ノート:イタダキマン

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過去ログ
2007年12月30日 (日) 00:43(UTC)間での議論

「継子のイタダキマン」の節に関する提案[編集]

提案です。そもそも一ファンサイトが主張している「継子のイタダキマン」という主張をWikipediaに載せるのが妥当かどうかという問題です。

Wikipediaの公式な方針のWikipedia:検証可能性には次のように書かれています。

自主公表された情報源

ウェブサイトを作ったり本を自費出版したりした上で、自分がある分野の専門家だと主張することは誰にでもできます。そのため、自費出版物、個人のウェブサイトやブログは、原則として適切な情報源としては認められません。ブログや掲示板の発言を一意見として紹介するのも同様です。例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう.

ということで、ファンサイトの意見をそのまま載せるのは不適切ということですね。

ノートで指摘しているように「継子のイタダキマン」という主張は、かなり問題があるのに、記事では全くこの問題部分が反映されておらず、そのまま掲載されている。まあ、反論部分を載せるのはWikipedia的には独自の研究になってまずいんですけど。

問題点の概要は、スタッフのうちはっきりとイタダキマンを否定しているのは小山高生と山本正之というタツノコプロの社外スタッフであるにも関わらず、タツノコプロがイタダキマンをシリーズとして認めてないかのような強引な主張。小山と山本以外では、「○○でイタダキマンの善玉キャラが登場していない」「自虐的にギャグに使われた」とかいった類の解釈や臆測です。

小山高生や山本正之はタイムボカンシリーズの重要なスタッフであり、彼らがイタダキマンで外されて、否定的な態度を取るのはWikipediaに記すのは問題ないと思います。しかし単なる一ファンサイトの強引な「継子のイタダキマン」なる問題の多い推論までは載せる必要はないと思います。

そこで、現状の問題の多い「継子のイタダキマン」の節を小山高生と山本正之の降板と彼らの反応に絞って記し、ファンサイトの主張となってる部分を除去したいと思います。異論がなければ実行します。 --Wing09 2007年9月29日 (土) 23:58 (UTC)[返信]

削除提案[編集]

「継子のイタダキマン」の節、これについて「継子のような扱いを受けてる」とか言及した出版物などはあるのでしょうか。なければこの節は単なる「独自研究」として丸ごと削除するべきだと思います。編集合戦で半保護も引き起こしてるし。--219.112.198.200 2007年10月16日 (火) 21:57 (UTC)[返信]
突然やってきて申し訳ないのですが、この件について、長い間論争になっているようです。コメント依頼を提出しておきます。--VZP10224 2007年10月17日 (水) 12:49 (UTC)[返信]
本文中に記載のある『悪玉馬券塾』のブックレットが「継子のような扱いを受けてる」実例です。実例があるから問題はないはず。61.121.34.35 2007年10月17日 (水) 13:36 (UTC)[返信]
そのブックレットを書いたのが小山高生の弟子であるあかほりさとるであるのなら、ある程度割り引いて考える必要もあるのではないかと。ともかく、降板させられる形になった小山や山本正之サイドから嫌悪されているという事実を書くのが精いっぱいで、継子云々の主張は状況証拠を並べた独自研究と言われても仕方ないと思います。--VZP10224 2007年10月17日 (水) 14:08 (UTC)[返信]
小山・山本両氏から差別されているのは紛れもない事実です。すでに証拠も示されていますし。山本氏の楽曲「アニメがなんだ」の歌詞によく出ています。これまで削除するのは賛成できません。元々の生みの親である両氏から差別されている(それをタツノコプロが事実上黙認している)ことを指して「継子」という表現がなされたと思います。それと、『ワンダフルタツノコランド』にイタダキマンのキャラが一切登場していないというのも実例の一つです。61.121.34.35 2007年10月17日 (水) 22:22 (UTC)[返信]
VZP10224氏の意見をちゃんと読んでいるとは思えない発言ですね。議論するなら、自己主張するだけではんく、相手の話に耳を傾けましょう。その手の「○○という事実があった、△△という事実もある。だから□□だ」という香川のIPユーザー氏がずっと続けてきた論法はWikipediaでは認められていません。VZP10224氏が既に状況証拠を並べた独自研究だと言っているでしょう。都合のいい事実だけをつまみ食いした自己主張を載せてはいけません。--Wing09 2007年10月20日 (土) 09:58 (UTC)[返信]

(コメント)IPさんへ。コメント依頼から来ました。私はイタダキマンの専門家でもなんでもありませんが、一ウィキペディアンとして以下の意見をします。特に誰かの立場に立っていませんので、一般論として解釈して下さい。

