ダンロップフェニックストーナメント
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ダンロップフェニックストーナメント | |
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トーナメント情報 | |
創設 | 1974年 |
開催地 | 宮崎県 |
開催コース | フェニックスカントリークラブ |
基準打数 | Par71(2008年 - ) |
ヤーデージ | 7027yards(2015年)[1] |
ツアー | 日本ゴルフツアー機構 |
競技方法 | ストロークプレー |
賞金総額 | 2億円(2015年) |
開催月 | 11月 |
最高記録 | |
通算スコア | -19 片山晋呉(2000年) |
最新優勝者 | |
宮里優作(2015年)[1] |
ダンロップフェニックストーナメント (DUNLOP PHOENIX TOURNAMENT) は、日本ゴルフツアー機構 (JGTO) 公認による男子プロゴルフトーナメントの一つである。
概要
住友ゴム工業・フェニックス・シーガイア・リゾート(旧・フェニックス国際観光)・毎日放送(MBS)主催で、宮崎市のシーガイア内にある「フェニックスカントリークラブ」にて毎年11月第3週から第4週に開催されている。1974年の開始以来、40回を超えた伝統ある国際的ゴルフトーナメントであり、日本国内はもちろん、世界のトッププレーヤーが日本男子プロゴルフ最高額となる賞金総額2億円、優勝賞金4000万円(2015年現在)を賭けて争う。優勝者には副賞としてドイツ製高級車メルセデス・ベンツ[2]が贈られる。
過去40年間には帝王ジャック・ニクラスをはじめ、ジョニー・ミラー、ヒューバート・グリーン、トム・ワトソン、セベ・バレステロス、クレイグ・スタドラー、ラリー・ネルソン、フレッド・カプルス、アーニー・エルス、グレグ・ノーマン、ビジェイ・シン、フィル・ミケルソン、レティーフ・グーセン、セルヒオ・ガルシア、デビッド・デュバル、パドレイグ・ハリントン、ルーク・ドナルド、ジョーダン・スピース、タイガー・ウッズなど数々の世界のトッププレーヤーが参戦したトーナメントである(2012年まではアメリカPGAツアーは11月初旬にシーズンオフに入るため、他の日本国内大会に比べて有名選手を招待しやすい時期でもあった)。
またこれまで、歴代優勝者には日本国外の数々の有名プレーヤーが名を連ねてきた。中でもセベ・バレステロス、ボビー・ワドキンス、トム・ワトソン、ラリー・マイズ、トーマス・ビヨン、タイガー・ウッズ、ルーク・ドナルドが2度優勝を決めている。1993年の優勝者であるアーニー・エルスは、当時無名と言ってよい存在であったが、翌1994年に全米オープンで優勝し、一躍世界的な選手となった。日本人選手では、尾崎将司が大会史上唯一の3連覇を達成しており、他には中嶋常幸、片山晋呉、横尾要、池田勇太、武藤俊憲、松山英樹、宮里優作が優勝しているが、日本人の優勝は過去42回中10回、2000年以降の16回中でも6回と少ない。
歴代優勝者
年 | 優勝者名 | 国名 | 備考 |
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1974年 | ジョニー・ミラー | アメリカ合衆国 | この年のみNET(現・テレビ朝日)系列で放送。 |
1975年 | ヒューバート・グリーン | この年からTBS系列の放送に移行(腸捻転解消による)。 | |
1976年 | グラハム・マーシュ | オーストラリア | |
1977年 | セベ・バレステロス | スペイン | 当時20歳7ヵ月で優勝。大会最年少記録。 |
1978年 | アンディ・ビーン | アメリカ合衆国 | |
1979年 | ボビー・ワドキンス | ||
1980年 | トム・ワトソン | ||
1981年 | セベ・バレステロス | スペイン | 4年ぶり2度目 |
1982年 | カルビン・ピート | アメリカ合衆国 | |
1983年 | 陳志明 | 台湾 | |
1984年 | スコット・シンプソン | アメリカ合衆国 | |
1985年 | 中嶋常幸 | 日本 | 日本人選手として初制覇 |
1986年 | ボビー・ワドキンス | アメリカ合衆国 | 7年ぶり2度目 |
1987年 | クレイグ・スタドラー | ||
1988年 | ケン・グリーン | ||
1989年 | ラリー・マイズ | 大会連覇 | |
1990年 | |||
1991年 | ラリー・ネルソン | ||
1992年 | デビッド・フロスト | 南アフリカ共和国 | |
1993年 | アーニー・エルス | ||
1994年 | 尾崎将司 | 日本 | 大会3連覇 1994年大会は2日目が雨で中止、54ホールに短縮。 1995年大会からパー71に変更。 |
