ツバキ

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ツバキ
分類
: 植物界 Plantae
: 被子植物門 Magnoliophyta
: 双子葉植物綱 Magnoliopsida
亜綱 : ビワモドキ亜綱 Dilleniidae
: ツバキ目 Theales
: ツバキ科 Theaceae
: ツバキ属 Camellia
: ヤブツバキ C. japonica
学名
Camellia japonica
和名
ヤブツバキ
ツバキの花と葉
ツバキの樹皮
落椿(おちつばき)
ツバキの果実

ツバキ椿)は、ツバキ科ツバキ属植物、学名Camellia japonicaであり、日本原産の常緑樹。野生種の標準和名はヤブツバキ。国内外でヤブツバキや近縁のユキツバキから作り出された数々の園芸品種、ワビスケ、中国・ベトナム産の原種や園芸品種などを総称的に「椿」と呼ぶが、同じツバキ属であってもサザンカを椿と呼ぶことはあまりない。

照葉樹林の代表的な樹木。花期は冬から春にかけてにまたがり、早咲きのものは冬さなかに咲く。「花椿」は季語であるが、「寒椿」「冬椿」は季語海柘榴とも表記する。

概要

花が美しく利用価値も高いので万葉集の頃からよく知られたが、特に近世に茶花として好まれ多くの園芸品種が作られた。美術や音楽の作品にもしばしば取り上げられている。

18世紀イエズス会の助修士で植物学に造詣の深かったゲオルク・ジョセフ・カメルフィリピンでこの花の種を入手してヨーロッパに紹介した。その後有名なカール・フォン・リンネがこのカメルにちなんで、椿にカメルという名前をつけた。19世紀には園芸植物として流行し、『椿姫』(アレクサンドル・デュマ・フィスの小説、またそれを原作とするジュゼッペ・ヴェルディオペラ)にも主人公の好きな花として登場する。和名の「つばき」は、厚葉樹(あつばき)、または艶葉樹(つやばき)が訛った物とされている。

「椿」の字の音読みは「チン」で、椿山荘などの固有名詞に使われたりする。なお「椿」はツバキとは無関係のセンダン科の植物チャンチン(香椿)の意味で使われることもある。

水路の落椿

ツバキの花は花弁が個々に散るのではなく、多くは花弁が基部でつながっていてを残して丸ごと落ちる。それが首が落ちる様子を連想させるために入院している人間などのお見舞いに持っていくことはタブーとされている。この様は古来より落椿とも表現され、俳句においては季語である。なお「五色八重散椿」のように、ヤブツバキ系でありながら花弁がばらばらに散る園芸品種もある。

また、の世界においても落馬を連想させるとして、競馬競走馬馬術競技馬の名前としては避けられる。特に競馬では、過去にはタマツバキの様な名馬もいるが、1969年の第36回東京優駿日本ダービー)で大本命視されたタカツバキが、スタート直後に落馬で競走中止するというアクシデントを起こして以降、ほとんど付けられることがなくなったとされている。

武士はその首が落ちる様子に似ているというのを理由にツバキを嫌った、という話もあるがそれは幕末から明治時代以降の流言であり、江戸時代に忌み花とされた記述は見付からない[1]1600年代初頭には多数の園芸品種が流行。1681年には,世界で初めて椿園芸品種を解説した書物が当時の江戸で出版される。

歴史的な背景として、日本では733年「出雲風土記」にすでに椿が用いられている。その他、多くの日本の古文献に出てくる。中国ではの王朝の第2代皇帝煬帝の詩の中で椿が「海榴」もしくは「海石榴」として出てくる。海という言葉からもわかるように海を越えてきたもの、日本からきたものを意味していると考えられる。榴の字は、ザクロを由来としている。しかしながら、海石榴と呼ばれた植物が本当に椿であったのかは国際的には認められていない。中国において、ツバキは主に「山茶」と書き表されている。「椿」の字は日本が独自にあてたものであり、中国においては椿といえば、「芳椿」という東北地方の春の野菜が該当する。

植物としての性質

上記のように、日本において広く見られる野生のツバキはヤブツバキであり、植物学上はこの名で呼ばれる。ただし、標準和名としてツバキの名を採用した例もある(北村・村田(1979))。

特徴

常緑性の高木。普通は高さ5-6mだが、樹高18m・胸高直径50cmにも達する例も知られる。ただしその成長は遅く、寿命は長い。樹皮はなめらかで灰白色、時に細かな突起がまばらに出る。