  • ここまで争いが拡大しているのでしたら、IPさんの今の手持ちの拠出からどういった記述を作れば、wikipedia:検証可能性wikipedia:中立的な観点wikipedia:独自研究は載せない等のガイドラインをクリアし、掲載が認められるかを練り直してみては如何でしょうか?拠出を基に文を作るのですから、曖昧な箇所は取り除かれ、秀逸な文章で「継子のイタダキマン」が作成できるのではないですか?
  • それができ上がったら、その記述を私たちイタダキマンの専門家以外に見せ、(我々は中立的立場ですし、しかも百科事典は素人も見ますから、)更に問題点を洗い出し、記述を変更し、そしてこれだったらウィキペディアのガイドライン等に則って記載すべき、または記載してもよいという記述に仕上がてから、より良い「継子のイタダキマン」を掲載したらいいのではないですか?
  • 面倒ですが、二・三日なんだったら二・三ヶ月かかってもいいではないですか。ウィキペディアは急ぐ必要はありません。そこまで「継子のイタダキマン」に愛着があるのでしたら、ガイドラインを読み込み、時間をかけて文章を練り直し、文句の言いようない「継子のイタダキマン」を仕上げればいいのではないですか?信頼できる情報源を基に、上に書いたようなガイドライン等を完全にクリアできれば、誰も「継子のイタダキマン」の掲載に文句は言わないと思いますよ。(細かい修正はあるかもしれませんが)
  • もしかしたら、他の記述や記事にはそんなにガイドライン等が厳密に適用されていないではないかとおっしゃるかもしれません。私も普段だったら、少々のガイドラインの逸脱で記述の消去や変更を求めたりはしません。しかし、ここまでの対立が「継子のイタダキマン」で発生した以上は、実世界のように、ルールを厳密に適用して判断するしかないですよね。
  • 追記ですが、ついつい議論が熱くなると(私も含めて)相手への敬意をお互い忘れがちになります。お互いに礼儀を忘れないで行きましょう。--背番号9 2007年10月17日 (水) 14:32 (UTC)[返信]

>降板させられる形になった小山や山本正之サイドから嫌悪されているという事実を書くのが精いっぱいで、継子云々の主張は状況証拠を並べた独自研究と言われても仕方ないと思います。

同感。これについては出典もあるので記述するべきだと思います。あと岡氏との軋轢の部分も。ただし、タツノコがイタダキマンを継子扱いをしているという記述に関しては現時点では独自研究の域をでないでしょう--219.112.198.200 2007年10月18日 (木) 03:19 (UTC)[返信]

3週間待ちましたが、「イタダキマンはタツノコプロから認められていない」「イタダキマン後、フジテレビとタツノコプロが絶縁」という主張を裏付ける出典はあいかわらず示されないようですね。Wikipediaでは掲載を希望する側に出典の義務があるわけで、現在の特定の一ファンサイトの主張を掲載するのはWikipeidiaの方針に反しています。実際は3週間どころか、2006年1月からずっとこの状態で、進展したと言えるのは、過去の小山高生の公式サイトの発言があっただけでしょう。問題視されているにも関わらず、あいかわず香川のIPユーザー氏は「岡正が原因でイタダキマンの後、フジテレビとタツノコプロが絶縁」という事実の裏付けのない独自の主張をあちこちのタツノコプロ関連の記事に記述するのを続けていて困ったものです。それはさておき、出典が示せないのであれば、現状の陰謀論じみた独自の研究は消しちゃっていいでしょう。資料の裏付けの取れる小山高生と山本正之の反応、ついでに笹川ひろしの反応も書きたいですね。--Wing09 2007年10月20日 (土) 09:58 (UTC)[返信]

とりあえず継子云々を消した上で「低視聴率と打ち切り」の項目に統合しました。Susume80 2007年10月20日 (土) 12:20 (UTC)[返信]

お疲れ様です。明らかな推測部分は除去しました。香川のIPユーザーの人、復活させたいのなら出典を示して下さいね。--Wing09 2007年10月20日 (土) 14:07 (UTC)[返信]

打ち切り?[編集]

「打ち切り」という表現については、最初から26話予定で好評なら延長ありということで、2クールという当初の予定を消化したもので、打ち切りとするのは不適切と判断。「打ち切り」の文言は削りました。あしからず。--Wing09 2007年10月20日 (土) 14:07 (UTC)[返信]

