タイチ (プロレスラー)
タイチ Taichi | |
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プロフィール | |
リングネーム |
タイチ 石狩太一 |
本名 | 牧太一郎 |
ニックネーム |
世界一性格の小ズルイ男 ミスター太鼓持ち 世界一の小悪党 ロスト・アイデンティティ 北海の星 |
身長 | 177cm |
体重 | 85kg |
誕生日 | 1980年3月19日(44歳) |
出身地 | 北海道石狩市 |
所属 | 新日本プロレス |
スポーツ歴 | レスリング |
トレーナー |
川田利明 馳浩 |
デビュー | 2002年12月2日 |
タイチ(1980年3月19日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名は牧 太一郎(まき たいちろう)。北海道石狩市出身。新日本プロレス所属。
来歴
中学の頃からのプロレスファンであり、一人でトレーニングを行っていた[1]。中3の終わりごろ、札幌で行われたパンクラスの入門テストに合格しているが、親の反対により高校へ進学する[1]。高校時代はレスリング部に所属し、97年、国体の北海道大会予選で二位、インターハイの出場経験もある。しかし限界を感じ、大学へ進学するも授業には出ずにパチンコ屋へ入り浸り、そのままアルバイト店員となって退学した[1]。
2001年、全日本プロレスが夏に開催した2泊3日の第1回BATTキャンプに参加した後、コーチだった馳浩に入門を直訴し、9月に全日本プロレスへ練習生見習いとして入門する[1]。1年で75kgから10kg増えたらデビューという条件だったが、80kgから増えないままだったものの全日本プロレスに欠場選手が続いたため、石狩太一の名前で2002年12月2日、新潟・長岡市厚生会館大会にて土方隆司戦でデビューした[1]。全日本プロレスのジュニア戦線主要レスラーとして、2004年2月には大阪プロレス主催の『スーパーJカップ』に全日本プロレス代表で出場するも1回戦で大阪プロレスの村浜武洋に敗れた。
全日本の頃は川田利明の付き人を務めており、2005年2月に川田が退団する際には、自分は川田の付き人であるという理由から石狩も全日本を退団し行動を共にしている[1]。以降フリーランスとして活動し、多くの団体に登場している。主戦場の一つであるハッスルでは、不遜かつ非常識な言動で控え室で先輩選手に怒られまくるキャラクターで注目を集め、控え室のスーパースターと呼ばれる。しかし川田が高田モンスター軍に寝返ってしまい、川田の心を取り戻そうと愛憎師弟対決を4度行うも、全て返り討ちにあってしまった。また、女子レスラー風の衣装と化粧を施し「石狩太子(たいこ)」のリングネームを使ったこともある。
バラエティ色がどんどんエスカレートしたハッスルに付いてゆけなくなり、契約を自ら打ち切り離脱[1]。フリーとして旧友の宮本和志のいるキングスロードへ登場すると、団体解散後はしばらくZERO-ONE MAXに参戦した。2006年6月からは新日本プロレスの単発興行「WRESTLE LAND」に、邪道・外道とトリオを組み、「北海道」のリングネームを名乗った[1]。7月8日にディファ有明で開催された総合格闘技イベント「MOVE ON! Kings!」で、総合格闘技に初挑戦する予定であったが腰のヘルニア悪化および右肩腱鎖関節損傷のため欠場となった[2]。
以後、新日本プロレスに参戦し正規軍の一員として戦うことが多くなり2008年にはTNAへミラノコレクションA.T.とともに遠征することが決まった。しかし、TNAでは一試合も試合をすることなく予定を早めて帰国をしたことを公式サイトで明らかになった。帰国後、ミラノの技ロープパラダイスやギミックである透明犬(後に「ミケコ」と命名)を真似するようになり、ミラノとの抗争に発展し、シングルマッチが2度組まれるが、いずれも敗北。同年11月、犬猿の仲といわれたミラノと和解し、タッグチーム「ユニオーネ」を結成。同タッグとしてG1 TAG LEAGUEに初出場するも、一勝のみにとどまった。
