ナン・ゴールディン

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2009年当時

ナン・ゴールディン(Nan Goldin、1953年9月12日 - )はアメリカ写真家

人物[編集]

ワシントンD.C.に生まれ、ボストンマサチューセッツレキシントンの郊外で育つ。家庭はユダヤ人の中産階級であり、両親は穏健な、自由・進歩主義の思想を持っていた。

1965年4月12日、当時18歳であった姉・バーバラが自殺。姉の死とその喪失感はゴールディンに大きな影響を与えることになり、写真を撮り続ける動機の一つともなっている。1973年ボストンで、同居人や周囲のドラァグクイーンゲイトランスセクシュアルの友人達へのオマージュとして写真を撮り始める。当時の夢は雑誌『VOGUE』などに自分が撮影した友人達が載ることだったと言う。初の個展を開き、同じく写真家であり、親友でもあるディヴィッド・アームストロングと知り合う。

その後ニューヨークに移り、ゲイバー「ストーンウォール」での反乱後の、活気に溢れたゲイサブカルチャー、ポストパンク、ニューウェーブシーンを撮影し始める。彼女は特にバワリー地区のドラッグサブカルチャーに惹かれていた。これらの写真は1979年から1986年の間に撮られ、1986年に発表された『性的依存のバラード(The Ballad of Sexual Dependency)』としてまとめられる。この作品は高く評価されると同時に反発もされ、大きな反響を呼ぶ[1]。『性的依存のバラード』に収められた美的スナップショット(en:Snapshot aesthetic)は、ドラッグ、暴力、過激なカップル達や、自叙伝的な瞬間を描いている。ドラッグの過剰摂取やエイズ等で、1990年までに、作品に登場するほとんどの被写体が亡くなっている。

作品[編集]

初期作品のテーマは愛、ジェンダー、家庭、セクシュアリティーなど。またこれらは大抵自然光によって撮影されている。

1994年には日本を訪れ、東京のアンダーグラウンドの若者たちを撮影。荒木経惟の写真と交互に並べた写真集、『TOKYO LOVE』を発表。渋川清彦笠井爾示などがモデルとして登場している[2]

ゴールディンの作品の多くは、スライドショーとして発表され、有名なものは1995年に自ら監督・出演したドキュメンタリー映像作品『I'll Be Your Mirror』で、800枚の写真で構成された45分の作品である。日本では「第2回アート・ドキュメンタリー映画祭」で上映された。

影響[編集]

姉、友人達の死からの影響については「完全に私の人生を変えた。人生の中で、写真を撮る中で、私は常に彼女との間にあった親密さを探している。それから、友人達のことも考える。姉の死は、もっと抽象的なものだった。象徴的といってもいい。一方で友人達の死は、とても現実的で、計り知れない遺産を私に残してくれた。そういうわけで私は写真を撮るの。とっても多くの人たちが、ひどく恋しくて仕方ないのよ(作家デニス・クーパーによる1995年のインタビュー"The Ballad of nan goldin”より)」と語っている[3]

脚注[編集]

  1. ^ 笠原美智子「写真集の現在 Part2 ドキュメンタリー」『STUDIO VOICE 〈Vol.186〉』流行通信、1991年6月号、p45。
  2. ^ 『TOKYO LOVE』
  3. ^ Dennis Cooper『Smothered in hugs』p139。

関連書籍[編集]

外部リンク[編集]