ディルク・カイト

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ディルク・カイト
名前
本名 Dirk Kuijt
カタカナ ディルク・カイト
ラテン文字 Dirk KUYT
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1980-07-22) 1980年7月22日(43歳)
出身地 カトヴァイク
身長 184cm
体重 83kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 リヴァプールFC
ポジション FW
背番号 18
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2003
2003-2006
2006-
オランダの旗 FCユトレヒト
オランダの旗 フェイエノールト
イングランドの旗 リヴァプールFC
160 (51)
101 (71)
266 (68)
代表歴2
2004- オランダの旗 オランダ 84 (24)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月22日現在。
2. 2011年11月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ディルク・カイト(Dirk Kuyt, Dirk Kuijt, Nl-Dirk Kuijt.ogg 発音[ヘルプ/ファイル]1980年7月22日 - )は、オランダ南ホラント州カトヴァイク出身の同国代表プレミアリーグリヴァプールFC所属のサッカー選手。ポジションはフォワード

経歴

リヴァプールでのカイト

1998年ユトレヒトに入団。1年目から頭角を現してレギュラーとして活躍。2002-03シーズンには20得点を挙げる活躍を見せ、KNVBカップ獲得にも貢献した。その活躍が認められて2003-04シーズンからはそのシーズンで移籍したピエール・ファン・ホーイドンクの代役としてフェイエノールトでプレー。サロモン・カルーと強力2トップを形成し、ここでも高い得点能力を発揮して20得点を挙げ、チームの主力に成長した。

翌2004-05シーズンには開幕戦のデ・フラーフスハップ戦でハットトリックを決めるなど、高い得点力を発揮しキャリアハイの29得点を挙げてリーグ得点王に輝いた。2005-06シーズンにはキャプテンに就任しチームを引っ張り、自身も25ゴールを挙げる活躍をした。オランダで1999年から2006年までの7シーズンで233試合が行われ、そのうちわずか5試合しか欠場しなかった。また2001年3月から2006年4月までの間179試合連続出場を記録した。

2006年夏、プレミアリーグリヴァプールに移籍した。移籍金は1800万ユーロ(約26億6400万円)。移籍してまもなくレギュラーとして活躍し始め、2006-07シーズンは、ピーター・クラウチクレイグ・ベラミールイス・ガルシアらと2トップを組み、チーム最多となる12得点を記録した。

2007-08シーズン、開幕前にチームはフェルナンド・トーレスアンドレイ・ヴォロニンといったワールドクラスの選手を前線に補強。しかし、トーレスとの2トップは機能したとは言い切れず、リヴァプールはスタートダッシュに失敗。優勝戦線からの早期脱落を余儀なくされると、チームはシステムを4-4-2から、スティーヴン・ジェラードをトップ下に配置する4-2-3-1に変更する。これに伴い、1トップの座をトーレスに譲ると、カイト自身は右MFとして新境地を開拓し、本職であるヨッシ・ベナユンジャーメイン・ペナントを差し置いて、レギュラーとして活躍を続ける。ポジションがゴールから離れた位置に変更されたこともあり、リーグ戦でのゴール数は極端に減少(32試合で3ゴール)したものの、UEFAチャンピオンズリーグではゴールを量産(11試合で5ゴール)した。

2008-09シーズンは、開幕当初から右MFに固定され、トーレスの不在時には代役を完璧にこなすなど、抜群の存在感を示した。

代表歴

オランダ代表でのカイト

当時代表監督であったマルコ・ファン・バステンよりロイ・マカーイパトリック・クライファートといったストライカーが多くいたオランダ代表に初招集を受けた。2004年9月3日のリヒテンシュタイン戦では代表デビューを果たした。2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では12試合中試合をスタメンで出場し、本戦出場に貢献した。

2006 FIFAワールドカップではベンチに降格してしまう。グループステージ1戦目のセルビア・モンテネグロ戦で後半14分にルート・ファン・ニステルローイに代わって出場した。2戦目終了時点でグループステージ突破が決まったため、3戦目のアルゼンチン戦ではスタメンで出場した。決勝トーナメント1回戦のポルトガル戦ではファン・ニステルローイに代わりスタメンのチャンスが回ってきたがゴールは挙げられず1-0で敗れチームは敗退した。

2008年にはUEFA欧州選手権2008のメンバーに選出され、6月9日に行われたグループステージ1戦目のイタリア戦でヴェスレイ・スナイデルジョバンニ・ファン・ブロンクホルストのゴールをアシストしチームの勝利に大きく貢献した。6月13日のフランス戦では前半9分にゴールを挙げ勝利に貢献した。しかしチームは決勝トーナメント1回戦のロシア戦で敗れ敗退した。

2010 FIFAワールドカップではグループリーグ1戦目のデンマーク戦で2点目のゴールを挙げ、自身ワールドカップ初得点となった。

タイトル

クラブ
オランダの旗 FCユトレヒト
イングランドの旗 リヴァプールFC
個人

外部リンク