タハリール広場
タハリール広場(アラビア語: ميدان التحرير; mīdān at-taḥrīr)は、エジプトの首都カイロ中心部に位置する広場。タフリール広場とも。
概要
タハリール広場はカイロ中心部のダウンタウン(ナイル川東岸)の中心に位置する。19世紀(ムハンマド・アリー朝時代)、イスマーイール・パシャがエジプト総督を務めていた時の都市計画で作られた広場である。当時はイスマーイール広場と呼称されていたが、1919年のエジプト革命を境にしてタハリール広場と呼称されるようになり、ナーセルらによる1952年の革命で正式に名称が変えられた。「タハリール」はアラビア語で「解放」(英語:liberation)の意味である。
周辺は官庁街で、広場のすぐ南にはモガンマアと呼ばれる政府のビルがある。また、広場の北にはエジプト考古学博物館が立地し、広場から約1km東にはアブディーン宮殿が存在する。最寄の地下鉄駅はサダト駅でこの広場の真下にあり、駅の地下連絡路が広場を往来する歩行者通路としての役割も担っている。普段はカイロ交通の中心として多くの車が通行する巨大なロータリーであるため、エジプトでは珍しく信号機が設置されているが、交通警察が常時手信号で指示していることから、実態として信号機は全く機能していない。また、ナイル川に沿って高級ホテルが立ち並ぶために、観光客の姿も多い地区である。
タハリール広場ではたびたび抗議行動が行われてきたが(1977年の“パン暴動”や2003年のイラク戦争反対キャンペーンなど)、中でも2011年のエジプト革命ではここがデモの中心部となり、1月25日のデモ発生から2月11日のムバラク大統領辞任表明まで、数百万人の市民が集合した。