ディエゴ・コラレス

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ディエゴ・コラレス
基本情報
本名 ディエゴ・コラレス
通称

Chico(チコ)

褐色のアルゲリョ
階級 ライト級
身長 179cm
リーチ 178cm
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 (1977-08-25) 1977年8月25日
出身地 サウスカロライナ州コロンビア
死没日 (2007-05-07) 2007年5月7日(29歳没)
死没地 ネバダ州ラスベガス
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 45
勝ち 40
KO勝ち 33
敗け 5
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ディエゴ・コラレス英語: Diego Corrales, 1977年8月25日 - 2007年5月7日)は、アメリカ合衆国プロボクサー。元IBF世界スーパーフェザー級王者。元WBO世界スーパーフェザー級王者。元WBC・WBO統一世界ライト級王者。

愛称は「Chico (チコ) 」。2007年5月にオートバイの飲酒運転で29歳で事故死。

来歴[編集]

スーパーフェザー級時代[編集]

1996年3月19日に19歳でプロデビュー。その後順調に勝ち続け、無敗のまま1999年10月23日にはロベルト・ガルシア(当時32戦無敗)を7回TKOで破りIBF世界スーパーフェザー級王座を獲得した[1]

さらに3度目の防衛戦となる2000年3月18日のデリック・ゲイナー戦で3回TKO勝利し、IBA世界スーパーフェザー級王座も獲得した。IBF王座を3度防衛した後返上し、WBC同級王者フロイド・メイウェザー・ジュニアに挑戦するも、メイウェザーのスピードにまったくついていけず、計5度のダウンを奪われての10回TKO負けを喫し、王座獲得に失敗した。

この試合の数か月後、コラレスは妊娠中の妻への暴行罪で逮捕、14ヶ月収監された。この私生活のトラブルのせいで2年近くのブランクを作ってしまった(妻とは離婚)。

2003年に復帰した後は、ノンタイトル戦を4試合挟み、2003年10月4日にIBF王座の指名挑戦権をかけてホエール・カサマヨールと対戦するが、ダウンの応酬の末、コラレスの負傷による6回TKO負けを喫しIBF王座への挑戦権獲得に失敗。しかし、翌2004年3月6日のカサマヨールとの再戦では2-1僅差判定でコラレスが勝利し、空位のWBO世界スーパーフェザー級王座とIBA世界スーパーフェザー級王座を獲得した。

ライト級時代[編集]

カサマヨールとのリターンマッチに勝利した後、コラレスはライト級に転向。2004年8月7日には35戦全勝の王者、アセリノ・フレイタスに挑戦し、合計3度のダウンを奪い10回TKOで勝利。WBO世界ライト級王座を獲得し、2階級制覇に成功した。さらに2005年5月7日にはWBC王者のホセ・ルイス・カスティージョと王座統一戦を行い、10ラウンドに2度ダウンを奪われながらも立ち上がって逆にカスティージョをKOするという大逆転勝利でWBC王座も獲得し王座統一に成功した。しかし、この試合はコラレスがダウンした際に故意に2度もマウスピースを吐き出して時間稼ぎをしたことと、レフェリーの試合を止めるタイミングが論議を呼び、同年10月8日にリターンマッチが組まれた。ところが、試合前日の計量でカスティージョが体重超過したためにノンタイトル戦になってしまった(WBO王座は再戦の前に返上した)。この試合では、コラレスが体重オーバーのカスティージョの強烈な左フックで4回KOで敗れてしまう。カスティージョとは2006年6月3日にラバーマッチが組まれたが、またしてもカスティージョが前回に続き減量に失敗し計量をパス出来なかった。それに激怒したコラレス陣営が対戦を拒否し、試合は中止となった。コラレス陣営はカスティージョに対し、試合中止で受け取れなかったファイトマネーの損害賠償訴訟を起こした。WBC世界ライト級王座の防衛戦として2006年10月7日に予定されたホエール・カサマヨールとの試合では、今度はコラレスが計量オーバーし、試合前にWBC王座は剥奪された。この剥奪と同時に暫定王者デビッド・ディアスが正規王者へ昇格となったため、試合に12回判定(3-0)で勝ったカサマヨールはWBC世界ライト級の暫定王者に認定された。

ウェルター級時代[編集]

2007年、ライト級では体重苦のコラレスは、一気に2階級上のウェルター級まで上げることを企てる。初戦に選んだのは、前年12月にWBO世界ウェルター級王者、アントニオ・マルガリートに挑戦したばかりのジョシュア・クロッティだった。2007年4月7日、クロッティと対戦したコラレスは、2度のダウンを奪われた末に10回大差判定(0-3)で敗れた。ほぼ一方的な敗戦だった。これで3連敗となり、引退も囁かれたコラレスだが、試合後すぐに再起を宣言した[2]。しかし、これがコラレスの最後の試合となってしまった。

2007年5月7日夜、ラスベガスオートバイを運転中に前の自動車を追い越そうとした際に接触し衝突事故のため死去[3]。コラレスの体内からはアルコールが検出され、血中のアルコール濃度はネバダ州の法定制限である0.08パーセントの3倍以上にあたる0.25パーセントだった。29歳没。

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “ディエゴ・コラレス”. ボクシングファン. http://boxing-fan.net/champion/diegocorrales.html 2020年2月20日閲覧。 
  2. ^ コラレス完敗。ウェルター級初陣飾れず ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2007年4月8日
  3. ^ コラレス、バイク事故で死亡 ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2007年5月8日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前王者
ロベルト・ガルシア
IBF世界スーパーフェザー級王者

1999年10月23日 - 2000年(返上)

空位
次タイトル獲得者
スティーブ・フォーブス
空位
前タイトル保持者
アセリノ・フレイタス
WBO世界スーパーフェザー級王者

2004年3月6日 - 2004年(返上)

空位
次タイトル獲得者
マイク・アンチュド
前王者
アセリノ・フレイタス
WBO世界ライト級王者

2004年9月7日 - 2006年(返上)

空位
次タイトル獲得者
アセリノ・フレイタス
前王者
ホセ・ルイス・カスティージョ
WBC世界ライト級王者

2005年5月7日 - 2006年10月6日(剥奪)

空位
次タイトル獲得者
デビッド・ディアス