ダンロップフェニックストーナメント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。180.220.115.65 (会話) による 2015年11月23日 (月) 03:05個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎歴代優勝者)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ダンロップフェニックストーナメント
トーナメント情報
創設 1974年
開催地 宮崎県
開催コース フェニックスカントリークラブ
基準打数 Par71(2008年 - )
ヤーデージ 7027yards(2015年)[1]
ツアー 日本ゴルフツアー機構
競技方法 ストロークプレー
賞金総額 2億円(2015年)
開催月 11月
最高記録
通算スコア -19 日本の旗 片山晋呉(2000年)
最新優勝者
日本の旗 宮里優作(2015年)[1]
テンプレートを表示

ダンロップフェニックストーナメント (DUNLOP PHOENIX TOURNAMENT) は、日本ゴルフツアー機構 (JGTO) 公認による男子プロゴルフトーナメントの一つである。

概要

住友ゴム工業フェニックス・シーガイア・リゾート(旧・フェニックス国際観光)・毎日放送(MBS)主催で、宮崎市のシーガイア内にある「フェニックスカントリークラブ」にて毎年11月第3週から第4週に開催されている。1974年の開始以来、40回を超えた伝統ある国際的ゴルフトーナメントであり、日本国内はもちろん、世界のトッププレーヤーが日本男子プロゴルフ最高額となる賞金総額2億円、優勝賞金4000万円(2015年現在)を賭けて争う。優勝者には副賞としてドイツ製高級車メルセデス・ベンツ[2]が贈られる。

過去40年間には帝王ジャック・ニクラスをはじめ、ジョニー・ミラーヒューバート・グリーントム・ワトソンセベ・バレステロスクレイグ・スタドラーラリー・ネルソンフレッド・カプルスアーニー・エルスグレグ・ノーマンビジェイ・シンフィル・ミケルソンレティーフ・グーセンセルヒオ・ガルシアデビッド・デュバルパドレイグ・ハリントンルーク・ドナルドジョーダン・スピースタイガー・ウッズなど数々の世界のトッププレーヤーが参戦したトーナメントである(2012年まではアメリカPGAツアーは11月初旬にシーズンオフに入るため、他の日本国内大会に比べて有名選手を招待しやすい時期でもあった)。

またこれまで、歴代優勝者には日本国外の数々の有名プレーヤーが名を連ねてきた。中でもセベ・バレステロス、ボビー・ワドキンス、トム・ワトソンラリー・マイズトーマス・ビヨンタイガー・ウッズルーク・ドナルドが2度優勝を決めている。1993年の優勝者であるアーニー・エルスは、当時無名と言ってよい存在であったが、翌1994年全米オープンで優勝し、一躍世界的な選手となった。日本人選手では、尾崎将司が大会史上唯一の3連覇を達成しており、他には中嶋常幸片山晋呉横尾要池田勇太武藤俊憲松山英樹宮里優作が優勝しているが、日本人の優勝は過去42回中10回、2000年以降の16回中でも6回と少ない。