2009年1月4日、レッスルキングダムIIIの第0試合に出場。同年より新日本プロレスの所属となった[1]。4月よりリングネームを「石狩太一」から「タイチ」へと改名し、6月のBEST OF THE SUPER Jrでは2年ぶりに出場を果たした。
6月20日、DOMINION6.20にて、IWGPジュニアタッグ王座の挑戦権を賭けて、Apollo 55(田口隆祐 & プリンス・デヴィット組)と対戦。「タイチ」コールを沸き起こす奮闘を展開したが、最後は田口のどどんでピンフォール負けを喫した。それから一か月が経った7月20日月寒大会、王座奪還に成功したApollo 55の初防衛戦の相手としてIWGPジュニアタッグ王座に初挑戦したが、パートナーのミラノがピンフォールを奪われ、奪取とはならなかった。
その後、タイチのパートナーであるミラノが目の負傷で長期欠場(後に引退)となり、11月下旬からは金本浩二とタッグを組んでいる。
海外遠征
2010年1月19日、CMLLへの長期遠征が発表された。2月15日に同団体へ参戦するため、メキシコへ出発する。同月19日(現地時間)にアレナメヒコ大会のセミファイナルに初登場、内藤哲也、レイ・メンドーサ・ジュニアと組んでストロングマン、ミステル・ニエブラ、マキシモ組と3本勝負で激突しストレート勝ちを収めた。
3月21日のアレナコリセオ大会で対戦相手のラ・マスカラのマスクを剥いだことから因縁が勃発した。5月7日に棚橋弘至、OKUMURAと組んで、ラ・マスカラ、イホ・デル・ファンタズマ、エクトール・ガルサ組とCMLL世界トリオ王座を賭けて対決、これに勝利し同王座に載冠した。タイチにとって初のベルト奪取となったが21日の初防衛戦にて同王座に陥落し、短命政権に終わった。
同月23日にマキシモのキス攻撃を受けてしまったことから因縁勃発。6月6日、CMLLのビッグイベントの一つとされているシン・サリダ興行のメインイベントでカベジェラ・コントラ・カベジェラマッチとしてマキシモと対戦したがパワーボムでピンフォール負けとなり、丸坊主となってしまった。
小島軍(仮)から鈴木軍へ
12月にメキシコ遠征から帰国し、TAKAみちのく、NOSAWA論外と共に新日本に戻った小島聡の下に集い、ユニット「小島軍(仮)」を結成する[1]。セコンドとして度々試合に介入したり、インタビューで小島を絶賛する等、太鼓持ちとして活躍する。しかしNEW JAPAN CUP以降、小島は真壁刀義とのシングルマッチの抗争を展開し、始めたと同時に1対1の真剣勝負に執着するようになり、試合開始直前に小島にリングから追い出されるようなった事をキッカケに不信感を抱くようになった。
2011年1月30日、田口隆祐 & プリンス・デヴィット「Apollo55」が保持するIWGPジュニアタッグ王座に本来ならTAKAみちのく & NOSAWA論外組での挑戦予定だったが、TAKAの肩の負傷により代理出場、田口に外道クラッチIIで丸め込まれ敗北した。3月20日にApollo55のIWGPジュニアタッグ王座にTAKAと共に再挑戦をするも、デヴィットのブラディサンデーを喰らいタイチがピンフォール負けを喫した。
4月29日、広島大会で田口が保持するCMLL世界ウェルター級王座に挑戦するも、田口の新技ラ・ミスティカ式どどんで敗れる。5月3日に組まれた真壁と小島の試合後、TAKAと共に小島を襲撃。乱入した鈴木みのると共闘を宣言し、新たに「鈴木軍」を結成[1]した。タイチはこの頃から鈴木の異名に因んで「世界一性格の小ズルい男」と称された。
9月11日にTAKAとのタッグでApollo55の所持するIWGPジュニアタッグ王座に三度挑戦、前日より田口の膝を負傷寸前まで追い込み有利に試合を進めたものの、最後は田口からラ・マヒストラルでタイチがピンフォール負けを喫し王座奪取は失敗に終わった。
12月9日に行われたJ SPORTS CROWN〜ドリームマッチ〜ではファン投票でジュニアヘビー級ワーストとなり、ヘビー級ワーストとなったヒデオ・サイトーとのシングルマッチとなった。しかし、現れたのはヒデオではなくキャプテン・ニュージャパンであり、キャプテンのデビュー戦の相手となった。
