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翟成(てきせい、拼音:Dí Chéng 、? - 385年)は、五胡十六国時代の丁零族の首長。翟真の従弟。
生涯
385年4月、翟真が承営から行唐に移ると、翟真の司馬である鮮于乞[1]は翟真およびその一族を殺し、自ら立って趙王となった。営人は共に鮮于乞を殺し、翟真の従弟である翟成を立てて主とした。翟真の子の翟遼は黎陽に奔走した[2]。5月、燕王の慕容垂は常山に至り、翟成を行唐で包囲した。7月、翟成の長史である鮮于得[3]は翟成を斬って慕容垂に降った。慕容垂は行唐を攻め落とし、翟成の衆をことごとく穴埋めにした。[4]
脚注
- ^ 『資治通鑑』では「鮮於乞」
- ^ 『晋書』載記第二十三
- ^ 『資治通鑑』では「鮮於得」
- ^ 『資治通鑑』卷第一百六
参考資料