歴代優勝者

優勝者名 国名 備考
1974年 ジョニー・ミラー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 この年のみNET(現・テレビ朝日)系列で放送。
1975年 ヒューバート・グリーン この年からTBS系列の放送に移行(腸捻転解消による)。
1976年 グラハム・マーシュ オーストラリアの旗 オーストラリア
1977年 セベ・バレステロス スペインの旗 スペイン 当時20歳7ヵ月で優勝。大会最年少記録。
1978年 アンディ・ビーン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
1979年 ボビー・ワドキンス
1980年 トム・ワトソン
1981年 セベ・バレステロス スペインの旗 スペイン 4年ぶり2度目
1982年 カルビン・ピート アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
1983年 陳志明 中華民国の旗 台湾
1984年 スコット・シンプソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
1985年 中嶋常幸 日本の旗 日本 日本人選手として初制覇
1986年 ボビー・ワドキンス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 7年ぶり2度目
1987年 クレイグ・スタドラー
1988年 ケン・グリーン
1989年 ラリー・マイズ 大会連覇
1990年
1991年 ラリー・ネルソン
1992年 デビッド・フロスト 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
1993年 アーニー・エルス
1994年 尾崎将司 日本の旗 日本 大会3連覇
1994年大会は2日目が雨で中止、54ホールに短縮。
1995年大会からパー71に変更。
1995年
1996年
1997年 トム・ワトソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 17年ぶり2度目
1998年 リー・ウエストウッド イングランドの旗 イングランド
1999年 トーマス・ビヨン  デンマーク
2000年 片山晋呉 日本の旗 日本
2001年 デビッド・デュバル アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
2002年 横尾要 日本の旗 日本
2003年 トーマス・ビヨン  デンマーク 4年ぶり2度目
2004年 タイガー・ウッズ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 大会連覇
2004年大会からパー70に変更。
2005年
2006年 パドレイグ・ハリントン アイルランドの旗 アイルランド
2007年 イアン・ポールター イングランドの旗 イングランド
2008年 プラヤド・マークセン タイ王国の旗 タイ 距離延長に伴いパー71に変更。
2009年 エドアルド・モリナリ イタリアの旗 イタリア
2010年 池田勇太 日本の旗 日本
2011年 武藤俊憲 3日目が雨によるコースコンディション不良のため中止。54ホールに短縮。
2012年 ルーク・ドナルド イングランドの旗 イングランド 大会連覇
2013年
2014年 松山英樹 日本の旗 日本
2015年 宮里優作[1]

テレビ中継

歴代実況アナウンサー

関連番組

フェニックスチャレンジ
フェニックスカントリークラブに隣接するトム・ワトソン・ゴルフコースを舞台にして行われるゴルフゲーム。元々は2001年まで行われた「ゴルフバトルロイヤル」で日本の名ゴルフプレーヤーの青木功を相手に国内のトッププレーヤー5名の選手がサドンデス方式のゲームで先にホールアウトした選手が勝ち抜けし、最下位になった選手は敗者となり次々と脱落するルールで最後まで残った選手が勝者となる。2002年からスタートの第1回はタイガー・ウッズをはじめ、デビッド・デュバル、セルヒオ・ガルシア、崔京周、片山晋呉が参戦し、6ホールでのポイントターニー方式でポイントの多い選手が勝者ちなるゲームで、タイガー・ウッズが優勝をおさめた。2003年からはプロとアマの8選手が1対1のマッチプレーによるトーナメント方式で戦い、1回戦2ホールの成績で勝敗を決定し、準決勝、決勝はサドンデス形式で行われる。1打1打勝負を左右する一瞬も気を抜けない真剣勝負である。
2009年は男女ペアの3チーム対抗戦(男子プロ=石川遼宮本勝昌ビジェイ・シン、女子プロ=古閑美保横峯さくら馬場ゆかり。組み合わせは抽選で決定)による5ホールズストロークプレーで争った。
解説を青木、司会進行を馬野が務める。なおこの試合の模様をキー局の毎日放送をはじめ、TBS、CBCテレビ北海道放送RKB毎日放送、宮崎放送及び系列外の秋田テレビにて毎年12月中旬 - 下旬(または正月)ごろにテレビ放送される。
2006年から京セラドキュメントソリューションズ(当初「京セラミタ」)が協賛し、2013年まで務め、2014年より親会社の京セラが協賛する。

脚注

  1. ^ a b c “宮里優作が逃げ切り今季初V 松山英樹は連日のイーグル締めで2位”. ゴルフダイジェスト・オンライン. (2015年11月22日). http://news.golfdigest.co.jp/jgto/5089/article/60557/5/ 2015年11月22日閲覧。 
  2. ^ 過去、優勝副賞の車は日産1991年まで)やホンダ1992年)から贈呈されていた。メルセデス・ベンツが副賞になったのは1993年からである。なお、副賞の車が置かれているのは17番ホールのティーグラウンドである(但し2011年以降は優勝副賞とは別の車が置かれることもある)。

外部リンク