いえ、あれは打ち切られたと言うべきです。当初予定の26話(オチャカ校長の台詞にある)どころか19話しか放送できなかったのですから。「フーセンのドラ太郎」のようなクール途中での打ち切りこそなかったけれど、打ち切りでなければあんな強引な終わり方はないし、第19話が未放映に終わることもなかったです。Susume80 2007年10月20日 (土) 14:18 (UTC)[返信]
話数でなくクールで考えるべきでないですか。2クール予定で2クールの放送期間を満了したのなら、延長の含みがあったのだとしても、打ち切りにはあったらないでしょう。全4話予定で4話放送で終了しても、打ち切りとは言いませんよね。それと同じです。4月9日開始で9月24日終了なら、途中での打ち切りでなく、9月末でありクールの境目です。かつての世界名作劇場でも特番の影響で4クールで52話放送されることはなくなってるし、イタダキマンの頃には2クールだから26話放送されるとは限らなくなってます。話の中で26話と言わせたのはミスでしょうね。第19話が未放送になったのは、単純にプロ野球の雨傘番組の予定が雨が降らずに余ったため。打ち切り云々とは関係ありません。『七つの海のティコ』でも同様の理由で未放送の話が生まれてます。『おれは直角』の場合は本来の大団円の最終回の後に雨傘用のエピソードを最終回として放送したために奇妙なことになってしまいましたけど。--Wing09 2007年10月20日 (土) 14:32 (UTC)[返信]
あと、2クールで19話という話数については1986年の同時間帯の『ハイスクール奇面組』は4月から9月で22話から41話の19回分を放送。あっちは好視聴率ですけど、『イタダキマン』が格段に話数が少ないということはありません。--Wing09 2007年10月20日 (土) 14:48 (UTC)[返信]
オチャカ校長はパズルの枚数(=予定話数)を「26枚か52枚」と言っています。ここは話数で考えるべきではないでしょうか。10月にまたがって放送する選択肢もあります。実際最終回が10月に入ってからという番組もあります。例えばフジ系列でいえば「月曜ドラマランド」(1987年10月終了)、他系列では「アップダウンクイズ」(1985年10月終了)のように。それに、本来どこかで語られるはずの空作の母親探しの謎も最後まで語られていません。Susume80 2007年10月20日 (土) 15:56 (UTC)[返信]

>オチャカ校長はパズルの枚数(=予定話数)を「26枚か52枚」と言っています。ここは話数で考えるべきではないでしょうか。

たしか宝島社の「このアニメがすごい」とかいう本でイタダキマンについて触れられていたと思ったけど、これを指して楽屋オチをやっていた、とか書かれておりそう捉えて間違いはないと思いますが。それにこの本でも打ち切り作品の例として挙げられていたはず。ちょっと記憶があやふやですが、確かこの本だったと思います。(他の本かも。今現在手元にないもので)--219.112.198.200 2007年10月21日 (日) 01:06 (UTC)[返信]

話が別になったのでノートの整理として新しく項を設けました。

くだんの本については私も読んだことがあり、またセリフの要旨的には「どれだけ続くかはわからないよ」といった体だったと記憶していますし、校長のセリフはネタとも取れるのでソースとしてはちょっと弱い気がします。ただ、その本には確か「……といっておきながら実際は19話で打ち切り……」みたいなことが(これはこれでネタかもしれませんが)書いてあったように思うのですが……。--なのこえ 2007年10月21日 (日) 04:11 (UTC)[返信]

校長の台詞は単なる楽屋オチネタとは思えません。クールで考えるにしても、予定期間はあくまでも1年と取るべきでしょう。またWikipediaの打ち切りの記事に「かつては人気のあった番組でも、人気低下等により終了した場合は「打ち切られた」とみなされることも多い」とあり、クールや話数を考えなくてもこれに該当するといえます。それに、最初から半年で終わる契約だったきらめきマンとは事情が違います。Susume80 2007年10月21日 (日) 06:51 (UTC)[返信]
『別冊宝島 このアニメがすごい』に山本弘が執筆した「トンデモ最終回伝説」ですね。確かに113ページで「打ち切り」と断定してます。ただ、山本弘は、SF作家やライターはやっていても、アニメに関してはファンに過ぎませんからねえ。で、インサイダーである人物はといえば、笹川ひろしがMSNジャーナルの連載と自著『ぶたもおだてりゃ木にのぼる』でイタダキマンに言及してるんですが、どちらも「打ち切り」という表現は使わずに「終了」と書いてるんですよ。『新造人間キャシャーン』については『ぶたもおだてりゃ木にのぼる』で、ちゃんと「打ち切り」としてるんですが。途中で降板しているのでどこまで事情を知ってるかは別として、小山高生の例の削除した公式サイトの記述で「打ち切り」と断定してます。アニメ雑誌か何かで放送前に52話予定とか1年間放送予定とか、あれば打ち切りと断定できるってとこですかね。--Wing09 2007年10月21日 (日) 10:45 (UTC)[返信]

