トリポリ (レバノン)
トリポリ طرابلس | |
---|---|
市街地東部 | |
位置 | |
トリポリはレバノン最北部の地中海岸に位置する | |
座標 : 北緯34度26分 東経35度51分 / 北緯34.433度 東経35.850度 | |
行政 | |
国 | レバノン |
県 | 北レバノン県 |
市 | トリポリ |
人口 | |
人口 | (現在) |
市域 | 500,000人 |
その他 | |
等時帯 | 東ヨーロッパ時間 (UTC+2) |
夏時間 | 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3) |
公式ウェブサイト : www.tripoli-city.org |
トリポリ (Tripoli) は、東地中海沿岸に広がるレバノンの第二の都市であり、北レバノン県の県都でもある。アラビア語ではタラーブルス (طرابلس ṭarābulus) という。
首都ベイルートと同じく港町で、レバノン第二の港でもある。人口50万人。住民の80%はスンニ派ムスリムである。
歴史
古くから東地中海有数の富裕な港として栄え、十字軍による破壊以前は「ダール・アル=イルム (دار العلم)」(知識の館)という大図書館を有していた。第1回十字軍の際に陥落し、十字軍国家のトリポリ伯領となり、1289年マムルーク朝に滅ぼされ破壊されるまで数度にわたる十字軍の上陸・補給拠点として、またイタリア商人らによる通商の場として利用された。
レバノン内戦時、トリポリは、ベイルートより南の都市とは違って、大規模な破壊には至っておらず、1103年フランク王国のレイモンド伯(レイモン・ド・サン・ジル)が建てた十字軍の要塞、セント・ジル要塞(1289年再建)をはじめ、数々の遺跡が残っている。
「バラマンド我等の女宰修道院」も参照
2012年、前年から隣国で発生していたシリア騒乱が、宗教対立の形でトリポリへ伝播。同年8月20日から市内各所で発生したイスラム教アラウィー派(アサド政権寄り)とスンニ派(反政府勢力寄り)の衝突では、14人以上の死亡、100人以上の負傷者を出した[1]。
交通
- 鉄道
市内にはかつてオリエント急行の発着駅にもなっていたトリポリ駅があったが、内戦の影響を受けて、1975年に廃駅となっている。
出典
- ^ シリア情勢、レバノンへ飛び火 宗派間対立で死者もAFPBB.NEWS 2012年08月25日
外部リンク
- トリポリ市ホームページ (英語)