トラーヴォ

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トラーヴォ
Travo
トラーヴォの風景
行政
イタリアの旗 イタリア
エミリア=ロマーニャ州の旗 エミリア=ロマーニャ
県/大都市 ピアチェンツァ
CAP(郵便番号) 29020
市外局番 0523
ISTATコード 033043
識別コード L348
分離集落
隣接コムーネ ベットラボッビオコーリガッツォーラペコラーラピオッツァーノリヴェルガーロヴィゴルツォーネ
公式サイト リンク
人口
人口 2,000 人
人口密度 25 人/km2
文化
守護聖人  
祝祭日  
地理
座標 北緯44度52分0秒 東経9度33分0秒 / 北緯44.86667度 東経9.55000度 / 44.86667; 9.55000座標: 北緯44度52分0秒 東経9度33分0秒 / 北緯44.86667度 東経9.55000度 / 44.86667; 9.55000
標高 m
面積 80 km2
トラーヴォの位置(イタリア内)
トラーヴォ
トラーヴォの位置
イタリアの旗 ポータル イタリア
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トラーヴォ (Travo) は、人口2,000人のイタリア共和国エミリア=ロマーニャ州ピアチェンツァ県コムーネの一つである。トレッビア川の左岸に位置し、対岸には二つの橋がかかっている。

歴史

集落の一つから新石器時代の遺跡が発見されており、エミリア=ロマーニャ州の財団によって管理され、発掘品はトラーヴォ市民博物館に収蔵されている。

最初にこの地が歴史上に現れたのは、トリビアという名のローマの植民地としてであり、614年からはボッビオの聖コロンバーノ修道院領に帰属する。

北イタリアに成立していたランゴバルド王国774年フランク王国カール大帝に滅ぼされると、中部フランク王国を経て神聖ローマ帝国の勢力下に入る。神聖ローマ帝国においては海路への維持を目的としてマラスピーナ城をはじめとする多数の砦が築かれたが、ホーエンシュタウフェン朝ロンバルディア同盟との抗争により、12世紀にはほとんどが破壊された。1302年にはピアチェンツァのヴィスコンティ家の所有となり、1805年イタリア王国が興るとそのコムーネの一つとなった。

現存するアングイッソラ城は1978年にサリーナ伯爵夫人マリアから寄贈されたもので、1997年より住居部がトラーヴォ市民博物館として解放されている。

人口の推移

フラツィオーネ

Bobbiano, Caverzago, Cernusca, Donceto, Due Bandiere, Fellino, Fiorano, Marchesi, ピガッツァーノ, Pillori, Quadrelli, Statto