2012年6月のBEST OF THE SUPER Jr.最終戦の6人タッグマッチにてタイチは獣神サンダー・ライガーのマスクの角と髪の毛をむしり取る暴挙を敢行、最後はタイチ式外道クラッチでライガーから3カウントを奪取した。16日よりTAKAと組んで、空位となったIWGPジュニアタッグ王座を巡ってライガー、タイガーマスク組と対決した。前回と同じようにライガーのマスクを破るがその下から露わとなった鬼神ライガーに赤の毒霧を浴びせられ、さらにテーブルへのパワーボムを喰らってしまった。最後はTAKAがタイガーからピンフォールを奪われ敗戦した。
2013年10月14日、キングオブプロレスリングにおいて、TAKAとのタッグでフォーエバー・フーリガンズ(ロッキー・ロメロ & アレックス・コズロフ組)に勝利し、第36代IWGPジュニアタッグ王者に輝いた。
タイチはTAKAとともにIWGPジュニアタッグ王座防衛戦を11月1日に新宿FACE行われるTAKA&タイチ自主興行で行うことを勝手に決定、対戦相手に邪道 & 外道組を指名し防衛に成功する。次の防衛戦を11月17日にシアター1010で行われるTAKA&タイチ興行第2弾、試合ルールを120分3本勝負、挑戦者を田中翔 & 小松洋平組に指名した。だが、新日本プロレスおよびIWGP委員会からクレームがつき、11月6日にSUPER Jr. TAG TOURNAMENTを制したヤング・バックス(マット・ジャクソン & ニック・ジャクソン組)との防衛戦を11月9日、POWER STRUGGLEで組まれた。
11月9日POWER STRUGGLE大阪大会でヤング・バックスに敗れ、IWGPジュニアタッグ王座から陥落した。
2014年1月4日、レッスルキングダム8において、4WAYタッグマッチでIWGPジュニアタッグ王座(王者組:ヤング・バックス、挑戦者組:フーリガンズ、TIME SPLITTERS)に挑むも敗北した。
その後、不倫騒動が発覚しBest Of Super Juniorの後に新日本プロレスの菅林会長に二ヶ月の出場停止を宣告された。 8月10日、G-1 CLIMAX 24 決勝戦 西武ドーム大会での 第1試合、田口隆祐、タイガーマスク、小島聡、天山広吉vsエル・デスペラード、TAKAみちのく、ランス・アーチャー、デイビーボーイ・スミスJr 8人スペシャルマッチでは、セコンドとして髪型を変えて登場した。先日、飯伏幸太たちを裏切って鈴木軍入りをしたデスペラードと一緒に入場した。
2015年3月14日、プロレスリング・ノアGREAT VOYAGE 2015 in Tokyo 有明コロシアム大会において小峠篤司を破り、GHCジュニアヘビー級王座に輝いた。
得意技
ジュニアヘビー級らしい躍動感のある技と、師である川田を受け継ぐかの様なハードヒットな蹴り技を駆使した闘い方を見せる。現在は姑息なファイトスタイル[3]を織り交ぜ、観衆からブーイングを浴びている。
- ブラック・メフィスト
- CIMAの得意技であるシュバインのように相手を逆さまにかつぎ、相手の足を交差させてマットに垂直落下気味に落とす脳天から後頭部にかけてダメージを与える。CIMAのシュバインは胴タックルから抱えあげるのに対し、タイチのブラック・メフィストは相手の股に頭を突っ込んで持ち上げる。名前の由来はタイチの師匠・川田の海外遠征時代の時のリングネームから。
- タイチ式外道クラッチ
- 外道クラッチと同型のフォール技。尾崎仁彦リングアナウンサーが外道クラッチとアナウンスしたところ、TAKAが「牧クラッチだよ!」と抗議。
- 以降、何度か呼び名が移り変わり、現在の技名に定着。レフェリーのブラインドを突いて急所攻撃を見舞ってから、移行するのが主流となっている。
- スライディングキック
- ロープへ跳んで助走をつけ尻餅を着かせた相手の左即頭部を足の甲で捕らえる。時折、フィニッシュ技としても用いられる。
- タイチ式ライガーボム
- タイチの数少ない力技のひとつ。対角コーナーから走り叩きつけるサンダー・ライガーボムの形になることもしばしば。
- ダークメタモルフォーゼ(とも〜み推し)
- トップロープの反動を利用した2段階式パワーボム。名前の由来は元AKB48の河西智美のファンであり河西の愛称から。
- トラース・キック