思う思わないという話になると水掛け論になっちゃうので、それでWikipediaではソースの存在というものを重要視しているんですね。この件に関しては状況証拠は揃っているとは思うんですが(個人的には「打ち切り」だと思ってます)、まさにそれは状況証拠にすぎないわけで、Wikipediaに記述するのはよろしくない。

もっとも、仮に単なるファンだとしても、きちんとした出版物に載っている以上それをソースとみなすのは問題ないと考えます。逆にその反証がない限りはそれをソースとみなしてもいいのではないかと。

ですので「パズルの枚数やセリフなどは状況証拠なので記述せず。出版物に記載されている件のみを記述することによって「打ち切り」と表現する」とするのが妥当だと思います。どうでしょうか?--なのこえ 2007年10月23日 (火) 00:24 (UTC)[返信]

分からないものは性急に結論を急がすに判断を保留しておけばいいと思います。解釈レベルなのに「打ち切り」と書くのは独自の研究にあたるでしょう。部外者の山本弘がいくら「打ち切り」と言っても意味はないんです。タツノコ関係者かフジテレビ関係者の証言、あるいは事前の話数や期間の予定を明示した資料がないと。「山本弘は打ち切りと言ってる」「小山高生は打ち切りと言ってる」「笹川ひろしは打ち切りという表現を使ってない」「タツノコ関連の公式サイトやムック本でも打ち切りという表現は使ってない(?)」「ゲームのボカンGOGOのムービーではいち早くゴールを迎えたという台詞」という個々の事例を列挙して、「打ち切りだったのか、延長しなかっただけの予定どおりの終了だったかは分からない」と独自の研究っぽい記述をするのはWikipediaでは不適切でしょうから、それなら、「打ち切りになった」ではなく、打ち切りだった場合もカバーできる「終了した」という表現の方がいいと思われます。とりあえず、「終了」という表現は「打ち切り」だった場合にも事実に反するわけではなく、表現としては適切と思われます。--Wing09 2007年10月23日 (火) 11:29 (UTC)[返信]

