ノート:君が代

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合意内容[編集]

過去ログを見ていただければおわかりになると思いますが、どうも和歌と国歌を混同する編集者が少なからずおられるようです。変な先入観がない限り、和歌の解釈に諸説あることと、国歌のテーマが「天皇の治世」「皇統の永続性」であることを、ごっちゃにして変な編集をすることはないとは思います。とはいえ、過去ログの議論をまとめておくという意味で、以下のようなテンプレートをノートに張っておくとよいのではないでしょうか。

{{合意内容|過去に指摘があったとおり、和歌の解釈に諸説あるのは、国歌の解釈とは別の話です。国歌のテーマが「天皇の治世」「皇統の永続性」であることと、和歌のテーマが長寿祈願であることが明確になるように編集されています。和歌と国歌を混同させる編集はご遠慮下さい。}}

君が代では{{論争的}}は不適切です。和歌と国歌が区別できず、和歌の論点を国歌にねじ込めないことを「論争」と勘違いしてしまうような人が現れない限り、{{論争的}}は不要です。{{論争的}}を張らなくて済むためにも、過去ログの議論を簡単にまとめてノート冒頭に張りませんか。--伏儀会話2015年3月8日 (日) 04:38 (UTC)[返信]

国際国歌コンクール[編集]

1903年に君が代がドイツで開催された「国際国歌コンクール」で第一位になった。という記述に興味を覚え、少し調べました。中途で独自研究になるので、一部を除き記事には記載しませんが、今後の調査のために、ここに記載します。

  • この編集で反映させた通り、リファレンス共同データベースに、神奈川県立図書館が詳細調査したデータがございました。この内容によると、又聞きの形になっていますが、山田耕筰田辺尚雄の証言にたどり着き、どうやらドイツ、特にベルリンで国歌(あるいは儀礼用の曲)の評価を行うイベントか研究会があったように読み解けます。特に、山田耕筰は1910年-1913年の間ドイツに留学していますので、この少し前にベルリンで行われたとすると、ちょうど時期も一致します。
  • 場所は、山田耕筰の留学先から考えてもベルリンで良いと思います。ただ、留学先の大学から辿ろうとしたのですが、意外とその大学からして良く分かりません。jawpの頁には「ベルリン音楽学校」現在ベルリン芸術大学と記述。dewpのde:Yamada Kōsakuを見るとde:Preußische Akademie der Künste(現ベルリン芸術アカデミー)にたどり着きます。dewp でベルリンで師事したとするマックス・ブルッフも、enwpで見ると1910年にベルリン芸術大学を引退と、記述がちぐはぐで混乱しています。ベルリンはベルリンなのでしょうが、各情報に出典も付いていないので、大学に関しては、結論に至っていません。(誰か分かればお願いします)
  • 時期に関して、1903年、つまり明治36年なので、田辺尚雄がソースとなる「大正時代」「大正年間」と言う記述とは齟齬があります。別のイベントだと考えるよりは、どこかで思い違いが発生したと考えるかのが、今のところ妥当ではないかと思います。
  • 名称は、「国際国歌コンクール」となっていますが、「研究会」とかの記述もあるため、分からない。と考えた方が良いと思います。

以上です。ベルリンでそれらしいことが、あったようですが、良くは分からない。というところです。山田耕筰の留学先を掴めれば、そこを起点に突破できそうですので、もう少し調べようかとも思います。--背番号9会話2016年8月25日 (木) 10:22 (UTC)[返信]

古今和歌集の記述が除去されたようです[編集]

