14:16 (UTC)
Ip218-44-81-60さん、あなたが既に2度も述べている同じ意見だけを無意味に繰り返し、私の指摘をまたもや無視して解答しない対応をしたことであなたが、編集において他の利用者と協調する姿勢がないこと、保護解除に向けてきちんと取り組む姿勢がないことがわかりましたので、あなたに対する対処を他の利用者たちと話し合うことに取り掛かります。--モトカル 2007年7月22日 (日) 14:35 (UTC)
> 私の指摘をまたもや無視して解答しない対応をしたことで
それは真逆です。私はちゃんとお答えしていますし、そのうえで改めて提案しています。だいたいモトカルさんあなたは、前回も私に対してアクセスストップを仕掛けた時も、如月の弥さんに逆に「そもそもあなたの対応こそがおかしい」とたしなめられましたよね。あなたが同じ間違いをするのは今回で2回目ですよ。あなたの独りよがりの不誠実な対応こそが常に混乱をもたらしています。
上記のことを踏まえて改めて申し上げると、「売春に従事した」と「売春に従事させられた」と混ざるからと言って、慰安婦の項でキーワードとなるべき「売春」と云う文言を抜いての対応が大変問題である。「売春に従事した」と「売春に従事させられた」の両方の意味や言葉を繰り返し申し上げている“両論併記”で入れれば済むことであるからして。その対応を行わずして「売春」と云う言葉を消すことに躍起になっているモトカルさんの編集姿勢は甚だ問題があります。私は最初からその姿勢についてしか問題視していません。あしからず。Ip218-44-81-60 2007年7月25日 (水) 14:17 (UTC)

利用者:Ip218-44-81-60様。売春という言葉が、慰安婦の項でキーワードになると仰られいますが、それは確かに、慰安婦は売春婦であったのかという議論において、キーワードになりうると思います。しかし、売春という言葉は、春を売るということで、つまり、報酬を目的とした性交を意味します。詳しくは売春の項目をご覧ください。そこで、冒頭の文で売春という言葉を入れてしまうことは、慰安婦であった女性は皆報酬を目的としていたという表記になり、中立性を欠くと考えられます。私は売春という言葉を冒頭に表記することは以上の理由から反対します。--草苺 2007年7月28日 (土) 07:28 (UTC)

>私はちゃんとお答えしていますし、そのうえで改めて提案しています。
Ip218-44-81-60さん、わたしは「一方を制度として説明し、他方をそれに対する異議というように記述するのは公平な両論併記ではない」と指摘しているのですから、まず、公平な両論併記であると思うのかそう思わないのかを示して下さいす。そして、どうしてそう考えるかの理由を述べて下さい(それも主観的な理由でなく、ウィキペディアの方針に基いて述べること)、それをして初めちゃんと”答えた”と言えるのですよ。最近、議論に参加して下さっている草苺さんもちゃんとそのように解答をして下さっています。
あなたが、如何に相手の質問や要請に解答を避けてきたかを一覧ではっきり示すこともできます。如月の弥さんがされたのと同じく、今後はこちらの疑問、指摘、要請など、あなたに解答を求める部分に下線を引きます。そして、私の提出した文型を>で引用する形での回答を求めることにします。
質問に対しては理由を述べて解答し、指摘に関しては賛否をきちんと示して下さい。わからないとか判断が難しいなら、そうと書いて下さい。もうこれ以上解答を避けて話をそらさないで下さい。
>だいたいモトカルさんあなたは、前回も私に対してアクセスストップを仕掛けた時も、如月の弥さんに逆に「そもそもあなたの対応こそがおかしい」とたしなめられましたよね。
如月の弥さんはあなたに対する投稿ブロックを検討することがおかしいと言ったのではなく、それを検討する前に、如月さんの加筆に対する私の編集の問題を議論しようとされたのであって、具体論を避け、保護を盾に取るようなあなたの態度に対して投稿ブロックに値することを最初に言い出されたのは如月の弥さんであり、火の鳥さんも早い段階からあなたが保護を長引かせる意図があるとの疑惑を表明されていたことをお忘れですか?
>その対応を行わずして「売春」と云う言葉を消すことに躍起になっているモトカルさんの編集姿勢は甚だ問題があります。
ノートでの議論をちゃんと確認して下さい。元もと「売春に従事していた婦女」という記述を「従事させられた」とするべきという意見に対し、私は中立的でないとして反対してきたのですよ。
「慰安婦制度の実態は「売春」という商行為であり」というあなたの編集を修正し、保護の直前までリバートした版は「慰安婦制度は「売春」という商行為であったのか、」という記述がありますし、論争の節を作り、慰安婦を商行為(公娼・売春)とする秦氏や小野田氏の見解を載せたのもわたしなのですよ。
以上のことからもわかるように、「売春」と云う言葉を消すことに躍起になっているなどというのはとんでもない事実誤認です
それに対し、ノートでの議論せず、要約欄での編集理由の明示もなしに、「実態は売春である」など中立的観点の方針に反した断定した記述に書き変え、議論もなく無言で何度もリバートしたあなたの姿勢の方がよっぽど問題でしょう
実際、火の鳥さんも如月の弥さんもあなたのリバートしたものを書き変えたのであって、私がリバートしたものは書き変えていないのですよ。あれだけの論争の後にも、如月の弥さんはわたしがノートに示した冒頭文案に反対はしないと仰ってくださっているのですよ。
それに対し、あなたの冒頭文の書き変えについては、火の鳥さんが「金銭を払って」という記述を削除し、「慰安婦は「売春」という商行為であったが、」という記述を示されている疑問の一つとして「「売春」という商行為であったか、」と書き変えましたし、如月の弥さんは「売春が慰安婦の実態と断定したあなたの記述を「制度としては、軍相手の「管理売春」という商行為であったが、実態については、」と制度についての説明に修正されたました。なおかつ「報酬が払われていたという記述は冒頭においては削除すべきと、あなたの編集に異を唱えられたのですよ。
以前にも冒頭文が問題となったとき、Poo-Tさんという方が「冒頭での記述で論争点について断言した上で細目に記述するのではなく、論争点があることを記載した上で細目に一任するのが正しいはずだ」(ノート:慰安婦/冒頭の書き換えについて)とおっしゃっていますが、これにはまったく同感です。Ip218-44-81-60さんはこの見解をどう思いますか?--モトカル 2007年7月30日 (月) 14:22 (UTC)

Dutch Parliament demands Japanese compensation[編集]

The lower house of the Dutch parliament passed a motion unanimously on Nov 20,2007, urging Japan to financially compensate the women forced into sex slavery during World War II. All 150 members of the lower house of parliament voted in favor of the motion, which is highly unusual for the Dutch parliament, Dutch lawmaker Hans van Baalen told Xinhua.

"This should send a strong and clear signal to the Japanese government and the Japanese people, that so many years after World War II, people in the Netherlands still want the Japanese to recognize the war crimes of the past and to recognize the victims," said van Baalen, who tabled the motion. "It is a matter still taken seriously in the Netherlands," he said. [1]

Canadian government urges Japan to formally apologize[編集]

Canada's lower house unanimously approved a draft motion on November 28, 2007 that urges the Japanese government to make a "formal and sincere apology" to women who were forced by the Japanese military to provide sex for soldiers during World War II.

The text of the motion said the Canadian government should call on the Japanese government "to take full responsibility for the involvement of the Japanese Imperial Forces in the system of forced prostitution, including through a formal and sincere apology expressed in the Diet to all of those who were victims; and to continue to address with those affected in a spirit of reconciliation."

It also said, "Some Japanese public officials have recently expressed a regrettable desire to dilute or rescind the 1993 statement by Chief Cabinet Secretary Yohei Kono on the 'comfort women,' which expressed the (Japanese) Government's sincere apologies and remorse for their ordeal."

The motion, though nonbinding, also said the Canadian government should call on Japan to abandon any statement which devalues the expression of regret from the Kono statement and to clearly and publicly refute any claims that the sexual enslavement and trafficking of the "comfort women" for the Imperial Japanese Army never occurred.[2]

European Parliament speaks out on sexual slavery during WWII[編集]

(Brussels, 14 December) Amnesty International welcomes the European Parliament’s adoption of a resolution on “Comfort Women” – the thousands of young women of different nationalities coerced into sexual slavery by the Japanese army during the second World War. This important resolution follows similar statements by the US Congress, and the Canadian and Dutch Parliaments. All call on the Japanese government to formally acknowledge its historical responsibility for this systematic abuse, as well as apologise to and compensate the victims. The resolution follows a lobby campaign by Amnesty International and survivors in Brussels last month. [3]

フィリピン議会における慰安婦に対する謝罪要求決議[編集]

[2]

アメリカ連邦最高裁[編集]

アメリカで起きた一連の訴訟で、アメリカ連邦最高裁が下した結果は消えたのでしょうか。-220.211.183.188 2008年6月15日 (日) 11:12 (UTC)


慰安所と軍の関係[編集]

慰安所と軍との関係は、「慰安所」の項目で詳しく書かれています。それを見てほしいのですが、案内が不十分なので書き込みがありましたね。 一節にまとめました。--如月の弥 2008年10月23日 (木) 16:10 (UTC)

慰安婦管理に軍が深く関与[編集]