それで問題ないとは思うんですが、今後のこともあるので質問させてください。
山本が部外者であるとして、一応は出版物として出ているものについて、査読のうえでそれをソースとしない、という処理を行うことは可能なんでしょうか?
いみじくも上で列挙されているとおり、「打ち切りとは書いていない」であって「打ち切りではない」ではありません。反証にはなっていないわけで、それをもって「それはソースとは認めない」と言ってもいい、というのはなんか問題ありなんじゃないの? と思いますが。山本が取材して書いたことかもしれませんし(違うとは思いますが(笑))、部外者だからソースにはならない、というのはちょっと乱暴ではないですかね。ソースにならないとしたら、検証可能性の部分のどこに当たるからソースにならない、と言えるんでしょうか?--なのこえ 2007年10月24日 (水) 06:16 (UTC)[返信]
出版物として出ていて検証可能性を満たすのは必要条件であって十分条件ではないんです。例えばアニメージュ2007年9月号の「アニメ長老のアニメクロニクル」には日本テレビ版ドラえもんは白黒でこの時代でも白黒アニメは珍しかったとしたり顔で書いてて、これ、出版物として出ていて検証可能性も満たしてるんですが、こんなデタラメをソースには出来ません。山本弘については、「山本弘は打ち切りとみなしている」とソース付きで書くよりは、情報源として弱いのだから、分からないことは分からないままで、資料が発掘できるまで断定は避けた方がいいんじゃないか、というのが私のスタンスです。作品評とかなら山本弘のレビューでも出典付きで書くのは構わないと思います。しかし、こういう事実関係については原口正宏なり長尾けんじなり、タツノコプロやアニメについて信頼の置けるライターならともかく、ファンに過ぎない山本弘のような第3者の発言は、断定するに足りる信頼できる情報源とはみなすには弱い、というだけの話です。--Wing09 2007年10月24日 (水) 12:03 (UTC)[返信]
すいません細かいところなんですが再度。
日本テレビ版ドラえもんは白黒でこの時代でも白黒アニメは珍しかったとしたり顔で書いてて、これ、出版物として出ていて検証可能性も満たしてるんですが、こんなデタラメをソースには出来ません。」というのは、これは他の出版物など別ソースを見ると「それは違う」というのがわかる明示的な証拠があるわけですよね? 今回の山本の件に関しては、そういう明示的な証拠は出ていないように思うんですが。上で言っている「打ち切りとは書いていない」「打ち切りではない」というのはそれを言っているものです。下で提示された『タイムボカンシリーズ 超キャラ&超メカコレクション』のような明示的な反証があるならともかく、「ファンていどじゃダメ」というのはそれはそれで独自研究に値すると思いますが。たとえば出版に当たって取材しているかもしれない可能性というものをどのように考えますか? どうせ単なるファンだし1コラムなんだからそういうことはしていないだろう、というのはダメでしょう?
まとめますと、
  1. 単に出版物だからOK、というわけではない、というのはわかっています。ここはいいです。
  2. その出版物Aの記述に対して明確な反証がある場合に、出版物Aをソースとみなせないというのはわかっています。ここもいいです。
  3. 今回のケースは「出版物Aの記述に対して明示的な反証はない。ただし暗示的?な反証がある場合」と考えますが、そうではないんでしょうか?(超キャラ&超メカコレクションのことが出ていない時点でのはなしです)
  4. そういう「明示的な反証がないソースについてWikipedia編集人が「ソースとしては弱い」と判断すること」は、独自研究に当たるのでしちゃまずいんじゃないか?
と、これが私の持っている疑問です。
なんか粘着っぽくって申し訳ないんですが(ホントごめんなさい)、大事なことだと思うのでどのように考えているのかを教えてください。--なのこえ 2007年10月25日 (木) 01:21 (UTC)[返信]
日本テレビ版ドラえもんに例えるのなら、白黒だったことを否定する情報がなかったわけですよ。
で、まず、山本弘は関西在住でアニメに関しては業界人でも研究者ではない、ということはいいですよね。これまでのアニメに関する著作を読んでも、ファン目線を越えるものではありません。で、部外者では知り得ない情報を部外者が「打ち切り」と断言したのなら、その理由は2つの可能性が考えられます。
1.打ち切りになったという情報をアニメ雑誌か何かの資料で見かけた
2.資料的裏付けもなく、最終回の展開から勝手に打ち切りと思い込んだ。
1なら山本弘が根拠とした資料を探し出して、出典とすべきです。2なら論外です。
で、2の思い込みの可能性がある限り、山本弘の断言は信頼できる情報源と言えるかと言うと、弱いのです。資料の吟味は、信頼できる情報源かどうかの確認に不可避であり、これを独自の研究と否定されたら、Wikipediaは信頼できないソースによる解説があふれることになります。--Wing09 2007年10月26日 (金) 11:42 (UTC)[返信]
いや、ですから、資料の吟味自体は問題ないと思うんですよ。しかし、それはあくまでも別の資料によって行うべきで、今までの著作がファンレベルのものだったから今回もそうだろうとか、山本が関係者にインタビューしたかもしれないなんて可能性を考慮しないとか、そういう「別の資料以外での当該資料の吟味」は独自研究に当たらないのか? と言っているわけです。
上記の例で言うなら、「この記事は山本が別の資料を見て書いたんだろう、だからその別の記事を持って来い」ではなくて、「この記事に山本の主張とは別のことが書いてある。こちらも十分に信用できる内容なので、山本の記事の信頼性は疑問だ。資料として認められない」とすべきでしょう、という話です。
……と、ここまで話が進んじゃうと、ここではもう不向きの話題ですね。ここから先はWikipedia:検証可能性のノートのほうで訊いてきます。長々とお騒がせしました。--なのこえ 2007年10月31日 (水) 03:06 (UTC)[返信]
だから、笹川ひろしやこれまで「タイムボカン全集」「僕たちの好きなタイムボカン」とかで打ち切りという情報がないにも関わらず、山本弘は断言しているわけでしょ。山本弘に資料的裏付けがあるのかどうか知らないけれど、資料の出典はなし、しかもエッセイの類いです。笹川ひろしが打ち切りと言っていないことをなぜ山本弘が断言できるのか。「この記事に山本の主張とは別のことが書いてある。こちらも十分に信用できる内容なので、山本の記事の信頼性は疑問だ。資料として認められない」というのと何の違いがあるのですか? 実際に製作に携わった笹川ひろしの発言は十分に信用できるどころでないですけどね。では、続きはWikipedia:検証可能性で。--Wing09 2007年10月31日 (水) 11:07 (UTC)[返信]
1年間の予定であるというソースが出ました。笹川氏はDVDボックスのブックレットでのインタビューで「企画を考えていた当初は1年は放映するだろうと思っていた」と答えています。また、竹書房から発売された雑誌、『タイムボカンシリーズ 超キャラ&超メカコレクション』にも「この早期打ち切りにより、最終話の展開等にはかなりの無理が出た」とあり、打ち切られたと明言しています。Susume80 2007年10月24日 (水) 08:03 (UTC)[返信]
調査お疲れ様です。えーと、まず、笹川ひろしの「1年は放映するだろう」という発言は企画当初のものですね。また、「するだろうと思っていた」ということは、フジテレビではこの企画段階では放送期間に関する取り決めはなかったことを示すもの。1年間の放映予定だったら、「1年の放映予定だった」と断言するはずで、「だろう」という表現は、フジテレビと意思交換の前の笹川ひろし個人の思いが記されているだけです。企画段階を過ぎて、放送前に半年、好評なら1年という話がフジテレビから持ちかけられた、という可能性も否定できません。ということで、打ち切り、つまり当初は1年予定だったのソースにはならないと思います。笹川ひろしが勝手に想定していただけの話ですから。が、『タイムボカンシリーズ 超キャラ&超メカコレクション』で打ち切りと断言してるのは、ソースになるんじゃないですかね。タツノコプロの版権の許諾を取ってるはずだし。執筆者とか編集者って奥付けに書いてありませんか。原口正宏や長尾けんじが関わってるなら、まず間違いないと思います。--Wing09 2007年10月24日 (水) 12:03 (UTC)[返信]
おいおい、ウィキペディアの方針は事の真偽ではなく検証可能かどうかだろ?打ち切りが正しいかどうか出はなく、打ち切りと書いた情報が信頼できるかどうかのはず。放送期間の真偽は関係ない。--222.228.158.33 2007年10月31日 (水) 04:00 (UTC)[返信]
勘違いしてますね。Wikipedia:検証可能性で信頼できる情報源であることが求められています。検証可能性を満たすのが最低限の条件というだけです。--Wing09 2007年10月31日 (水) 11:07 (UTC)[返信]
勘違いはあなたですよ。”山本弘のような第3者の発言は、断定するに足りる信頼できる情報源とはみなすには弱い”というならば、第三者である新聞記者が担当した記事は全て信頼できなくなります。さらにそれが新米の記者であればどうでしょう?それと検証可能性を満たすのが最優先事項であり方針です。打ち切りということが検証可能であれば、それは(誹謗中傷などの負の要因でない限り)記載可能です。そして、出典を示している記事を削除することは荒らし以外の何者でもありません。
打ち切りではないというのであれば、打ち切りではないという出典を提示し、ウィキペディアの方針である中立性に基づき、両論を併記すればよいだけのことです。打ち切りの真偽ではなく検証可能かどうかが方針であり、それが分か無いのであれば再度勉強をすることをおすすめします。--222.228.158.33 2007年10月31日 (水) 11:24 (UTC)[返信]