君が代のもととなった和漢朗詠集異本にも再録されたことを根拠に古今和歌集の記述が除去されたようです。現在、君が代は古今和歌集の短歌がもとである、という出典付き記述をノートの提案なしで除去されてしまっています。「和歌としての君が代」節には古今和歌集に始まる「祝福を受ける人の寿命」を歌う和歌について記載がありますが、除去されたせいで「和歌としての君が代」節と矛盾した記事になっています。おそらく大山弥助和漢朗詠集異本の短歌を歌詞とした、とあるため、「古今和歌集でなく和漢朗詠集の和歌がもとだ」との勘違いが発端ではないでしょうか。和漢朗詠集異本にも再録された和歌ではありますが、「君が代」のもととなった和歌が収録されているのは、古今和歌集が最初で最後ではなく、再録されたものです。(時代が下るに従い、「我が君」から「君が代」へ表現が変わっていますが)。再録を根拠に古今和歌集を無視されても困ります。なお、過去ログに「古今和歌集」の短歌(君が代)について解説いただいています(2009年1月)し、「和歌としての君が代」節にも有志の方による加筆がなされています。参考にされてはいかがでしょう。コメント依頼が必要と感じていますが、まずは除去した方の真意を聞きたいです。--伏儀会話2018年9月3日 (月) 11:39 (UTC)[返信]

{{告知}}を添付しました。まずは、まとりょーしかさんにお話を聞きたいですが、何かご意見があればコメントをお願いいたします。--伏儀会話2018年9月5日 (水) 12:40 (UTC)[返信]
返信 「君が代」の歌詞が『古今和歌集』にあるとするのは通俗的な誤りです。「保守」の論客で堂々とそのようなことを述べている方もいるようですが、端的に言って信じられないことです。現在の「君が代」の歌詞は『和漢朗詠集』の中近世に流通していた写本に見える短歌であり、直接的には大山巌が自身の愛好する薩摩琵琶『蓬莱山』から引用したものです。このことはコトバンクで百科事典を横断検索して頂くだけでもお分かり頂けるかと存じます。もちろん歌詞の原型を遡れば『古今和歌集』にたどり着くのですが、それはあくまでも原型であって、現在の歌詞は『和漢朗詠集』異本の短歌(あるいはその異本に採録された流行歌)が隆達小歌などを通して広まったものです。「わが君は」と「君が代は」は同じでしょうか?「君が代」の歌詞が『古今和歌集』にあると主張することは、「君が代は」の初句が『古今和歌集』にあると言っているのと同じです。また「君が代」を皇統の連続性を言祝ぐ詩とする解釈も荒唐無稽です。皇国史観に立った解釈の一種なのかもしれませんが、「君が代」の「君」を「天皇」と仮定する場合には、一般に「君」は具体的存在としての君主であり、抽象的存在としての天皇制ではありません。この両者は明らかに事実に反する記述でありながら、出典は日本文化にどこまで通暁しているのか不明な外国人が著した書籍が1点挙げられているだけです。百科事典の記事としての一貫性を破壊しているのは客観的に見てこの2つの記述であり、両者は削除の要件を満たします。--まとりょーしか会話2018年9月6日 (木) 18:56 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。まず、大山巌が薩摩琵琶『蓬莱山』から引用した点は、そもそも論点にしていない旨をご理解ください。さて、君が代の変遷について解説いただきましたが、それらはコトバンクを含め、本記事にも記載がある通りです。また、「「わが君は」と「君が代は」は同じでしょうか?」とは、何らかの反語でしょうか? 「君」は不特定多数を漠然と指し示していたものが、時代を下るに従い天皇を指し示し、院政期は天皇を指示すのがほとんどとなっていることは、記事にすでに書かれているとおりです。まとりょーしか殿は、現在の歌詞と差異がある歌は、別の歌であるという先入観に基づいてコメントされているため、返答としていささかずれがあると感じます。まず、「現在の歌詞と差異がある歌は、別の歌」という、「まとりょーしか説」の根拠となる文献の類を探すのが先ですよ。さらに、「日本文化にどこまで通暁しているのか不明」と判断された根拠について、返答をお願いします。まとりょーしか殿のお話を聞くのはそのあとです。(あなたの考える「保守論客」とやらは、意識的に出典にしないようにしているため、この点について私からコメントしません)。--伏儀会話2018年9月8日 (土) 09:57 (UTC)[返信]
返信 繰り返しになりますが、『古今和歌集』には現在の「君が代」の歌詞はありません。それが登場するのは『和漢朗詠集』の写本からです。このことはそれらの文献から客観的に確認できる一般的事実であり、議論の余地はありません。『古今和歌集』に現在の君が代の歌詞があると主張することは事実誤認です。事実誤認を一般的事実として記載することは許されません。--まとりょーしか会話2018年9月10日 (月) 23:16 (UTC)[返信]


