テオドシウス朝
テオドシウス朝(テオドシウスちょう、英語:Theodosian dynasty)は、379年に東方正帝として即位したテオドシウス1世から始まるローマ帝国の王朝である。テオドシウス1世は392年のウァレンティニアヌス朝の断絶後の内乱を経て、帝国の再統一を果たして単独のローマ皇帝になるが、395年の没後、彼の2子によって帝国の分割統治が行われた。帝国の分割統治はそれ以前にもあったものの、この分割以降ローマ帝国は再統一される事がなかったために、日本ではこの時をもってローマ帝国が東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂したとみなされている。東では450年まで(テオドシウス1世の孫婿にあたるマルキアヌスを含めると457年まで)、西では455年まで続いた。
歴代君主
西方帝
東方帝
系図
アエリア・フラキア | テオドシウス1世 | ガッラ (ウァレンティニアヌス1世娘) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルカディウス 東ローマ帝 | ホノリウス 西ローマ帝 | ガッラ・プラキディア | コンスタンティウス3世 西ローマ帝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マルキアヌス 東ローマ帝 | アエリア・プルケリア | テオドシウス2世 東ローマ帝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アエリア・マルキア | アンテミウス 西ローマ帝 | ペトロニウス・マクシムス 西ローマ帝 | リキニア・エウドクシア | ウァレンティニアヌス3世 西ローマ帝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フネリック ヴァンダル王 | エウドキア | プラキディア | オリブリオス 西ローマ帝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
- ^ 379年-394年まではウァレンティニアヌス朝の東方帝。
- ^ テオドシウス1世の娘婿・共治帝。
- ^ コンスタンティウス3世の子。ホノリウスの没後、元老院によって擁立された西方帝ヨハンネス(在位423年 - 425年)を倒して即位。
- ^ アルカディウスの娘婿。
参考文献
- 後藤篤子「テオドシウス朝」『世界大百科事典 第19巻』(平凡社、2007年改訂新版)