林博史・関東学院大学教授(現代史)が、イギリス国立公文書館で見つけた史料で確認しました。日本軍は敗戦直後に慰安婦を補助看護婦(当時の表記)として雇用し、その存在を連合国軍に隠すつもりでいたようです。(「敗戦後、慰安婦を看護婦に 旧軍の命令、文書で初確認」2008年6月19日、共同電)--118.243.109.90 2008年6月20日 (金) 04:47 (UTC)

ずいぶん林の希望意的観測が入りすぎた文ですね。--Namisenjin 2008年6月20日 (金) 13:06 (UTC)

林博史という人はよく・・・--如月の弥 2008年10月23日 (木) 16:10 (UTC)

慰安所は日本軍中央により運営[編集]

『私の従軍中国戦線』という本で、「皇軍慰安所」という看板がある写真を見たことはあります(ねつ造写真というわけではない)。民間が「皇軍」なんて書いてしまうような恐れ多いことは、昔はできなかったのです。

日本軍自体が慰安所を設置して管理したことは事実でしょう。民間の施設ならば、危険な最前線にまで多数の慰安所ができるということもないでしょうし。軍人の文章を読んでも、軍中央が慰安所設置を公然と指示していた、と書いてあります。軍人には娯楽が必要とい理由で設置したそうです。良いか悪いかはともかく、事実として日本軍というものは、そういうことをしたのです。軍人が書いた文章を読むと、よくそういう記述はでてきます。

軍中央にいた「井浦祥二郎」の項などをご参照ください。--Robe 2008年9月5日 (金) 11:18 (UTC)

慰安所」項(「慰安婦」でなく)の概要以下をご覧ください。--如月の弥 2008年10月23日 (木) 16:10 (UTC)


冒頭文再考[編集]

冒頭文についてはこれまで主に以下のような議論がありました

如月の弥さんから利用者‐会話:モトカル#慰安婦、雑で慰安婦に関する保護解除の話をしようとの提案がありました。 まずは以前から議論のあった冒頭文について話したいと思います。如月の弥さんは保護されている現在の冒頭文のほうが2007年6月4日 (月) 23:15 モトカルなどよりましな理由として3点を挙げられました。

(1)建前上は慰安所制度は管理売春所だったことは明らかで、それさえも不明にするのは研究の無理な混ぜっ返しだ。

(2)「従軍慰安婦」という語はもめ事のもとであり、「戦後、人により」と加えることは当然だ。

(3)「性奴隷制」などと、まるで用語として定着しているかのように使うべきでない。

(1)について、慰安婦関係の文書で”管理売春”という言葉を使うのはあまり見かけないように思います。制度を言うときは”公娼制度”という言葉が比較的使われているように思います。管理売春という言葉は「従軍慰安婦」という言葉と同様に戦後の言葉のように思います。

この慰安婦問題は性、売春、女性の人権などに対する意識や価値観が変わった現代から過去の歴史を見ること生じているという面も大きいと思います。ですから、用語の使い方には慎重になるべきだと思います。また、慰安婦になることにおける強制性や報酬の有無などに関し、一律に語ることが不正確さを招き、編集をめぐる余計な論争を呼びます。

特に、冒頭部の箇所で総括的に書いてしまうと、詳細が書けない分、中途半端で、不正確な記述になってしまいます。これは如月の弥さん自身も以前から、「もめるようなら、「冒頭は簡略に、それ以後は充実」していけば大きなずれは防げるのではとおもいます。 」と述べられtおり、火の鳥さんや草苺さんなども「冒頭は簡潔な方がいい」との意見を示されていました。

制度のことや報酬のことは冒頭部分における慰安婦の最低限の説明としては必ずしも必要ではないと思います。せっかく、それぞれを説明する節があるのですから、そこで中立的な観点に基づき、各論をきちんと書くのがいいと思います。 総括的な書き方は出典によらず書く場合が多いですし、たとえ出典を出しても、特定の出典に基づいて書くこと自体が、「中立的な観点」上問題があることもあります。 以前に特定の辞書を出典に「旧日本軍の性の相手をさせられた女性たち」としようという意見がありました(ノート:慰安婦/定義)。

(2)について、「従軍慰安婦」という語には、「戦後、人により」との説明を付加することは間違いではないですが、人によりとはどういう人かが不明確です。日本軍が強制連行したこと批判する立場からの用語ですが、冒頭分にそこまで書くのは煩雑ですし、用語についての節でしっかり説明されているので、あえて「戦後、人により」と書かなくてもよいと思います。

(3)「性奴隷制」という言葉は批判側でどれかくらい定着しているかわかりませんが、その言葉を使わなくても強制されたという言葉でもいいと思います。

--モトカル 2008年5月10日 (土) 07:49(UTC)

かんたんに説明を加えましょう。
(1)管理売春 管理売春と公娼の違いは、公娼は衛生を管理し職業と認められているということで独立営業もできるはずです。実際「貸座敷」という言葉は、売春は娼婦がかってにやってることだという建前だったと思います。しかし、管理売春という言葉は、娼館主が女性を住み込みで抱え込んだことを意味すると思います。つまり、その言葉は娼婦街の娼館で彼女等が不自由な立場に置かれた環境を表します。 吉見教授が公娼も奴隷だという意味はここにも大きく関わってきています。 また、国際条約でいう性的奴隷とは、前借り借金で制約されていたことも含みます。 そのために娼婦の逃亡があり、それを防ぐ意味をかねて、娼婦街の出入り口に見張がいたという点が、性的奴隷制と言われる、様相を呈していたということです。
(もちろん、当時の常識として商行為でした。 しかし無せるなら無くした方がいいと見られている制度でした。 なくせなかったのは、売春がなくならないから、性病予防の点がブレーキとなっていたようです。(慰安所項目冒頭で少し書いていたけど、見張ってなかったので、今削除されています))
なので、管理売春という言葉は、性奴隷という誤解してしまう言葉よりも、はるかに中立的に正確に両方の視点を伝えている言葉なのです。 たしかこの部分はもともと私が書いたのではないでしょうか。
(後に追加挿入)この用語は、現代の暴力団による売春を取り締まるにも、管理売春対自由売春という形で用いられ、しかも当時の遊郭を示すことも常識であり、誤解させないための骨格がそろっています。有益な用語だと思いますよ。Infoseek マルチ辞書でも、「自己の占有・管理する場所または指定する場所に居住させ、売春させることを業とすること。売春防止法上の犯罪。」とあるので定義は明確でしょう。ただ、当時は犯罪ではなかったので、「管理売春の形」とするべきかもね。
ま、この用語自体にこだわりたくないものの、これを捨てた後にいつか別のことで混乱していくならばかばかしいと思うので、解説しておきます。
(2)従軍慰安婦 現実にあちこちでよく抗議が見えるし、左関係もその用語にこだわっているわけではないと、詳細部分で書かれているようです。 わずらわしい長さだとは思えません。消すか残すかの中間だし。
(3)性奴隷 性奴隷制という用語を使いたい人のために、詳しく書いておきます。
性奴隷という言葉は、前述のように、戦前のいわゆる奴隷条約において、「前借り借金を含めた当時の公娼も含んだ全体」的な意味であり、一部の労働者の強制的な労働条件も含めて奴隷労働とみなして、国際的に廃止しようとしていた時代の呼び方をもってきたものであり、そういうことをしっかり説明しないと誤解させるだけです。その誤解させるために性奴隷という言葉が国際的に多用されている、と思えます。まるで「性奴隷=被虐奴隷」のようにしか想像できない文章が多いですよ。 協力すべきではありません。 性的な奴隷就業に等しい、とかいう言い方ならともかく。
それに全体の文脈として、建前とは別に実態が「○○奴隷制」だった、などと続けると、管理売春以上の古代の奴隷制が裏で正式だったみたいになってしまいますから。 実態に大きな犯罪があっても、制度の建前は別にあるので。

--如月の弥 2008年5月10日 (土) 12:36 (UTC)

丁寧な御説明ありがとうございます。「管理売春」という言葉はウィキペディアにも独立した言葉はありませんし、性的奴隷という言葉が誤解を招く懸念を指摘されるとすれば、「管理売春」という単純化した言葉にも慎重になるべきではないでしょうか?これまで慰安婦の項目において「管理売春」という言葉は少なくとも私の知る限り、なかったように思います。
ですから、「管理売春」という言葉が”中立的に正確に両方の視点を伝えている”とはあまり思えません。言葉そのものそうですが、どういう文脈で使うかにより「中立的な観点」による記述ではなくなることがあります。ですから中立的な観点の文書には「対立する見方について紹介しつつも、特定の見方を支持するものになっていたり、意見ではなく事実を記述するものになっていたとしても、その記事は依然としてどのような立場に立って書かれているかを読者にそれとなく感じさせるものになっているなら失敗」 と書かれているのです。
慰安婦制度自体が商行為であったがどうかが正に議論になっているのですから、「制度は・・・だが、実態は・・・・とする主張もあり」などと冒頭に安易に書くのは控えたほうがいいと思います。どうしても言葉足らずで誤解や論争を招きやすいものだと思います。
また、「報酬が払われていたとはいえ」という(報酬はなかったという主張も載せている)報酬の節を無視した記述は論外です。
冒頭に書くのは「従軍慰安婦とも呼ばれる。」までのあとは商行為であったかどうか、強制連行があったかなかったかなどの議論があるというぐらいでいいのではないでしょうか?それ以上のことを書き出すと、いろいろ問題が出やすいと思います。
「従軍慰安婦」についてはわずらわしい長さだというのは日本軍が強制連行したこと批判する立場からの呼称というところまで書く場合です。
「戦後は従軍慰安婦という呼び方もなされるようになった。」くらいでしょうか?「一部」などと書くと、小数か多数かの異論も出てしまうかとも思います。
「性奴隷」という言葉は「管理売春」という言葉と同様に不要な誤解を生じやすいのでやめましょう。--モトカル 2008年5月10日 (土) 14:28 (UTC)