「日本文化にどこまで通暁しているのか不明な外国人」もそうですが、「「君が代」を皇統の連続性を言祝ぐ詩とする解釈も荒唐無稽です」などと、ご自身の政治信条を吐露なされることは、厳にお慎みください。やはり私からコメント依頼に出したほうがいいですか?--伏儀会話2018年9月8日 (土) 10:02 (UTC)[返信]
返信 では、そのような荒唐無稽な主張をしている出典を他に示して下さい。もしそれが存在しないのであれば、そのような解釈は、その外国人の著作にしか見られない特殊な見解ということになります。特殊な見解を一般的事実あるいはコンセンサスであるかのように記載すべきではありません。--まとりょーしか会話2018年9月10日 (月) 23:00 (UTC)[返信]

コメント まず、あなた自身は紹介した「コトバンク」を見直しなさい。「「君が代」を皇統の連続性を言祝ぐ詩とする解釈」がはっきり書かれています。それも2つの出典つきで。自説に都合が悪い出典は無視ですか。『古今和歌集』も相変わらず同じ主張の繰り返しですか。「事実誤認を一般的事実として記載することは許されません」?? 「和歌としての君が代」以下、本記事の出典付き加筆を、「まとりょーしか学説」に従い除去しろと?? そもそも、日本に限らず、伝承されていくにしたがって文言に差異があるのは、ごくありふれた話でしょう。「まとりょーしか学説」はもう結構です。本記事の出典を探していただいた有志の方や、「外国人」云々、第三者の研究にケチをつける暇があるなら、さっさと自説の根拠となる出典を出しなさい。思い込みが激しく、自説に都合がいいように文献を選択する方とは、実りある議論はできませんね。…などと、厳しい言い方をしましたが、まとりょーしか殿が、反論できないことを承知でコメントしている自分の不徳は認めざるを得ません。何度でもいいますが、伝承にしたがい文言に差異が出るのは、ごくありふれたことです。君が代だけ特に「『古今和歌集』はほかの君が代とは別種の伝承なり、などと明言している研究は見たことがありません。もし、かような研究をご存知というのなら、ぜひ教えてほしいですね。ところで、ご自身が出典付きの記述を消してしまった点は、ご理解いただいたということでよろしいですか? まとりょーしか殿のご高説は十分拝聴しましたので、上記についてコメントいただきたい。--伏儀会話2018年9月11日 (火) 12:18 (UTC)[返信]