- ヒールターンしてからも愛用し続ける蹴り技のひとつ。コスチュームのロングタイツを剥ぎ取ってショートタイツに変身する際に放つが、剥ぎ取るまでに時間が掛かりその結果、相手に余裕を与え返り討ちにあってしまうこともある。
- フロントハイキック
- 師である川田が得意とするコーナーへの串刺し式も使用。
- アックスボンバー
- 「アックスボンバー!」と叫びながら、串刺し式で繰り出す。タッグマッチの際は両腕で二人同時に叩きつける型も見せる。
- 邪外殺し
- ニーブレスを身に着けての膝蹴り。2013年上半期より使用していた技。
- スイングDDT
- 試合中盤で放つことが多い技。回転途中に右手でサードロープを掴んで自身の身体を振り上げ落差を増す。
- フランケンシュタイナー
- 相手に側方から飛び付いて旋回しつつ身体を捻って投げ捨てる。ヒール転向後は全く見られなくなった。
- ドロップキック
- 打点が高く、フォームも美しい。ヒール転向後は全く見られなくなった。
- ステップキック
- 師である川田が得意とする蹴り技の一つ。相手の頭を抑えつけ、顔面を小刻みに蹴り上げる。
- マトリックス
- 相手をコーナーにスルーし、助走をつけながらセカンドロープに足を乗せ、ロープを踏み台にして軽く跳躍した後、振り上げた足の甲で相手の側頭部を捕らえる。
- マトリックス2
- マトリックスの改良版。上述の通りに跳躍し、ドロップキック気味に相手の胸を蹴り上げる。
- 鬼葬
- 飛びついて腕と足を極める複合サブミッション。
- 天翔十字鳳
- トラースキック
合体技
- みちのくメフィスト
- ブラックメフィストとみちのくドライバーIIの複合技。ブラックメフィストの要領で担ぎ上げたタイチの正面に回ったTAKAがみちのくドライバーIIの形で相手を抱え込み、相手を頭から落下させる。
- アックスボンバー
- タイチがコーナーにいる相手にアックスボンバーを放ち、TAKAが膝蹴りを放つ。これにエル・デスペラードが加わるとキャノンボールを放つ。
- ローフライフロー
- タッグマッチ時、鈴木のアシストで放たれる低空式ボディープレス。試合権利があるタイチがダウンしている時、鈴木が介入して相手をゴッチ式パイルドライバー等でダメージを与え、タイチを強引に相手の上に投げ飛ばしそのままフォールさせる。名称は棚橋弘至のハイフライフローから。
- 13y5(トレッセイシンコ)
- エル・デスペラードがギターラ・デ・ラ・ムエルタの態勢に入ったところからタイチが背後からブラックメフィストの態勢を取りタイミングをあわせ同時に相手をマットに叩きつける。
タイトル歴
- CMLL世界トリオ王座(w / 棚橋弘至 & OKUMURA)
- IWGPジュニアタッグ王座(第36代, w / TAKAみちのく)
- GHCジュニアヘビー級王座(第29代)[4]
入場テーマ曲
- 「pageant」(Moi dix Mois) - 現在のテーマ曲。鈴木軍結成後は鈴木の入場曲である風になれとミックスされたバージョンも使用する。2014年6月まではインストゥルメンタル版を使用していたが、6月以降はボーカル入り版を使用し、エアボーカルパフォーマンスをするようになった。
- 「forbidden」(Moi dix Mois)
- 「季節の中で」(松山千春) - デビュー当初に使用
- 「OBSCURE」 (Dir en grey)
その他
- ジュニアヘビー級の選手ながら、全日本時代に天龍源一郎とシングルマッチで対戦したことがある。
- 自身のブログ「新・石狩生活」でミラノにブログジャックされたことがある。その後、後藤や岡田などにもジャックされた。
- 趣味は競馬でブログでは度々このことが書き記されてはいるが、ことごとく外れてしまっている。
- 元AKB48の河西のファンであることを公言しており、コンサートにも行ったと話している。尚、2012年1月25日の白河大会よりペンライトを持っての入場を行っている。
- CMLLのマキシモと対戦するとオカマになってしまう。
脚注
外部リンク
- 新日本プロレス 公式プロフィール
- 新・石狩生活 - 公式ブログ
- タイチ (@taichi0319) - X(旧Twitter)