冒頭の方針――ローカル基準
私としては、文案以前に、方針原則を立てることが大切だと思います。それは正体不明の狭い人数で合意してコミュニティを名乗るのでは、尊重される理由に足りないからです。 それはウィキペディアの創設時点で理解されているようで、ウィキペディアは民主主義の実験場ではないとされているわけです。
ここで原則に足るのは、中立で真の客観的真実の追究に貢献するための公正な方針です。いわば、三つの編集方針のローカル冒頭応用版です。このローカル原則が公正という尊敬を受け、この項目の現状に対して適当な方法であると、一般の人に認識されるようであって初めて、それを理解して意見を書く人が、百科事典の編集コミュニティ成員だと見てもらえるでしょう。 そうでなくてコミュニティを名乗る資格はありません。

方針案として、以下のシステムを考えています。

1.冒頭部には、評価にかかわるような結論表現を置かない。
2.冒頭部を十分「定義」しなければいけない、などと考えるのは争いのもとなので考えない。ここは「項目の輪郭」を示すものと了解する。 事典の項目は、他の項目と微妙な重複をすることもある、と了解する。
3.用語や表現が細かくなると次々と増殖しやすいので、冒頭部に限ってバランスのための表現追加よりも、バランスのための削除を方向としては優先する。
4.用語や表現の内容の蓄積を多数の編集者間で了解しておきたい。たとえば、前回の解説のように、冒頭に使われやすい用語について、そのような理解があったということと、こういう理由で使わなかったということを残しておきたい。
( たとえば、管理売春というのは、何かの理由で混乱した場合に役に立つ用語ですから、今は使わなくても、「意味不明」ということで消し去らずにノートでは了解しておくべきでしょう。(解説の追加を挿入済み))

用語と表現について、以下を考えています。

1.上記の(1)~(3)(+その他)を了解し合う。
2.内容理解と中立性の評価とを分けて了解をする、という方が厳密。
3.慰安婦問題を注目したい立場の側からの用語了解が一人以上はほしい。

また、必要条件ではないが、中立、客観的真実、公正にについて、ここなりの理解を育んでおきたい。

1.例えば、赤や黄色に見えるものがあって、「赤だ」「黄だ」という対立があったとして、「おおまかにいって朱色だと見られている」と書くのは、事典としての中立ではありません。 中立を作り出してはいけません。 真実は、茶色かもしれません。
また、白石の場合、資料を捏造的に紹介しています。これが、正式の地位のある研究者だったとしても、それを指摘せずにせずに主張を紹介することは、中立ではありません。 指摘が一方を傷つけるというなら、白石そのものを消去すればいいだけ。(ただし、誤解を長く広めたら、訂正期間が必要です)
( 厳密にはこの場合、モトカル氏の編集によって、その資料との矛盾を指摘した脚註が読者に見飛ばされやすくなってしまった、ということですけどね。 )
この議論無しにでも白石は除去できますが、中立について重大な点なので、課題として出しておきたい。

こういうことで、もう一人、慰安婦問題について、別の立場からの(ものの理解のいい)参加がほしいです。
具体的には、女性人権感覚的な立場からの火の鳥さんのような。草苺さんは第三者風に見受けられ有益ですが、さらに反対側の人がほしい。でなくば信用できる方が名乗り出られるといいのですが。

以上の達成の方が、早い解除よりも大切なことだと思います。 ウィキペディアの項目は、永遠に未完成であり、一時の合意よりも、基礎を作ることが大事です。 また、記事が疑わしければ、ノートを見る読者もいるでしょうしね。 --如月の弥 2008年5月11日 (日) 06:49 (UTC)

解除された以後の編集の問題を予防するためにも冒頭部についての三つの編集方針のローカルルールを立てるということはいいことですね。現在の保護に至る原因となったようなノートでの議論を無視した独断的書き換えというものが特に冒頭部では行われやすいですから・・・
4つの提案は非常によいと思います。ただ、「管理売春というのは、何かの理由で混乱した場合に役に立つ用語ですから、今は使わなくても、「意味不明」ということで消し去らずにノートでは了解しておくべきでしょう。」というのは冒頭部ではとりあえず使わないことにするが、使わない用語とは規定しないということでしょうか?
>1.例えば、赤や黄色に見えるものがあって、「赤だ」「黄だ」という対立があったとして、「おおまかにいって朱色だと見られている」と書くのは、事典としての中立ではありません。 中立を作り出してはいけません。
これは言葉としてはまったく当たり前のことですが、この慰安婦の項目においては「商行為であったかなかったか」、「報酬があったかなかったか」、「強制連行があったかなかったか」という対立についてはどう記述すべきということになるのでしょうか?
>もう一人、慰安婦問題について、別の立場からの(ものの理解のいい)参加がほしいです。具体的には、女性人権感覚的な立場からの火の鳥さんのような。草苺さんは第三者風に見受けられ有益ですが、さらに反対側の人がほしい。でなくば信用できる方が名乗り出られるといいのですが。
これには同感です。。--モトカル 2008年5月11日 (日) 16:01 (UTC)
(まず、上記方針案の2と、中立の色の例に、追加挿入しました。)
>『(管理売春を)使わない用語とは規定しないということでしょうか』
何年か先に、1~4の基準でも治まらず元に戻らなかったときのために、使えるかもしれないと思います。そのときでないとわからないけど。
>『「商行為であったかなかったか」、「報酬があったかなかったか」、「強制連行があったかなかったか」』
「削除的にバランスを取る」ということで対応すべきかと。つまり、文字数を極力減らし、感性表現を追加しにくい文にするとか。
たとえば 「商行為、報酬、強制連行などの存否を含めた実態が議論になっている」 という書き方でしょうか。
>『(別の参加者について)これには同感です。』
では、別の参加者が来てくれることが、第一の重要問題ですね。。--如月の弥 2008年5月12日 (月) 11:05 (UTC)
>事典の項目は、他の項目と微妙な重複をすることもある、と了解する
この文は何を意味しているのかちょっとわかりかねます。
>>『(管理売春を)使わない用語とは規定しないということでしょうか』
>何年か先に、1~4の基準でも治まらず元に戻らなかったときのために、使えるかもしれないと思います。そのときでないとわからないけど。
私としては冒頭部においては使うことを控えるべき言葉だと思いますが、本文中においては使わないと規定しようとまでは思いません。
>「削除的にバランスを取る」ということで対応すべきかと。つまり、文字数を極力減らし、感性表現を追加しにくい文にするとか。
たとえば 「商行為、報酬、強制連行などの存否を含めた実態が議論になっている」 という書き方でしょうか。
これはかなりよい文案だと思います。
>>『(別の参加者について)これには同感です。』
>では、別の参加者が来てくれることが、第一の重要問題ですね。
コメント依頼などで、それなりの参加者を呼び込み、この項目に限らず、編集合戦の起きやすい項目をどう記述して行くかのモデルケースになればいいなと思います。--モトカル 2008年5月12日 (月) 13:20 (UTC)
>『>事典の項目は、他の項目と微妙な重複をすることもある、と了解する 』
これは、朝鮮戦争の韓国軍や、戦後の占領軍相手の場合を含むかという議論を避けるためです。
>『(管理売春について)私としては冒頭部においては使うことを控えるべき言葉だと思いますが、本文中においては使わないと規定しようとまでは思いません。 』
将来使うことを約束する必要はないと思います。用語と理解を蓄積することができればいいです。---如月の弥 2008年5月12日 (月) 14:55 (UTC)

>>『事典の項目は、他の項目と微妙な重複をすることもある、と了解する 』 >これは、朝鮮戦争の韓国軍や、戦後の占領軍相手の場合を含むかという議論を避けるためです。

「微妙な重複をすることもある」とはかなり抽象的言い方で結局どうするのかわからないですね。朝鮮戦争の韓国軍や、戦後の占領軍相手の慰安婦(この呼称で呼ぶかはさておき)についても「慰安婦」の項目の中で書くということでしょうか?