返信 虚偽は宜しくありません。「『君が代』を皇統の連続性を言祝ぐ詩とする解釈」は、コトバンクで「君が代」を横断検索したところ見当たりませんでした。「天皇の治世を奉祝する歌」(世界大百科事典 第2版)、「言葉としての意味は,天皇の治世であり,和歌史上においては,祝福を受ける人の寿命をさす」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)、「古今集時代の『きみ』は、主人、家長、友人、愛人などを意味する二人称、三人称で幅広く使われ、...『君が代』の『君』が天皇をさすとして定着したのは明治以降である」「(政府見解では)『君』は日本国及び日本国民統合の象徴で主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指し『君が代』は象徴天皇のいる日本のことを指す」(いずれも日本大百科全書)。また、繰り返しで申し訳ございませんが、現在の君が代の歌詞は『古今和歌集』にはありません。『和漢朗詠集』の原本にもありません。現在の歌詞は『和漢朗詠集』の写本に始まるということが検証可能な史実です。この議論はこれで終了ということで宜しいかと存じます。他に何か仰っしゃりたいことはおありでしょうか?--まとりょーしか会話2018年9月11日 (火) 12:49 (UTC)[返信]
 同じことを何度も繰り返すのは疲れるのですが、現在の歌詞が『和漢朗詠集』の写本に始まることも、歌詞に差異があるくらいは私でも知っています。ただ、コトバンクについて、「皇統の連続性」と「天皇の治世」とは異なることを気にされていますが、厳密にいえば確かにその通りでしょう。(除去の理由ではなさそうですし、この点は明確に同意いたします。)ただ、そもそもコトバンクを話題にしたがる方を時々見かけますが、まとめサイトを鵜呑みにするのはよくないですよ。(書かれていることに虚偽があるという意味ではなく、コトバンクに書かれていない研究もこの記事に書かれている、というつもりでのコメントでした。)。何度も説明いただくのはありがたいですが、あなたなりの説明でなく、「君が代とは別の歌」という出典をお願いします。(今すぐでなくてよいですが、時間がかかる場合は、いったんあなたが消してしまった出典付き記述を戻すことに合意いただきたい)。最後に、「出典は『和漢朗詠集』」はもうやめようね。Wikipedia:独自研究は載せないには、「一次資料に記載されている情報の解釈には、信頼できる二次資料が必要です。」とあるからね。「古今和歌集の該当の歌は、君が代ではない」とする出典があれば、両論併記なり、定説と異説なり、あなたの気持ちを記事にできますから。(確かに、「古今集のテキストにおいては初句を「わが君は」とし、現在採用されているかたちとの完全な一致は見られない。」など本記事に記載がありますが、歌詞に差異がある、以上の説明はありません。また、私も「古今和歌集の該当の歌は、君が代ではない」とする研究を見た記憶がありません。)--伏儀会話2018年9月16日 (日) 00:42 (UTC)[返信]
返信 簡単なことです。「現在の君が代の歌詞が載っている『古今和歌集』」を提示してください。それが不可能なら「現在の君が代の歌詞は『古今和歌集』にはない」とする他ありません。--まとりょーしか会話2018年9月16日 (日) 09:22 (UTC)[返信]
あなたは人の話を聞いているのですか? 歌詞の文言に差異があるのは承知している、という私のコメントに対する返信が、「現在の君が代の歌詞は『古今和歌集』にはない」では、反論になっていません。まとりょーしかさん。あなたの主張は情報の合成というんです。信頼できる情報源をノートの議論なしで除去した挙句、古今和歌集の歌は君が代ではないとする独自研究を開陳し、他人のコメントにまともに反論せず、持論の根拠となる出典を探そうとしない。これは、Wikipedia:コメント依頼/まとりょーしかが必要ですね。そもそも、両論併記の提案ならともかく、信頼できる情報源を除去する提案が通ると思っているのですか?? 私一人を言い負かせても何の意味もありませんよ。--伏儀会話2018年9月16日 (日) 10:26 (UTC)[返信]
  • (コメント)コメント依頼に提出しました。いちいち返答してしまう私も悪いのですが、一利用者の持論をwikipediaで開陳するのはお控えください。信頼できる情報源を除去することの是非について検討しましょう。まとりょーしかさんも、皆さんのコメントに耳を傾けてください。--伏儀会話) 2018年9月16日 (日) 10:32 (UTC) 提出先は、合意形成のためのコメント依頼です。--伏儀会話2018年9月16日 (日) 10:33 (UTC)[返信]
返信 現在の君が代の歌詞が『古今和歌集』にあるという証拠を示して下さい。月面にUFOの基地があるなら裏付けとなる写真を教えて下さい、と申し上げているのと同じことです。「現在の『君が代』の歌詞が『古今和歌集』に載っている」という記述は明白に史実の捏造です。そのようなことは決して許されません。「君が代」の現在の歌詞が登場するのは『古今和歌集』より後代のことです。これは図書館なり書店なりで確認すれば済むことです。心情的には抵抗がおありのようですが、ご理解ください。--まとりょーしか会話2018年9月16日 (日) 18:03 (UTC)[返信]
ちなみに、歌詞に異同があるならそれは別の歌詞です。初句が異なるならそれは同じ短歌ではありません。常識でご理解ください。--まとりょーしか会話2018年9月16日 (日) 18:06 (UTC)[返信]
  • コメントWikipedia:コメント依頼」の「合_2018年9月」の節に掲載されていましたのでうかがいました。「ウィキペディアの記事は通常、信頼できる二次資料に基づかなければなりません。分析や評価についての記述は、信頼できる二次資料で公表されているのでない限り、禁止されます」と「Wikipedia:独自研究は載せない」で定められています。したがって、二次資料に基づいている記述を記事から除去する場合には、その記述の基礎となっている二次資料が「信頼できない」ということを「個人的な独自見解」によってではなく、「Wikipedia:独自研究は載せない」や「Wikipedia:信頼できる情報源」などの方針・ガイドライン文書に則って証明する責任が生じるのではないかと思われます。コトバンクは三次資料である百科事典をさらにまとめたウェブサイトですから、いわば「四次資料」です。--Pinkpastel会話2018年9月16日 (日) 18:36 (UTC)[返信]

