ノート:南京事件論争

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「目からウロコの南京大虐殺論争」[編集]

現在リンク切れで、ここに移転しています。これは「山本弘のSF秘密基地」という個人サイトですので、Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用に従って除去となります。Takabeg会話2019年4月5日 (金) 12:20 (UTC)[返信]

大西さん[編集]

ノート:南京事件論争/過去ログ5#信憑性?で指摘して除去したのにもかかわらず、ブログ主の方の意見が再度掲載されているようです。Takabeg会話2019年4月12日 (金) 11:16 (UTC)[返信]

「虐殺少数派」という呼称について[編集]

「虐殺少数派」という呼称は「大虐殺派」の一部の人々が使用しているだけですので、それらの人々の主張と判明する部分で使用するのは問題ありませんが、地の文で使用するのは、あたかもウィキペディア日本語版が「大虐殺派」の一部の人々の立場を支持しているような状態になってしまいますのでWP:NPOV違反となります。一方、「大虐殺派」という呼称は、洞富雄さんは、『南京大虐殺の証明』朝日新聞社、1986年3月5日 第1刷、ISBN 4-02-255451-7、4頁で「私たちは、南京で大虐殺事件がおこったことは否定すべくもない事実だと認めているのであるから、『大虐殺派』と呼ばれたとて当然かもしれない」と述べています。ただし、「全面的否定論者からそう決めつけられると少々不快感を覚える」とも述べています。ウィキペディア日本語版は「全面的否定論者」の立場を支持しているわけではありませんので、、洞富雄さんが書かれているように「大虐殺派」と呼称して問題はないものと考えます。--Takabeg会話2019年8月20日 (火) 05:06 (UTC)[返信]

「大虐殺派」の一部の人々というのは具体的には笠原十九司さんと松岡環 (中国のソックパペットのようなことをして「大虐殺派」からも批判されていましたが)あたりのことです。それと、藤岡信勝さんも使用しているようです。いずれも「中立」と言える研究者ではありません。また、洞さんの前掲書の94頁には、"秦郁彦氏は、私を南京大虐殺事件論では「中間派」であると評している" と書かれています。ですので、特別:差分/73920033の「自らを中間派とする秦」という無出典の編集は問題ですね。複数の信頼できる情報源を提示しても断定する形で書けるか書けないか微妙なところですので、除去しておいたほうがよいですね。--Takabeg会話2019年8月20日 (火) 11:44 (UTC)[返信]

表題が違うとも思うが[編集]

英語版の対応記事は、Nanjing Massacre denialですね。フランス語版はNégation du massacre de Nankinだから、南京大虐殺否定論ということで、それが日本でどのように主張されているかを客観的に記述しているようです。中国語版では、論争となっているが、このようなトンデモ説のオンパレードではないですよね。 この記事は、否定論を客観的に紹介するものではなく、wikiを利用して南京大虐殺否定論を宣伝するもので、以前に削除されたというのですが、なんでゾンビみたいに生き返っているのでしょうか。南京大虐殺否定論という表題もそぐわない。この記事は無理でしょう。恥じゃないの。--Sfwu会話2021年9月1日 (水) 14:02 (UTC)[返信]

驚くことではありません。何しろ、日本は自らを歴史の被害者として包み込むために懸命に努力しており、歴史の罪について反省する気配がまったくありません。本当に恥知らずです。--林雪平会話2023年12月18日 (月) 08:29 (UTC)[返信]