追記します。”打ち切りと書いた情報が信頼できるかどうかのはず”と書きましたが、それに対してWing09氏の”信頼できる情報源であることが求められています”と私が情報の信頼性にふれていないような書き方を行っています。おそらく自己の都合の良いように書かれるのが好きなのでしょうか? そもそも打ち切り記事の出典の信頼性を、Wing09氏のみが無いと言っている現状をみれば、記事の記載は問題ないでしょう。--222.228.158.33 2007年10月31日 (水) 11:53 (UTC)[返信]

Wing09さんは間違っています。山本弘氏が信頼できるかどうかではなく、版元が信頼できるかどうかが検証可能性として重要なのです。記事を書いた方ではありません。どうもWing09さんは主観にまみれているようです。とりあえず版元に対しての信頼性の有無の議論は出ていないようなので、検証可能性に乗っ取り記載しても問題ありません。打ち切りではないと言う出典があれば両論併記は問題ないと思います。--220.152.28.71 2007年10月31日 (水) 14:28 (UTC)[返信]
Wing09さんに質問です。
1,Wing09さんは当初出典の可否ではなく、打ち切りの真偽を議題にされていました。これは誤りでウィキペディアの方針では、記事の正しさではなく出典の可否を重要とすると言うことでよろしいんですよね?
2,Wing09さんは記事を書いた山本弘氏の信頼性について争っていますが、
①記事を書いた人が当事者である事の方が少ないです。そうすると殆どの記事は信頼できないのでしょうか?
②ウィキペディアは、媒体等の信頼性について言及しています。タブロイド紙やブログは望ましくはないなど。記事を書いた人への信頼性ではなく媒体に対してです。個人を問うのは間違っていませんか?
③個人を問うと言う場合、全国紙の新聞も信頼できなくなります。文化部から政治部に異動してきた人や新人が書いた記事が載ります。新聞記者でも犯罪を犯す人がおり、当然その人も記事も書いています。さらに一般の人は誰がどの記事を書いたか知るケースは少ない。どの記事が不的確な人が書いたか判断が付かず、結果全部の記事が怪しいこととなります。さて、全国紙の新聞は信頼性がないのでしょうか?
--220.152.28.71 2007年10月31日 (水) 22:03 (UTC)[返信]
はいはい。マルチポストしないように。続きはWikipedia:検証可能性でね。--Wing09 2007年11月1日 (木) 10:29 (UTC)[返信]
斜線を入れ消したつもりだったのですが…。ウィキペディアの回線が重いときにあたり反映されなかったようです。以降は検証可能性にて。 --220.152.28.71 2007年11月1日 (木) 11:41 (UTC)[返信]