>将来使うことを約束する必要はないと思います。用語と理解を蓄積することができればいいです。

承知しました。--モトカル 2008年5月13日 (火) 13:48 (UTC)

>>『事典の項目は、他の項目と微妙な重複をすることもある、と了解する 』
韓国の慰安所などへの少々の言及は、まったく構わないということです。あまり大巾になると別に独立させようという話も出てくるでしょうが、別にしたからといって言及をなしにする必要はない、という姿勢です。 事柄として関連がある(呼び方の語源で、内容が近く同一定義でくくれるという意見もある、となれば)ことは言及して、事典として自然です。 --如月の弥 2008年5月16日 (金) 13:03 (UTC)
これには同感です。日本軍だけでなく他の国の軍隊にも同様に慰安婦がいたという意見と、日本軍の場合だけはまったく別のものであるとする意見があるということは書くべきだと思います。この見方の対立も慰安婦問題の一部ですから・・・--モトカル 2008年5月17日 (土) 13:30 (UTC)


 >『(管理売春について)私としては冒頭部においては使うことを控えるべき言葉だと思いますが、本文中においては使わないと規定しようとまでは思いません。 』

 私はこの言葉を取り除くことに対しては絶対的に反対します。何度も何度も申し上げますが、モトカルさんの従来よりの姿勢である言葉狩りの方向に進むのであれば、当然同意出来ないばかりか反対せざるを得ません。Ip218-44-81-60 2008年5月17日 (土) 13:26 (UTC)

Ip218-44-81-60さん、意見を述べるときは是非その理由を明確にして下さい。「言葉狩り」などというレッテル張りをするのではなく、なぜ「管理売春」という言葉がこの項目の冒頭文に必要かをきちんと述べて下さい。ただ反対を唱えるだけでは議論ではありません。
それから私が従来から言葉狩りをしているというのはまったくの誤解です。
2007年5月28日 (月) 22:08の版での変更部分で「商行為であったのか」という部分に「売春」という言葉を付加し、「「売春」という商行為であったのか」と変更したはそもそもわたしなのです。その後も編集合戦になってからもその言葉を削除したりはしていません。2007年6月3日 (日) 04:09の版による変更点などのように「中立的な観点」をまったく理解しない断定的記述は変更しましたが、それでも、「売春」という言葉をそれにふさわしい文脈に戻しただけで削除などしていません。この項目に使うべきでない用語でない限り、特定の言葉を排除しようとは思いません。ただ、同じ用語でもどの文脈で使うかはよく吟味しなければならないということを理解して下さい。
それから慰安婦の制度について言及する場合、(冒頭部で使うかどうかは別にして)慰安婦問題においては使われることがそれほど多くなく、「売春防止法」により犯罪と規定された「管理売春」という言葉よりも戦中から使われて来た言葉であり、慰安婦問題でも使われることの多い「公娼制度」という用語を使う方がやはりいいと思います。--モトカル 2008年5月17日 (土) 16:59 (UTC)
 私としては、管理売春が認知度が低いという意見は尊重してもいい。 しかし、規定は明確で、現代には犯罪要件でも過去に合法なのは当然理解できると思う。 また、冒頭をより簡潔にしていくと、「制度としては管理売春の形態をとっていたが、」とより簡潔化した形になることを考えておいてください。
 でまた、Ip218-44-81-60さん、重要なのは冒頭の揺れを一定の範囲に留めることだと思うのですが。 そのためにも、基礎の基準に賛成してもらえる人が広く加わってほしいし、自分の考えを主張の形でなく、論理の形にしてほしい。  主張  要求の形の言葉が並んでいたんでは、公正さの基準なんて役に立たないでしょ。 まあ、今の冒頭の文末に、‘いろいろ問題になっている’などとくっついているバランス上なんだろうと想像していますが。

--如月の弥 2008年5月18日 (日) 18:29 (UTC)

半年後の感想(2008-11-2)[編集]

 思うに──。 モトカル氏の主張の基礎の一つは、この「慰安婦」を'「慰安婦問題」として受け取る'というより、‘この語は「慰安婦問題」としてしか示すべきでない’という政治的感覚だと思います。その結果、まともな研究者のすべてが責任を持った論文で見ている認識と一般の理解とが違う場合、古い一般の理解に合わせようということが生じるようです。
 それはまあわかる面があるが、──節「冒頭文(保護解除に向けて)」のトップに掲げている文案を見ると──、その古い一般の傾向に合わせて、学者の見解を主論と異論とに差別的に分けています。これでは事典ではなく辞典ですよ。絶対に認められません。・・・で、しかしその後、草苺さんとの会話で、節「冒頭文の提案」で別の案を持ってこられてますね。
 これを基に会話すればよかったのかなと思うのですが、半年前今年五月のIp218-44-81-60氏とはそういう内容ではないですね。ちょっとモトカル氏の現時点の文案がわからない。 
 Ip218-44-81-60氏は「管理売春」を残すことに限定して「商行為」を引っ込めているようなので、その時点で妥協なく頑固な人だとは言えないのでは。
   ・・・・結局文章全体としてどう練るかという話にならずに、会話が途切れてしまいましたね。 議論が止まっているので自分の意見を書くが、

<用語について>
 建前制度としての売春・商行為要素として、一つの用語で表すなら「管理売春」が最も妥協した最低限の言葉で、かつ本来学者間で争いにくい意味だと上述していますが、これをなじみのない言葉だとモトカル氏は反対している。私が思うのは、なじみがないからこそ、論争の手垢にまみれず、読者は誤解せずに辞書を引こうとし、辞書が変化する心配がない、と思ったのですが。  そして、「制度として」と「実態としては」はセットの表現だと思うのがふつうです。冒頭だけを引用して偏った解釈をする人がいても、それを聞いたほかの人はそう受け取らないでしょう。 

<何を文案とするのか、とその評価>
 私としては、今の (1)冒頭文が許せないほど不満な人はほとんどいないと思います。 報酬については兵たちが支払っていたことは確かだから、表現の調整ですむでしょう。火の鳥さんも今はそうではないかな? モトカル氏の (2)節「冒頭文(保護解除に向けて)」に掲げた文案が今も主張ならば絶対に認められませんが、 (3)節「冒頭文の提案」の文案なら問題ないかと、今は一応ね。

 それとは別に、「慰安婦」を慰安婦問題としての輪郭で説明すべきという考えは、考慮に値します。それはすでに下の節「 冒頭文の、より具体方針案 」で書いたわけですが。・・ちょっといろいろ案が出過ぎましたかねえ。
--如月の弥 2008年11月2日 (日) 06:04 (UTC)
大訂正--如月の弥 2008年11月2日 (日) 12:05 (UTC)  

冒頭文の、より具体方針案[編集]

5.「慰安婦」とはどういう人を指すのかの境界線を第一とする(ほぼ現状の第一行のまま)。
(5-1) 制度は、「慰安所制度」であり「慰安婦制度」でないことを明確にし、慰安所運営の実態についての慰安婦であるという使い分けをする。
(5-3) 「慰安婦問題」とはどういう焦点で争っているのか、を分けて書く。隙間を空けた改行以降で書くか、概要以降に回す。
 ──という案を置いておきます。(後はまた休もうかと)

 この理由は、
1)慰安婦「問題」の視点を重視した扱いをすると、強制連行をまだ信じている人たちを含めた中立が議論の種になり、これでは人類の知識は進歩しない。それをするなら、項目名自体を「慰安婦問題」に変えないといけない。 また、言葉の意味を整理すると、制度として慰安所(これも時代とともに変遷しているが)があり、その中での慰安婦の実態が争われている、はず。 2)資料研究から説明すると慰安所制度を中心とすることになり、一方慰安婦問題を気にすると証言の扱いの比重が問題になる。どうにもぶつかりやすい。

 というわけで、たとえば
文例として、冒頭案C

文例として、冒頭案C[編集]

 構造

  • 1 慰安婦の呼称。
  • 2 制度としての慰安所(のわかっている範囲)。+ 実態としての慰安婦(の諸説)。
  • 3 慰安婦問題(の捉え方の違い)。とに分ける。

 この中の組み合わせとして、
 1、 1+2、 1+3 、全て、 4つのどれかを選択する。
 (また文の推敲においてはとくに、2、3の簡略化、が予想できる。)


 案C
「慰安婦(いあんふ)とは基本的に、日中戦争から太平洋戦争当時に慰安所と呼ばれた外地の施設で旧日本軍の軍人の性の相手となった婦女の総称である。戦後、人により従軍慰安婦とも呼ばれる。

慰安所制度はもともと、主として軍指定保護下で専属に近い「管理売春」業として設定されたが、時と場所によって軍の管理度他の実態に変遷がある。

慰安婦達の募集や待遇の実際・契約についても、内地の公娼に比べて恵まれていたという他に、詐欺的募集とか自由のない奴隷的労働という論もあり、戦況による変化などもあって、その境遇への総合的評価は論者の立場によって大きく異なる。

いわゆる慰安婦問題は、'90年代前半までの初期には韓国人慰安婦の強制連行の問題として浮上した。 その後は慰安所での境遇の責任の所在(広義の強制)へと研究の比重が移っていくが、それは日韓の一般向けには明瞭な転換として広められず、1993年の河野談話も含め、大規模な強制連行の主張が並存する不明瞭な広義化混乱化と受け取った者も多い。 2007年に、阿部首相が広義の強制の意味合いが国際的に広まっていると認識して、この二つの強制の意味の転換を認めている。


--如月の弥 2008年10月26日 (日) 追加修正--如月の弥 2008年11月2日 (日) 11:21 (UTC)


 上記に、構造の考え方など修正を入れました。
 これで、草苺、モトカル、Ip218-44-81-60の3氏の最も後の方の内容が入っているのではと思います。  これを基に、組み合わせをいくつか候補に上げ、推敲として中立の確認と簡略化の検討をして、まとめればいいのではと思います。