コメント

  1. 出典の扱い
    伏儀 さんも「現在の歌詞が『和漢朗詠集』の写本に始まること」に同意しており、論点は「そこから遡って、古今和歌集の和歌も、君が代と同一とみなすかどうか」にあると思います。そして、まずはその論拠となる出典の扱いで意見が割れています。伏儀さんは、
    • 本記事にあった出典を根拠に、古今和歌集の和歌を君が代の起源とみなして良い
    • 出典の信頼性に関しては2009年に議論済みである
    • 後述の節の、追加説明も十分な内容だ
    と主張され まとりょーしか さんはそれを認めない、という状況だと私は解釈します。2009年の議論を、私も確認しました。その上で、本記事の出典の信頼性は何かを主張するには十分であり、さらに後述の追加説明を重ねると、伏儀さんの主張は成立すると思います。大きくひっくり返す材料が出ない限り、細かい言葉の表現で十分だと思います。
  2. 初句が違うから認めない
    次に まとりょーしか さんの主張の根幹になる
    • 古今和歌集の和歌は初句が違うから、常識的に同一とみなせない
    という部分です。これは論拠が希薄に思います。我々は常識と言うだけでは、論拠とはほぼ認めません。出典をベースに考えます。本当に まとりょーしか さんが常識を主張するであるのであれば、それこそ和歌の初歩として、教科書なりにどこか記述があるでしょうから、それを提示頂ければ万事解決ではないかと思います。「初句が違う場合、同じ和歌とは通常みなせない <ref>『和歌の基礎』○○頁</ref>」などと出典を頂ければ良いと思います。
  3. 両論が成立するなら両論併記が良い
    1.2.のそれぞれ両名の主張が、出典を伴って成立するのであればですが、互いの出典の範囲で両論記載すれば良いと思います。ただし 伏儀 さんの主張は、現状の意見の範囲では、十分記載できるだけの論拠が成立しているので、 まとりょーしか さんの主張が立つように努めて頂ければ、この結論に達すると私は思います。

ご参考まで。--背番号9会話2018年9月18日 (火) 06:44 (UTC)[返信]

コメントコメント依頼を見て伺いました。議論の流れと実際に除去された記述を拝見し、気になりましたので手近にあった小学館の『新編日本古典全集11 古今和歌集』の注を確認しましたところ、この歌は「国歌「君が代」のルーツである」と書かれておりました。そこで提案なのですが、該当箇所を「歌詞の起源は10世紀に編纂された『古今和歌集』の和歌にまで遡る。」として『新編日本古典全集』を出典とすれば、除去箇所の後半については問題が軽減されるのではないかと考えます。前半の「皇統の永続性」については、提示された出典に該当する記述があるのであれば、出典を重視するWikipediaの方針に照らして記述を復帰するのが妥当と考えますが、書きぶりが微妙で「皇統の永続性とした」のが誰かが不明瞭なため、事実として歌詞節に載せるべきものか、解釈節に載せるべきものか、元の文献を見ないと判断が難しいというのが感想です。暇があれば元の出典を当たってみるのですが、現状でのコメントはここまでとさせていただきます。--HANSON会話2018年9月20日 (木) 13:04 (UTC)[返信]