1995年 | |||
1996年 | |||
1997年 | トム・ワトソン | アメリカ合衆国 | 17年ぶり2度目 |
1998年 | リー・ウエストウッド | イングランド | |
1999年 | トーマス・ビヨン | デンマーク | |
2000年 | 片山晋呉 | 日本 | |
2001年 | デビッド・デュバル | アメリカ合衆国 | |
2002年 | 横尾要 | 日本 | |
2003年 | トーマス・ビヨン | デンマーク | 4年ぶり2度目 |
2004年 | タイガー・ウッズ | アメリカ合衆国 | 大会連覇 2004年大会からパー70に変更。 |
2005年 | |||
2006年 | パドレイグ・ハリントン | アイルランド | |
2007年 | イアン・ポールター | イングランド | |
2008年 | プラヤド・マークセン | タイ | 距離延長に伴いパー71に変更。 |
2009年 | エドアルド・モリナリ | イタリア | |
2010年 | 池田勇太 | 日本 | |
2011年 | 武藤俊憲 | 3日目が雨によるコースコンディション不良のため中止。54ホールに短縮。 | |
2012年 | ルーク・ドナルド | イングランド | 大会連覇 |
2013年 | |||
2014年 | 松山英樹 | 日本 | |
2015年 | 宮里優作[1] |
テレビ中継
- テレビ中継は毎日放送と宮崎放送の共同制作により地上波放送はTBS系列24局(但し青森テレビ・テレビ山梨・テレビ山口・テレビ高知は除く)ネットで録画、またCS放送のGAORAで放送されている。系列外の秋田テレビ(FNS系列)でも翌年正月に録画放送(遅れネット)される。なお2007年大会まではBSデジタル放送のBS-i(現・BS-TBS)でも放送されていた。更にCSゴルフ専門チャンネルのゴルフネットワークでも、3日目と最終日の模様をTBS系列での放映から1週間以内に後日放映される。かつては関西ローカル(毎日放送)にて最終日の模様を日曜10:00 - 11:24で放送されたが、2007年以降は行っていない。
歴代実況アナウンサー
- 初代:井上光央(1974年 - 1984年)
- 2代目:水谷勝海(1985年 - 1998年)
- 3代目:平松邦夫(1999年・2000年)
- 4代目:馬野雅行(2001年 - )
- 井上はあるラジオ番組で、「この大会でどうしても日本人選手が優勝出来ないので水谷さんにバトンタッチしたら、途端に中嶋選手が優勝した」と語っていたことがある。
関連番組
- フェニックスチャレンジ
- フェニックスカントリークラブに隣接するトム・ワトソン・ゴルフコースを舞台にして行われるゴルフゲーム。元々は2001年まで行われた「ゴルフバトルロイヤル」で日本の名ゴルフプレーヤーの青木功を相手に国内のトッププレーヤー5名の選手がサドンデス方式のゲームで先にホールアウトした選手が勝ち抜けし、最下位になった選手は敗者となり次々と脱落するルールで最後まで残った選手が勝者となる。2002年からスタートの第1回はタイガー・ウッズをはじめ、デビッド・デュバル、セルヒオ・ガルシア、崔京周、片山晋呉が参戦し、6ホールでのポイントターニー方式でポイントの多い選手が勝者ちなるゲームで、タイガー・ウッズが優勝をおさめた。2003年からはプロとアマの8選手が1対1のマッチプレーによるトーナメント方式で戦い、1回戦2ホールの成績で勝敗を決定し、準決勝、決勝はサドンデス形式で行われる。1打1打勝負を左右する一瞬も気を抜けない真剣勝負である。
- 2009年は男女ペアの3チーム対抗戦(男子プロ=石川遼、宮本勝昌、ビジェイ・シン、女子プロ=古閑美保、横峯さくら、馬場ゆかり。組み合わせは抽選で決定)による5ホールズストロークプレーで争った。
- 解説を青木、司会進行を馬野が務める。なおこの試合の模様をキー局の毎日放送をはじめ、TBS、CBCテレビ、北海道放送、RKB毎日放送、宮崎放送及び系列外の秋田テレビにて毎年12月中旬 - 下旬(または正月)ごろにテレビ放送される。
- 2006年から京セラドキュメントソリューションズ(当初「京セラミタ」)が協賛し、2013年まで務め、2014年より親会社の京セラが協賛する。
脚注
- ^ a b c “宮里優作が逃げ切り今季初V 松山英樹は連日のイーグル締めで2位”. ゴルフダイジェスト・オンライン. (2015年11月22日) 2015年11月22日閲覧。
- ^ 過去、優勝副賞の車は日産(1991年まで)やホンダ(1992年)から贈呈されていた。メルセデス・ベンツが副賞になったのは1993年からである。なお、副賞の車が置かれているのは17番ホールのティーグラウンドである(但し2011年以降は優勝副賞とは別の車が置かれることもある)。