 なお、「管理売春」という用語は、ウィキの売春関連にもありますよ。「表示」でも「検索」でも、法律用語として出てきます。別に存在する用語だと読者に伝える意味で「」をつけています。 --如月の弥 2008年11月4日 (火) 16:15 (UTC)

方針にかなう注釈とは[編集]

二つの議論が併行するとややこしいので、上記の冒頭文についての節とは別に、注釈についての節を設け、それまでの議論のうち、注釈の件に関する部分だけをこの節に移動しましたので、御了承ください。--モトカル 2008年5月13日 (火) 14:26 (UTC)

>白石の場合、資料を捏造的に紹介しています。これが、正式の地位のある研究者だったとしても、それを指摘せずにせずに主張を紹介することは、中立ではありません。 指摘が一方を傷つけるというなら、白石そのものを消去すればいいだけ。(ただし、誤解を長く広めたら、訂正期間が必要です)
まず、前提として、特定版削除により、その件に該当する編集の履歴がなくなっているので、当時の編集がどのようになされたかについては正確な議論ができません。白石論文自体は著名活動をしていない人のウェブサイトという理由で、削除に合意しましたが、この白石論文に限らず、”個人的な注釈を書く”ことがウィキペディアの方針に適うかどうかという問題があります。
様々な見解を紹介する箇所において、特定の見解だけに対し、その妥当性、信憑性を左右するような個人的な検証による注釈を書くということは、「Wikipedia:独自研究は載せない」という方針に加え、「Wikipedia:中立的な観点」の方針からも問題がないと言えるかは今でもやはり疑問に思います。
方針により禁止されている「独自研究」とは「発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈など
ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、論証も、信頼できる媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません。
あなたの投稿内容が独自研究ではないと証明する唯一の方法は、あなたの主張と同じ主張をしている、あるいはあなたと同じ視点に立っている信頼の出来る公表済みの資料を示すことです。
これらの方針を具体的な場面でどう解釈するかについてはウィキペディアにおいてもっと議論される余地があるように思います。--モトカル 2008年5月11日 (日) 16:01 (UTC)
白石については、
まず大切なのは、他の参加者がやってきてくれることなので、去年の二の舞は避けたいですね。
かんたんに書きおいて、あとは他の人の常識に任せます。あなたも資料捏造を積極的に掲載したくはないはずだし。
かんたんに。
過去の具体例でなく、今の本文を例として、考え方の問題です。
あなたは以下の0)~2)を主張してきて、私は今回も0)~2)をテーマ設定しているが、あなたは今回 1)しか書いていない。1)のテーマ単体についての意見の違いもあるが、より重要なのは、1)×2)です。
0)、白石が資料を捏造して説明した事実は否定していない。
1)、しかし、白石の資料説明が捏造だと判断するに必要な資料の提示を、「指摘するのは違反だ」とする。
2)、明かな違いと知っても、掲載することを義務とする、または削除を禁じる。
以上の文の微妙な表現には抗議されるかもしれませんが、そういうテーマです。
記事表現の感覚の違いは別のことだと思います。--如月の弥 2008年5月12日 (月) 11:05 (UTC)
>白石については、
>まず大切なのは、他の参加者がやってきてくれることなので、去年の二の舞は避けたいですね。
やはり、こういう問題についてのそれなりの考えを持った利用者の意見が聞きたいです。
>0)、白石が資料を捏造して説明した事実は否定していない。
私自身は如月の弥さんに「如月の弥さんの「白石論文」に対する指摘を書いて頂き、それが「事実の指摘に等しい論証」であるか否かを検討することから始めましょう。 」と提案しましたが、これには答えていただけませんでした(#第三周期)。ですから、白石氏が資料を捏造して説明したのかどうかわかりません。
>1)、しかし、白石の資料説明が捏造だと判断するに必要な資料の提示を、「指摘するのは違反だ」とする。
”資料の提示”を違反だとしたのではなく、”捏造だと指摘している著書(出典)の提示なしに、捏造だという個人的な注釈を書くこと”が「独自研究は載せない」、「中立的な観点」の方針上、問題があるのではという疑義を示したのです。
>2)、明かな違いと知っても、掲載することを義務とする、または削除を禁じる。
「掲載することを義務とする」などと主張したことはありません。ウィキペディアにおいて、掲載”すべき”基準ではなく掲載”できる”基準として、「Wikipedia:検証可能性」の方針にある「ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。」という言葉を示しました(#第三周期)。また反対に『載せる資格がない見解』として、「出典がない」、「検証可能性を満たしていない」、「独自研究である」、「著作権を侵害している」というもの」という個人的見解を示しました(#ウィキペディアの方針再考)。
また、「明かな違いと知っても削除を禁じる」に関しては「中立的な観点」にある「われわれは、不快感を催すような見方(「疑似科学」、人種差別や性差別などの「差別主義」、「ホロコーストの否定」など)であっても説明しなければならない、それが誤りであると主張することなく説明しなければならないことに同意するべきでしょう」と言葉を引いて、「大多数が「ウソである」、「事実でない」、「反対である」、「悪い」などと考える主義、主張であったとしても「人類の知識」の一つとして説明すべきである。かつ、それを「ウソである」、「事実でない」、「反対である」、「悪い」などと主張するかたちでの記述をしてはならない」ということだと思うとの見解を示しました(#ウィキペディアの方針再考)。--モトカル 2008年5月12日 (月) 13:20 (UTC)
白石の件。かんたんに。
0)について
事実の捏造については、何の資料かは語っているし、ノートや記事ページからリンクがありましたよ。 当然の事前知識でもあり、直接議論文中にリンクを貼らなかっただけ。
1)について
>『捏造だと指摘している著書(出典)の提示なしに』
そういう文脈のつもりだったかも知れませんが、私は提示しているつもりだし、ときどきのまとめ直しにも「提示無しに」などという表現の記憶がありません。
それだけが違いならば、この1)のテーマは片付いたかのようですが・・
2)について
>『「掲載することを義務とする」などと主張したことはありません』
それに続いて書いていることは、嘘を非難せずにわざわざ掲載することが義務だと書いているに等しいですね。そして、「非難すること」と「欠点を隠させないように資料をすぐそばに置くこと」を同じ行為だと見なした会話をしてきていた。 これではあなたは 1)と2)を一体に義務だと語っているのと同じ。
細かい部分から忠実に足し合わせたつもりでも、誤差は重なるので、書く人が自分の頭で規約の目的を果たすことを考えるべきでしょう。---如月の弥 2008年5月12日 (月) 14:55 (UTC)

>事実の捏造については、何の資料かは語っているし、ノートや記事ページからリンクがありましたよ。 当然の事前知識でもあり、直接議論文中にリンクを貼らなかっただけ。

該当箇所がノートも含め削除されたので、議論の中で如月の弥さんに捏造だという論証を求めたのに、説明していただけなかったということです。

>『捏造だと指摘している著書(出典)の提示なしに』 >そういう文脈のつもりだったかも知れませんが、私は提示しているつもりだし、ときどきのまとめ直しにも「提示無しに」などという表現の記憶がありません。

”如月の弥さんが資料を提示していない”ということではなく”「白石氏が資料を捏造して持論を述べている」という指摘をしている具体的な著書を提示していない”ということです。

>『「掲載することを義務とする」などと主張したことはありません』 それに続いて書いていることは、嘘を非難せずにわざわざ掲載することが義務だと書いているに等しいですね。

方針の解釈を確認し合うことが大事なので、そのような極端な捉え方をしては生産的な議論になりません。ウィキペディアには何でも書けるわけではなく、方針上書きたくても書けない場合があることが往々にしてあることは経験なさってはいませんか?

わたしは「掲載してよいもの」、「掲載してはいけない」ものをウィキペディアの方針から述べているだけです。ですから、”「白石氏が資料を捏造して持論を述べている」という指摘をしている著書が実際に存在すれば、それを出典として白石氏が資料を捏造しているということを様々な観点の一つとして当然掲載できるのです。ただ、そのような出典なしに、個人的に資料を見比べて捏造だという注釈を書くことはウィキペディアの方針上問題があるのではと指摘したのです。それは以前から繰り返し述べていることです。

>そして、「非難すること」と「欠点を隠させないように資料をすぐそばに置くこと」を同じ行為だと見なした会話をしてきていた。 これではあなたは 1)と2)を一体に義務だと語っているのと同じ。

単に「資料をすぐそばに置く」ということにとどまるなら、あれほど問題視はしなかったでしょう。個人的に資料を見比べて、白石氏が資料を捏造していることがわかったから、そのことを注釈として書かせないのは不公平だと主張されたからです。公正な議論のために言葉は正確に論じてください。

>細かい部分から忠実に足し合わせたつもりでも、誤差は重なるので、書く人が自分の頭で規約の目的を果たすことを考えるべきでしょう。

ちょっと、意味がわかりづらいです。白石氏の見解は著名活動していない人のウェブサイト上の見解という理由で削除の方向なので、この件そのものではなく、「独自研究にならない注釈、中立的観点に反しない注釈はどのようなものか?」という普遍的なテーマを論じるということだけは明確にしておきましょう。--モトカル 2008年5月13日 (火) 13:48 (UTC)