貴重なご意見ありがとうございます。さて、該当の出典が「歌詞」節に記載されている理由は、「解釈」節はあくまで和歌のトピックであり、国歌のトピックである「歌詞」節に記載するべきという過去の合意形成によるものです。和歌に国歌の論点をねじ込んではなりません。また、皇統の永続性がテーマである旨、出典に記載があることを確約いたします。両論併記をご希望なら出典を、信頼できる情報源に嫌疑があるなら出典を、修正をお望みなら出典を、です。10年近く異論がない状況ではありますが、出典を提示いただければ、過去の合意形成の是非を議論できると思います。--伏儀会話2018年9月22日 (土) 04:35 (UTC)[返信]

コメントありがとうございました。除去された記述は掲載して問題ないという意見が多数のため、原状復帰という意味で除去した編集をリバートすることを提案します。HANSONさん。「除去箇所の後半については問題が軽減されるのではないかと考えます。」とのことですが、信頼できる情報源として問題があるということでしょうか? 本記述の記載に反対であるということであれば、その旨コメントをお願いします。ほかの方にも異論がないか10日間待ちます。--伏儀会話2018年10月6日 (土) 05:45 (UTC)[返信]

信頼できる情報源としては問題ないと思います。私の理解ですが、今回提起された問題の一つは「歌詞節の書きぶりだと、あたかも古今和歌集の原文ママの和歌が君が代に採用されているように読める」ということであり、私はこの点は考慮に値すると考えます。そこで、「原文ママではないが、起源はこの和歌である」という明示的な出典を用いて記述を修正するのはどうか、というのが私の提案です。--HANSON会話2018年10月7日 (日) 10:36 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。「和歌の一つ」の部分を「和歌のルーツ」という言い回しで加筆・修正するというご提案に異論ございません。ルーツの部分に出典を追加すればよいでしょう。ぜひ、紹介いただいた出典を加筆いただきたいです。--伏儀会話2018年10月8日 (月) 00:51 (UTC)[返信]
承知いたしました。記述の復帰と同様に10日間ほど待ち、異論や他の改善提案がなければ加筆させていただきます。--HANSON会話2018年10月8日 (月) 07:09 (UTC)[返信]

(報告)原状復帰として、除去された記述をリバートさせました。「和歌のルーツ」の加筆はお任せします。ご意見のある方はコメントをお願いします。--伏儀会話2018年10月16日 (火) 13:38 (UTC)[返信]

早い段階で加筆いただいたようです。ところで、シロニー教授の出典はいかがいたしましょうか。原典を拝見するに、「収録されている短歌の一つであり(シロニー (2003))、ルーツとする(小学館 (2000))と記載するのがよいのでは、と思います。異論がないか待ってみます。--伏儀会話2018年11月29日 (木) 09:01 (UTC)[返信]

コメント『和漢朗詠集』がオリジナルみたいな書き方だとひじょうにまずいように思います。朗詠のための和歌・漢詩のソングブックである『和漢朗詠集』にはオリジナル作品がないはずなので、誤解を招くでしょう。ハッキリ『古今和歌集』がオリジナルであり、初出であると冒頭に明記すべきです。--Greenland4会話2018年12月1日 (土) 00:39 (UTC)[返信]