枝はよくわかれる。冬芽は線状楕円形で先端はとがり、円頭の鱗片が折り重なる。 鱗片の外側には細かい伏せた毛がある。鱗片は枝が伸びると脱落する。

葉は互生、長楕円形から広楕円形、鋭尖頭(先端が突き出す)で葉脚は広いくさび形、縁には鋸歯が並ぶ。葉質は厚くて表面につやがあり、濃緑色で裏面はやや色が薄い。

分布

日本では本州、四国、九州、南西諸島から、それに国外では朝鮮半島南部と台湾から知られる。 本州中北部にはごく近縁のユキツバキがあるが、ツバキは海岸沿いに青森県まで分布し、ユキツバキはより内陸標高の高い位置にあって住み分ける。

分類

琉球列島から台湾のものをタイワンヤマツバキ、あるいはホウザンツバキ C. japonica subsp. hozanensis (hayata)としたこと、あるいは屋久島のものは果実が大きく果肉が厚いことからリンゴツバキ var. macrocarpa Masamune として分けたこともあるが、それぞれに中間型もあり、分けないことも多い。

ユキツバキは種内変異として変種ないし亜種とされたこともあるが、別種との扱いもある。

用途

材木 
ツバキは生長すると樹高20mほどになるが、日本のツバキの大木はほとんど伐採され、最後の供給地として屋久島からも切り出されたが、現在では入手の難しい材である。
大木は入手しにくいので建築用にはあまり使われない。木質は固く緻密、かつ均質で木目は余り目立たない、摩耗に強くて摩り減らない等の特徴から工芸品、細工もの等に使われる。
代表的な用途は印材や将棋の駒で、近年は合成材料の判子が多くなったが、椿材は、つげ材に次ぐものとして、安価な印鑑などに利用されていた。
木灰 
日本酒の醸造には木灰が必要で、ツバキの木灰が最高とされている。また、アルミニウムを多く含むことから古くは染色用にも用いられた。しかしツバキが少ないため灰の入手は難しい。
木炭  
ツバキの木炭は品質が高く、昔は大名の手焙りに使われた。
椿油  
椿油は、種子(実)を絞った油で、用途の広さは和製オリーブオイルとも言える。高級食用油、整髪料として使われるほか、古くは灯りなどの燃料油としてもよく使われた。ヤブツバキの種子[2] から取る油は高価なため、同じくツバキ属の油茶などから搾った油もカメリア油の名で輸入されている。
搾油で出る油粕は川上から流して、川魚、タニシ川えび等を殺すのに使われた。
観賞花 
ツバキの花は古来から日本人に愛され、京都龍安寺には室町時代のツバキが残っている。他家受粉で結実するために変種が生じやすいことから、古くから品種改良が行われてきた。江戸時代には江戸将軍肥後加賀などの大名、京都の公家などが園芸を好んだことから、庶民の間でも大いに流行し、たくさんの品種が作られた。
茶道でも大変珍重されており、冬場の炉の季節は茶席が椿一色となることから「茶花の女王」の異名を持つ。
また西洋に伝来すると、冬にでも常緑で日陰でも花を咲かせる性質が好まれ、大変な人気となり、西洋の美意識に基づいた豪華な花をつける品種が作られた。
品種については別項で詳細を述べる。
薬用 
葉のエキスが止血薬になる。特に朝廷では毒消し(悪魔祓い)として祭事が行われた。その祭祀司を稲幡と言う。