「基本的に何が問題なのか」という要点について新しく整理して合意することができないことが、はっきりしました。
あなたは、『「白石氏が資料を捏造して持論を述べている」という指摘をしている具体的な著書を提示”』しないと、資料の提示はできないというわけですね。これは、明確に、1)です。
その上で、『極端な捉え方をしては生産的な議論になりません。』 というのは、2)を主張しているからだ、としかとれません。
これでは、1)×2)を構成します。その極端な場合を許容しろというように読めます。
以前あなたは私の注釈について、『これは単なる事実の指摘で”解釈”までは述べていないので、個人的にはこの辺がギリギリの線なのではと思います。 』 と認めていたはずですが。
この問題は、白石がただの学生か、論戦しているメジャー研究者か、という比較であれば、大した問題ではありません。しかし、マイナー研究者だと、大した反論する必要もなく無視されてきたこともあり得、わかりきった欠陥を隠して間違ったことを宣伝することになりかねません。 ウィキペディアの影響力は大きくなる傾向にあり、つまらぬ意見を普及させる危険を自覚しないのは社会的良心に反します。
また、メジャー研究者でも、片方が捏造的な非難をすることはあります。片方が上品にも反論しない場合、捏造を知っていて指摘せずに掲載するのは、社会的危険が大きいです。
一応、違いが明らかになったと書いたとはいえ、ただの混乱の一瞬の様相かもしれません。
脈絡が乱れたまま続けるより、別の場所、たとえばそれぞれ自分の利用者ページorブログを設定して、自分のテーマ設定を宣言して、自分で完結的に書いた方がいいのかも知れませんね。 その上でテーマのすりあわせをした方が混乱しないかと。
それと、「ウィキペディアの方針再考」の終わりに移動させた方がすっきりするでしょう。 --如月の弥 2008年5月15日 (木) 12:49 (UTC)
>あなたは、『「白石氏が資料を捏造して持論を述べている」という指摘をしている具体的な著書を提示”』しないと、資料の提示はできないというわけですね。これは、明確に、1)です。
議論をするなら相手の主張を正確に把握して下さるようお願いします。「資料の提示はできない」などとは言ったことはありません。「捏造しているという注釈を書く」ことにを問題にしてきたのです。「ウィキペディアの方針再考」の節の#第二周期でも、保護された現在の記事において如月の弥さんが資料に関する記述をされていることについて、「単なる事実の指摘で”解釈”までは述べていないので、個人的にはこの辺がギリギリの線なのでは」と述べていたではないですか?ですからその部分の記述は削除しなかったのです。
>その上で、『極端な捉え方をしては生産的な議論になりません。』 というのは、2)を主張しているからだ、としかとれません。
これでは、1)×2)を構成します。その極端な場合を許容しろというように読めます。
まず、2)のうち、「明かな違いと知っても」については如月の弥さんがそう考えているだけで、私はこれまで捏造だとも捏造でないとも言っておりません。そもそもどのような意味で如月の弥さんが捏造と主張されているのかは「今までの資料にあるものを「ない」と嘘をついて、自分だけの解釈をしている」という説明ぐらいで、これまであまり明確にされていませんし、#冒頭文について、2部 バランスとルールにおいて利用者:火の鳥さんが「白石氏の論文は、資料の解釈の方法に関する主張であり、そこに書いてある内容の基本的な点については一定の支持があると思います。」と言われたことに対して何の反論もされませんでした。
また、2)のうち「掲載することが義務」などとは言っていません。「掲載できる条件を示す」ことと「掲載することを義務と主張する」ことはまったく違うものですし、「掲載できない条件を示し」たことはあっても、「削除を禁じ」たことなどありません。 先回、そのような主張はして来なかったことを説明したばかりなのに、相手の主張をまたもやこのように歪めて主張されるるなら、白石氏のことは言えなくなりますよ。
>ウィキペディアの影響力は大きくなる傾向にあり、つまらぬ意見を普及させる危険を自覚しないのは社会的良心に反します。
反対に特定の見解にウィキペディアの立場で(客観的に見て正しくないかもしれない)評価を書いてしまうということも同様の危険性をはらんでいるとは言えないでしょうか?また、様々な見解を掲載しても、それが正しいものだとウィキペディアが紹介しているのではないことも忘れてはいけません。
>メジャー研究者でも、片方が捏造的な非難をすることはあります。片方が上品にも反論しない場合、捏造を知っていて指摘せずに掲載するのは、社会的危険が大きいです。
如月の弥さんの論によれば、火の鳥さんが言われたように産経新聞の古森氏の「慰安婦「契約の下で雇用」米陸軍報告書、大戦時に作成」の記事についても、「偽りの説明で集められたとか、慰安婦の生活が困窮していたとか、契約の原文にある「forced」などは意図的に避けられている」、「新しく発見された資料ではなく、以前から知られているミッチーナ関連の文書である」などという注釈を書いてもよいということにもなるのでしょうか?
>脈絡が乱れたまま続けるより、別の場所、たとえばそれぞれ自分の利用者ページorブログを設定して、自分のテーマ設定を宣言して、自分で完結的に書いた方がいいのかも知れませんね。 その上でテーマのすりあわせをした方が混乱しないかと。
テーマははっきりしているのです。「独自研究は載せない」、「中立的な観点」の方針から考えたとき、特定の見解について、その評価を左右するような注釈を書くこはどこまでゆるされるかということに尽きます。社会的影響力とか、社会的良心などの観点も度外視すべきではありませんが、やはりウィキペディアの公式方針に基づいた議論でないと意味がありません。まだ議論を続けられるお気持ちがあれば、是非、方針に基づいた主張をお願いします。また、「ウィキペディアの方針再考」の節はかのIPユーザーとの長いやりとりもあり、非常に煩雑になっていますので、可読性の点からも統合させない方いいと思います。--モトカル 2008年5月17日 (土) 13:30 (UTC)
わけがわかりません。あなたは、1)×2)には反対なのですか、擁護するのですか、考えないのですか。
そのようにいつも「言ってない」と書きつつ、その姿勢は強力に語っていたのと同じです。
>『掲載できる条件を示す」ことと「掲載することを義務と主張する」ことはまったく違うものですし』
私に対して、あなたが主張してきた立場は、そんな文があっても削除しないというものです。また、あなたは『「人類の知識」の一つとして説明すべきである』と書いています。義務に近いですね。
これらの受け取り方を私の捏造だなどという前に、自分はどう思っているのか、自分の立場と姿勢を自分の言葉で書くべきです。 私のいう 1)×2)に対してどうなのかを。
>『産経新聞の古森氏の・・・「forced」などは意図的に避けられている」・・・以前から知られているミッチーナ関連の文書である」などという注釈を書いてもよいということにもなるのでしょうか?』
当然でしょう。双方向に適用できますよ。なぜもちだすのかわからないほど当たり前です。
ただし、書く必要の程度によって、指摘する文章の中立感覚が問題になりますがね。 また、「「forced」などは意図的に避けられている」という部分は、非難の宣伝を受け売りするのはよくないので、根拠をしっかり知っておく必要はあります。 たとえばこの場合それは、公刊された龍渓書舎の本では 「自ら署名した契約により、前借り金の額に応じ半年から一年間の仕事に従事させられた」 とある文でしょうね。 根拠を確認して、根拠の捏造宣伝に利用されないようにすべきです。
>『それが正しいものだとウィキペディアが紹介しているのではないことも忘れてはいけません。』
気分的主張の問題よりも、まともな根拠があるから百科事典に載っているのだ、と受け取られることが問題なのです。 資料や根拠の捏造を語っているのですよ。 あなたは主張的感覚の中立を気にして、根拠の中立という概念がないのでは?と思ったりしますね。 記事とは根拠の紹介ですよ。
なにか根拠は眼中になくて、「考える責任はない」と言って逃げているみたいです。
>『テーマははっきりしているのです』
私から見れば、私の問題にしているテーマ(焦点)がうやむやに無視されていく文が並んでいるとしか思えません。
以下は、そのうやむやの枝葉について。これらへの返事があるでしょうが、再言及する意味はないでしょうね。
>『そもそもどのような意味で・・・という説明ぐらいで、これまであまり明確にされていません』
私は原理を問題にしてきました。あなたは私に原理的に反対していました。根拠を知ろうともせずに、無関係なのが編集者の立場だという姿勢だったはずです。 いまさら、十分詳しい説明を聞かなかった、などと言っても無意味でしょう。
>『一定の支持があると思います。」と言われたことに対して何の反論もされませんでした。』
捏造だという以上の反論が必要ですか。「一定の支持」とは、騙されている人々かペテン仲間が多いとしか受け取れないでしょう。「一定の根拠」というならともかく。 それを詳しく書けば、本文に書くべきだということを火の鳥さんはあなたと違って反対しないと思えるが、あなたはそれ以前に知ろうともしないことを主張していた。 私は別のことだから後回しだと受けているでしょう。あなたがそれを持ち出すのは、ずれています。
>『評価を書いてしまうということも同様の危険性をはらんでいるとは言えないでしょうか』
「指摘」は実際の本文においても、原理的な主張においても、資料の提示であり評価ではないと繰り返し書いているが、あなたは片方に不利になれば評価だと決めていた。いまさら、言葉のずれを蒸し返さないで、原理を語ってほしい。 資料と比較するとだめになるようなものは掲載に値しない、という選択を語らないのは 2)であり、そして資料への導きをシャットしたがるのは 1)ですね。 --如月の弥 2008年5月18日 (日) 17:35 (UTC)
念のため、混乱の例を追加。
>『テーマははっきりしているのです』 『その評価を左右するような注釈はどこまでゆるされるか』 『ウィキペディアの公式方針に基づいた議論でないと意味がありません。』 『まだ議論を続けられるお気持ちがあれば、是非、方針に基づいた主張をお願いします』
それでは、1)だけしか言及していない。 2)を無視している。 あなたの今までの言論は 2) を主張している。たまたま自分ではやらないとしても、他人が 2)をするのはよいことで、邪魔するなら 1) として禁じる、ということをずっと主張している。 「1)×2)」 をやりながら、1)だけがテーマだと今回の末尾で書いている。
もちろん、1)についてだけでも、互に異論がある。 しかし、1)×2) が問題なのは、去年の下線部からも続いていることだ。 --如月の弥 2008年5月19日 (月) 09:15 (UTC)
追伸、念のため。
1)×2) は、白石の件は例に過ぎず、中心は原理のことです。 --如月の弥 2008年5月19日 (月) 15:13 (UTC)
如月の弥さんとの議論はひとまずこれで終えたいと思います。わたしの主張を正確に把握しておられず極端な解釈をされるため、私は第三者に誤解を招かないためにも議論する前に如月の弥さんの極端な解釈ををいちいち訂正しなければならず、なかなか話が進展しません。
わたしはウィキペディアの方針に基づいて議論しているのに、如月の弥さんは「社会的良心」だとか(何についてか不明の)「原理」とか「根拠の中立」などという独自の概念を持ち出し、ウィキペディアの方針に基づいた主張がほとんどないので議論がかみ合わいません。これ以上続けるよりも今後は第三者の有益な意見の表明に期待しようと思います。
1)×2)に対して先回もきちんと答えているのに「反対なのですか、擁護するのですか、考えないのですか。」とまたもや尋ねておられます。こんなやりとりを繰り返すのでは議論になりません。
「白石氏が資料を捏造して持論を述べている」という指摘をしている著書が実際に存在すれば、それを出典として白石氏が資料を捏造しているということを掲載できる。」(検証可能性)
「白石氏が資料を捏造していることを指摘しているという著書(出典)の明示なしに、個人的に資料を見比べて「捏造だ」という注釈を書くことは方針上問題が大きい。」(独自研究は載せない)
読者の理解を助けるために単に資料の提示をすることが有益な場合もあることはわかります。しかし、特定の見解について、資料の提示にとどまらず、ウィキペディアの立場で(「捏造だ」とか「正論だ」などと)論評することには相当慎重であるべきだと思います。この「慰安婦」の項目においても以前、加藤官房長官の談話について、過去の参議院予算委員会での政府答弁が嘘であったことを認めた。」という記述に異を唱えました(ノート:慰安婦/Archive03#政府が嘘をついたという表現
そこでは「いくつかの事実からある結論を導くとき、それが自明の結論のように思えても、別の見方もあることが往々にしてある。だから安易に総括することなく、はっきりとした事実だけを書き、できるだけ”事実に語らせればよい”。それがウィキペディアの「中立的な観点」という方針だ」という旨の主張をしました。そういうことを考えると”捏造”などという言葉は大変重いものです。
大辞泉によれば捏造とは「事実でないことを事実のようにこしらえること。」とあります。捏造とは通常、意図的に嘘をつくことであって、白石論文がということではありませんが、例えば悪意はないが資料解釈がつたないゆえに、問題のある解釈をしている場合などは「捏造」と表現すべきではないでしょう。
如月の弥さんは「白石の件は例に過ぎず、中心は原理のことです。」と述べておられます。
原理とは時間や場所によって変わらない普遍的なものです。議論すべきは”原理”というようなものではなく、あくまでもウィキペディアの”方針”です。方針とはルール、決まり事です。野球で言えば、打球がこの白線の内にフェア落ちれば外に落ちればファールという約束事です。これは普遍的原理とは違い、白線の位置を変えれば、フェアかファールの範囲も変わります。ルールは完璧なものではなく、現実の運用面で問題が生じることもあり得るでしょう。
しかし、現実にあるルールを脇に置いて、特定の立場にたたないというウィキペディアの言う中立性とは違う「中立性」などの観点から議論しても意味がありません。とにかく、ウィキペディアの利用者間における共通言語は”原理”ではなく、”方針”であることは明確にしないといけません。そもそもこの節の題名は「方針にかなう注釈とは」なのですから・・・・--モトカル 2008年5月24日 (土) 09:57 (UTC)