「王道復古などでの本作の扱い」とラジオの発言の扱い[編集]

「『王道復古』などでの本作の扱い」について。なぜ、イタダキマンが悪い扱いをされた事例だけを取り上げるのでしょうか。中立性についていかがお考えでしょうか。次に、「本作の扱いは明らかに悪い」という「評価」を下しているのは誰ですか? 出典を明らかにして下さい。Wikipediaで自分の意見を書いてはいけません。良い悪いというような主観的な評価を記述するなら、誰が言ったか出典を示すべきです。それに「明らかに」という修辞的表現は百科事典で好ましくないものです。

「僕たちの好きなタイムボカンシリーズ」「タイムボカン全集」「ぶたもおだてりゃ木にのぼる」「笹川ひろしMSNジャーナル連載」「タイムボカンOVA復活記念 やっておしまいBOOK」「タツノコプロ公式サイト」「タツノコプロヒーローアンドヒロインの描き方」などなど、書籍関係では他のシリーズと比べて格段に悪い扱いを受けているわけではない事実があるわけでしょう。そういう事実を載せずに「本作の扱いは明らかに悪い」例だけを載せるのは「継子のイタダキマン」という主張に偏った中立性に疑問を抱かせる編集です。両論併記するまでもありません。「○○ではこういう扱いだった。これは扱いが悪い」「××ではこういう扱いだった。これは他のシリーズと扱いが平等」という調査結果を書くのは独自の研究ですから。--Wing09 2007年10月23日 (火) 11:52 (UTC)[返信]

タツノコプロが製作した映像作品での表現なのに、どこが中立的でないか理解できません。そっちこそ独自の理論による屁理屈としか思えないし、ついていけません。誰が見ても扱いがいいとは思えないのに、あれが扱いが悪いのでなければ何ですか?書籍と映像作品は別です。打ち切りという言葉についてもそうですが、ネガティブな表現をそこまでして排除しようとする意図は何ですか?Susume80 2007年10月24日 (水) 07:59 (UTC)[返信]
まず、検証不可能なラジオの発言をソースにすることを排除することには異論がないということでよろしいですか?
次に「本作の扱いは明らかに悪い」という印象批評は誰が行なっているのか、出典を示しているんですが、これも出典を示せないということでよろしいですか? 出典を示せない批評はWikipediaでは排除されます。これもご存知ですよね。「扱いが悪いと言われている(出典~)と書くのなら、問題視しませんよ。「扱いが悪い」は執筆者の私見ではないですか。」
タツノコプロの映像作品を取り上げることだけを批判しているのではありません。その映像作品のどこで誰がしているかも知れない出典不明の解釈を推し進めるのが問題だと言っているのです。独自の研究にあたるからです。香川のIPユーザー氏にも説明されていますけど、ある観点を推進するような、情報の新たな合成は禁止です。ネガティブな情報だろうと、出典が明らかに出来るものなら、掲載してもいいでしょう。
中立的な観点については、Wikipedia:中立的な観点にあります。「事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな」「フェアであることと、好意的な立場」など。出版物での扱いなど「継子のイタダキマン」に反する事実は無視し、どこで誰が言ってるかも分からない「扱いが悪い」という「意見」を書いてはダメなんですよ。「独自の理論による屁理屈」ではありません。Wikipediaの方針です。
「屁理屈」などという感情的な反発を連ねたところで、反論にはなりません。Wikipediaのルールに則った議論を行ないましょう。
で、OVAでの扱いに関する「意見」の出典が示せず、ラジオの発言の検証可能性が満たせないのであれば、その記述は、Wikipediaからは排除される、それが結論です。--Wing09 2007年10月24日 (水) 12:03 (UTC)[返信]
さて、あかほりさとるの脚本やCDのライナーの感想は冗談の分かる人なら「イタダキマンをネタにした洒落」という解釈があるにも関わらず、「扱いが悪い」という冗談の通じない解釈だけを押し付けることについての説明はできないようですね。作品に関する誰が言ったかも分からない解釈の一方的な押し付けは問題です。--Wing09 2007年10月31日 (水) 11:07 (UTC)[返信]
これを書くのを忘れていたので改めて尋ねます。ラジオの発言をどうやって検証すればいいのか教えて下さい。CDとかでまとまっているのとかライブラリでもあるのでしょうか。検証が不可能であれば、Wikipediaのルールに従って除去せざるをえません。--Wing09 2007年11月3日 (土) 13:39 (UTC)[返信]