ツバキの原種と園芸品種

日本のツバキ

ヤブツバキ  
原種。分布は南西諸島から青森県夏泊半島まで分布している。これはツバキ属の自生地の北限である。西日本にはほぼ全域に分布しているが、東日本では温暖な地域に自生している。
ユキツバキ(雪椿) 
ユキツバキ、花糸が黄色
ユキツバキの学名はCamellia rusticanaシノニムCamellia japonica var. decumbensCamellia japonica subsp. rusticana)。上記のヤブツバキとは別種、またはヤブツバキの豪雪地帯適応型変種、あるいは亜種という見解があり、ヤブツバキに比べ、枝がしなやか、花弁が水平に開く、等の特徴がある。花の変異が多く八重咲きの品種改良に大きく貢献した。別名サルイワツバキ。ヤブツバキとの交雑系統を「ユキバタツバキ」と呼ぶ。
ワビスケ(侘助)  
中国産種に由来すると推測される「太郎冠者(たろうかじゃ)」という品種から派生したもの。「太郎冠者」(およびワビスケの複数の品種)では子房に毛があり、これは中国産種から受け継いだ形質と推測される。一般のツバキに比べて花は小型で、猪口咲きになるものが多い。が退化変形して花粉を生ぜず、また結実しにくい。なおヤブツバキの系統にも葯が退化変形して花粉を付けないものがあるが、これらは侘芯(わびしん)ツバキとしてワビスケとは区別される。
花色は紅色~濃桃色~淡桃色(およびそれらにウイルス性の白斑が入ったもの)が主であり、ほかの日本のツバキには見られないやや紫がかった色調を呈するものも多い。少数ながら白花や絞り、紅地に白覆輪の品種(湊晨侘助)などもある。
名前の由来としては諸説あり、豊臣秀吉朝鮮出兵の折、持ち帰ってきた人物の名であるとした説。茶人・千利休の下僕で、この花を育てた人の名とする説。「侘数奇(わびすき)」に由来するという説。茶人・笠原侘助が好んだことに由来する説などがある。

交配種

匂いツバキ 
匂いのイメージのあまりないツバキ・サザンカの中で南西諸島原産のヒメサザンカCamellia lutchuensis)には香りが有るが、小輪であるため、他の種類と交配して新品種作りが進められている。現在入手可能な品種は、横浜の村田氏が作出した、港シリーズ(港の曙、港の春、港の桜)八王子の桐野秋豊氏が作出した高尾の香りなどがある。ツバキは赤が主体で、色が派手なので、鳥や虫を呼び寄せるために香りがある必要がないので、香りがないのだという説がある。但しヤブツバキやユキツバキ系統にも香りをもつ個体もある(水吉など)。

中国と東南アジアのツバキ

トウツバキ(唐椿)  
中国雲南省原産のツバキ(Camellia reticulata)。大輪で華やかな姿が魅力である。
グランサムツバキ  
香港原産の白花ツバキ。
浙江紅花油茶 
日本のツバキに最も近い。
サルウィンツバキ 

画像:フラボン

香港茶  
香港特産の野生種で、冬にツバキより小型の赤い花が咲く(Camellia hongkongensis)。
ユーシーネンシス  
中国湖南省の白花ツバキ。
この種と日本の寒椿を交配した品種「夢」「蔦紅葉」は、一つの花の中で桃色の花弁と白色の花弁が交互に並ぶという特徴を呈する(白い花弁にも若干の着色部あり)。[3]
金花茶 
中国広西壮族自治区に分布する黄花のツバキ。中国広西壮族自治区からベトナムベトナムにいたる地域には金花茶以外の黄花のツバキも自生し、約50種が報告されている。
海棠(かいどう)  
Camellia amplexicaulis 「ハイドゥン」の名で知られる。花は紅~濃桃色。日本では導入以降長らく高級な園芸植物であったが、2007年にはつぼみ付きで一鉢698円で出回るケースも見られた。
ルブリフロラ 
カウダータ  
ランケオラータ  
アザレアツバキ  

西洋ツバキ

19世紀に西洋に渡った日本のツバキ、中国のトウツバキ、サルウィンツバキなどをもとに西洋の美意識に基づいて品種改良されたもの。現代の日本ではどちらかというと小~中輪の一重咲きの品種を好む人が多いのに対し(古典品種に八重・牡丹咲き・獅子咲きなどの華やかな花が多いことから分かるように、過去においては日本でも一重咲きの品種のみが偏重されたわけではない)、西洋ツバキは八重咲き・牡丹咲き・獅子咲きなどの大~極大輪、豪華な花容のものが多い。

花容による品種

花色

白斑の例
  • 白斑

星斑、雲状斑、横杢斑

  • 覆輪

白覆輪、紅覆輪、底白

  • 絞り

吹きかけ絞り、小絞り、縦絞り、紅白絞り

花形

  • 一重咲き
  • 猪口咲き
  • 筒咲き
千重咲きの
  • 抱え咲き
  • 百合咲き
  • ラッパ咲き
  • 桔梗咲き
  • 椀咲き
  • 平開咲き
千重咲きの例。乙女椿(オトメツバキ)
獅子咲きツバキ
  • 八重咲き
  • 唐子咲き
  • 八重咲き
  • 千重咲き
  • 蓮華咲き
  • 列弁咲き
  • 宝珠咲き
  • 牡丹咲き
  • 獅子咲き