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 私はまだ休憩期間で、今日初めて覗いて「原理」という言葉をちらっと見て、新ネタかと思ってあれこれ考えたけど、そこを見直すとそうでもないですね。ついでに整理したのを置いておきます。((10月25日追加)すみません、半年前のを見直してないので二重かもしれない。)

第三者のために
 さて、白石の件の今までの書き方をいったん忘れて書き直してみますと、

事実関係(テーマによって捉え方は違いそう)>
 白石が、明らかに嘘を書いていて、それがウィキに重要な反論のように載っていました。これはもともと資料が高価で、一般には調査検証が難しかったせいもあり、私はその内容が原本と食い違うところを指摘する脚注をつけました。削除せずに載せ続けたのは、それまでの訂正を一定期間読者に知らせる必要があると思ったからです。
 白石は京大のHPを使って発表していたので、モトカル氏が白石はまともな研究者とカン違いして、私の脚注は編集者の主張であるという理由で、白石についての文をその脚注を読み飛ばしやすい形にしました。
( また、脚注も原資料内容を直接指摘してあったのが削られていたが、それらは私が間接的指摘に変更したり微調整しました。が、本文から脚注への導きは元の形に復活させなかったまま、そこで定着した・・・ような気もします。他の件で削除されて記録が残っていないし、これはテーマの考慮外でいいです。)

判断の分かれ目の基準(=テーマ)>
 本文としては微妙な違いですが、その脚注を飛ばして読ませるなら、白石がたとえ資格のある学者でも載せるべきでない、と私は考えます。それは有名な議論のサンプルではなく、資料を持った人が読まないHPで流された捏造目的としかいえないレベルのものです。 しかも、検証による指摘を禁じて、機械的に一パートの対論の代表として扱うのは、捏造を知って加担するのとまったく同じです。(この資料は高価で一般の人は捏造に気づかないままに流れていきます)
 これでは学者であれば、どんなに相手にする価値がないでたらめを言っても、ウィキが拡大してくれる、実につごうのいい話だ。実際、地位ある学者たちの矜持なき宣伝工作というのは見せつけられています。
 ──というのが、私の基準です。

編集方針との関係
 各国のウィキの唯一共通の基準は中立です。すなわちウィキの社会的表明です。かつ、中立は五本の柱の一つでもあり、3つの編集方針の中で唯一「絶対的で妥協の余地のないもの」とされ、この3方針は三位一体の概念だとされています。
 編集方針の独自調査の禁止にも、扱い方の表現を含めて考慮するように書かれています。 マイナー論文を取り上げるなら、中立を含めて表現を具体的に考慮するのは当然であり、機械的一律に扱って議論を廃することはできない、と解釈します。
 さて、マイナー論文には議論の紹介としての価値がないので、その掲載も扱いもウィキの編集者の調整責任で行うことであり、論の根拠に異議が唱えられるなら、それを受けて再評価することも責任範囲になります。
 (まして、その根拠の検証が一般には困難としたら、検証可能性に関わります。)
 (3方針の個々は必要条件であり十分条件ではありません)
 ──とこういうことは、まず良識で解釈してこそ正しい、と考えています。ルールに盲目にならず、良識でルールを解釈しないと、意味の誤差が拡大することに気づきません。

実際の白石の内容。
 (10月24日)下↓に小節「白石論文のでっち上げの内容」を作って移動します。 

 モトカルさんが、自身から見た視点を書いても、その視点と議論する気はないです。これは第三者向けの材料整理です。--如月の弥 2008年10月23日 (木) 15:52 (UTC)--如月の弥 2008年10月25日 (土) 14:38 (UTC)

白石論文のでっち上げの内容[編集]

 あらためて、白石の書いた内容そのものについて書いておきましょう。
 白石の文は、本文脚注にリンクがあります。
 元の資料は、「政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成」(のPDF第5巻の中央、PDF文書のページナンバーで、118~128/294のミッチナの例です。自分でお読みください。
 (元々、本文編集当時リンクを張っていたのだけど、位置が移動して参照できなくなっていました。そっちもやり直しました(ノートの参考資料の節))
--如月の弥 2008年10月24日 (金) 15:20 (UTC)


保護中の追加・要望[編集]

Wikipedia:保護の方針により単純な修正をしたいときはあらかじめノートで提案し、3日以上反対がない場合、管理者伝言板のWikipedia:管理者伝言板#保護ページの編集依頼に依頼することができることになっています。「言語間リンクやリンク先修正、単純な誤記などの修正」などが該当します。  この管理者伝言板に依頼できる案件を書く「管理者伝言板に依頼できる修正 」という節と、保護解除されないとできない加筆・修正依頼を書く「管理者伝言板に依頼できない加筆・修正提案」 との節に分けるので、それぞれにあった節にコメントしてください。--モトカル(会話) 2009年1月13日 (火) 07:21 (UTC)

