コンテンツにスキップ

ナグスヘッドの作り話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Koon16000 (会話 | 投稿記録) による 2008年12月26日 (金) 05:28個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (いくらなんでも伝説ではないでしょう・・)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

カンタベリー大主教マシュー・パーカーの肖像

ナグスヘッドの作り話(英語:Nag's Head Fable)とは、カンタベリー大主教マシュー・パーカーは厳粛な聖別を受けていない代わりにナグスヘッドの酒場で聖書を頭に乗せながら聖別をされたと主張した作り話。この話はパーカーが聖別された40年以上も後に作られローマカトリック圏に広まり、20世紀になって真実が広まるまで本当と思われていた。

事実と虚実

エリザベス1世の統治において最初の礼拝統一法が可決した際、14人の主教たちはその地位を追われ、ランダフ主教を除くすべての主教が空位となった。[1]ここで問題となったのがどのようにして使徒継承を途切れさせずに聖別を行うかということであったが、ランダフ主教は新しいカンタベリー大主教の聖別を勤めることを拒否した。[1]その後パーカーは大主教に選ばれた。ナグスヘッドにおいて下品な聖別が行われたと言う『Nag's Head Fable』は、実際の聖別より40年も後である1604年にイエズス会所属のクリストファー・ホーリーウッド(en)によって作られたと見られている。

このプロパガンダによれば、先のチチェスター主教であるジョン・スコーリーは呼び出されてチープサイド(en)にあるナグスヘッドの酒場で聖別を勤めたという。[1]そこでパーカーはおそらく、スコーリーが「Take thou authority to preach the word of God sincerely(聖別する際の決まり文句)」という間、聖書を頭の上に置きながら聖別されたという。[1]この話は後に、ランベス・パレス(en)のチャペルにいたパーカーの聖別を見ていた人たちによる多数の記述をもって、嘘だとしてはねつけられた。これらによればナグスヘッドで起こったのは聖別ではなく、それに参加した人たちがその後そこで夕食を取ったに過ぎないという。さらにスコーリーだけではなくウィリアム・バローマイルス・カヴァーデール、そしてジョン・ホジキンスの4人全員が聖別を行っているということも分かっている。[2]

現代に近い19世紀後半にいたっても、スリランカのような国では無節操な論客によってこの作り話は依然として事実として語られていた。[2]

  1. ^ a b c d Dictionary of Phrase and Fable, E. Cobham Brewer, 1894
  2. ^ a b “The Christian Faith: An Introduction To Dogmatic Theology” (English). The Chaucer Press. (1965年). pp. PART II, CHAPTER 64. http://www.katapi.org.uk/ChristianFaith/LXIV.htm 2007年7月16日閲覧。