大きさ

  • 極大輪(13cm以上)
  • 大輪(10~12cm)
  • 中輪(7~9cm)
  • 小輪(4~6cm)
  • 極小輪(4cm以下)

地域による品種

江戸のツバキ
徳川幕府が開かれると、江戸に多くの神社寺院武家屋敷が建設された。それにともない、多くの庭園が営まれ、ツバキも植栽されていった。ことに徳川秀忠が吹上御殿に花畑を作り多くのツバキを含む名花を献上させた。これが江戸ツバキの発祥といわれる。『武家深秘録』の慶長18年には「将軍秀忠花癖あり名花を諸国に徴し、これを後吹上花壇に栽(う)えて愛玩す。此頃より山茶(ツバキ)流行し数多の珍種をだす」とある。
権力者の庇護をうけて、ツバキは武士、町人に愛されるようになった。
江戸ツバキは花形、花色が豊富で、洗練された美しさをもつ、一重では清楚な「蝶千鳥」「関東月見草」「蜀紅」、唐子咲きでは「卜伴」。八重では蓮華咲きの「羽衣」「春の台」「岩根絞」など。
上方のツバキ 
古来、都がおかれた上方でもツバキは古くから愛玩されてきた。ことに江戸期には徳川秀忠の娘東福門院和子中宮として迎えた後水尾天皇誓願寺安楽庵策伝などの文化人がツバキを蒐集した。寛永7年(1630年)には安楽庵策伝によって「百椿集」を著した。さらに寛永11には烏丸光広によって「椿花図譜」が著され、そこには619種のツバキが紹介されている。現在でも京都周辺の寺社仏閣には銘椿が多い。品種としては「五色八重散椿」「曙」「菱唐糸」など
上方のツバキは変異の多いユキツバキが北陸から導入されたことと、京都、大坂の人々の独自の審美眼によって選抜されたことに特色がある。
尾張のツバキ 
江戸時代より名古屋を中心に育成されてきた品種群は、一重、筒咲き(または抱え咲き、椀咲き)、小中輪の茶花向きのものが多いのが特徴である。
「関戸太郎」「窓の雪」「紅妙蓮寺」「大城冠」などがあるほか、名古屋好みの豊満な花容のものもある。
近隣の三河伊勢美濃のものとあわせて「中部ツバキ」とも呼ばれている。
加賀のツバキ
北陸各地に誕生したユキツバキ系の品種の京都の中継地として、この地は園芸の隆盛の大きな役割を果たした。茶の湯のさかんな土地柄ゆえに茶花向けの品種が多く、旧家の庭に多くの銘木がある。
代表的な品種には「東方朔」「ことじ」「祐閑寺名月」などがある。
富山、越後のツバキ 
ユキツバキの自生地であることから、変化に富んだ選抜品種や、ヤブツバキとの交配によるユキツバキ系の品種が古くから栽培されてきた。氷見市老谷の「さしまたの椿」のような巨木も多い。
代表的な品種に「大日の暁」「雪白唐子」「栃姫」「千羽鶴」など。
山陰のツバキ 
「つばきのふるさと」と言われるほどの自生地の多い地域である。古くから品種改良が盛んで、ことに江戸期松江藩がおかれてから盛んになり松平不昧は各地からツバキを集めた。から松江にかけて清楚な一重咲きが作られ愛好されている。
代表的な品種は「花仙山」「意宇(おう)の里」「角(すみ)の光」など。
久留米のツバキ 
肥後のツバキ 
肥後椿(ひごつばき)は、肥後・熊本藩の大名だった細川家にて、育種・保存されていた系統で、かつては門外不出であったが、現在では苗木が販売され、愛好者が多い。鉢植え・盆栽として栽培され、花は大輪一重で、梅蕊(ばいしん)咲きという花形で、花の中心から多数のおしべが放射状に広がり、赤・白・ピンクやその絞り咲きの花の色と、黄色のおしべとのコントラストが非常に美しい。肥後六花の一つ。