全く同感です。『和漢朗詠集』の作品は再録であって、初出は『古今和歌集』ですから。シロニー教授の御著書でも(君が代は)「『古今和歌集』に収録されている短歌の一つ」と明言する一方で、『和漢朗詠集』には言及がありません。単なる再録だからでしょう。表現に差があるからと言って、『古今和歌集』の作品は君が代ではないという話は、ちょっと聞いたことがないですね。論点になっている表現の差も、まあ脚注で添える程度で十分だと思います。冒頭は「ハッキリ『古今和歌集』がオリジナルであり、初出である」という指針で文言を考えるべきでしょうね。--伏儀会話2018年12月2日 (日) 13:03 (UTC)[返信]
…などと言っているうちに、本節の議題にとどまらず、質、量ともに素晴らしい加筆がなされました。皆様もぜひご確認いただきたく存じます。おそらく満場一致で納得できる加筆でしょう。--伏儀会話2018年12月2日 (日) 13:13 (UTC)[返信]
過分なお褒めをいただき、恐れ入ります。加筆してみての感想ですが、この記事はまだまだ改善の余地があると思います。以下、思いつくままに列記いたしますので、御協力ないし一緒に御検討いただけるとありがたいです。
1.まず、「歌唱・演奏した著名人」の節ですが、この節、果たして必要かということです。1999年以降は日本の国歌、それ以前は国民歌・礼式曲だったわけですから、これは日本でおこなわれる催しや式で歌唱・演奏されるのが当たり前だと思うのです。まあ、あって邪魔になるものではないかもしれませんが、「著名人」の判断も難しいところですし、催しのたびにどんどん増えていくわけですが、それでよいのかということ。
2.「「九州王朝」起源説による解釈」の節。これも必要なんでしょうか。「千代に八千代に」以下のフレーズが時代やジャンルを超えて諸文芸・諸芸能に用いられていることを考えれば、神楽歌に用いられていても全然不思議なことではなく、むしろ自然であり、しかし、それが10世紀以前にさかのぼる確証が何もなければ、これは憶測に憶測を重ねた虚妄の説にすぎないのではないかと思います。あってもよいかもしれませんが、こんなに詳しい必要があるのか。
3.より本質的なことですが、歌詞についてはだいぶ充実してきたと思いますが、楽曲としての記載が薄いように思います。音楽的見地からの加筆を望みたいところです。
4.「テキストと作者」の節で「作者は文徳天皇の第一皇子惟喬親王に仕えていたとある木地師で、当時は位が低かったために詠み人知らずとして扱われるが、この詞が朝廷に認められたことから、詞の着想元となったさざれ石にちなみ「藤原朝臣石位左衛門」の名を賜ることとなる」の文があり、「要出典」のタグが付けられています。これは、私も出典が欲しいところであり、その根拠が、ずっと後世の注釈書とか、きわめてローカルな伝承であるという場合には、むしろ「異説」なり「諸説」の節に移すべきではないかと思います。公的に「読人知らず」とされていることにも、おそらく意味があるのであって、「解釈」節に『古今和歌集陰名作者次第』では作者を橘清友としているという別の見解が示されている以上、記述にあまり整合性がないように思います。少なくとも、あまり確定的な書き方はすべきでないように思います。
5.「諸文芸・諸芸能と「君が代」」節には、「一般には「宴会の最後の歌」「お開きの歌」「舞納め歌」として使われていたらしく、『曽我物語』の曽我兄弟や『義経記』の静御前などにもその例を見ることができる」という記事がありますが、やはり、これにも出典の欲しいところです。
6.「礼式曲「君が代」の成立」の節に「1903年(明治36年)にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で、「君が代」は一等を受賞した」という記述がありますが、そのコンクールがどのようなものか、やはり詳細な内容を知りたいところです。
…以上です。個人的には、「我が君は」と「君が代は」の初句の違いというものを、ものすごく重大事と考えるか否かが今回の騒動の原因のひとつだと思うのですが、これを実際に声に出して歌うとなると「君が代」「千代」「八千代」というふうに脚韻を踏んだ方が断然調子がよくなるように思うのですね。元歌作者が「読人知らず」なのであれば、その改変はきわめて自然であり、容易だったと思います。一字一句たがえることなく同じでなければオリジナルとは認めないという立場は詩歌にあってはかなり奇妙なものであり、それより何より、『和漢朗詠集』がどのようなものかわからないというのでは文学史的にも音楽史的にも適切な説明ができないのではないかと心配になります。--Greenland4会話2018年12月3日 (月) 15:56 (UTC)[返信]