回答が戴けません。「本作の扱いは明らかに悪い」という主張と、その根拠のみの例示は、一次資料に拠った独自研究だと判断してよろしいのですね?--Wing09 2008年1月27日 (日) 11:25 (UTC)[返信]

再放送[編集]

記事の本文に長々と書くのもどうかと思うので、19話が放送されていた東海テレビの再放送について、出典がてらに記しておきます。東海テレビでは16時から16時30分の時間帯に1986年12月9日から1987年1月21日かけて全20話を放送。新聞では16時30分からの「1000年女王」のサブタイトルが掲載されて、19話のサブタイトルは確認できませんが、20話放送ということで、19話が放送されたのは間違いないでしょう。テレビ雑誌のバックナンバーならサブタイトルも確認できると思います。12/9、12/10、12/11、12/12、12/15、12/16、12/17、12/18、12/19、12/22、12/23、1/8、1/9、1/12、1/13、1/14、1/16、1/19、1/20、1/21。この日付に放送。--Wing09 2007年11月3日 (土) 13:39 (UTC)[返信]

独自研究、検証可能性を満たさない記述を除去[編集]

「創業以来フジテレビと関係が深かったタツノコプロだが、本作を境に蜜月関係は終わった~」の根拠のない傍証のみから類推した独自研究を除去。その後もタツノコアニメがフジテレビで放送されているにも関わらず、「蜜月関係が終わった」と言うのなら、推測でなく関係者もしくは研究者による出典を提示して下さい。検証可能性が著しく欠けるラジオの発言も除去。ドラマCD「悪玉馬券塾」のブックレットの記述を「扱いが悪い」とした執筆者の感想に基づき記述も除去。タイムボカンシリーズのその後については、イタダキマンから離れており、タイムボカンシリーズの項目で記せばいいでしょう。--Wing09 2008年3月1日 (土) 11:59 (UTC)[返信]

香川のinfowebユーザー氏へ[編集]

3年前から説明しているにも関わらず「自分勝手な理論でしかない」と一蹴されるとは思いませんでした。要約蘭で一言だけ述べるのでなく、どこがどう「自分勝手な理論」なのか説明をお願います。

ラジオの発言やタツノコとフジテレビの関係についてはWikipedia:検証可能性、ドラマCDのブックレットの文章がどうとか、岡正のみがクレジットされるから制作の主導権がどうとかはWikipedia:独自研究は載せないに触れるものであり、「自分勝手な理論」ではありません。これを「自分勝手な理論」と香川のIPユーザー氏があくまで断定するなら、これからの方針を理解してないということになりますがね。--Wing09 2008年3月3日 (月) 17:11 (UTC)[返信]

香川のIPユーザー氏は利用者‐会話:61.124.17.144にあるように、Wikipediaの方針無理解ということで、3日間の投稿ブロックになりました。投稿ブロック解除後もノートにも会話ページにも登場していませんが、いかがお過ごしでしょうか。ノートで指摘されている独自研究や憲章可能性で問題が指摘されているにも関わらず、今後もイタダキマンや竜の子プロダクションで同様の編集を強行するのなら、対話拒否ということで、今後はさらに長期の投稿ブロックになるはずです。出典のない自説の主張をWikipediaに掲載するのは、くれぐれも控えるようにお願いします。--Wing09 2008年3月9日 (日) 10:20 (UTC)[返信]

タツノコプロでこれまでの香川のユーザー氏によると同様の加筆が、香川のIPユーザーによってなされました(http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%AB%9C%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%80%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3&curid=40563&diff=18787337&oldid=18669857)。

これまではplalaやinfowebでしたが、今度はピカラサービスという新しいISPです。もしも同一人物であるならば、裏づけのない自分の主張をゴリ押しすることは改めてもらいたいものです。イタダキマンの記事が保護になっているのは、彼の検証可能性を満たさない独自の研究の掲載が原因なのですから。

ちなみに自分が把握している彼のIPやアカウントです。

--Wing09 2008年3月25日 (火) 15:46 (UTC)[返信]

虚偽の保護解除依頼が提出されました[編集]

Wikipedia:保護解除依頼利用者:小松田会話 / 投稿記録 / 記録によって虚偽の依頼が行われています。2008年6月3日 (火) 16:52 に解除されますがこうしたユーザーが現れることからも何かあった場合、さらに厳しい対応がされることと思います。--Tiyoringo 2008年6月1日 (日) 14:30 (UTC)[返信]