ツバキの葉

ツバキは葉も観賞の対象になる。江戸時代には好事家たちが、葉の突然変異を見つけ出し、選抜育成して観賞した。

斑入りの例
  • 錦魚葉(金魚葉と書かれることもある)
  • 梵天葉
  • 蘭鋳(らんちゅう)葉[要出典]
  • やすり葉
  • 柊葉
  • 斑入り

など。

ツバキの枝

  • 雲龍(三河雲龍、三原雲龍、紀州雲龍など)
  • 枝垂れ(孔雀椿など)

など。

黄色いツバキ

別種なので金花茶などを参照のこと。

ツバキ属の植物

  • ヤブツバキ C. Japonica
  • サザンカ C. sasanqua
  • カンツバキ C. sasanqua Thunb. Shishigashira
  • チャノキ C. sinensis

サザンカとの見分け方

ツバキ(狭義のツバキ。ヤブツバキ)とサザンカはよく似ているが、次のことに着目すると見分けることができる(原種は見分けやすいが、園芸品種は多様性に富むので見分けにくい場合がある)。

  • ツバキは花弁が個々に散るのではなく萼と雌しべだけを木に残して丸ごと落ちるが(花弁がばらばらに散る園芸品種もある)、サザンカは花びらが個々に散る。このためツバキは、見舞いの時には贈ってはならないといわれる。(死を連想させるため)
  • ツバキは雄しべの花糸が下半分くらいくっついているが、サザンカは花糸がくっつかない。
  • ツバキは、花は完全には平開しない(カップ状のことも多い)。サザンカは、ほとんど完全に平開する。
  • ツバキの子房には毛がないが(ワビスケには子房に毛があるものもある)、サザンカ(カンツバキ・ハルサザンカを含む)の子房には毛がある
  • ツバキは葉柄に毛が生えない(ユキツバキの葉柄には毛がある)。サザンカは葉柄に毛が生える。

都道府県・市区町村の木

県の木

市の木

区の木

町の木

村の木

かつて指定していた自治体(廃止)

各地のツバキの名所

文化

ツバキは日本書紀において、その記録が残されている。景行天皇が九州で起こった熊襲の乱を鎮めたおり、土蜘蛛に対して「海石榴(ツバキ)の椎」を用いた。これはツバキの材質の強さにちなんだ逸話とされており、正倉院に納められている災いを払う卯杖もその材質に海石榴が用いられているとされている。733年の「出雲風土記」には海榴、海石榴、椿という文字が見受けられる。しかし、これらが現在のツバキと同一のものであるかについては議論の余地がある。

万葉集において、ツバキが使用された歌は9首あるが、サクラウメといった材料的な題材と比較すると数は多くない。源氏物語においても、「つばいもち」として名が残されている程度であり、室町時代までさほど芸術の題材として注目された存在ではなかった。しかし、風雅を好む足利義政の代になると、から椿堆朱盆、椿尾長鳥堆朱盆といった工芸品を数多く取りよせ、彫漆螺鈿の題材としてツバキが散見されるようになった。また、豊臣秀吉茶の湯にツバキを好んで用い、茶道においてツバキは重要な地位を占めるようになる。江戸時代に入ると、二代目将軍徳川秀忠がツバキを好み、そのため芸術の題材としてのツバキが広く知られるようになった。この時期、烏丸光広林羅山が相次いで『百椿図』を描き、絵画、彫刻、工芸品へツバキが定着する。また、ツバキの栽培も一般化し、園芸品種は約200種にも及んだ。

  • 年を経たツバキは化けるという言い伝えが日本各地に残る。新潟の伝説では、荒れ寺に現れる化け物の正体が椿の木槌であったり、島根の伝説では、牛鬼の正体が椿の古根だったという話がある。

プラスチックや布などで椿の花を象ったブローチ(一般にカメリアと呼ばれる)が作られ、女性の礼装で装飾として用いられる。

関連文化

耐用年数

平成20年度税制改正において、法人税等の「減価償却資産の耐用年数等に関する省令」が改正され、別表第四「生物の耐用年数表」によれば平成20年4月1日以後開始する事業年度にかかるつばき樹の法定耐用年数は25年となった。

脚注

  1. ^ 『色分け花図鑑 椿』、桐野秋豊著、学習研究社2005年 ISBN 978-4-05-402529-5
  2. ^ (画像:フラボン)
  3. ^ 『最新日本ツバキ図鑑』、P278-279、日本ツバキ協会編、誠文堂新光社、2010年、ISBN 978-4-416-41006-6

関連項目

外部リンク