ソ朝友好協力相互援助条約

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ソ朝友好協力相互援助条約(そちょうゆうこうきょうりょくそうごえんじょじょうやく、ロシア語: Договор о дружбе, сотрудничестве и взаимной помощи между Союзом Советских Социалистических Республик и Корейской Народно-Демократической Республикой, 朝鮮語: 쏘베트 사회주의 공화국 련맹과 조선 민주주의 인민 공화국간의 우호, 협조 및 호상、 원조에 관한 조약)とは、1961年7月6日、モスクワにおいて、ソビエト社会主義共和国連邦朝鮮民主主義人民共和国との間で結ばれた条約。条約はソ連からはニキータ・フルシチョフ首相(当時)、北朝鮮からは金日成首相(当時)が出席して調印された。

経緯

朝鮮戦争の休戦後、北朝鮮はますます、独自路線を歩み、個人崇拝を強化していた。1956年2月、ソ連のフルシチョフがスターリン批判を展開したが、金日成はこれを無視した。さらに、金日成率いる「満州派」に批判的な「南労党系」、「ソ連派」、「延安派」を粛清したことで、ソ朝関係は悪化した。

しかし、1950年代末からの中ソ対立の最中、中国と北朝鮮の関係が悪化すると、北朝鮮はソ連との関係改善に努めた。とくに日本からの朝鮮人の帰国は金日成にとって経済上の必要があった[1]

1991年ソ連崩壊冷戦の終結などの国際情勢の変化によりソ朝友好協力相互援助条約は1996年に破棄・失効した。

条文

この条約の日本語訳は以下の通りである。(正文はロシア語及び朝鮮語

第一条 両締約国は、両国が今後とも極東及び全世界の平和及び安全の保障を目的とするすべての国際的行動に参加し、これらの高い課題の実現に貢献するであろうと声明する。

いずれか一方の締約国がいずれかの一国又は同盟国家群から武力攻撃を受け、戦争状態に入つたときは、他方の締約国は、直ちにその有するすべての手段をもつて軍事的及び他の援助を供与するものとする。

第二条 いずれの一方の締約国も、他方の締約国を目標とするいかなる同盟をも締結せず、いかなる連合及び行動又は措置にも参加しないことを約束する。

第三条 両締約国は、平和の強化及び全般的安全を促進する熱意を指針として、両国の利益に触れるすべての重要な国際問題について相互に協議するものとする。

第四条 両締約国は、平等の原則並びに国家主権、領土保全の相互尊重及び国内事項への相互不干渉の諸原則に従い、友好及び協力の精神において、ソヴィエト社会主義共和国連邦と朝鮮民主主義人民共和国との間の経済的及び文化的関係を発展強化させ、あらゆる可能な援助を相互に供与し、かつ、経済及び文化の分野において必要な協力を実現することを約束する。

第五条 両締約国は、朝鮮の統合は平和的及び民主的基礎の上に行なわれるべきであり、このような解決は朝鮮人民の利益及び極東の平和維持に答えるものと考える。

第六条 この条約は、平壌市において行なわれる批准書交換の日に効力を生ずる。

 この条約は十年間効力を存続する。いずれか一方の締約国が、この期間の満了の一年前にこの条約の廃棄の希望を表明しない場合には、この条約は、次の五年間効力を存続し、この規定に従い延長されるものとする。

脚注

  1. ^ 下斗米、p.120

参考文献

関連項目

外部リンク