トーマス・A・ジャガー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トーマス・A・ジャガー
生誕 1871年1月24日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州
死没 (1953-01-17) 1953年1月17日(81歳没)
研究分野 火山学
出身校 ハーバード大学
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

トーマス・A・ジャガー(Thomas Augustus Jaggar、1871年1月24日 - 1953年1月17日)は、アメリカ合衆国火山学者地球科学者ハワイ火山観測所の創設者及び初代所長である。

ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。ハーバード大学で1897年に博士号を得た。はじめ実験室でマグマの挙動を解明する実験をおこなっていたが、フィールド観察の必要性を痛感するようになった。

1902年にモントセラトスーフリエール・ヒルズウィンドワード諸島プレー山火山災害の調査にアメリカ合衆国が派遣した科学者の1人となった。アメリカ海軍ナショナルジオグラフィック協会の援助を受けて、噴火開始の13日後には噴煙の漂うマルティニークの海岸に上陸した。その後の10年間はイタリアアリューシャン列島中央アメリカ日本地震火山噴火の現場を調査した。1908年のイタリアのエトナ山付近の地震で12,500人の犠牲者がでたことで、火山と地震の研究に対して強い使命感をもった。

1909年にハワイに自費で渡り、キラウエア火山に最初の火山観測所を造ることを決意した。ローリン・A・サーストン英語版の援助でホノルル実業家たちから資金を得て、1年以内にハワイ火山研究協会を創設し、小さな火山観測所を設立した。1912年にはマサチューセッツ工科大学の支援を得て、新たにハワイ火山観測所を創立した。ハワイ火山観測所は1919年より気象局が運営し、1924年からはアメリカ地質調査所が運営を引き継いだ。ジャガーは1940年までハワイ火山観測所の所長を務めた。

1987年にキラウエアのカルデラの西側火口縁にトーマス・A・ジャガー博物館が開館した。

関連項目[編集]

脚注[編集]