5に関しては、山田孝雄 『君が代の歴史』 宝文館出版、日本、1956年から引いて記述しました。残念ながら、いま手元にその書籍はなくてページ数などを確認する事ができません。どなたか参照可能な方にお願いしたく思います。1と2については削除でよろしいかと思います。--おーた会話2018年12月4日 (火) 12:56 (UTC)[返信]
返信 おーたさん、ありがとうございます。岩波の古典文学大系で調べたところ、『曽我物語』の方は巻第六の「辨財天の事」、『義経記』の方は巻第六の「静若宮八幡宮へ参詣の事」に出てきますね。後で加筆しておきます。オリジナルが古今和歌集でよいということでみなさん異論なければ、冒頭のタグは除去してもよくないでしょうか。--Greenland4会話2018年12月4日 (火) 16:02 (UTC)[返信]
その騒動を適切に処理できなかった者からひと言。「一字一句たがえることなく同じでなければオリジナルとは認めないという立場は詩歌にあってはかなり奇妙なもの」というご意見に全くの同感です。「日本に限らず、伝承されていくにしたがって文言に差異があるのは、ごくありふれた話」であることを説明したはずですが、一般論過ぎてかえって納得を得られなかったのかな、と反省しております。さらに、『和漢朗詠集』の作品は再録に過ぎないと申し上げましたが、残念ながら評価していただけませんでした。ただ、ご自身の主張は独自研究であることを納得されたと信じて、この騒動は一件落着としたいところです。もちろん、本記事をさらに加筆修正しようというご提案には、もろ手を挙げて賛同いたします。ありがとうございました。--伏儀会話2018年12月5日 (水) 10:35 (UTC)[返信]
返信 伏儀さん、ありがとうございます。「朗詠」がどんなものか、「和漢朗詠集」がどんなものか御存知いただいていないのも理由のひとつだったとは思います。両記事は私なりに加筆させていただきましたが、こちらもまだまだ不十分な状態です。「和漢朗詠集」がいわゆる「オムニバス」であることを知っていれば、「和漢朗詠集がオリジナル」みたいなことは恥ずかしくて言えないはずです。こちらの方の充実もぜひみなさんにお願いしたいところです。私が上に掲げた6つの論題ですが、6.については上の節で背番号9さんがお調べになっているようです。1.については、現状「あいうえお順」になっているようですが、せめて演奏・歌唱の年代順にならべた方がまだしも「資料価値」があるように思います。一方で、リオデジャネイロオリンピックの閉会式でたいへん話題になった「君が代アレンジ」については記載がなかったりするので、その辺の編集指針のようなものがあれば、と思います。こういう催しがあって、そのなかで誰それ(歌手だったり歌手でなかったり)が「君が代」を歌ったというニュースだけの出典で増えていくと際限がないわけです(それがまた別の機会に振り返られるような性質のものである場合は特筆性があるんでしょうが。)。2.についてはとりあえずそのままにして、4.を、むしろ「異説」の節に移したいと思いますがいかがでしょうか。3.については、重ねてみなさんに加筆をお願いしたいところで、とくに「ヨルダン国歌とともに世界最短」という冒頭記載を裏付けるような記述はぜひとも欲しいところです。全体的には、画像がもっと欲しいですね。御検討・御協力のほど、重ねてお願い申し上げます。--Greenland4会話2018年12月5日 (水) 22:43 (UTC)[返信]
提案 本件は解決したものとみて、告知のタグは外したいと考えますが、いかがでしょうか? --Greenland4会話2018年12月14日 (金) 12:54 (UTC)[返信]
返信 当初の議論での問題提起にしたがって二次資料に基づいて編集したので解決したという理解で宜しいです。--まとりょーしか会話2018年12月20日 (木) 04:49 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

君が代」上の8個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2019年4月21日 (日) 09:23 (UTC)[返信]