管理者伝言板に依頼できる修正[編集]

★この節は「言語間リンクやリンク先修正、単純な誤記などの修正」などに該当するものを書いて下さい。なお、提案から3日以上反対がない場合、ご自分でWikipedia:管理者伝言板#保護ページの編集依頼に依頼して下さい。

これを入れてほしいのですが[編集]

記事に下記の注意を入れるべきだと思うのですが、編集不可能になっていて入れることができません。 どなたか方法をご存知の方、代わりに入れていただけませんか?--133.9.4.11 2007年12月15日 (土) 06:21 (UTC)

なぜですか?
出典の明記については、当然かも知れません。いくらあってもいいものでしょう。
しかし、正確性については、他の多くの政治関係の項目についてもすべて均一になされるならともかく、この項目はたくさん資料がくっついています。これらへの疑問の点は、自ら書き込み、議論されればいいのです。 なぜわざわざ、「この記事は、他の項目に比べても信用できません」などというラベルをくっつける必要があるでしょうか。 --如月の弥 2008年5月11日 (日) 08:17 (UTC)

全角英数字等のの半角化について[編集]

議論とはまったく関係ありませんが、随所に全角英数字が散見されますので、管理者伝言板に保護中の修正依頼を出したいと思います。--いろはにほへと 2008年6月19日 (木) 14:13 (UTC)

リンク修正提案[編集]

[[米国]] となっている部分を管理者に[[アメリカ合衆国|米国]]と修正してもらうことを提案します。--Mymelo 2008年10月3日 (金) 14:13 (UTC)

2008年10月7日 (火) 06:53(UTC)の版で修正されました(差分)。--モトカル(会話) 2009年1月13日 (火) 07:21 (UTC)

当時の村山首相について[編集]

記事の2.2.5の「河野談話以降」で、1995年8月15日に当時の首相として村山富一とあるのですが、正しくは村山富市なので修正してくださるようお願いします。--Kalz 2008年12月24日 (水) 15:01 (UTC)

管理者伝言板に依頼できない加筆・修正提案[編集]

東国原宮崎県知事の見解[編集]

3月14日外国特派員協会(FCCJ)での講演にて、「併合中、韓国は日本であり当時娼婦は合法であり、慰安婦は兵隊よりも高い給料を貰え、なり手も多かった。強制連行というものが事実ならば、それが実証されなければ正しいコメント・判断も難しい。」と述べている。これも記載お願いしますNamisenjin 2008年1月17日 (木) 12:37 (UTC)

小野田寛郎 氏による具体的な娼婦への資金の流れ[編集]

小野田寛郎 帝国陸軍少尉が語っているところによると、その統計が興味深い。サラリーマンの初任給は40円程度の時代で、兵士1人あたり給料は13円。うち、漢口に駐屯していた33万人は1人あたりおおよそ4円程度、慰安所で使っていたとか。(兄が主計将校であったらしい)

今の公務員初任給が20万そこそこ、置き換えると兵士の給料は7万円で、うち三分の一は貯金させられ、あとは食費と「慰安所」への支出で2~3万づつ。全体では130万円(置換すれば65億円規模)にもなる。以下の引用文では戰鬪機と比べているが、現在の機体の値段と遜色無いので、この置き換えも往々にして正しい感覚を得る値ではないだろうか。

現在保護されているので、後、報酬に付け加えてもらいたい。また、「慰安婦」の懐には流れていたかと言えば微妙ではないだろうか(借金のため)。これほどの規模(漢口だけで)で経理は予想外だった模様とも語っている。

ところで、その「慰安所」にどれだけの金が流れたのだろうか。これが「慰安婦」が「商行為」であった確かな事実である。私の次兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に直接関係ある野戦衣糧廠にいたので「慰安所」について次のような統計があると教えてくれた。
当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」への支出だった。貯金は給料の僅かな兵士たちにとって嬉しいことではなかったが、上司から躾として教えられている手前せざるを得なかったのが実情だった。私も初年兵として一ケ年、江西省南昌にいたが、食べたいのを我慢して貯金した。
一人の兵士がそれぞれ三等分して使った訳ではないだろうが、人間の三大欲は食欲、睡眠欲と性欲と言われるだけに、貯金を睡眠に置き換えると全く物差しで測った様な数字である。ちなみに当時の給料は兵は一カ月平均十三円程で、その三分の一を約4円として計算すると三十三万人で総額約百三十二万円になる。「零戦」など戦闘機一機の価格は三万円と言われたが、実に四十四機分にも相当する。
サラリーマンの初任給が四十円そこそこの頃だったのだから、経理部の驚くのも無理のない話である。
日本の病巣: 小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」より正論での記事(?)を引用。

貯金より食い気に走りたい人間が、他の事にお金を。ましてや性の奴隷などに払う必要性は感じず、商売でなくばここまでの規模になるとは考え辛い気がする。--Qoo 2008年2月18日 (月) 23:07 (UTC)

朝鮮戦争後にもあった慰安所[編集]

1960年代から80年代、韓国の元慰安婦のグループが米兵との性的行為を強制されたとして、当時の政府指導者に謝罪と賠償を求めて告発。慰安施設の設置に直接的に米軍と韓国政府が関与したとしている。米ニューヨークタイムズ(電子版)2008年1月8日

保護中により要請&ノートに残す。--Dondokken 2009年1月13日 (火) 02:39 (UTC) 訂正--Dondokken 2009年3月12日 (木) 16:29 (UTC)

保護解除の提案[編集]

この記事は2007年6月5日より、編集合戦により無期限保護されていますが、保護期間が長期に渡っていること、保護後にノートでの議論が沈静化されていること、長期保護により他言語版などとの乖離などの点から様子見での保護解除を提案します。長期荒らしが来たら来たで対処、普通に荒れたら荒れたで保護でどうでしょうか。--Chichiii 2009年1月22日 (木) 11:45 (UTC)

  • (賛成)本来保護は編集合戦を長引かせず、再発させないためのものだと思います。私は今度は編集合戦はしないつもりでいます。#冒頭文――実態は商行為、その他からの議論の経過を見ていたただければ、記事が保護されていることにより、まともな議論が避けられてきたということがおわかりいただけると思います。保護解除されることで、これまでのような議論のあり方は根本的に変わると思います。それに、何より、空白の期間に加筆すべきことも増えて来ているので、その点からも保護解除に賛成します。--モトカル(会話) 2009年1月22日 (木) 13:51 (UTC)
  • (賛成)かなり長期間保護されていたのでそろそろ解除しても問題ないと思います。新たに加筆すべきものもたまってますし。--NAZONAZO 2009年1月23日 (金) 02:16 (UTC)
  1. ^ [1]
  2. ^ Wire Reports. “Canada urges Japan to apologize to WWII sex slaves” (html) (English). Japan Today News. japantoday.com. 2007年11月28日閲覧。
  3. ^ http://www.amnesty-eu.org/static/html/pressrelease.asp?cfid=12&id=340&cat=4&l=1

外部リンク[編集]

いわゆる従軍慰安婦について歴史の真実から再考するサイトは、ワックマガジンズのホームページ、「 従 軍 慰 安 婦 」 問 題脱・洗脳史講座/田辺敏雄は、著名な文化人である。しかし、従軍慰安婦という嘘070.15 「従軍慰安婦」問題(国際派日本人養成講座)、従軍慰安婦の真相<検証編>従軍慰安婦の真相<陰謀編>は、自主公表された情報源であり、外部リンクとしての検証可能性を満たしていない。--Brackcandy 2010年6月26日 (土) 23:42 (UTC)

そもそも慰安婦という問題そのものが、その存在を論じるにあたって出てくる資料に検証可能性を満たしていないものが大半です。ソースとして使用するならいざ知らず合意もなしに削除するのは公平ではないと思いますが。--肉欲獣 2010年7月11日 (日) 21:08 (UTC)

他の資料に検証可能性を満たしていないものがあることは、自主公表された情報源を外部リンクしてよい理由には全くならない。合意もなしに外部リンクされたものを、合意なしに削除してはならないという法律はない。--Brackcandy 2010年7月28日 (水) 17:35 (UTC)

「田辺敏雄」で検索してみたが、学位を持つ人ではないようですね。市井の自称研究者です。ご自身で確認して下さい、肉欲獣さん。--113.197.140.182 2010年12月11日 (土) 11:47 (UTC)

別件での編集から上記IP氏と関わりを持ちましたが、随分と身勝手な編集をされていますね。まず、田辺氏の学位の有無とWikipedia:検証可能性は必ずしもリンクしません。田辺氏は慰安婦関係で著書も雑誌記事も投稿している人物だからです。次に、貴方はニュースを1件削っておりますが、これも出典の明記された記述に対する不当削除であり、理由も説明していませんね。どちらも差し戻しておきますが、今後このような行動はお止め下さい。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年12月11日 (土) 12:56 (UTC)

沖縄県における慰安婦の削除について[編集]

誤謬か?[編集]

「慰安婦に対する海外の認識」の「欧米」における記述の中に、「…慰安婦20万のうち3分の4の朝鮮人慰安婦が死んだとしていることについて…」とありますが、「3分の4」とは何でしょうか?「4分の3」(3/4)の間違いでしょうか。細かすぎてすみません。--Fujikaks 2010年11月1日 (月) 14:22 (UTC)